おーがすとで脳がすとっぷ

弓 ゆみ太

おーがすとで脳がすとっぷ

暑い


ただただ暑い


エアコン完備って書いてあったから


安心して入学したのに


詐欺だ、詐欺


エアコンが壊れたとかシャレにならんだろ


何が悲しくてこんな環境で勉強しなきゃならんのだ



僕の頭の中は勉強のことよりさっきから不平不満で満たされていた


そりゃ、赤点取って補習を受けるハメになったのだから


僕が悪いと言うのは理解しているつもりだが


季節外れのインフルエンザにかかってろくに勉強が出来なかった


僕の事情も少しは考慮して補習メンバーを決めてほしいものだ



8月ももうすぐ終わりを告げようとする猛暑の中


教室では自習と言う名のお喋り大会が繰り広げられていた


「○○が○○のことが好きみたいだ」とか


「○○が○○にフラれたらしい」だとか


教室を飛び交っているのはそんな低俗な言葉ばかりで辟易とする


高校1年生という微妙な年齢、そして8月という微妙な時期が


こうした話題を引き寄せてくるのだろうか


僕には全く理解できないが、したくもない


僕は最初から加わる気も無く黙々と俯いて勉強の体を続けていた


陰キャを自覚している僕の精一杯の虚勢だ


そもそも基本的に強制的に補習を受けさせられるような人達と


僕は全く人種が異なるのだ


いつもつるんでいるアニオタの小森君さえいれば


もう少し楽しく勉強に打ち込めたのだろうが、これではまるで逆効果だ



少し顔を上げてチラリと教室を見渡してギョッとした


隣の隣の席の女子『村田さん』を中心に男女入り乱れた軍団ができていたのだ


近い


近過ぎる


道理で集中できないわけだ



村田さんはこのクラスのアイドルだ


誰にでも分け隔てなく接するもんだから


行動が早い陽キャが周りに集まるだけで


僕たち陰キャにも優しく話しかけてくれもする


マザー・テレサのような分別ある人間だ


そしてもちろん僕より頭も良い


じゃあなんでそんな出来た人間がここにいるのかというと


名前を書き忘れて0点になった、とか


盲腸の痛みをこらえてテストを受けたからだ、とか


噂が沢山あってどれが真実だか分かりやしない


まぁどんな理由があるにしろ、


とにかくこの場に村田さんがいるというのは事実なのだから


砂漠に咲いたサボテンの花のように、みんなの心のオアシスになっている


でも、僕の心はそのせいで乱れてしまうのだ


周りに生まれる雑音ももちろんそうだが


彼女の美しさが僕には毒なのだ


これは『恋』とか『好き』とかそんなんじゃない


断じてない


ただ女性が苦手なこの僕でさえ


心が乱れてしまう程彼女は美しいのだ



チラッ


気付かれないくらい気配を殺して彼女を盗み見る


下を向いてノートを見ながら会話している彼女の長い睫毛が見えた


!?


気配に気づかれたのか、睫毛がこちらに向くような気がして


急いで視線を手元の教科書に移した



彼女の周りの陽キャ達はなにやら話題を替えたようで


最近流行りの新商品のことで盛り上がっているようである


最近よくCMをやっているオレンジの清涼飲料水


それを来る途中に買ってきた男がいるようで


みんなで飲んでみよう、みたいな話が聞こえてきた


女の子の友達は関係ないが、男どもの狙いは


彼女が飲んだあとのそれを回し飲みして、


『間接キスがしたい』という魂胆が見え見えだ


僕は浅はかな彼らの野望が1周回っていじらしく見えた


きっと断るだろうな


僕は心の中で聡明な彼女の次の行動を予測したが


大外れだった


彼女は「あ、それ、飲みたーい」と大げさに言って


1番に飲もうとしているようだ


聞き耳を立てているだけの僕でも、周りの男子達が色めき立つのが分かった


ゴクッ


彼女がそれを飲む音が聞こえた気がした


そうなると、次に誰が飲むのか、がとても重要になってくる


手渡されるラッキーボーイは一体だれなのか?


僕はその場にいないから関係無いのだけど


やっぱり気になってさらに注意深く聞き耳を立てた


「斎藤君」


!?


それはまるで全く予想外の出来事だった


聞き耳を立てた僕の耳のすぐ横で、やわらかな彼女の声が響いたのだ


驚いて振り向く


そこには中腰になり長い栗色の髪を僕の机につくまで垂らした彼女の姿があった


「勉強お疲れでしょ、君も休憩で飲んでみ」


なんと彼女はそういって、例の飲み物のペットボトルを僕に差し出したのだ


しかもウインクのおまけつきで



そこから先のことは覚えていない


気がついた時には彼女は自分の席に戻っていた


周りの男子の僕を見る殺意のこもった視線が痛かった


どうやら僕はペットボトルを受け取って一口飲んで返したようだった


別に僕は彼女のことが好きなんじゃない


好きなんじゃないけど……


そうだ、この8月の暑さで脳がストップしたんだな


全部暑さのせいだ



彼女はそんな僕に気付かず、席に戻ってもう勉強を再開しているようだ


彼女の声が聞こえる


「ねぇ、8月って英語でなんだっけ?」


誰にともなく問いかけているのが分かった



「8月はAugust!覚え方は暑くて脳がストップ(のうがすとっぷ)」


脳がストップした僕は反射的にそう答えてしまっていた


僕らしくない失態だ


彼女が微笑んでいるのが妙に輝いて見えた

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 おーがすとで脳がすとっぷ 弓 ゆみ太 @Rio796

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