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 人生は残酷だ。残酷で、残酷で、崩れ落ちてしまいそうなほどに激しく、泣き出してしまいそうなほどに穏やかで、時に、生きることを放棄したくなるのは、特段異常な感情でもないだろう。しかし、雨雲に包まれるような、工場の煙突から排出される排気ガスに飲み込まれたような燻んだ感情は、身体を急き立てるほどの勇気は与えてはくれずに、ただ深く広がるだけで、手で振り払おうとしても、掠めることしかできない。

 手が届きそうな場所へと揺れ動く感情を持ちながら、確かに地に着く足を見つめる時間ほど、残酷なものはないだろう。きっと、楽になる。でも、その先に待つものは何? 永遠ともいえる時間を経て、もしくは刹那の如く辿り着いた場所に何もなかったら、どうしたら良いのだろう? 人は誰でも、自分の居場所を求める。もし、縋るように手繰り寄せたそこに、自分の居場所がなかったら、どうしたら良いのだろう? 静かに、消え入るようにいなくなった僕を、一体どれほどの人が知ってくれるのだろう。僕が確かにこの世界に生きた証を、一体どれほどの人が証明してくれるのだろう。まるで荒波のようで、激しいと思った僕の生き様に、一体どれほどの人が興味を示してくれるのだろう。消え入りそうな感情を持ちながらも、この世界に爪痕を残そうとして足掻くのは、無様な姿なのだろうか。自分の存在を誰かに知ってもらおうとして叫ぶのは、惨めな姿なのだろうか。

 苦しい時に、正直に苦しいと言えたらどれほど良いだろうか。泣きたい時に、思い切り涙を流せたらどれほど良いだろうか。分かりやすく食欲が落ちて、体重が減り、頰が痩けて。分かりやすく睡眠不足になり、眠れなくて、隈ができて。本当は、誰かに気付いてほしい。大丈夫? って、僕の顔を見て、そっと手を差し伸べてほしい。涙を流して、声を荒げて、潰れそうな心を表出したいのに、なぜ、涙は流れてくれないのだろう。涙を流すという労力も、血液も、自己防衛本能の下に、とうに枯れてしまったのだろうか。胸が苦しい、張り裂けるほどに。喉が詰まる、えずくほどに。こんなにも苦しいと感じるのに身体が反応しないのは、結局はそれほどの感情でもないのだろうか。それとも、苦しみの感情にさえも、僕の身体は慣れてしまったのだろうか。

 目に見える変化が現れて初めて、周囲の人々は変化に気付く。多分、人は思ったより他人の痛みに鈍感で、そもそも、自分以外の人間の感情などには、大して興味など持っていないのかもしれない。そんなことは分かっていながらも、自ら意思表示をすることもなく、心の奥底に広がる淀んだ感情に気付いてほしいと願うのは、強欲なのだろうか。しかし、当然のように誰にも気付かれずに、静かに広がる憂いに押し潰されそうになりながら周囲の人々に対して疑心暗鬼になり、一方的に不満を感じてしまうのは、傲慢なのだろうか。

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