10:ロン
「――いた!」
思わず叫んだ俺の声に、並木の向こうでふたつの人影がこちらを振り向いた。
あちこちを走り回り、とうとう一介の候補生は滅多に足を踏み入れない本部棟のすぐ傍まで侵入して、ようやく見つけた目的の人物は、俺達の様子にただならぬものを感じたのだろう。ゆっくりと形のよい眉を顰めた。
「どうした」
次期指揮官と一緒にいた少年が訝しげに俺達を見ていたが、そんなことはどうでも良かった。一気に距離をつめると、俺は手紙を握りしめたままの右手を相手に差しだした。
「これ……っ、友香、が……っ!」
全力疾走を続けていたせいで、息が上がってうまく喋れない。そんな俺に、次期指揮官は無言で手紙を取りあげる。
「…………」
文面に目を落とした彼の表情が、みるみる険しくなっていく。もう一人の少年も同じように手紙を覗き込み、表情を凍らせた。
「――ランディスの甥か」
「……一足飛びにそこっすか」
「あの兄妹が昔よくやってた遊びだ」
全く関係のないツッコミを入れた俺にさらりと答え、次期指揮官は鋭い視線をこちらに向ける。
「そんなことはどうでもいい。状況を説明しろ」
その一言に、俺とハルは代わる代わる補足しながら、昨夜からの一連の出来事を説明する。
「――なるほど」
一通り俺達の話を聞き終わると、次期指揮官はふう、と長い溜息を吐いた。
「かなり厄介な状況だな」
そう言って彼は考えを纏めるように中空に視線を馳せた。ややあって、もう一度重い溜息を吐くと傍らを振り返る。
「佳架。影をとっ捕まえて、監察の様子を探らせろ。できれば誰か一人、告発者も要る」
――「佳架」っつーことは、この人が次の秘書官か
「――はい」
頭のどこか隅の方を過ぎったそんな思考はともかく、短く頷くと、次期秘書官はさっと身を翻して走り去る。
「この件には確実にランディスが関与してるはずだ。現役長官を押さえるには、この手紙だけじゃ不十分だからな。俺は指揮官に掛け合ってくるから、お前らは関係者を連れて来い」
次々と飛ばされる指示は的確で、さすが将来トップに立つ人だと、場違いな感想が胸を過ぎる。
「関係者……?」
「さっきの話じゃ、一人不審な奴がいただろう」
彼の言葉に、ほとんど頭の隅に追いやられていた出来事が脳裏に蘇る。
俺とハルは顔を見合わせ、同時に叫んでいた。
「――ショーン!」
あれからほんの一時間くらいしか経ってないなんて嘘みたいだ。あの時、あんなに嘘臭いと不審に思っていたのに、何で捕まえておかなかったんだ、俺ら。
「俺の勘が正しければ、そいつは何らかの形で関与してるはずだ」
「それじゃ、彼女のお父さんの件も嘘で間違いないんですね?」
「あの人なら今朝、俺の所に脳天気な電話を掛けてきたくらいには元気だよ」
ハルの言葉に軽く頷いて、次期指揮官は続ける。
「もし既にいなくなってるようなら、すぐさま俺に知らせろ。そいつの自宅まで早馬を飛ばす」
「わかりました。お願いします」
深く一度頭を下げると、俺達は寮の方へと再び走り出した。
*
訓練棟に戻ると、俺達は手分けをしてあちこちを走り回った。
昼飯時を過ぎて、帰省する連中が動き出したらしい。寮から外に出る道は、大きな荷物を引きずった候補生でごった返していた。その一人ひとりの顔を確かめながら、僅かな隙間を縫うように、俺は走る。
だが、正門の外まで出ても、ショーンの姿を見つけることは出来なかった。
――もう逃げたか?
焦燥に逸るじぶんを何とか宥めつつ、俺はもう一度寮の方へ向かって走り出した。
「――おい、ロン。どうした?」
「……レクベル! ショーン見なかったか?」
すれ違いざま声を掛けてきたレクベルは、俺の剣幕に驚いたように身を引く。
「ショーンなら、今さっき寮の前でうろうろしてたぜ……っておい!?」
「急いでんだ、悪い! ありがとな!」
レクベルは訝しげだったが、悠長に説明している暇はない。肩越しにそれだけ返すと、俺は全速力で寮に向かう。
寮の前に到着すると、俺はきょろきょろと、辺りを見回した。
「……クッソ、いねえな」
呟きながら、俺は寮の戸口から中を覗き込む。いつもより人の減った廊下はしんとして、人の気配は感じられない。
「ロン! いた!?」
反対側からハルが駆けてくる。
「いや。レクベルがさっき、この辺で見たって……」
「――! あそこ!」
「!」
裏庭に向かう道から、のっそりと姿を表した人影は、間違いなくショーンだった。爪を噛みながら、忙しなく視線を動かして辺りを窺っているようだ。
と、その目が俺達の姿を捉える。次の瞬間、奴はギョッとしたように表情を強張らせ、脱兎のごとく走り出した。
「ショーン!」
俺達も、外へと向かう奴の後を追って走り出す。が、大きな荷物を抱えた他の候補生が邪魔で、なかなか追いつけない。
「待てよ!」
「俺は何も知らねえよ!」
俺の声に、ショーンが走りながらそんなことを返した。って、絶対知ってる奴の台詞じゃねえか、それ。
周りの連中が、何事かと俺達を振り返るが、そんなことに構っている余裕はない。
「――イェン! ショーン捕まえて!」
「!?」
隣を走っていたハルが、不意に前に向かって声を掛ける。ショーンのさらに先に、こちらに向かって歩いてくる巨体が見えた。
一方、ハルの声に、燕は無言でゆっくりと眉を寄せる。
「そいつ、捕まえてくれ! 頼む!」
続けて俺も叫ぶと、奴は俺達と、その前を走るショーンを見比べる。
そして。
「――――これでええか?」
がっしりと。
その巨体をいかして、全力で駆け込んできたショーンの身体を抱き留め、燕は言った。
「……ああ、悪い。助かった」
「放せよ! 俺は何も知らねえってば!」
大声で叫びながら暴れるショーンを難無く肩の上に担ぎ上げ、燕はこちらに視線を移す。
「――と、言うてるが」
「僕たちの顔見るなり逃げ出しといて、それは通らないんじゃないの?」
息を整え、腕組みをしてハルが言う。
「お、お前らがすごい勢いで追ってくるから――」
「――ちょっと待て」
抱えられたまま、言い訳しようとしたショーンを押し留めたのは、意外にも燕だった。
「何か知らんが、場所を移した方がええんちゃうか」
「……確かに」
ふと我に返って周囲を見回すと、他の候補生や訓練生達が、興味津々といった様子でこちらを眺めている。ここで下手に騒ぎ立てて、問題になっても面倒だ。何より、変な噂が立てば友香が困ることになる。
「――移動するで」
ショーンはまだバタバタともがいていたが、それを事も無げに担いだまま、燕は先に立って歩き出した。
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