第11話 気分はドナドナ

              エル・イスブルク


 右を見ても緑。左を見ても緑。あたしは前後左右、全方位緑の草木に囲まれていた。ステッサやルイの姿は見えない。声も聞こえない。行く道もわからない。これは完全に――



「迷、子……?」



 あたしは膝をついて絶望にひしがれる。あたしは武器も扱えなければ魔法も使えない非力な王女。いや、イスブルク王国は滅亡してしまったのだから元王女か。今はそんなことどうでもいいけどね。とにかく、このままだとモンスターの餌になるだけじゃない!?



「ステッサのバカァ! ルイのアホォ! あたしを置いていってどうするのよ! 帰ってきなさーい!」



 あたしの叫び声は虚しく緑の空へと消えていった。風のざわめきがあたしをバカにしているように聞こえる。いや、さすがに考えすぎよね。落ち着け、落ち着くんだ、あたし。


 そのとき、かすかにだけどあたしのほうに近づいてくる音が聞こえた。草木を揺らし、ゆっくりとだが確実に接近している。



「もしかして、ステッサたちが戻ってきてくれたの!?」



 しかしすぐにそれはあり得ないと気づいた。なぜなら、音が近づいてくる方角とステッサたちが消えていった方角はまったく違ったのだから。それに接近しているのはどうやら一人だけのようだ。いや、モンスターなら一匹って言ったほうがいいのかな? そう、モンスターだったらどうしよう。もう万事休すじゃない!?



「あわわわっ、ど、どうしよう、どうしよう」



 あたしは混乱した。いつもならステッサがあたしを守ってくれるし、もしルイがいればルイが何とかしてくれただろう。しかし、その二人は今ここにいない。あたしはあたしだけの力でこのピンチを乗り切らなければならないのだ。


 どうするべきか……。ってやることは決まってるわよね。うん、逃げよう!



「きゃぁぁぁあああっ!」



 あたしは叫び声をあげて逃げ出した。あたしにできることといったら逃げることしかない。逃げて逃げて逃げまくれば、あとはどうにかなる……かもしれないから。


 しかし、後ろから迫りくる音はスピードを上げ、あたしを追いかけてくるようだった。もう完全にモンスターだよね! 確定だよね! そうじゃなきゃ、あたしを追いかける理由なんてないよね!



「こんなところで死ぬなんていやぁぁぁ!」



 あたしは全力で逃げた。しかし、ここでも王宮育ちの王女であることがあだになる。そう、あたしは絶望的に体力がなかったのだ。



「ぜえ、はぁ、ぜえ、はぁ……。もう、無理……」



 ついにあたしはその場で立ち止まってしまった。あたしを追いかける音はすぐそばまで近づいてきている。ああ、あたしの人生ももう終わりね。思えば短い人生だったわ。お父さま、お母さま、エルはもうすぐそちらに行きます。


 あたしは目をつむってその場に倒れた。音が近づいてくる。そしてその息遣いが聞こえるほどあたしに接近したその何かは、ついに足を止めてあたしの顔を覗き込んだようだった。食べるなら一口に食べなさい。もう覚悟はできてるわ。できれば痛いのはやめてほしいけど。


 一秒が経過した。十秒が経過した。一分が経過した。しかし、あたしに襲い掛かってくる痛みは一向にやってこなかった。何してるのかしら。なんだか呼吸も落ち着いてきちゃったわよ。


 あたしは恐る恐るつむっていた目を開けてみた。するとそこには――灰色のローブを身にまとった小さな女の子があたしの顔を心配そうに見つめているのだった。



「あの~、大丈夫ですか?」


「……誰?」




                 アニー


 ワタシはようやく見つけた人を捕まえることができた。よかった。一人で不安だったから。もしこのまま一人の時間が続くようだったら寂しさで死んでしまっていたかもしれない。冗談ではなく、本気で。



「ワタシはアニーって言います。あなたのお名前は?」


「エル……ですけど」


「エルさんですね。よかった。ワタシ迷子で、この山道から出られなかったんですよ。もう一時間くらいさ迷い歩いたと思います。もうダメかと思ったときに、エルさんを見つけて近づこうとしたんですけど、エルさんったらすごい勢いで逃げ出しちゃうんですもん」


「ご、ごめんなさい。まさか人だとは思わなくて。普通こんな山道で音がしたらモンスターだと思うでしょう?」


「ああ、それはそうかもしれませんね」



 ワタシはあはははっと声を出して笑う。まともな人と話すのは久しぶりだった。この感覚を忘れていた。やっぱり、会話って大事なんだね。



「エルさんはどうしてこの山道を?」


「この先にいるはずのドレドってやつのところに行こうとしてたのよ」


「えっ、ドレドさまですか!? エルさんって、ドレドさまを呼び捨てにできるくらい偉い方だったんですね」


「えっ、ドレドさま? ねえ、アニー。アニーってドレドとどういう関係なの?」



 あっ、それを聞きます? 聞いてくれるんですね。ならば言いましょう。ワタシとドレドさまがどれほど深い絆で結ばれた関係かということを!



「はい。ドレドさまはワタシの師匠です。ドレドさまの一番弟子――偽りの魔女アニーといえばワタシのことです!」


「……へー、そうなんだぁ」



 あれ? どうしたんだろう。急にエルさんの顔色が悪くなったような気がする。もしかして、急に走ったから体調が悪くなったのかな? 大丈夫?




              エル・イスブルク


 ドレドの一番弟子の魔女って、完全に敵じゃない! あたし、敵と仲良く話してたわけ!? ピンチから脱したと思ったら、むしろ更なるピンチの中に入りこんでるじゃない! 運が悪いにもほどがあるでしょう!?


「どうしたんですか? 顔色が悪いようですけど、大丈夫ですか?」


「えっ? う、うん。大丈夫。平気平気」



 本当は全然平気じゃないけど、ここで取り乱したら確実に殺される。しかもあのドレドの一番弟子ってことは、実力も半端じゃないってことでしょう!? なんでそんな強敵がこんなところにうろうろしてるのよ!



「ワタシとドレドさまの関係をわかっていただけたようなので、次はドレドさまとエルの関係を教えてください。二人はどういう関係なんですか?」



 因縁の敵同士です――とはさすがに言えないわよね。困ったわ。ここはハッタリでも何でもいいからごまかすしかないか。



「ま、まあ、昔からの同僚って感じね。思えばドレドもよくあそこまで出世したもんよねぇ」


「そ、そうなんですか!? ドレドさまの同僚ということは、魔王さまの側近と同等! はわわわっ、ワタシ、エルさまになんて失礼な口の利き方を。も、申し訳ございません!」


「大丈夫よ。あたしはドレドと違ってそんなこと全然気にしないから」


「はぁ、さすがはエルさまです。お心が広い」



 何とかごまかせたのかな? でも、勢いでドレドと同僚なんて言ってもよかったのかなぁ。まあ、別にどうでもいいか。何とかこの場を乗り切ればこの子とももう会うことはないでしょうし。あったら困るしね。



「あっ、ということはもうワタシは安心してもいいってことですね! ドレドさまの同僚ということは、こんな山道の迷子くらい、一発で解決してくれるでしょうから」


「……ん?」


「ですよね、エルさま!」



 キラキラと光る眼でアニーがあたしを見てくる。やめて! そんな目で見ないで! できるはずないでしょう! あたしだってステッサたちとはぐれて迷子なのよ!? しかもドレドみたいに便利な魔法を使えるわけでもない。むしろあたしが助けてほしいくらいなんだから!



「ざ、残念だけど、あたしって攻撃魔法専門なのよ。戦闘なら何とかなるかもしれないけど、この状況をどうにかするってのはちょっと無理ね」


「そうですか……」



 アニーはあからさまに意気消沈する。ふぅ、とりあえず乗り切ったかしら。いや、状況はそんなに変わってないのだけれども、とにかく綱渡りであたしはこの子の仲間だと思われているようだわ。それなら、この子を利用することはできないかしら。



「むしろアニーこそドレドの弟子ならこの状況をどうにかできるんじゃないの? ほら、ドレドって異空間を操ることができたわよね。アニーは同じことできないの?」


「む、無理ですよぉ。あれは魔王さまやドレドさまのような高位の魔族にしか不可能です。そのくらいエルさまも知ってるはずではないのですか?」


「も、もちろん知ってたわよ? でも、もしかしたらと思って」


「残念ですけど、無理ですぅ」


「そうよねぇ」


「あ、でも、もしかしたら何とかなるかもしれません」


「本当!?」



 アニーはどす黒くてまがまがしい矢印のアクセサリーのようなものを取り出した。どう見ても普通ではない。触った瞬間に呪われそうだ。こんなもの取り出して、どうするつもりなの?



「ワタシってよく迷子になるので、ドレドさまがこのマジックアイテムを作ってくれたんです。これさえあれば、きっとこの山道から抜け出せますよ」


「へぇ、これってどういうアイテムなの?」


「見ててください。これに魔力を込めるとですね」



 アニーは慣れた手つきで黒い矢印に手を添える。その瞬間、黒い矢印は宙に浮き、くるくると何回転かしたと思ったらある一定の方向を指し示した。確かにすごいけど、この先に何があるというのか。



「この矢印が指し示す方向に出口があるってこと?」


「とは限りませんが、どのみちどうにかなると思います」


「どういうことよ」


「この矢印の先には、ドレドさまがいるんですよ。この矢印はドレドさまの位置を見つけてくれるマジックアイテムです。ドレドさまのもとに行けば、たとえこの山道の中でも魔法で何とかなるってわけですね」


「……」



 うん。それはいい考えね。あたしがドレドに捕まる可能性がかなり高いことを除けば。



「ほ、他に方法はないのかしら?」


「他ですか? ないと思いますけど、エルさまはこの方法に何か不満でもあるんですか?」


「う、ううん。ただ、あまりドレドには迷惑かけたくないなぁとか思ったりして」


「大丈夫ですよ。ドレドさまは嫌味なことは言いますけど、基本的に仲間想いのいい上司ですから」



 魔王軍にいるってだけでそんな情報まったく信用できないんですけど! 優しいドレドとか、天地がひっくり返るレベルで信用ならないわよ!



「では、この矢印の方角に向かって進みましょう!」


「は、はい」



 あたしは、こうしてアニーとともに山道を進むことになったのだった。そう、あたしの仇敵ドレドがいるという方角へと。


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