14:友香②

※2話連続投稿の2話目です。



「……大丈夫か?」

 少しの間の後、ベッドサイドの椅子に腰を下ろして、アレクが訊ねる。

「うん、大丈夫」

 心配そうなアレクを安心させようと、笑顔を作る。けれど私の思惑とは逆に、彼は一層気遣わしげに眉を寄せた。

「――無理するなよ」

「無理はしてないよ。何か、悪い夢を見てたみたいな感じ、かな」

 心配をかけないためにも、さっき起き抜けに、強烈な吐き気に見舞われたことは隠しておかなくちゃ。殊更にっこりと笑い返すと、アレクはそんな私をまじまじと見つめ、そしてふう、と重々しく息を吐いた。

「――友香」

 ほんの少し、咎めるような声。

「無理するなって言ってるんだ」

「だから……」

「俺が、いくつの時からお前を見てると思ってる? お前がそうやってやたらと笑顔を作る時は、無理してる時だってことくらい、知ってる」

「――っ」

 核心を突かれ、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。咄嗟に目を逸らし俯いた私を眺め、アレクはふっと微笑むと、そっと私の方へと腕を伸ばした。

「辛い時は辛いと言えばいい。身体の傷と同じで、無理してると膿が溜まって、後で余計に辛くなるぞ」

 優しい声と、同じくらい優しい手が髪を撫でる。

 胸がぎゅうっと締め付けられたように疼いて、泣きそうになった。

「無理して笑うより、はっきり辛いと言ってくれた方が、俺としてもありがたい――大手を振って、助けてやれるからな」

「何、それ」

 冗談のような響きを含んだアレクの言葉に、思わず噴き出してしまう。ようやく視線を上げると、意外なほど近いところで視線が絡んだ。

「――」

 こつ、と額と額があわさった。至近距離で覗き込んだ深い漆黒の瞳が、心からの心配を伝えてくれる。

「心配……かけて、ごめんね」

「別に構わないよ。大体、お前は何も悪くないんだから」

 穏やかな声に、私の気持ちも段々と落ち着いていく。

 しばらくそうして額と視線をあわせてから、アレクはゆっくりと離れた。

「……」

 ほんの少し――ほんの少しだけ、離れていく体温に名残惜しさを感じたけど、そんな弱さは自分の心の奥に隠す。

「さっき親父も言ってたけど、今度あの二人に会ったら、ちゃんと礼を言っとけよ」

 そう言うと、彼はすっと手を伸ばした。私の瞼を下ろすように、指先が触れる。

「まだ体力が落ちてるんだから、もう少し寝てろ」

 瞼を覆ったまま、アレクが立ち上がる気配がする。ゆっくりと、指先が離れた。

「――!」

 ぱっと目を開くと、身体半分ドアの方に向かいかけているアレクの横顔が見える。

 独りになる――そう思った瞬間、言葉にならないほどの恐怖と不安が沸き上がった。

「友香?」

 そんな私の気配に気付いたアレクが、こちらを振り返って、少し驚いたように目を見開く。

 けど。

 ――行かないで

 思わず喉元まで上がってきた一言を呑み込んで、私は目を逸らした。

 アレクが忙しい人だってことは充分わかってる。その彼に、これ以上甘えるわけにはいかない。

「……あ、えと、おやすみ」

「…………」

 ひらひらと両手を振った私の言葉に、アレクはすぐには応えなかった。ただ、黙ったまま私を見つめ、そしてゆっくりと目を眇める。

「――友香」

 また、少しだけ咎める声。でも、それ以上は何も言わず、アレクはそのまま私の言葉を待っている。

「……あ、の」

 言ってもいいんだろうか。傍にいてほしいなんて、ただのわがままなのに。これくらいの不安、自分一人で乗り越えられないといけないのに。

 知らず知らずの内に、両手がきつくシーツを握りしめる。

「友香」

 もう一度、促すように静かに呼ぶ声。

「あの……ね」

「ああ」

 少し伏せ目がちに、アレクが私の言葉を待つ。

 視線を合わせていられなくて、私はシーツを握る指先と同じくらいぎゅっと目を瞑った。

「行かないで……。独りは……いや」

 言ってしまった。留守番を怖がる子どもみたいな要求に、彼は呆れていないだろうか。

 不安と後悔で、顔が上げられない。

 アレクは、何も言わなかった。

「――」

 多分、時間にしたら、ほんの数秒だったのだろう。けど、何分間にも思える沈黙の後、不意に、頭の上に温かい手が乗せられるのを感じて、私はおそるおそる視線を上げた。

「よくできました」

 優しい微笑を浮かべたアレクが、子どもにするみたいに私の頭を撫でながら、再び椅子に腰を下ろす。

「……いいの?」

「お前が望むなら」

 事も無げにそう答えると、アレクは頭から手を離し、シーツを握りしめていた私の指をそっと解く。

 大きくて温かい掌が私の手を包み、指を絡めるようにして握り込む。たったそれだけのことで、波立っていた気持ちはすっと凪いでいった。

「大丈夫。お前が眠るまで――いや、叔父さんが帰ってくるまではここにいるよ」

 彼に迷惑を掛けているんじゃないか、という不安だけはどうしても拭いきれなかったけれど、優しい声とつないだ指先から伝わる体温に安心感を覚え、私はゆっくりと目を閉じた。

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