第21話

 家の中は、豪邸というほど大きくはなかった。

 廊下の端から端はちゃんと見えているし、これならルンバ一台あれば掃除が出来そうな気もする。


 しかし、その目で見える範囲の距離を私たちはゆっくりと歩いていた。

 会話などない。


 そして私がこうして誰かの家に行ったのはいつぶりだったのだろうか。そのようなことを考えた。

 私の家は生まれた時からずっと賃貸である。

 そのため小学生の頃にいく、友達の家というのが珍しかったし、羨ましかった。


 まず自分の部屋があること。家に階段があること。駐車場があること。そのどれもが私の理想でもある。


 賃貸というのも一応家である。しかし借りている限り、自分のものではないし、簡単に引っ越しをすることができるということになるのであろう。


 だから赤崎さんのような家があるのがどれほど羨ましいであろうか。


「それにしても鳥取県にもゴキブリなんているもんな?」


 最初に口を開いたのは私であった。

 それでも依然と、彼女は黙ったままである。私と必死に距離を取ろうとしている。


 もしかしたら自分というのはゴキブリと同じ存在なのではないだろうか。そんな不安にも駆られる。


 そして部屋に入る。

 そこは恐らく赤崎さんの部屋だろう。


 しかし、そこは女の子らしい部屋ではなかった。

 中央には机。

 それを囲むように、ビッシリと本がつまった本棚。窓の前にも本棚があるせいで光が入ってこない。


 一体、何冊ぐらいここには本があるのだろうか。


 その彼女が静かに指を指していた。

 何も喋らないが、どうやらそこにゴキブリがいるということを伝えているらしい。


「一応言うけど、私もゴキブリ触れないよ?」


 それでも彼女は黙ったままである。

 触れなくても何とかしろということであろるか。


 そもそもこれだけ綺麗な部屋にゴキブリがいるものだろうか。

 季節もまだ、春先でゴキブリが活動をしているようには思えないのだが。


 私は恐る、恐る彼女が指を指している方へ向かう。

 当然ながら私だって出来ることならゴキブリの姿を見たくない。一応か弱い女の子ではあるのだから。


 一歩、一歩。石橋を歩いて渡るかのように冷静に。歩いて行く。

 その姿をじっと見つめる彼女。


 私は目を閉じる。

 カサカサ。そんな音がしませんように。そう心の中で祈る。

 

 そして部屋の端についた。

 小指が静かに壁に触れたからわかった。


 ついにここまで来たのか。

 静かに、静かに、私は目を開けようとする。

 いた。黒い物体。


 しかし、その黒い物体は動く気配などない。

 そもそも足など生えていない。


 ただの黒い物体。

 私はそれを手に取る。

 これなら手に取ることができる。

 何故ならこれはゴキブリじゃないから。


「ボタン?」


 そう。それは黒いボタンであった。

 私がそう呟くと、赤崎さんは朱を赤めた。


 そして


「出て行って」


 そう言ってくる。

 私は赤崎家に追い出された。

 

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都会育ちの私はA列車に乗って地方で働く 兎園八雲 @toennyakumo

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