14:友香①
最初に感じたのは、光だった。
閉じた瞼ごしにも感じられる明るさに、ああ、昼間なんだと思う。
――寝過ごしちゃったな、早く起きなきゃ遅刻しちゃう……
そんなことを思いながら、ゆっくりと薄目を開いた視界に、白い天井が映った。
――あれ、この部屋の天井って、こんな色だったっけ?
見慣れない景色に、自分がどこにいるのかわからなくなって、周囲を見ようと身体を起こしたその瞬間。
「――痛……ッ」
背中を中心として、全身を激痛が駆けめぐった。
――え、な、何?
不意に襲った痛みの原因を思い出そうと、記憶の糸をたぐった私の脳裏に、忌まわしい音声が蘇る。
――帰りたいんだろ?
ギイの、
――さあ、話せ
ランディスの声が。
ピシリと石壁を打つ鞭の音が。
グルグルと目まぐるしく鼓膜を震わせる音が声が――
「――――――ッ!!」
声にならない悲鳴が喉を塞ぐ。
「……ぐ、ぅ……ッ」
不意にこみ上げてきた嘔吐感に、私は鳩尾を押さえて身体を折った。
「げ……ぇ、ぅ……ッ」
いくらえずいても、吐くものなど何もなくて。それでも、胃を突き上げる衝動はおさまらない。このまま口から胃が出てしまうんじゃないかと思うほど、激しい吐き気に身体が震え、呻きながら吐き戻した胃液が喉を灼く。
「は……ぁ、ぐェ……ッ」
「――友香!?」
だから、不意に背後でそんな声がしても、私は身体を起こすことはもとより、相手の姿を確認することすらできなかった。
「友香、落ち着きなさい。大丈夫だから」
素早く隣に駆け寄った声の主は、うずくまる私の横に寄り添うと、そっと肩を撫でながら、傍にあったタオルを口元に差し出した。ふんわりと、暖かい陽光をいっぱいに吸い込んだ清潔なタオルの香りと柔らかい感触に、少しずつ気分がおさまってくる。
「は…………ぁ」
「一口で良い、飲みなさい」
嘔吐がおさまると、穏やかな声とともに、水の入ったグラスを渡される。何も考えず、私はそれを受け取り、一気に飲み干した。常温の水が、さっきまで激しく蠕動していた胃に広がる。
「落ち着いたかい?」
その声に、私はやっと顔を起こして声の主を確かめることができた。
白髪混じりの髪に、穏やかな面立ち。濃藍色の瞳は、湖面のように静かだった。
「――父さん……」
掠れた声で呟くと、父さんはゆったりと目尻の皺を深める。
「私……」
言いたいことは沢山あるのに、言葉が出てこない。色々な感情が一時に渦巻き始め、胸を塞ぐ。養父は、そんな私を慈しむように見つめると、無言で小さく首を横に振った。
――何も言わなくていい
小さな頃からずっと見てきたのと同じ、穏やかな瞳がそう語る。
――助かったんだ
もう、二度と帰ることなんてできないと思ってたのに。生きてるんだ、私。
そう思った途端、それまで混沌としていた感情が爆発した。
「ふ、ぅええ……ッ、父さ……っ」
箍が外れたかのように泣き出した私の頭を、父さんはそっと撫でてくれた。
ひとしきり泣いてから、医師の診察を受けて病室に戻った私を待っていたのは、指揮官である伯父とアレクだった。
「伯父様……」
「――すまなかった」
車椅子に乗せられて戻ってきた私に、伯父は開口一番そう言うと、深々と頭を下げた。
「ちょ……、待って下さい! 伯父様、頭を上げて!」
驚いたのは私の方だ。最高権力者である伯父にそんな姿勢をさせるわけにはいかないと、慌てて立ち上がろうとする。だがその瞬間、身体に走った痛みと、それに予想以上に衰弱していたこともあって、ふらりと重心が傾く。
「――っ、無理するな」
倒れかけた身体を、素早く駆け寄ったアレクが支えてくれる。けど、彼にお礼を言うことよりも、頭を下げたままの伯父が気になって、私はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「伯父様、頭を上げて下さい。私の方こそ……伯父様にまでご迷惑をお掛けして、本当にすみませんでした」
「友香……」
アレクに支えられたまま、頭を下げた私に、しかし伯父は小さく首を振った。
「いや、今回のことは、完全に司令部の――責任者である私の責任だ」
「伯父様……」
目を伏せ、厳しい顔つきで伯父は続ける。
「あの男に問題があることを知っていて放置していた。このような事態は想定してしかるべきだった……本当にすまない」
「そんなこと……伯父様が助けて下さったから、私ここにいられるんです」
「そのことなら――アレクと、お前の友人達に感謝しなさい」
そう言うと、ようやく頭を上げた伯父はゆったりと微笑んだ。普段厳しい表情ばかりの伯父だけど、さすがに兄弟だけあって、笑うと父さんによく似ている。
「……友人って、もしかして、ロンとハル?」
「ああ。あいつらが知らせてくれなかったら、もっと遅くなるところだった」
私の問いに頷くと、アレクはすっと私の膝裏に腕を差し入れて抱き上げる。
「――え?」
「いつまでも立ってると、体力使うだろ」
事も無げにそう言うと、アレクはそのまま私をベッドの上に下ろす。少し上体を起こしたベッドの背もたれには、羽毛のクッションが敷かれていて、傷ついた背中をそっと包んでくれた。
知らず、ほっと息を吐いた私に、伯父は静かに口を開いた。
「私はもう行くが――あの男も候補生達も、既に捕らえてある。お前は安心して養生しなさい」
伯父の言葉に、再びランディスとギイの顔が脳裏に大きく映し出され、反射的に全身を悪寒が襲う。傍目にも解るほど身体が震えたのか、アレクが心配そうに私の名を呼んだ。
大丈夫、と小さく返し、私は小さく深呼吸をする。
「……ありがとうございます、伯父様」
頷いて伯父が去ると、室内にはアレクと私が残された。父さんも用事があると言って、伯父と一緒に出て行った。
※2話連続投稿です。
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