6:友香① ※

※今回ちょっとハード(当社比)です。


 遠ざかっていく足音が鼓膜を擦る。

「……っ」

 床に蹲った姿勢のまま、私はきつく唇を噛みしめた。そうでもしないと、堪えきれずに泣き出してしまいそうだったから。けど、喉元までこみ上げてきた嗚咽はどうにか呑み込めても、涙まで押し戻すことはできなかった。石の床に浸み込んで広がっていく雫の周囲には、点々と紅い色も見える。まだ――真新しい、それ。

 紅い色に呼応するように、背中が灼けるような傷みを訴える。

 でも泣いているのはそのせいじゃない。悔しいからだ。


 つい先程のこと。

 石段を下りてくる音に、私は顔を上げた。

 入り口の脇で見張りをしていた候補生が脇に避けて頭を下げる。灯りに照らされたのは、監察長ランディスだった。後ろには、ギイを伴っている。

「――」

 身体に力が入る。ランディスはそんな私を冷たく一瞥すると、見張りが部屋の隅から持ってきた椅子に腰を下ろす。

「――監察長最終選考を始める」

 感情を伴わない声で、彼はギイに告げた。

「その娘から自白を引きだせ。それが課題だ」

「……」

 ――この人は何を言っているの?

 自白も何も、私は何もしていない。話すようなことなんか、初めからないのに。なのにそれが――こんな規律違反の尋問が、最終選考の課題?

 頭が理解することを拒むようなその内容に、顔がひきつったのがわかったのだろう。ギイの目を、サディスティックな愉悦の色が過ぎる。

 ――どうしよう……怖い

 けど、それを悟られるのだけは絶対に嫌だった。もてる全ての意地を総動員して、私はギイを睨み返す。

「じゃ、始めようか」

 ツカツカと私の目の前まで歩み寄ってくると、彼は軽く身を屈めた。

「――ッ!」

 いきなり髪を掴まれ、痛みに小さな悲鳴が漏れた。けど、そんな私の反応を楽しむように、ギイは髪を掴んだまま引き上げ、立ち上がった。自然、私の身体も床から持ち上がり、つま先立ちになる。

 必死で痛みを堪える私を楽しそうに眺めると、ギイはおもむろに口を開いた。

「お前のアニキはどこにいる?」

「…………っ?」

 予想すらしていなかった問いに、私は痛みも忘れて相手の目を見返した。

 そんな私の反応をどう捉えたのか、ギイは何もかも知っているとでも言いたげな表情を浮かべる。

「今でも連絡を取り合ってるんだろ? 素直に居場所を吐けば、お前の方は見逃してやるよ」

「……何を、言ってるの?」

 兄さんの居場所なんて。そんなの、訊きたいのは私の方なのに。

 けど、そんな私の反応に、ギイはあからさまに苛立ったようだった。

「知らないフリで誤魔化せるとでも思ってんのか」

「……ッ」

 ぎりっと掴んだ髪を引き上げられて、つま先が一瞬、浮き上がる。

 ――痛い

「お前が奴と繋がってることは分かってンだよ!」

 髪を掴んだまま、ギイはその手を思い切り引き倒した。ブチ、という音とともに、髪が抜ける。同時にいきなリ手を放されて、私の身体は勢い良く石の床に倒れ込んだ。受け身を取り損ねて、床に打ちつけられた肩がミシリと軋む。

「――なめんなよ」

 痛みに息を呑む私を、仁王立ちになったギイが睨み付ける。

「お前の処遇は俺が握ってるってこと、忘れてンのか?」

 ――決定権があるのはあなたじゃなくて、そこのランディスでしょ

 そう言ってやりたかったけれど、ここでギイを挑発したところで私に益はない。無言で彼を見上げると、ギイは苛立ちを一層募らせた様子で、私を睨む。

「昔っから、お前のその目が気に入らなかったんだよ」

 ギラギラと血走った目が私を射抜く。コマ送りのようにゆっくりと、ギイの右脚が振り上げられるのを私は眺めた。

 ――ああ、前にもこんなことがあったな

 あのときは、すんでの所でロンが助けてくれた。けど、今度はロンもハルも――誰もいない。

 まっすぐ、目測を誤ることなく、顔に向けて脚が迫ってくる。

「――く……っ」

 両手を掲げてどうにか直撃は避けたけれど、それでも勢いを殺しきれず、視界が回転する。衝撃は最大限受け流したから、骨は折れずにすんだみたい――といっても、一瞬で腫れ上がった左腕がズキズキと酷く痛む。

「もっかい訊くぜ。お前のアニキの居場所を教えろ」

「そんなの……私の方こそ知りたいわよ」

 私の言葉に、ギイがゆっくり眉根を寄せる。けど、そんなことには構わず私は続けた――ランディスに向けて。

「何を考えてるのか知らないけど、私が兄さんの居場所を知ってるだなんて本気で思っているなら、お門違いよ」

 けれどランディスはただ、薄く笑っただけだった。まるで、そんなことはわかりきっているとでも言いたげな顔。

 ぞわりと、背中を冷たいものが駆け上がった。

 本能的に感じる――危険。

 でも。

「……知らないものは、話せない」

 負けるわけにはいかない。

 心臓がバクバクと音を立てている。恐怖と緊張で、もう今にも破裂しそうだ。全身がカッと熱くなっている割に、頭だけが冷えているような、気持ちの悪い感覚。貧血を起こす直前に、少し似てる。


 まっすぐに睨み付ける視線の先で、ランディスがゆっくりと立ち上がった。

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