1:友香
それは、幹部候補生選出試験の五年目、最終日のことだった。
「失礼しま――あれ?」
教官の呼び出しを受け教務室の扉を開けた私の視界に入ったのは、私の親友の一人で、実戦演習のパートナーでもあるハル――ハリー・オコーネルの背中だった。
「中山か。そこに並びなさい」
多分、顔中に疑問符を貼り付けている私に、教官――現役の公安長ユーリ・ルキヤノフがデスクの前、ハルの隣を示した。言われた通りに横に並びながら、ちら、と隣を見上げると、ハルが目線だけで「なんかやったっけ?」と訊いてくる。私も目だけで「さあ?」と応えた。
――パートナーと二人して呼び出されるような失敗をした覚えはないんだけどなぁ
そんなことを考えていると、かちゃ、とドアが開く音がして、私は肩越しに振り返った。ドアの隙間から現れたのは、同じ公安組の候補生、胡燕(フー・イェン)の巨体だった。彼もさっきの私と同じように、先客の存在に不思議そうに眉を顰めながら、私たちの横に並ぶ。
そしてそれとほぼ同時に、またしてもドアが開いて、今度はユーミット・レクベルが顔を出した。
――あれ、これってもしかして
ハルと燕、レクベル、それに私。これだけ面子が揃えば、何となく共通点も浮かび上がってくるものだ。
――でも……
「あと一人だな。全員揃うまで、もう少し待っていなさい」
教官の言葉に、私はそっと隣のハルを盗み見る。といっても、彼と私は30センチ以上身長が違うから、かなり無理して視線を上げなくちゃいけないんだけど。すると、ちょうど同じように視線を下ろしたハルと目が合って、私たちは再び視線だけで、同じ事を考えているのを確認しあった。
多分、「最後の一人」が姿を見せれば、私たちの予感は確信に変わるはず。でも問題は、その「最後の一人」が私やハルが思っている通りの人物かどうか――
「――すいません、遅れました」
その瞬間、後ろから聞こえた声に、ハルがそっと私に向かってウインクを寄越す。
――やっぱり
「セイヤーズ、君が最後だ。そこに」
振り返るまでもなく、教官が最後の一人の名を呼んだ。ロン・セイヤーズ。ハルの幼馴染で私のもう一人の親友。彼が呼ばれていたことで、私とハルの予感は確信へと変わる。どうやら他の皆も同じ事を考えているようだ。多分間違いない、けれど違うかもしれない。そんなそわそわとした空気が、得も言わぬ静かな緊張感へと高められていく。
そんな中、教官は静かに私たちの顔を見渡すと、十分な時間を置いてから口を開いた。
「――おめでとう。君たち五名を、公安長最終候補に選定した」
予想――違う、期待通りの言葉に、全員が小さく息を吐いた。知らない内に肩に入っていた力が抜け、自然と口元が綻ぶ。
「明日で今期の日程が終了する。ひと月の休暇の後、最終選抜試験に入る。各自、充分備えておくように」
張り詰めた空気が和らぐのに活を入れるかのごとく、教官は続けた。
「――――」
教務室を出て、一呼吸。
「……よっしゃ!」
「やったね!」
口々にそう言いながら、ロンとハルが掌を打ち鳴らした。パンッと景気のいい音が廊下に響き渡る。
私はといえば、彼らとは対照的に、信じられない気持ちで壁に凭れた。
「……信じられない」
最終候補に残って嬉しいという気持ちはもちろんある。けど、この難関を乗り越えたことがまだ実感できなくて、思わず呟いた私に、ハルとロンが笑う。
「ほっぺた、つねってやろうか?」
「結構ですー」
ふだんと変わらないロンの軽口のおかげで、少し気持がほぐれたみたい。私もいつもの調子で頬を膨らました。
「――オマエら、変わんねーのな」
そんなやりとりに、呆れたような声を発したのはレクベルだ。
「こっからが本番なんだぞ? こん中で選ばれるのは一人だけだってのに、よくのほほんと仲良くしてられるな」
信じられない、といった風情で眉間に皺を寄せ、レクベルは私たちを眺める。けど、それが悪意から発された言葉じゃないことは感じられたから、私は笑って彼を見上げた。
「仲がいいから、だよ」
そう言うと、レクベルは驚いたように私を見下ろす。
「だって、自分が一番実力を認めてる相手と、全力で戦えるんだよ。結果はどうなるかわからないけど、でも、楽しみじゃない?」
「ったって、ライバルなんだぜ?」
「うん、でも友達でもあるよ?」
「……わっかんねえ」
ガシガシと髪を掻き上げながら、レクベルは難しい顔で唸った。
彼が私たちの関係を不思議に思うのもわからなくはない。何しろ私たちのことは、教官達までが「今期の公安組は異例づくしだ」と評するくらいだから。
長官職の選抜試験は六年かけて行われ、毎年半数近い人数が落とされていく。最終的には各部につき一人しか生き残れない、倍率百倍の狭き門。
私たち候補生は皆、そのひとつだけの席を手にするために競い合うライバルだから、勝ち進めば進むほど、他の人たちとはギスギスするようになるのが普通らしい。特に武官組は血の気が多いから、なおさらピリピリしたムードになりやすいとか。
けど私たちは――私とハル、ロンの三人は、むしろ年を追う毎に結束を強めていると思う。それが、他の人たちから見れば不思議なのかもしれない。
でも私は、誰よりも大事な友達だからこそ、本気で戦えることが嬉しいと思う。
誰よりも実力を認め、認められているという信頼感があるからこそ、全力で頑張れる――その先に待ち受けている結果は少し怖いけど、でも、例えどんな結果に終わっても、この絆は壊れないと信じられるから。
「どう思うよ、イェン」
話を振られ、それまで無言を貫いていた燕がうっそりとレクベルに視線を移した。
「別に。最後に残ればええだけの話やろう」
「……ま、そうだけどよ」
無口な燕の身も蓋もない台詞に、はあ、と息を吐いてレクベルは踵を返す。
「まー、お互いがんばろーや。誰が勝っても恨みっこなしってコトで」
ぶら、と片手を挙げてレクベルが立ち去っていくと、燕もゆったりと歩き出した。
「ではな」
――とか言いつつ、二人ともちゃんと相手してくれるんだよね
レクベルも燕も。二人とも何だかんだ言いつつも、穏やかに、当たり前の会話につきあってくれる。
他の部署の候補生は、最近ではどこも、候補生同士がまともに目も合わせない程、緊張した雰囲気になっているらしい。それに比べたら、こうしてちゃんと会話を交わせる私たちは、何て仲間に恵まれているんだろうと思う。
幹部候補生になってすぐの頃は、こんな風に大事な仲間を得て、穏やかに会話を交わす日が来るなんてこと、想像すらできなかった。
そんな夢のような日々を私にくれたのは、今隣にいる二人の親友だ。
「まーだ、信じられねえのかよ」
胸を押さえて、息を吐いた私に、ロンが呆れたように声を掛けてくる。
「だって、何だか夢みたいで」
「絶対公安長になるって、普段豪語してる奴の台詞かね、それが」
揶揄うような声に、私は反論する。
「それとこれとは別なんですー! あー……一晩寝たら、夢でしたとか言わないよね?」
もう少ししたら実感も湧いて来るんだろうけれど、まだ信じられない気持が強い。
もちろん、幹部候補に立候補した以上は勝ち残る覚悟をしてきたつもりだ。けど本当に最終候補に残れるなんて。そんなこと、昔の私なら想像はしても信じられはしなかっただろう。途中で心折れることなく、二日に一度の自主練を続けて来られたのも、ロンやハルがつきあってくれたからだ。
「あはは、それは嫌だなぁ」
中庭に出ると、並木には白木蓮が咲いていた。その脇を通り抜けたところで、ハルが笑いながら指を立てた。
「それはそうと。最終選抜に入ったら本格的に忙しくなるし、休みの間にどっか行かない?」
「お、いいなそれ」
すかさずロンが反応する。私ももちろん賛成だ。
「それじゃあ――」
と、言いかけたハルの語尾が途切れた。
「ハル?」
どうしたのかと不思議に思うのとほぼ同時に、真横にいたロンがスッと前に出る。まるで、私を隠すみたいに。
急に刺々しい雰囲気を放ちだした二人の様子に不穏な気配を感じ、私はロンの後ろからそっと顔を出す。
「…………」
並木道の向こうから歩いてくる人影がある。
それが誰か気付いた瞬間、私は自分の顔が強張るのを自覚した。
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