5.マイ・オンリー・プリンセス

 あたしが進学先にこの耀坂高校を選んだ理由はたった一つ。中三の夏の学校見学で、お城を見つけたからだ。

 小高い丘の上に作られた、どこにでもあるイマドキの校舎が並び立つ敷地の中で、小さな森をバックにそこだけ別世界みたいにそびえ立っていた芸術塔と呼ばれている建物。豪華でクラシックな雰囲気のそのお城は、まるで本物のお姫様が暮らしているように見えた。

 幼稚園の時から将来の夢が「お姫様」だったあたしにとって、それはまさに夢のような場所だった。偏差値とか学科とか関係ない、あたしはこの学校に通うんだ!と意気込んだものの、中を自由に行き来できる美術科や音楽科に入れるような経験も才能もなかったから、普通科に入学するしかなかったけれど。日々あのお城が目に入り、同じ敷地内で過ごせると思うだけで、あたしの高校生活のモチベーションは上がりまくった。

 夢が「お姫様」なんて言ったら百パー冗談だと思って笑われるけど、あたしは本気だ。お姫様って、別に身分が高いとかお金持ちとかって意味じゃない。最初に憧れたきっかけはディズニーアニメのプリンセスだった。元々親が大のディズニー好きで、あたしの「アリス」という名前も母親がディズニーで一番好きな作品が「不思議の国のアリス」だったから付けられたものだ。その影響であたしも小さい頃からディズニーの古い作品から最新作まで見せられていたけれど、自分の名前が主人公のアリスや、リアルタイムに映画館でで見た「ラプンツェル」「アナと雪の女王」にはあんまり興味がなかった。

 あたしの心を虜にしたのは、昔の「白雪姫」や「シンデレラ」、「眠りの森の美女」のような、古典的で正統派なお姫様だ。彼女たちはみんなその美しさで幸せになる。一目見ただけで誰もが目を、意識を、魂までも奪われる。美しさ一つで全ての困難をひっくり返すその力に、あたしは夢中になった。強さとか自由とか、最近よく言われてる男女平等とかあたしは全然興味ない。女の子は可愛ければよくて、可愛ければ全てが手に入り、可愛さこそが最大の武器だとプリンセスたちはあたしに教えてくれた。

 そこにいる誰よりも可愛くて誰にでも愛される存在、それがあたしにとってのお姫様像で、目指すべき理想の姿だ。

「女の子は生まれた時からお姫様」、なんて舐めた意見もあるけど、例えそうだとしても成長していく内につれて絶対、お姫様のままでいられる人とお姫様ではなくなる人に振り分けられる。あたしは絶対にお姫様のままでいたかったし、その中でも一番、お姫様の中のお姫様になりたかった。幸運なことに元々身内以外からも一目見たら「可愛い」「天使みたい」と持て囃される顔に生まれて、おしゃれや美容には幼稚園の時から興味津々だった。日焼けや怪我には気をつけて、いつも周りに笑顔を振り撒いていた。憧れのディズニープリンセスのように堂々とはきはき喋って、優しさとしとやかさを忘れないようにした。

 そんな心がけと持って生まれた美貌のおかげで、あたしはどこにいても「この中で一番愛すべき可愛い子」という扱いを受けていた。親戚が集まるとみんなまずあたしのことを第一に可愛い、可愛いと褒めそやしたし、道ゆく人は一度は振り返って「あの子可愛いね」、と目をきらめかせた。

 幼稚園のお遊戯会では保護者からの要望で女の子は全員お姫様だったし、小学校の学芸会でもみんな同じ衣装の妖精の役だった。一人を特別扱いせずにみんな平等、そんな空気だったからこそ、あたしの可愛さは見た目から立ち居振る舞いまで、同じ土俵に立った他の子たちよりも分かりやすく抜きん出て輝いた。

 男の子たちはあたしの姿を目にするたびに眩しいものを見るようにぽうっとして、目が合えば頬を赤らめて照れる。十六年の人生の中で、初めて告白された幼稚園の時から今この瞬間まで、彼らからあたしに向けられる「可愛い」「好き」「付き合いたい」という視線が途絶えたことはない。

 じゃあ女の子には嫌われてたのか、なんて言えばそんなことは全然なくて、女の子だって結局は可愛い女の子が好きだ。特にあたしみたいに特別可愛い子は、身近な芸能人みたいな憧れの対象だった。もちろんあたしのことを面白く思わない子もいただろうけど、明らかに自分より可愛い相手にやっかみで突っかかったり陰口を叩いたりすることがみっともないって、みんな子どもながらに分かっていた。それよりもあたしに取り入っておしゃれの話をしたり、かっこいい子と仲良くなったりした方が得だってことも。

 結果、あたしは何もしなくても自然とみんなから話しかけられて、気がつけば常にクラスの女子の中心にいた。

 幼稚園から中学校まで、あたしはずっとそんな風に生きてきた。あたしより可愛い子はどこにもいなかったし、どこにいたってあたしが一番お姫様だった。

 そんなあたしが、生まれて初めて「自分より可愛い」と認めた女の子───それが、お城のあるこの学校、耀坂高校の入学式で出会った、本多莉奈だった。

 

 莉奈と初めて会った入学式の日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 その日のあたしは、いつもよりも更に気合が入っていた。何せ憧れのお城がある高校に通えることになったのだ。ネイルを新しく塗ってお化粧は念入りに、髪もばっちりカールして挑んだら、正門をくぐった直後、そのまま生徒指導室に直行させられた。

 入学式の前にネイルもお化粧もカールも全部落とせって言われて、芸術科があるのにそんな普通に校則あるの?って驚いたけど(入ってみたら分かったけど、芸術科の方が厳しくて品行方正だった)、反抗して目を付けられるのも嫌だから渋々従った。用意されたクレンジングと除光液で化粧とネイルを落として、髪の毛を水で濡らそうとした時に、背後でドアが開けられた音がした。

「せっかく綺麗に巻かれてるのにもったいないね」

 そう話しかけてきた見知らぬ女の子の顔を振り返って目にした瞬間、あたしは全くの無意識に「お姫様だ」、と思った。

 あの時の衝撃を、多分あたしは一生忘れない。

 今まで会った人どころか、テレビやネットで見る芸能人の誰よりも、莉奈は可愛かった。光の加減で茶色に見える大きな瞳と、それを縁取る長い睫毛。綺麗に染められた栗色の髪の毛に、日焼け止めのCMに出ていそうな透き通った白い肌。すっと通った鼻筋もつやつやの小さめな唇も、造形の全てが神様によって完璧に整えられているようだった。 

「あ、いきなりごめんね。私、本多莉奈っていうの。おんなじ一年生、だよね」

「あ、うん。あたしは皆川アリス。本多さん……も、髪の毛注意されたの?」

 恐らくその髪の色のせいで生徒指導室に連れてこられたのだろう。あたしを連行した先生は戻ってくるまでに落としておくようにと言い残して生徒指導室を出て行った。きっと同じ先生に捕まったのだろうけど、その先生の姿が見当たらない。

「うん、私、髪の毛染めてるって言われて連れてこられたんだけど、これ地毛だから。説明会の時にきちんと報告してたんだけど、伝わってない先生がいたみたい。今生徒指導の先生が担任の先生に確認してるとこ。それまでここで待機するように言われたの」

「え、その色地毛なの?すごい、羨ましい」

「ありがとう、私も気に入ってるんだ。でも、皆川さんの髪もすごく綺麗。カールも可愛いけど、きっとストレートでも素敵だね」

 褒められて素直に「ありがとう」と言えて、自分のことを肯定して、更に相手のことも卒なく褒める。分かっていたけれど、この子はやっぱり「お姫様側」の人間だ。しかも、あたしが常に意識して、努力していることを、無意識に、ナチュラルにさらっとできてしまうような。

「──ありがと。……ねえ、本多さんじゃなくて、莉奈って呼んでもいい?あたしのこともアリスって呼んでいいから。あたしたち、友達になろうよ」

「え、うん。なろうなろう。すごい嬉しい、こんなにすぐ友達ができるなんて」

 先生に捕まった甲斐があったよ、と冗談まじりに笑う莉奈の笑顔は、あたしの憧れを体現したような、「世界で一番可愛いお姫様」そのもので。

 あたしは今までたくさん目にしてきた、嫉妬と羨望が混じった哀れな女の子の顔にならないように、必死で余裕の笑みを張り付けた。


 偶然にも、あたしと莉奈は同じクラスだった。入学式の日から莉奈は「今年の一年生にすごく綺麗な子がいる」と学校中の注目の的になり、その隣にいたあたしも必然的にみんなの目に入って「一緒にいる子もすごく可愛い」、と思ったとおりの反応があった。

 あたしが莉奈と友達になろうと持ちかけたのは、これが目的だ。

 莉奈はあたしよりも可愛い。これはもうどうしようもない現実だ。でも、かと言って莉奈の隣にいてあたしの可愛さが萎むかと言うと、絶対にそんなことはない。

 あたしは莉奈に勝ってはいないけど、でも決して負けてもいないのだ。

 最初に注目を集めるのはどうしたって莉奈だけれど、莉奈と並ぶことによってあたしもみんなの目に入り、「可愛い」という評価を得る。でも、莉奈と同じ路線ではダメだとも思った。今までのあたしは昔のディズニープリンセスのような、ちょっと大人っぽい綺麗寄りの可愛さを追求してきたけど、ナチュラルにそんな雰囲気の莉奈と並んだらまるで劣化版のようになってしまう。

 お遊戯会や学芸会の時と一緒だ。みんな同じお姫様役だったからこそ、逆にレベルの違いがはっきりと分かる。あたしはどこでだって「一番のお姫様」でありたかった。二番目のお姫様であっても意味がない。でも、莉奈がいる限りあたしは絶対に一番にはなれない。だったら別々で行動するよりも、一緒にいて莉奈を利用する。そして、莉奈とは違うタイプの可愛さを出して、莉奈と一緒に「一番可愛い子」の地位を得る。

 あたしはまず今までポニーテールかカールして下ろしていた髪型をツインテールにした。ツインテールはどうしても幼さが際立って、ディズニープリンセスのイメージじゃなかったので中学校に入ってからはしたことがなかったけれど、莉奈との違いをはっきり示すにはこれが一番だと思った。ちょっと大人っぽい莉奈と、ちょっと幼いあたしが並べば、あたしと莉奈は比べられることなくそれぞれ違うタイプの「一番可愛い子」になれる。高校生になったら化粧もいっぱいしたいと思っていたけど、色付きリップくらいで留めて、制服のスカートも莉奈より短くする。澄ました顔で優しく微笑むのをやめて、元気で明るい笑顔を作る。

 今まで抱いてきた理想の姿を捨てることに対しては、自分でも意外なくらいに抵抗がなかった。

 それくらい、莉奈の「本物のお姫様」オーラに、あたしは圧倒された。

 この子と同じ土俵に立ってもあたしは絶対に敵わないこと、それでもあたしが可愛いという事実は変わらないこと。その二つを理解した上で、あたしが目指した道は間違っていなかったのだと、入学して一週間もたった頃には証明できた。

 あたしと莉奈は「一年生のアイドルコンビ」としてすぐに有名になっていった。莉奈は翌日からあたしが入学式とは全く違う雰囲気になって登校してきたことを不思議がっていたけれど、「もう先生に目を付けられるのもタルいからほどほどにしとくことにした」、と言ったらあっさり受け入れた。

 教室でも、移動の廊下でも、昼休みの中庭でも、あたしたちが二人でいると必ずどこかから感嘆と憧れの視線を感じる。あたしたちが笑い合っているだけで周囲は花が咲いたように明るく、きらきらと煌めく。想像していたものとは違ったけれど、あたしの高校生活は順調にスタートを切った。

 一週間の間に各教科のオリエンテーションや身体測定、所属委員会決めなどが次々とこなされていき、その中でも特にテンションが上がるイベントは芸術塔見学と部活動紹介だった。

 普通科の生徒は、普段芸術塔に入ることがない。別に入っちゃいけないと決まっているわけではないけど、何となくそんな暗黙のルールがあるらしい。

 芸術塔の中は薄暗く、どこかひんやりと冷たい空気が漂っていた。入ってすぐのロビーは丸く囲われていて、壁には歴代の美術科生徒たちの賞を取った作品がずらりと飾られている。ロビーの真ん中には螺旋階段があり、吹き抜けになった二階からは微かに色んな楽器の音が聴こえてきた。正直に言うと、辛気臭くて寒々しいな、というのが一番の感想だったけれど、それはそれで眠りの森の美女のような、寂れたお城みたいな感じがあっていい。見学中、時々芸術科の二、三年生が我が家のような顔で歩いている姿を目にして、ここで当たり前に過ごせることをやっぱり少しだけ羨ましく思った。

 そしてそんな当たり前のような顔も、こんな芸がなければ手に入れられない、と思い知ったのが部活動紹介だ。耀坂高校の部活動、正確に言うと文化部は美術科と音楽科のおかげで県どころか全国でもトップクラスレベルのものばかりだ。それが部活動紹介では体育館のステージで各部のパフォーマンスが次々と惜しげもなく披露されていく。一番規模の大きい吹奏楽部は元より、ブラスバンド部に民族音楽部、ボーカル部など主に音楽科の独壇場だったけれど、迫力ある美術部や書道部のアートパフォーマンスも素敵だった。こんな人たちがあのお城の中で日々腕を磨いているんだと改めて思い知り、あたしはあのお城の中に入ることはできないんだな、と本当の意味で理解させられた。

「部活動紹介、楽しかったね。ダンス部とか超可愛かった」

 芸術系以外で特に惹かれたのはダンス部だった。ストリートダンスからアイドル系のダンスまで幅広く、可愛い衣装で身体を自在に動かして踊る姿には単純に憧れた。

「ね、すごかったね。あんな風に踊れるなんてすごい」

「じゃあさ、一緒にダンス部入らない?莉奈と一緒に踊ったら楽しそう」

 あたしと莉奈がダンス部に入れば、それこそリアルアイドルになること間違いなしだ。そんな期待を込めて誘うと、莉奈は申し訳なさそうに首を振って笑った。

「ごめん、私は演劇部に入るって決めたんだ」

「演劇部?」

「そう。さっき部活動紹介でミニお芝居してたでしょ?」

 演劇部があることは勿論知ってる。でも、莉奈が演劇部?本気で?

「え……何で?あのお芝居見て?」

 正直、あたしは演劇部の紹介の時は耳を塞いで目をつぶっていたかった。元々あたしは国内のドラマや映画を見るのが苦手で、どんなにお芝居が上手いと言われている俳優さんでも、日本語で喋っている時点でお遊戯会のように見えてしまう(大好きなディズニー映画も親が吹き替え派だったので私も吹き替えばかり見ていた)。

 それが生のお芝居、しかも素人のとあっては、あたしが受け付けられないのも当然だった。わざとらしい口調に大袈裟な仕草は見てるこっちの羞恥心が煽られたし、メンバーも何だかオタクくさい感じの人ばっかり。何より内容が全然面白くなくて、演劇部に入る選択肢なんてあたしには一ミリもなかっただけに、莉奈の発言には信じられない気持ちでいっぱいになった。

「元々興味はあったけど、まあ見て入りたいって思ったかな」

「中学の時からやってたの?」

「全然、お芝居なんてしたこともないよ。でも、何か新しいことに挑戦してみたくて」

「じゃあダンスでもよくない?」

「うーん、何か、ダンス部もそうだったけど、どの部活もレベルが高くて何かすごく本格的っていうか、隙がないっていうか。演劇部はさ、すごく一生懸命で必死な感じがしたじゃない?どこも一生懸命やってるからその成果を出してるんだろうけど、演劇部だけ何だか空回りしてる感じがして。そこが何か、いいなあって」

「ええ……何それ、全然分かんない」

 莉奈のことは、ただ可愛くて綺麗で性格もいい、本当のお姫様のような子だと思っていて、それ以上の印象は正直持っていなかった。でも、今の話を聞いてその考えを改める。この子、ちょっと変わってる。

「うん、昔から言われる。理解できないって。でもどうしてもそう思っちゃうっていうか、滑ってる芸人さんとか見ると愛おしくなっちゃうんだよね」

「あたし逆。こっちが恥ずかしくって見てらんなくなる」

「あ、じゃあさっきの演劇部の紹介も結構きつかった?」

「うん、まあぶっちゃけ」

「あはは。じゃあ私が舞台に立っても見てもらえないかもなー」

 つまり、演劇部に入るという気持ちは変わらないようだ。

「いやいや、そこは莉奈の力でさ。あたしみたいな人間も感動して拍手しちゃうような舞台にしてよ」

「そんなのハードル高すぎでしょー」

 そう笑っていた莉奈だったけど、どうやら内心やる気満々だったらしい。まず莉奈が演劇部に入ったことで新入部員がどっと増え、既存部員のモチベーションが格段に上がった。そして莉奈は一年生の中心人物として積極的に意見を言い、気がつけば上級生もまとめて先導していった。……というのは、演劇部に入った他のクラスメイトから聞いた話だ。莉奈自身は決して自分がしていることを自慢したり誇ったりしない。

「こういうやり方もあるけどやってみませんかって、ちょっと提案してるだけだよ。先導なんて大袈裟なものじゃないって」

 莉奈はそう困惑気味に笑うけど、演劇部はもう実際莉奈が部長みたいなものだった。少なくとも上級生を含めた全部員がそう認識していて、部長もすっかり莉奈に頼っているらしい。でも莉奈自身は現部長に対してきちんと敬意を払っているから、揉め事も起こらず絶妙なバランスで成り立っているようだ。

 そんな中で迎えた六月の文化祭で、莉奈は舞台の上で圧倒的な美しさとオーラを纏って光り輝いていた。演目は「ロミオとジュリエット」を現代風にアレンジしたもので、莉奈は一年生にして大抜擢、ヒロインのジュリエット役だ。やっぱり台詞は仰々しいし、所々挟まれるコメディ部分は正直寒かったけど、それでも莉奈のジュリエットには目を奪われずにはいられなかった。

「アリス!どうだった?」

 舞台を終えて制服に着替えた莉奈は、興奮気味にあたしに駆け寄って開口一番問いかけた。

「おつかれー、莉奈、綺麗だったよー!」

「目つぶらなかった?大丈夫?」

「つぶらなかったって。ホント、めっちゃ綺麗だった!」

「えへへ、ありがと。アリスのダンスも可愛かったよー」

「とーぜんっ」

 あたしは結局ダンス部に入って、人気アイドルグループの曲でセンターを任された。みんなお揃いの衣装で踊る中、あたしが一番華があって可愛い子として選ばれ、ど真ん中で輝いた。やっぱり一人で一番は気持ちがいい。今となっては莉奈と一緒の部活にならなくてよかったと思う。演劇部は四月の部活動紹介からは大分見られるようになったとは言え、やっぱり素人くささ(いや、実際素人なんだけど)は抜けてない。どんなに莉奈が綺麗でも舞台は総合力だ。特に演劇なんて、やる方もだけど見る方にとってもハードルが高い。この耀坂高校は音楽科のレベルがずば抜けている分、演劇部のぎこちない感じはどうしても目についた。あたしは舞台の内容なんてどうでもよくて、莉奈の美しさばかりに意識が奪われたけど、他の生徒も同じような感じで、ジュリエットは綺麗だけどそれだけ、と、演劇部の全体的な評価としてはイマイチだった印象だ。でも、それはまだ莉奈が入部して三ヶ月も経っていない頃の話。三ヶ月で、それでも部活動紹介の時よりはかなりマシになっていたのだ。これが一年も経てばどれだけ進化するんだろう。来年の文化祭、莉奈は演劇部をどんな風に成長させてるんだろう。そう漠然と考えてはいたけれど。まさか、莉奈の提案が発端となって、あんな全校を巻き込んだお祭り騒ぎに発展するなんて、全く予想もしていなかった。


 三年の北条淳が文化祭で演劇部の舞台に出る。

 そんな話が流れてきたのは、二年に進級してまだ間もない頃のことだ。去年の秋、ドラマに脇役として出て以来学校中から騒がれていた北条淳に、あたしは別に興味はなかった。そもそも日本のドラマ自体見るのが苦手だし、それでも話題に付いていく為にちらっと見てみたけど北条淳は物語に特に影響ないクラスメイトの一人に過ぎなくて、学内で実物を目にする機会もあったけど生で見るとますます大したことない印象だった。不細工ってわけじゃないし、かっこいいと言えばかっこいいけど、あんなに騒ぐほどでもない普通な感じ。芸能人だの俳優だの、そんな肩書きだけに意味なんてない。むしろあの程度で俳優になれるんなら、芸能界なんて案外大したことないんだな、なんて思っていたものだったけれど。

「私、週刊誌とかワイドショーとか超くだらないのに何でなくならないんだろうって思ってたけど、理由が分かった。みんなそういう話大好きなんだね」

 そう珍しく疲弊した声で零す莉奈に、それでもやっぱり芸能人の肩書は強大なんだな、と思い知らされた。

 あたしと莉奈は二年でも同じクラスになり、一年の時と変わらずいつも一緒に行動している。演劇部では莉奈は去年三年生が引退してすぐ部長に任命され、名実共に部を率いることになった。そうしてすぐに流れてきた北条淳が文化祭で演劇部の舞台に出るという噂。噂はすぐに正式な情報となって学校中を駆け巡り、やがてそこに色々な尾ひれや邪推もくっついてくるようになった。莉奈が北条淳を狙ってて誘ったとか、逆に北条淳が莉奈に気があって話を持ちかけたとか、はたまた二人は付き合ってて舞台上でラブシーンを見せつけるつもりだとか。そんな馬鹿らしい話、あたしは一切信じてなかったし実際莉奈も全然身に覚えがない、と怒りを通り越して呆れていた。

 昼休み、お弁当を食べ終わったあたしたちはぽつぽつとしか人がいない図書室にきていた。北条淳が文化祭で演劇部に客演するというニュースが出回ってからというもの、莉奈もまた更に注目されるようになった。人から見られることに慣れている莉奈も、流石にあんなゴシップまがいな視線には嫌気がさしているようだ。

「んー、でも、あたしも意外だとは思ったよ。莉奈、去年北条先輩が騒がれてる時も全然興味なさそうだったし、ドラマも見てないって言ってたから。何か唐突だなって」

「あー……それは、ちょっと事情が変わったから」

「事情?」

 何なに、何かあるの?そうおどけて問いかけると、莉奈は悪戯っこのように笑ってわざとらしく「うーん」、と腕を組んだ。

「どうしようかなー、アリスには言っちゃおうかなあ。誰にも言わないって約束する?」

「それは分かんないなー、もしかしたら言うかも?」

「分かった、じゃあもう言わない」

「嘘うそ、嘘だって。言わない言わない、約束する」

「ふふ、そうやってまず『言うかも』、って言うからアリスは信頼できるんだよね」

 莉奈は元から小さめに話していた声を更に落として、あたしに秘密を打ち明けた。

 曰く、北条先輩を演劇部の舞台に誘ったのは、一年生の新入部員の影響だという。その子は人一倍熱心に稽古をしていて、話を聞いていくうちに将来女優になるのが夢だということを知った。じゃあ、今この学校に在籍している北条淳を利用しない手はない。プロ相手に演技ができるチャンスなんて滅多にないし、きっとお客さんはたくさんくる。もしかしたら関係者の目に留まってスカウトされる、なんてこともあるかもしれないと。

「えー、そんな都合いい話なんてあるかなあ。大体、スカウトされるんなら断然莉奈じゃない?」

「今回私は裏方で、出番はないから。可愛い後輩のバックアップに全力を注ぐつもり」

 決して自分が表に出たらスカウトされる可能性を否定したりしないのが、どこまでも莉奈だ。そして、その一年生への厚遇も、「空回りしていて愛おしい」という理由で演劇部に入った、この上なく莉奈らしい行動だった。

「じゃあ、莉奈と北条先輩のラブシーンが見れるなんて言ってる人たちは拍子抜けするだろうね。幕が開いてみたら知らない一年生と北条淳がメインだなんて」

「あはは、それはざまあみろだね。まあでも、デートの約束はしてるんだけどさ」

「は?」

 全く予想していなかった莉奈の告白に、あたしはつい静かな図書室に響いてしまうように声を出した。

「あ、これも秘密なんだけど。北条先輩にお願いした時、代わりに文化祭終わったらデートしないかって誘われたの。それくらいならいっかなって」

 つまり、順番が違うとは言え、北条淳が莉奈に気があるのは本当だったのか。

「ふうん、じゃあ付き合うの?」

「うーん、まあ、向こうにその気があれば付き合う、かな」

「へえ、めずらし。莉奈、今まで告白されても全部断ってたのに」

 あたしは言い寄ってくる男の子とは大体仲良くなるし、告白されたら付き合っていた。あたしみたいな可愛い子に告白してくる男の子は大体みんな最初からレベルが高いので、性格が最悪じゃない限り特に断る理由はない。ある程度遊んだら一人に絞るのもめんどくさいのでさよならする。その繰り返しだ。

 お姫様に素敵な王子様は付き物だけれど、あたしは正直王子様なんてお姫様の添え物程度だと思ってる。男の子にちやほやされるのは好きだ。そこには女の子の取り巻きでは感じられない優越感が確かにある。じゃあ男の子が好きなのかっていうと、別にそんなことはない。あたしにとって男の子はあくまでお姫様を輝かせる付属品で、それ以上の価値を感じたことはなかった。

 でも、莉奈は違った。莉奈も入学してからたくさんの男の子に告白されてきたけど、莉奈はその全てを断っていた。「あなたのことよく知らないから」とか、「付き合うとか興味ないから」とか言って振られた男の子の数は両手を超える。そんな莉奈が、舞台出演の交換条件とは言え、北条淳からのデートの誘いはあっさり受け入れて、付き合うつもりまであるなんて。

「それ、絶対その気あるでしょ。それともめっちゃ軽い感じだったの?」

「ううん、むしろあんな人気者なのにすごい遠慮がちに言われてびっくりしたくらい」

「遠慮がち?そうだったんだ?」

「うん、何かどもってたし、いいですよって言ったら大袈裟なくらい喜んでた。あ、普通の人なんだなーって、そこにはちょっとときめいちゃったかも」

 なるほど。つまりそこが莉奈の特殊な〝ヘキ〟にハマったわけだ。演劇部に入った時や、さっき聞いた女優志望の後輩に対するものと根底は同じ。滑稽なくらい必死で空回りしている相手に対して情を発揮する、莉奈の癖。

「そっかー、莉奈もとうとう彼氏持ちかあ」

「あっは、何、とうとうって。アリスだって何人も付き合ってきてるじゃん」

「あたしは別に好きで付き合ってたわけじゃないし。ファッションの一部みたいな感じ」

「あー、だから長続きしないんだね。ていうか、ファッションで思い出した。話変わるんだけどさ、アリス、文化祭でファッションショー出る気ない?」

「マジで話変わったね。ファッションショー?って?」

 莉奈からの思いもよらない唐突で大雑把な誘いに、あたしは詳細を求める。

「演劇部の一部の子たちでね、劇の他に、裁縫部と合同でファッションショーやろうかって話になってるの。モデルは主に演劇部員がするんだけど、裁縫部の持ってる衣装が結構多くて。モデルが足りなさそうだから、有志でモデル集めようってことになったの。で、アリスにも出てもらえないかなーって」

 アリスが出たら絶対盛り上がるだろうし、そう言って莉奈は笑う。

「ふうん……それ、莉奈もモデルで出るの?」

「うん。それで、二人でウォーキングできたら楽しそうじゃない?」

 きらきらと目を輝かせた莉奈の顔を見つめながら、あたしは莉奈と二人で同じステージに立っている自分の姿を、たやすく想像できた。それはきっとあたしだけじゃない。綺麗で大人っぽい莉奈と、可愛くて子どもっぽいあたしが、タイプの違う服を着ながら二人仲良く手を繋いでいるイメージは、この学校の生徒誰もが想像できて、同時に望んでいるものでもある。当然だ。入学式の日からずっと、あたしは莉奈の隣で最大限に輝く自分を演出して、それは今までこの上なく成功している。そして、きっと文化祭でも間違いなく成功するだろう。

「いいね、面白そう。出たいな」

「わあ、じゃあ決まりね!みんなにも言っとく」

 楽しみー、と、くふくふ笑う莉奈は莉奈はとても楽しそうで、あたしが何を考えているかなんてちっとも分かっていない。

 それでいい。それでこそ莉奈だし、あたしはそんな莉奈を心から望んでいるのだ。


 文化祭は二日間とも空はパッとしなかったけれど、地上は予想どおりの大盛況だった。開会宣言が高らかに響き、去年よりも明らかに気合の入ったオープニングムービーが流れる。この興奮と熱気を作った最初のきっかけは北条淳に声をかけた莉奈で、それって改めてすごいことなんじゃない?と思うけど、莉奈はそんなこと全く考えていないようなしれっとした顔でムービーを眺めている。

「莉奈、じゃあ、あたしダンス部の準備があるから先に出るね」

「──あ、うん。わかった。がんばってね」

 あたしは一日目はダンス部、二日目はファッションショーに出演することになっている。ダンス部での発表は、今年はK−POPの振り付けで、去年よりもかなり難易度が上がったけれど、一年間踊ってきたのは確実に身に付いているようで、一年生の時部活動紹介の舞台で見た先輩たちの動きにちょっとでも近付けている感じが気持ちよかった。本番もみんなほとんどノーミス、観客も大盛況で、一日目はその流れのままダンス部の子たちと色んな出店を回ったりして、莉奈とはほとんど一緒にいなかった。

 莉奈もまた翌日の演劇部の準備でばたばたしていたようで、結局一日目の開会式の後以来、莉奈の姿を見たのは二日目の演劇部の舞台の上だった。と言っても本人が言っていたように今回は完全裏方で、劇が始まる前の挨拶で出てきた姿だけ。

 演劇部の舞台の一般客数はすごかった。一日目とは比べ物にならないくらいの人・人・人。体育館の上の方まで人が入っていて、客層も明らかに生徒との直接関わりなんか全くないような、本当に『一般』の人たちって感じ。やっぱり北条敦ってすごいんだな、あたしは全然良さがわかんないけど。

 肝心の舞台の演目は白雪姫のパロディ作品で、『白雪王子』というタイトルだった。白雪姫が男の子として育てられていて、助けてくれた猟師と七人の小人の家でラブコメを繰り広げるという内容は、ディズニーの中でも特に白雪姫が好きなあたしにとっては一見地雷のオンパレードだ。ディズニーの白雪姫と原作のグリム童話の白雪姫の話が元々全然違うなんてことは知っているけれど、それでもあたしにとって白雪姫とは、美しい黒髪のたおやかなお姫様が森の動物たちや小人たちに愛され、最後には素敵な王子様をその美貌で虜にしてキスで目覚める、そういう物語なのだ。

 大好きな話がその本質を捻じ曲げられて作り変えられるのはいい気がしない。白雪姫はあんなボーイッシュな雰囲気じゃないし、漁師はただのモブで白雪姫の相手になんかならない。誰よこの脚本書いた奴、と最初は腹が立ってたけど、何だかんだでちょこちょこ面白くて、だんだんストーリーに入り込んでいき、最後は自然と拍手をしていた。いまいちだと思っていた北条敦は舞台の上……というか、役の上だとやけにかっこよく見えたし、女優志望だという白雪姫役だった一年生も演劇部の中ではダントツで演技が上手かった。それでもやっぱりところどころ鳥肌が立ったけれど、主役二人の演技はこの二人だけレベルが違うことがよく分かった。

 そっか、莉奈は、この人と付き合うのか。

 莉奈から付き合うかも、と聞かされた時は内心釣り合わないなと思っていた感情が、舞台で北条敦の演技を見た後は大分薄れていた。お似合い、とか祝福する、なんて気持ちは別にないけど、まあいいんじゃないの、くらいの気持ち。カーテンコールで全員整列してお辞儀する時に出てきた莉奈は、地味な制服を着て一番端っこにいるにも関わらず、舞台上の誰よりも輝いていた。やっぱり莉奈には裏方よりも、人前に出てライトを浴びる方が似合う。体育館中に響き渡る歓声と拍手の中、この盛大なお祭りのきっかけとなった演劇部の舞台は、あっけないと言えばあっけなく、けれど大成功の内に無事幕を下ろした。

 演劇部の次は有志男子の女装ダンス、その後がロックバンド演奏で、最後に演劇部と裁縫部合同のファッションショーという流れだ。降ろされた舞台の幕の裏からは、演劇部が片付けている音が聞こえる。その間にあたしも立ち上がり、ファッションショーの準備のために舞台裏に向かっていった。

「あ、皆川さんきた!」

「こっちこっち、衣装渡すから!」

 舞台裏は演劇部と裁縫部が入り乱れ、隅の方ではバンド出演の人たちが鼓舞し合い、ところどころにスタンバイ中の女装男子たちが紛れているというカオスな状態だ。こんなところで着替えられるわけもなく、裁縫部の子に衣装を渡されて更衣室に促される。

「えーっと、皆川さんの衣装はこれだよね。はい、あっちの奥の部屋が女子更衣室になってるから」

 舞台裏の奥で女子更衣室にされている部屋は、普段は演劇部の部室に使われている。扉を開けると、中はメインの演劇部プラスあたしのように方々から集められたモデル役の子たちでごった返していたけれど、それでも莉奈の姿を見つけるのは簡単だった。

「莉奈!もうこっち来てたんだ」

 一番奥でもう衣装に着替えている莉奈に声をかけて近付くと、莉奈はひらひらと手を振って微笑む。

「うん、カーテンコールで引っ込んでからすぐ。劇見てくれたんだよね?どうだった?」

「まあ、面白かったよ。やっぱプロはすごいね。一年の子も上手かった」

「でしょ?内容はちょっとディズニー至上主義のアリスには地雷かなーと思ったんだけど」

「最初はちょっとムカついたけどね。でも、最終的にいい話だったから許すかな」

 何様よー、と、莉奈は笑ってあたしの肩を小突く。そこで初めて、あたしは莉奈の様子がおかしいことに気づいた。

「───莉奈、何か元気なくない?大丈夫?」

 多分あたししか気付かないような、ほんの微かな変化。

 目元の陰り、不自然な口元、くすんだ肌。その全てが一瞬の気のせいと言えるような、でも絶対に気のせいではないと断言できるもの。

「え、ううん、そんなことないけど?」

「ホント?何か顔色悪く見えるけど」

「あー、やっと舞台が終わって、肩の荷下りてホッとしたからかも。ちょっと緩んでるっていうか」

 ぐるぐると肩を回しながら笑う莉奈の顔は、明らかに無理をしている。これはきっとあたしじゃなくても分かる。指摘されて、一気に表に出てきたのかもしれない。

「ちょっとここ出て、外の空気吸おうよ、確かこの部室に体育館の裏の階段に出られるドアあったよね?」

「あ、うん。でも本番まで……」

「まだ全然時間あるって。もし始まっちゃってもあたしたちはトリなんだし、十分間に合うでしょ。あたしも着替えてから迎えに行くから。外の空気当たってきなって」

 ファッションショーで、あたしは裁縫部からの強い希望もあって不思議の国のアリスをモチーフにしたエプロンドレスを、莉奈は大人っぽいプリンセスラインのワンピースを着ることになっている。あたしたちはそれぞれ形の違うスカートの裾をひるがえして、二人手を繋いでランウェイを歩き、最後に体育館中の歓声を浴びる予定だ。それなのに、莉奈の顔色がこれでは最高のパフォーマンスができなくなってしまう。

「本番で倒れちゃったりしたらそれこそ大事になっちゃうんだからさ。莉奈はもう着替え終わってるんだし、大丈夫だって」

「じゃあ、お言葉に甘えて……アリス、ありがとうね」

「んーん、ぜーんぜん」

 外に出て行く莉奈の背中を見送り、あたしもいそいそと着替え始める。裾の短い水色のワンピースに、白のエプロンドレス。袖はふんわりとした七部丈で、ところどころについた白のレースは優雅さよりも甘さの方が強調されている作りだ。

 皆川さんの名前見た時から、この服は絶対皆川さんに着て欲しかったんだ。

 裁縫部の子からそう言われたことに、悪い気はしなかった。自分でもあたしの雰囲気にぴったりだと思う。莉奈が着ていたプリンセスラインのワンピースは、あたしの服とは正反対の、シックで大人っぽい雰囲気だった。それでいてしなやかな可憐さもあって、こんな雑然とした更衣室の中でも輝いて見える、理想のお姫様そのものの姿。

 衣装を着替え終わって、あたしはそんなお姫様を迎えに行く。ドアを開けた先の階段の踊り場で、莉奈は曇った空を見上げていた。耀坂高校の体育館は二階部分にあって、一階は道場や各運動部の部室になっている。体育館の舞台裏直通の外階段はその分空に近いところにあって、木々に囲まれた芸術塔もよく見えた。城をバックに、微かな風が莉奈の栗色の髪とドレスの裾がなびかせている。その様は、さながら映画のワンシーンのようだ。

 莉奈。名前を呼び、振り返った莉奈はあたしを見つけると「わ」、と声を上げた。

「びっ…くりしたー。本物の不思議の国のアリスが現れたのかと思っちゃった。アリス、超可愛いよ」

 ディズニーのアリスの髪はツインテールじゃないし、あたしが着ている衣装はもっとゴスロリ風になっている。でも、そんなのはどうでもいいことだ。

「ありがと。莉奈こそ、さっきは言いそびれたけど似合ってるよ。具合はどう?」

 さっきよりもいくらか良くなっている顔色を確かめながら問いかける。良かった、この様子なら大丈夫そうだ。

「うん、大分良くなった。アリスの言うとおりにして正解だったよ」

 にっこりとそう笑う莉奈に、あたしもほっと息を吐いた。

「やっぱ演劇部の準備、すごい大変だったんだね。一般客もすごかったし。終わって気が抜けるのもしょうがないか」

「ん───うん、」

「ま、でも、今日が終わったら北条先輩とのデートが待ってるわけだし。そしたらまた元気出るでしょ」

 何の気なしにそう言うと、莉奈は曖昧な顔で困ったように笑った。

「それは……もう無理かな」

「え?」

「この前、北条先輩にやっぱり一緒に出かけるのはやめようって言われたの。だから、もうデートはなし」

「え……そん、何で?」

 挙動不審になるくらい緊張して誘ったくせに、何でいきなり。莉奈とデートできる機会なんて滅多にないのに、そんなもったいないことする意味がわからない。

「他に好きな人ができたんだって。だったらもうしょうがないよね」

 好きな人?莉奈にデートしてもいいって思われるくらい好意を寄せられてるのに、他の人を好きになるの?そんなの、白雪姫が男装して猟師とくっつくよりもありえないことに思える。

「その、誰なの?他の好きな人って。名前聞いた?」

「うん。あ……誰にも言わないでね。一年の宝ちゃん。舞台で白雪姫だった子」

 まさか、先程思い浮かべたありえないものの筆頭を演じていた子だったとは。つまり、お芝居で恋仲を演じるうちに実際にも好きになってしまったってやつか。

「言われてみれば、確かに最初よりもすごく仲良くなってて、いい感じだとは思ってたんだよね。まあ、そういうわけだから」

 彼氏とかは当分なさそう。そう笑う莉奈の顔は、更衣室で見た時と同じ、明らかに無理をしているもので。莉奈の元気がない本当の原因が、はっきりと分かってしまった。

 北条淳が好きになったとかいう『宝ちゃん』。莉奈がお膳立てしてやって今回の劇の主役に抜擢された一年生。舞台上で見たその子は確かに演技は上手かったけれど、特別可愛いってわけでもなかった。女優になりたいなんて、正直身の程知らずとしか思えない。でも、そんな無謀な夢を語るその子を、莉奈は愛おしみ哀れんだ。その結果が、これ。

「───無理に笑わなくていいよ、莉奈」

「………、」

「好きだったんでしょ?北条先輩のこと。だったら、無理に笑わなくていい」

 本多莉奈という人間はナチュラルに他人を見下している。というか、他の誰よりも自分が一番上だと当然のように思っている。相手の立場を尊重するのも、気持ちを大事にするのも、夢を応援するのも。全ては自分が優位に立っているという余裕からだ。本人にその自覚はないけれど。

 莉奈はそんな、傲慢で尊大で、平等で優しい「本物のお姫様」だ。そうして情けをかけて施しを与えた相手に、同じように哀れみから好きになった人を奪われるとか、間抜けな話としか言いようがない。

「………アリスぅ」

 あたしの言うとおり笑うのをやめると、莉奈は限界だったとばかりに形のいい眉を下げ、大きな目を細め、唇を歪ませると滑らかな頬に涙をつたえた。最初は一筋、二筋だったそれは流れ始めたらあっという間に決壊し、ぼたぼたと大粒の涙が溢れていた。

 莉奈の泣いてるところなんて、一年以上の付き合いで初めて見た。というか、誰かと二人きりでいる時に泣かれること自体、もしかしたら初めてかもしれない。

「……バカだよね、私。そんなつもりなかったのに、いつの間にかこんなに好きになってて、いつの間にかとっくに失恋してたなんて」

 次から次に溢れてくる涙をどうにか止めようと、莉奈は必死で頬を拭い、目をこする。

 本当にバカだ。莉奈はお姫様なのに。男の子にフラれたくらいでこんなに凹んで、傷付いて、涙を流すなんて。


 あたしは泣く莉奈に両手を伸ばして抱きしめた。莉奈もあたしの背中に腕を回して、やわらかな髪が頬をくすぐると同時に、首筋に顔を埋めて肩を震わせる。衣装が涙で濡れていくのを感じたけれど、そんなことはどうでもいい。

 涙を見るのと同様に、こんな風に莉奈と抱き合うのも初めてだ。莉奈の身体は細くて、柔らかくて、あたたかかった。

 遠くにはお城が見える。一目見た時から憧れて、この学校に通おうと決めたお城。実際にはあのお城の住人になることも、一番似合うお姫様になることも叶わなかったけれど。

 入学式の日、あたしが莉奈を自分以上のお姫様と認め、理想のお姫様を捨てたことなんて莉奈は知らない。きっと考えもしたことがない。無意識に、自分より明らかに格下だと侮って、哀れんで、恵みを与えた一年生に、好きな人を取られるなんて思いもしなかったように。

 あたしは、初めて会った時からそんな莉奈が大っ嫌いだった。

 莉奈さえいなければ。何度そう思ったか分からない。理想のお姫様を捨てることは容易かった。莉奈とは別の道を選ぶ、自分の判断が間違っていたとも思っていない。それでも、心の奥底で莉奈をうとましく思う気持ちは消えなかった。あんなお城に憧れたせいで、この学校を選び、莉奈と出会ってしまった。そう思うとどうしてもあの中学三年生の夏を恨んでしまう。


 だから、あたしは、莉奈の失恋に同情なんてしていない。可哀想だとも思わない。

 ただ、ざまあみろ、と思った。

 初めて見る莉奈の泣き顔は美しかった。泣いても尚、ううん、だからこそ、宝石のような涙も、それがつたう頬の輝きも、潤んだ瞳も濡れた唇も何もかも。 

 身に纏っているドレスまでもが、その落涙を演出しているかのように完璧で。

 高校二年生の初夏、今この時、そんな莉奈の涙する姿を見る資格を、北条淳が永久に失ったことに。

 あたしは莉奈を抱きしめながら、ざまあみろ、と心の中で忌々しく唱えてやった。

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