15:ロン①

 スー、ハー、とドアの前で、俺は深呼吸を繰り返した。

「いつまでやってるのさ」

 それまで黙って俺の挙動を眺めていたハルが、呆れたようにそう言うと、スッとドアに手を伸ばす。

「ちょ、待てって――」

 ――まだ色々と、心の準備ができてないんだよ!

 だが、俺のそんな抗議も空しく、ハルはあっさりとドアを引き開ける。

「友香ちゃん、おはよー」

 ハルはいつもと何ら変わらない様子で室内に声を掛けた。ったく、お前のそういうとこ、ほんと羨ましいよ。

「ハル! 来てくれたの?」

 中から、友香の声が聞こえる。

「ロンもいるよ――ほら、ロン。出てきなよ」

 ハルがそう言ったかと思うと、さっとこちらを振り返り、俺の腕を引いた。

 ――だから、心の準備ができてねえって!

「おい、待――」

「ロン!」

 ハルに勢い良く引っ張られ、転げるように病室に入った俺の耳に、友香の声が響く。

「――」

 その途端――、会ったら何を言おうとか、どんな状態なんだろうとか、昨晩から色々悩んでたすべてが吹っ飛んだ。

「……よぉ」

 少し上体を起こしたベッドの上、クッションに背中を預けた姿勢で、友香はにっこりと微笑む。思っていたよりは元気そうなその姿に、俺はほっと息を吐いた。

 その時。

「やあ、来てくれたのか」

 死角にある洗面台の方から声がして、友香の養父――テートさんというらしい――が顔を出した。手には花瓶を持っている。

「こんにちは」

 テートさんに挨拶をして、ハルは肩を竦める。

「お見舞いに花でも持ってこようかとも思ったんだけどね。それよりは、退院してから美味しいものでも食べに行く方がいいかなと思って」

「わあ、それ賛成!」

 両手を合わせ、友香が嬉しそうな表情を浮かべる。

「病院って甘いもの出してくれないんだよね」

「出た、甘味魔人」

「動かないのに甘いものなんて食べたら、一気に太るよ?」

「いいじゃない、じっとしてばっかりでほんとに暇なんだから! それくらいしか楽しみがないの!」

 俺たちの軽口に、友香が軽く頬を膨らませる。いつも通りの空気が戻ってきたような安心感に、俺達は誰からともなく笑い出した。

「――それじゃあ僕は、少し出てこようかな」

 そんな俺たちににっこりと笑い、テートさんがベッドの脇をすり抜けてドアを開ける。

「ちょっと用事すませて来るから、ごゆっくり」

 その言葉に俺は、昨夜、前触れもなく俺達の部屋を訪れた次期指揮官の言葉を思い出した。

『明日から面会できる。ただし、友香を一人にしないようにだけ、気をつけてくれ』

 俺達が来るのを見計らったかのように出て行こうとするテートさんも、それを意識しているのかもしれない。

 ――ま、単に俺らに気を使ってくれただけかもしれないけどさ。

「あ、そうだ」

 俺がそんなことをぼんやり考えていると、廊下に一歩出たところで、テートさんはこちらを振り返る。

 そして。

「――念のために言っておくけれど、いくら恩人とはいえど、うちの愛娘に手を出したら、ただじゃおかないからね」

 ――はい?

 人当たりの良い笑顔はそのまま、何の脈絡もなく向けられた言葉に、俺達は文字通り固まった。

「父さん! 手当たり次第にそういうこと言うのやめてってば!」

 虚を突かれて反応を返せない俺達の代わりに、呆れ顔の友香が父を諫める。テートさんは快活に笑いながら、廊下に消えていった。

 ――冗談だよな、あれ?

 でも目が笑ってなかった――気がする。

「もう……ごめんね、父さんってば」

 はあ、と溜息を吐いた友香に、俺達は我に返って苦笑を浮かべた。

「ま、いいけどよ」

「そうそう。誰かさんに関しちゃ――痛っ!」

 しれっと危うい発言をするハルの足を思い切り踏むと、俺達のやりとりに、友香がくすくすと笑った。

 けど――、その表情がいつもよりも翳りを帯びているように感じて、俺は急に不安になる。

「ありがとう。二人が最初に気付いてくれたんだってね」

 だが、俺が口を開くよりも先に、友香が俺達を見上げてそう言った。



※2話連続投稿です。

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