9:ロン

「…………で? そこにいるのはどっちだ?」

 友香が遠ざかるまで十分に時間をとってから、おもむろに発されたその声に、俺ははっと目を上げた。さっきまで彼女と話していた次期指揮官が、苦笑混じりにこちらを眺めていた。

 ――ばれてるし……

 向こうからは茂みが邪魔になってこっちを確認できねえはずなんだけど。どんだけアンテナ張り巡らしてんだ?

 前にもこんなことあったけど、ほんと侮れねえなこの人。あの時と違うのは、彼が少しも威圧感を纏っていない点くらいか。

「……ども」

 茂みから顔を出した俺を見て、指揮官は小さく肩を竦めた。

「セイヤーズの方だったか」

「……『方』?」

「覚えのある気配だったからな。お前か、オコーネルのどっちかだろうと思ってた」

 俺の呟きに、次期指揮官はくすりと笑って答える。

 一年も前にほんの一言交わしただけなのに、俺達の気配まで覚えてんのかよ、この人。


 ――この人が


 普段、自分のことをあまり話さない友香だが、「年の近いイトコ」の話は比較的口の端に上ることが多かった。

 彼女が公安の候補生になると決めた時、呆れながらも体術や呪術の基礎を叩き込んでくれたこと。彼女が迷ったとき、必ず背中を押してくれること。相手を心から信頼していることが明らかな表情で、友香は「イトコ」の話をする。

 彼女にそんな表情を――無条件の信頼を向けてもらえるその相手のことを、心の奥で何度羨ましく思ったことか。まさかその当人が、この次期指揮官だったとは。


 ――そうか


 だが判ってみれば、符合することはいくつもあった。

 以前、次期指揮官と遭遇したあの日、「イトコ」の手作り弁当を抱えた友香がギイに絡まれていた時に、絶妙のタイミングで彼が現れたこと。

 割とよく「イトコ」の話をするくせに、その素性については語りたがらなかったこと。

 確かに、実は次期指揮官のことだ、なんて言えねえよな。そりゃ解る。頭では解る。けど……やっぱ水くさくねえ?


「何か、言いたそうだな」

 とりとめなく旋回していた俺の思考は、全て顔に表れていたらしい。苦笑混じりに、指揮官は俺に水を向けた。

 それは訊いてもいいということだろうか。訊けば話してくれるんだろうか。

 戸惑いながら、俺は問いを口にする。

「さっきの、ホントなんすか」

「……本当だよ。友香の養父は、俺の叔父――父の弟だ。戸籍上の本名は友香・ランブル。もちろん血縁はないがな」

「――何で」

 淡々とした次期指揮官とは対照的に、俺の方はといえば、納得すると同時に新たな感情が渦を巻き始める。

 ――この人が、本当に友香の従兄だってんなら

「何で……そんな、大事なことを隠してんすか! それさえ公にしてたら、あいつだってあんな苦労しなくてすんだのに! アンタだって、あいつがこれまでどんだけつらい思いしてきたか知ってるだろ!?」

 その瞬間、立場の差なんて、完全に俺の頭から吹き飛んでいた。

 これまでの数年間、友香が他の候補生から受けてきた数々の仕打ちを思い出した途端、気付けば俺は、次期指揮官に思い切り詰め寄っていた。

 ランブルという姓は、俺達候補生にとっては聖域のようなものだ。いつか自分たちが長官の座を射止めた暁には、直接の上官になる――畏敬の対象。その名さえ名乗っていれば、友香だってあんなに嫌がらせを受けずにすんだ筈なのに。

「――落ち着け」

 だが激昂する俺に、次期指揮官は冷静に応じた。

「敢えて『中山』を名乗ると言い張ったのは友香の方だ」

「…………」

 戸惑う俺を眺めながら、指揮官はゆっくりと言葉を紡いだ。

「あいつの兄の話は知ってるな? 奴もやっぱり、絶対にランブルを名乗ろうとしなかった。『中山』ってのは、あいつらの実の母親の姓らしいから、名を上げて母親を見つけたいって気持ちもあったんだろう。友香はそんな兄貴と同じ道を行くことを選んだんだ」

 そこで一旦言葉を切り、次期指揮官はまっすぐに俺を見据えた。

「俺も叔父も、最初は反対したさ。けど今では、結果的にあいつの判断は正しかったと思ってる」

「何で……」

 曇りのない視線に、俺の語気は萎む一方だ。

「考えてもみろ。はじめから『ランブル』を名乗ってた場合、あいつの傍にはどんな人間が寄ってくる?」

「……あ」

 完全に死角を突かれ、はっとする。

 特権的な姓だからこそ、周囲には欲得ずくの人間達が集まってくる。表ではおもねるように機嫌を取り、影では彼女の素性を上げ連ねて馬鹿にするような連中が、利益を求めて友香に群がる。そうなれば、彼女がどんなに努力をして選抜を勝ち残ろうとも、正当に評価されることは難しいだろう。今だって、友香が金やらなんやらと引き替えに成績を買ってるだとか、ありもしないことを口さがなく噂する連中がいるくらいだ。

 そんな裏の知れた状況に、あのまっすぐな娘が耐えられるはずがない。

「敢えて『中山』を名乗り、努力でそのハンデを乗り越えたからこそ、今、あいつはお前らみたいな友人を得られた。違うか?」

 次期指揮官の言葉が、まっすぐに俺を貫く。

「まあ、そろそろ素性を明らかにしても良い頃だと、俺は思うんだがな。友香はまだ、自分に自信を持てないらしい。もしお前らにばれて、軽蔑されたらどうしようってな」

「軽蔑?」

「所詮コネだったのか――ってさ」

 軽く目を眇め、試すように、指揮官は俺を眺めた。

「……そんなこと、思うわけないじゃないすか。友香がどれだけ努力してるか、俺らは知ってるのに」

 俺たちが思うほど、友香は俺たちを信頼してくれていなかったのだろうか。そんな思いに少し傷つきながら答えた俺に、次期指揮官はくすりと笑う。

 その笑い方は、友香とどことなく似ていた。彼らの間には、血の繋がりよりも確かな絆があることを思い知らされたようで、胸がちくりと痛む。

「だよな。安心しろ、友香も本当は解ってる。ただ頭で解ってても心がそれについていけないだけだ」

「それって……」

「それだけ、あいつの抱えた傷はでかいってことだよ」

 軽く目を伏せ、次期指揮官は淡々と呟いた。

「あいつは――両親にも兄貴にも捨てられてきた。友香は、それを自分のせいだと思い込んでる節がある。自分の存在自体を罪みたいに考えて、だからみんな自分を置いてくんだと、な」

「そんな、馬鹿なこと――」

「――そう言えるのは、俺達が外にいるからじゃないか? 友香自身は、そんな風に自分を納得させなきゃ、とても耐えられなかったんだろう」

「そん、な……」

「あいつは今も恐れてる。何かのきっかけで、折角作った友人達さえ、自分から離れていくんじゃないか、とな」

「…………」

 次期指揮官の言葉が途切れると、俺達の間には何とも言えない沈黙が降りた。彼の話をすぐに整理することができず、俺は黙り込む。

 やがて。

「ちなみにこのことは、現司令部のメンバーや教官陣でも一部しか知らされてないからな。他言はするなよ」

 軽く片眉を上げ、指揮官はぽつりと言った。

「そんなこと……俺に話していいんすか」

「お前は友香を裏切らないからな」

 自信たっぷりに告げられた言葉に、俺は一瞬言葉を失い、次期指揮官を見つめた。

「何で……そんなこと言えるんすか?」

 やっとの事で応じたその台詞に、彼はふ、と笑う。

「こう見えて、人を見る目には自信があるんだ」

「……そうっすか」

「違ったか?」

「違いませんけど」

「――だろう?」

 いきなり核心を突かれて戸惑う俺を眺め、次期指揮官は、楽しげに目元を綻ばせる。

「さて、そろそろ行くか。お前も友香と自主練するんだろう?」

「あー……そうっすね」

 頷く俺に、彼はゆっくりと踵を返した。

「――友香を頼む。あいつが候補生である限り、俺は表立って庇ってやることはできない。それに俺じゃあ、あいつの思いこみを間違いだと解らせてやることもできないからな」

「…………」

 ――ああ、多分この人も

 友香のことを大切に思っているんだと、少し寂しげなその口調に、俺は直感する。

「じゃあな」

「あ……!」

 ひらり、と手を振ると、言葉を返そうとした俺には構わず、彼はゆったりとした足取りで立ち去っていった。

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