第59話 めんどくさい相手

 懸命にダイオウイカから遠ざかろうとする千紘の頭上に、大きな影が落ちる。

 千紘は咄嗟とっさに振り向き、その正体がダイオウイカの触腕しょくわんだと知った。


(逃げられない……っ!)


 このまま走っていても逃げ切ることはできない。そう瞬時に判断した千紘は、意を決してこれまで動かしていた足を止める。

 同時に、追ってくる触腕を振り返った。


(……だったら!)


 逃げることをやめ、ダイオウイカに向き直った千紘は、手にしていた長剣を目の前で横に構える。


 受け止められるかは、わからない。

 だが、逃げ続けて無防備な背後から攻撃を食らうよりは、正面から迎え撃つ方が最善のはず、と考えたのだ。


 ダイオウイカの長い触腕が眼前に迫る。


 千紘は構えた長剣を握る両手に力を込めると、ぐっと腰を落とし、防御体勢をとった。


「――っ!!」


 次の瞬間に訪れたのは、言葉で言い表せないほどの衝撃。

 情け容赦のない触腕の攻撃に、千紘は長剣ごと砂浜に叩きつけられ、砂が派手に舞い上がる。


 一瞬、遠くから秋斗と律の声が聞こえた気がした。しかし、それよりも受けた衝撃の方が大きく、千紘はほんのわずかな間ではあるが気を失う。


 少しして、


(……生きて、る……?)


 目を覚ました千紘は、自身が砂にめり込むような形で、仰向けに倒れていることに気がついた。


 澄んだ空を仰ぎながら、ここが岩場だったら確実に死んでたな、などとぼんやり考える。

 それから千紘はどうにか上体を起こしたが、砂埃すなぼこりを吸い込んでしまったらしく、苦しそうに咳き込んだ。


「千紘! 大丈夫か!?」


 ダイオウイカの攻撃をかいくぐって、秋斗が慌てて駆け寄ろうとする。


「……何とか、生きてはいる」


 だが、千紘はまだ咳き込みながらも、それを手で制した。

 視界の端で秋斗が立ち止まったのを確認してから、かろうじて手放すことのなかった長剣を支えに、ゆっくり立ち上がる。


「まったくめんどくせー相手だな」


 千紘が肩で大きく息をして、吐き捨てるように言った。

 服についた砂を手で軽く払い、長剣を握り直す。


 千紘の様子を遠目で心配そうに見ていた律も、ならうようにして、二本のダガーを構え直した。

 その時である。


「千紘! りっちゃん! ちょっと戻ってくれ!」


 秋斗の大きな声が砂浜に響いた。


 その声に不思議そうな表情を浮かべながらも、千紘と律がダイオウイカの攻撃が止んだ隙を狙って、秋斗の元まで戻る。


「何でわざわざ呼び戻すんだよ?」

「どうかしたんですか?」

「ごめん。いや、ちょっと思い出したことがあってさ」


 千紘と律の言葉に、秋斗はすまなそうに頭をいたあと、二人の顔を見回した。


「思い出したこと?」

「それって何ですか?」


 千紘と律が揃って首を傾げると、


「うん。イカは心臓が三つあるって、どこかのクイズ番組で見たのを思い出してさ」


 秋斗は頷きながら、真顔でそう答える。

 それを聞いた千紘が、考え込むように少しうつむいた。


(クイズ番組、ねぇ……)


 ややあって顔を上げると、ダイオウイカを指差す。


「つまり、あれもイカっぽい魔物だから核も三つあるんじゃないか、とか言いたいのか?」

「だから二つ壊しても、まだ一つ残ってるから消えないってことですかね?」


 それなら納得できますけど、と律は千紘の指した方に目を向けた。


 ダイオウイカは二つの核を壊されたとはいえ、まだまだ元気そうである。弱っている様子は微塵みじんも感じられない。


「もちろん、核が心臓と同じだとしたら、の話だけどさ」


 秋斗も二人と同じようにダイオウイカに視線をやると、再度頷く。

 その言葉に、千紘が腕を組んだ。


「なるほど。でもここは地球じゃないから、絶対に三つとは限らないだろ」

「二つでダメなら三つ、それでもダメなら四つめ、五つめを探して壊すしかないよ」

「それはそうなんだろうけど、アンタは相変わらず無茶言うな。攻撃するの俺らだぞ」


 アンタは後衛で見てるだけだからいいだろうけど、と千紘が仰々ぎょうぎょうしい仕草で溜息をつく。


「悪いな」


 申し訳なさそうに秋斗が苦笑した。


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