prologue

「罪を、認めるのか?」

「認めます」

「なぜ、殺したんだ?」

「彼を、どうしても許せなかったんです。何の罪もない妻と、あの子は死んだのに、それなのに何故、あんな奴が生きているんだ。そう、思ってしまったんです。そうしたらもう、自分を、抑えられなかった。どうしても。気付いたら、彼の後を追っていました。ナイフを持って。あの時、考える時間は十分にあった。でも、私の決心は揺らがなかった」

「出頭しようとは思わなかったのか?」

「…私はずっと、自分の罪を正当化していました。私が彼を殺したのは、彼のためだったと」

「彼のため? どういう意味だ?」

「私はずっと、自分に言い聞かせていました。私は彼に、生きる喜びとやらを教えてあげたんだと。私が彼を殺す前、彼の首筋にナイフを突き立てる瞬間、彼は確かに、生きているということを実感していました。それは、生きる上で、最も大切なこと。彼は、死ぬことを掛合いに、それを実感することができたんだと、私は思います…そう、思っていました。でも…それは、ただ僕の価値観を彼に押し付けただけで、全くもって私の自己満足でしかなかったことに気付いていなかったんです。いや、そう気付いていながらも、これで良かったんだと、自分に言い聞かせていたんだと思います。でも、私はもう、自分の犯した罪を正当化することに、耐えられなくなったんです。それに…妻と…あの子に、申し訳なくて…」

「あの子とは、あなたの息子さんのことだね? 交通事故で脳死になり、臓器提供をしたと…あなたの奥さんも、その時に亡くなられたそうだね」

「…はい」

「確か、ご家族を亡くした事故が起こったのは、二十年前。あなたが殺人を犯した日は、息子さんの命日だった…。あなたの苦しみは分かる、と言いたいが、きっと私には到底理解できないような苦しみに苛まれていたのだと思う。しかし、殺人は殺人だ。あなたがしたことは、結局はあなたの奥さんとお子さんを轢き殺して逃げた運転手がしたことと、何一つ変わらない。最愛の家族を亡くした手前、他人の生命を軽んじている若者に、抑えきれないほどの憎しみを抱いてしまったのは、分からなくもないが…」

「…はい」

「あなたは、大切な存在を奪われた。そして、奪った。真っ当に生きるとは、どういうことなんだろうな。あなたの家族を奪った運転手も、あなたも、私も、生きている。どの人間も、この世界に生を与えられて生きている。どう生きるかは、自分だけが決めることができる。決して、他人が口出して良い領域ではないんだ。しかし、人間の世界には刑法といううものがある。我々が生きる上で、何よりも大切なものは、命そのもの。他者の生命を奪う行為は、定められた刑法に違反する行為であり、それを犯した者した者は、法律に基づいて処罰されるというものだ。他者を傷付け、奪うことは罪であり、罰を与えられる。だから…あなたはここにいる」

「…」

「あなたの罪は、二件の殺人と、一件の殺人未遂だ。間違いないか?」

「…はい」

「あなたはこれから検察に送検され、裁判によって正式に裁かれることになる。無関係な人間の命を奪ってしまったことを反省し、過去を受け止め、しっかり罪を償うように」

「…はい」錆びたパイプ椅子に座る男の眼は虚ろで、まるで虚無感の塊のように薄れている。その姿は、自らの心底で膨らんだ自責の念に、今にも押し潰されてしまいそうなほどに弱々しく、痛ましく、見るに耐えられないと、刑事は思った。しかし、滲んだ瞳の奥底には、微風に靡く蝋燭の灯火のように、微かな何かが、揺らめいているように見えた。

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