3:友香 ※
その、翌日。
「――これでよし、と。準備完了!」
パタン、と衣類の入ったトランクのふたを閉めると、私は時計に視線を向けた。
「うわ、もうこんな時間? 結局、一日使っちゃったなぁ」
窓の外は既に薄暗くなっている。午前中に今年度最後の全体集会が終わってから、部屋の掃除や荷物の準備をしている内に、一日が終わってしまったようだ。
「夕食、行こうかな」
何時間も掃除したり、屈んで荷物を纏めたりしていたから、身体が固まってしまったようだ。思い切り身体を伸ばすと、私は呟いた。いつもなら自主練に出る時間だけど、明後日からの帰省を前にして洗濯物を増やしたくはない。室内で軽くストレッチだけすることに決めて、私は柔軟運動を始めた。
廊下や中庭からは、他の候補生達のざわめきが聞こえてくる。
今日で今年度の日程が終わったから、みんな同じように帰省の準備や部屋の掃除をしているんだろう。特に最終選抜候補に選出されなかった人たちは寮を出なくちゃいけない分、余計に忙しいはずだ。武官組の寮の端にあるこの部屋にまで聞こえるくらいだから、相当な騒ぎだ。
「そういえば……来年もこの部屋なのかな」
武官候補生の中では唯一の女性ということで、他の候補生からは離れた個室をもらっているけど、武練場や仲間の部屋への移動が少し面倒だったりもする。
でも「私もみんなと並びの部屋でいいのに」なんて言うと、ロンやハルには「危ない」って怒られるんだよね。寮の中で危ない事なんてそうそう起こらないと思うんだけど。
そんなとりとめのないことを考えながら、ぼんやりストレッチをしていると、不意にコンコンとドアが鳴った。
「誰ー?」
――ロンか、それともハルかな?
立ち上がり、ドアの方に向かいながら私が脳裏に思い浮かべていた来訪者は、二人の親友の姿だった。
――時間が時間だし、自主練か夕食のお誘いかな。でも最近、妙にお客さん多いしなあ
年度末が近づいて別れの時期に入ったせいか、ここ数日、妙にこの部屋に来る人の数が多い。もしかしたら、そんな友人達の誰かかもしれないとも思いながら、私はドアノブに手を伸ばす――そこに、油断があった。
「――――」
かちゃ、と扉を開いた瞬間、左のこめかみに鈍い衝撃が走る。
殴られたのだと、すぐには解らなかった。
「な、に…………?」
「――悪く思うなよ」
そんな声を聞きながら、私の意識は急速にブラックアウトしていった。
*
どれくらい、経ったのだろう。
身体の芯に凍みるような寒さに、目が醒めた。
「……っ」
霞がかかったような意識のまま、起きあがると、頭がズキリと痛んだ。
「ここ、は……?」
痛みが刺激となって、段々といつもの思考回路が戻ってくる。見回したその場所は、石造りの薄暗い部屋だった。
高い壁の上部、私にはとても届かないような所に作られた明かり取りの窓から、月光が射し込んでいる。部屋の入口と思しき扉は、見るからに頑丈そうな金属でできていて、やっぱり私の身長よりも高い位置に、覗き窓のようなものがある。
「私……?」
繋がらない記憶をたぐり寄せてわかったのは、どうやら誰かに連れ去られたらしいということだけだった。左側頭部の鈍い痛みと、石造りの床の冷たさが、私を不安にさせる。叫びだしたくなるのを何とか堪え、私は立ち上がった。
その拍子に聞こえた、シャラ、という耳慣れない音に視線を落とすと、右足首に填められた枷と、そこから伸びる鎖が目に入る。
「…………」
――どうしよう
鎖の端が、壁に設置された突起に繋がっているのを、私はただ呆然と眺めた。さっき押し戻した筈の悲鳴が、今にも喉元にせり上がってきそうだ。
その時。カツン、という音が耳に響き、私は文字通りビクリと飛び上がった。
規則正しく刻まれるそれは、どうやらこちらに近づいてくる足音のようだった。平面ではなく、階段を下りる音。その音に、パニックに陥りかけていた思考が、落ち着きを取り戻す。どうやら自然に、意識が演習モードへと切り替わったようだ。
――一人、二人……五人はいる
息を殺し、足音の数を数えながら、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
――落ち着いて。落ち着くの
ドキドキと、不安を訴える鼓動にそう言い聞かせ、私は足音のする方へ顔を向けた。
そして。
人の悲鳴のような耳障りな音とともに、扉が開く。
「――何だ、もう起きてんのか」
「…………ギイ、あなた……」
手にした灯りが、目に眩しい。
その灯りに照らし出されたのは、ギイ・ランディスだった。
「どういうつもり?」
天敵ともいえる相手の出現に、さっきまで混乱を極めていた頭がスッと冷えた。そんな私を侮蔑するように、ギイがハッと鼻で嗤う。
「見てわからないのか? 愚鈍だな」
「……こんなことをして、ただですむと思ってるの」
挑発に乗ってはいけないと自分に言い聞かせながら、低い声で訊ねると、ギイは待ってましたと言わんばかりに顎をあげる。
「何も問題はない。犯罪者を捕らえただけだからな」
「――! まさか」
自信たっぷりなその台詞に、私は改めて周囲に視線を走らせた。
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