第18話 守人

「打て!!打て!!打ちまくれぇ!!」


フェリクスの号令に従って、彼の仲間達は矢を打ち尽くす勢いで次々に射る。


彼らはゴブリンの群れの襲撃に遭っていた。


「あの爆弾はこれが狙いだったのか」


爆弾にしてはあまりにも威力が弱くこちらを傷つけることは叶わなかった。

しかし爆発によって広がった飛沫の妙な匂い。それは魔物を引きつける薬品のものだったのだ。


一刻も早く魔物が集まる中心点、洞窟から離れるべく表の入り口から岸壁に沿って移動しようとしていたが、ゴブリン達の密度は時間が経つごとにますます上がって行っている。


「怪我人も足が使えない者以外は自分で走れ!!手が足りん」


背負われている怪我人すら弓を打ち出した頃。

近隣のゴブリンは全てこちらに出切ったのかやって来るゴブリンが段々と減っていく。


その様子を見て、機を見出したフェリクスは突破の指令を出そうとした時。


「フェリクスっ!」

「ナコフ、何だ!」

「何かがおかしい」


多くのゴブリンがやってきた方向から、重い音が近づいてきていた。


「魔、物?なのか」


3メートル程の体高。

熊の頭部。

熊の頭部と同じ大きさの翁の頭部。


二つの頭部を持った異様な生物がこちらにやってきていた。


獣の様に吠える熊の顔とは対照的に翁の顔はニンマリとした気持ちの悪い笑顔を浮かべている。

やがて逃げ惑うゴブリンの方に注意を向ける。


「カカカカカカカカカッ」


翁の顔は首をカクカクと傾けながら狂ったように笑うと口を大きく開く。

頬の皮膚は引き伸ばされすぎて引きちぎれるがそれに構う様子は無く、魔物の顔一つ分はあるほどに大きく開いていた。


「カカッ」


翁の口から火炎が放射された。炎と言うにはあまりに直線的な赤熱がゴブリン達を一瞬で炭化させながら、地面を撫でる。

空気を伝わった温い熱気が彼らを飲み込んだ。


「ひっ!最下級の魔物しかいないんじゃないのかっ」

「おいっ、押すな」

「何だあれ、逃げろっ、にげろぉー」


「まずい、退け。ゴブリンに構ってる暇などない!」


フェリクスの仲間は統率を失い逃げ惑った。

そんな彼らを吟味する様に見下ろす化物。

慌ててフェリクスは撤退を大きく口に出すことで、再び統率を取り戻そうとするが一度正気を失った彼らはフェリクスの言葉が脳内を滑り落ちる。


そんな中足を怪我していた少女を背負っていた少年がこのままでは追いつかれて消し炭にされてしまうという恐怖から、少女を打ち捨てて逃げ出した。


「ふぎゅるるるるっる」


翁の頭とは違った異音を立てながら熊の頭少女の匂いを嗅ぐ。

縦に裂けた熊の瞳はグルグルと眼球を左右別々に回しながら口元から涎を垂らす。


「〜〜〜〜〜〜っ!」


下に落ちた涎は煙を立てながら地面の植物を溶かす。

少女は必死に声を堪えるが、その反応を精一杯愉しむように獣は口を大きく開きながら彼女に近づいていく。

彼女の瞳から涙が溢れ出た。



彼女が獣に飲み込まれ。


少女の命が世界から失われる。


その、直前のことだった。




『アクセル』


加速術式の陣を通ることで加速した人影が、熊の顎の下に飛び降りた。

その速度を殺すためにしゃがみ込み、目前に同時に三つの魔術式を織る。


『アクセル』


そのまま飛び上がる勢いを使ってサマーソルトを熊の顎へと繰り出す。

蹴り足が三つの『アクセル』の魔術式を一つ通るごとに倍の速度へと加速していく。


「フグッッッッッ」


蹴り上げられた下顎は上顎とぶつかり、それでも尚上へと持ち上げられた。

獣の視界に星が躍る。


そこで、生徒達の吟味をしていた隣の翁の頭が森人エルフの少年の存在に気づく。


「すみません。触ります」


謝罪を挟み、腰の抜けた少女を抱えると後ろに飛び退いた。

遅れて少年の影を貫いた火炎。


「彼女を逃してください」

「お、あ、ああ」


惚けた様に返事をしながら、彼女の仲間の中でも比較的冷静だった少年は彼女に肩を貸して腰を抱いた。

それでも尚何か言いたそうに少年、フェリクスは森人エルフを見つめるも言葉が出なかった。


「早くっ」

「……分かった」


「殿は俺たちが務めます」


彼の後ろでは既に鬼人の少年が化物を引き付けながらも攻撃を避けている姿があった。



──────────



モールは既に逃していた。

一時は様子見をする予定だったが、堪えきれず飛び出してしまった。

それにも関わらず関わらず着いて来てくれたギドの存在が今はありがたい。

フェリクスの仲間達の避難を終えた俺にギドが寄って来る。


「ルートっ、さっきのもう一回できるか?」

「できなくはないですが、あと1回程度です。それに、向こうも本気を出して来そうです」


見ると、化物の体を黄色いエネルギーが包んでいる。

下級以上の魔物は気力を使用するようになるらしいが、アレは間違いなく下級の枠に収まらない、中級の魔物である。


中級には突然変異で発生するゴブリンの長、ゴブリンロードや、オークジェネラルなどが入る。中級魔物討伐は兵士が隊を率いて対処しなければならない事案なのだ。



加えて今回相対するのは聞いたこともない魔物。

俺たちの手に負える相手ではないのは明らかだ。


原因は俺達だ。

その上俺達が退けば餌食になるのは先ほど逃した彼らだ。


心の中で、見捨てれば良いと、彼らは俺達を殺そうとしていたぞと、甘く囁く声が聞こえる。



それでも。それでも


足に怪我を負った少女の恐怖に怯えた姿が頭を過ぎる。



今こそ、なのだと自分を奮い立たせる。

今こそ、闘いの時。

今こそ、己に打ち克て。



「俺が引き付けます。ギドは大技をお願いします」

「おうっ!」


いつものようにギドが頷いた。


俺は赤い気力を足元に纏う。筋力強化の気力だ。

これによって素早い移動が可能となる。


加えて手元に魔術式を描く。


『ヘイスト』


ダメ押しの敏捷性強化の魔術。

これで足止めには足りるだろうか。


「カカカカカカ」


狂笑と共に繰り出された火炎放射を避け、近くの木に飛びついた。


次の瞬間には化物は俺の前で足を振り上げていた。


「なっ!?」


慌てて体全体に気力を纏う。

さらに、後ろに飛び退く。


「がっあああああぁぁあぁあ」


横から振り抜かれた前足が俺の体を捉える。

バキバキと身体中が声を上げ、頭が激痛で塗り潰される。

玩具の様に地面を跳ねながらやがて地面の凹凸にぶつかり止まる。


まだ、打つなギド。


彼は唇を噛み締めながらギリギリとさらに弓を引き絞る。

まだ、番える必要は無いだろ。


「ゲホゲホ」


血は出てない。なら、大丈夫か。

痛みも衝撃を逃したから、耐えられる。もちろん痛いが。

足は震えている。


ふらふらの体で、二頭の化物へと向かう。


「ふギュるるる?」


手応えが無かったことを疑問に思ったのか、頭を低くしてこちらを伺う熊の頭。

尚も狂笑を止めない翁の頭。


「ふぎゅ」


気の抜ける様な声とともに巨体がこちらに飛び込んでくる。

俺の前に壁の様に立ち憚ると、今度はそのまま噛みつこうとして来る。

先ほどと同程度の速度、既に俺は対策を編み出していた。


『アクセル』


ふらりと横に倒れ込んだ先には既に投写していた魔術式。

横向きに加速した俺は熊の頭を躱すと必要最低限の気力を使って足を強化すると、地面を削りながら減速する。


俺の逃げる先を予期した様に翁の頭が火炎を吐く。


消歩。


俺の隣を貫く炎。

熱気が頬を焼き汗が吹き出した。


どうやら獣にも人間相手の視線誘導は通じるらしい。


俺の体はボロボロ、気力も既に空っぽ。

絶体絶命だが、時間は稼いだ。


「ギド!!」

「離れてろっ、ルート!!」


この一矢を絶対に外すまいと、深く弓を構え、限界まで弓を引き絞ったギドがいた。

俺は体を引き摺りながら、その場を離脱。

獣は僅かに体を傾けるも回避には程遠い。


勢いよく飛び出した矢は熊の頭の脳天を貫いた。


気力の強化を貫いて爆発が脳漿を周囲へと散らす。


体から皮一枚でプラプラと繋がる頭を見て、俺は勝利を確信した。










「カカかカカカかカカかカカかカカカかかか」

「!?」


気づくと翁の頭が熊の頭にむしゃぶりついていた。

噛み付いた熊の頭を引っ張ると、首と繋がっていた皮が千切れる。

そのまま頭のカケラを飲み込むと、首の付け根がボコボコと泡立つ。

やがて肉塊が盛り上がり、その中から熊の頭が飛び出した。


「回復、した、のか」


「フぎゅっるルるルるっる」


俺は荒い呼吸の中で思わず絶望を漏らした。

奴はギドの攻撃に気づいた時点で熊の頭を盾にすることで絶命を回避したのだ。

この調子だと翁の頭を潰しても同じことが起きそうだ。


カチカチと音がして翁の顔がこちらを向いて嗤った。

翁の口から火が溢れる。火炎だ。

しかし既に俺は動けないほどに消耗していた。


「くそっ」


こちらへと進む火炎を睨みつけていると、人影が前に躍り出るのが見えた。


「早くしろ。保たんぞ」

「はいぃ。ルートさん、これ飲んでください」


モールが差し出したのは俺が預けていた荷物の中にあった回復薬、それも乙級のものだ。傷薬と異なり、回復薬は即効性が高く体の中の痛みが直ぐ様引いていく。


動ける様になったので、に疑問をぶつける。


「なぜ戻って来たんですが、フェリクス」

「うるさい。お前に言う必要は無いだろう」


フェリクスは少し俯いた。


「…ただ、俺は誇り高い普人だからだ」


彼のぶっきらぼうな言い草に思わず笑いが吹き出た。


フェリクスは前を向くと叫んだ。


「シールドが破られるぞっ!」


俺たちはギドの方へ退いた。

彼の前に展開されていた透明な壁がパリンと音を立てると、炎が地面を焼いた。


「あれ、モールは?」

「戦闘の邪魔になるから隠れてるらしい。どこにいるかは俺も知らん」


さすが斥候としての適性を見出された生徒だ。俺も彼女の痕跡を見つけることは

できなかった。


ついでに彼女が置いてった俺の荷物の中から気力回復薬を取り出した。

指でガラスの蓋を折ると中身を胃に注いだ。


「フェリクス、ギド、二人で奴を足止めできますか」

「わかった」

「わーったよ」


直ぐ様頷いたフェリクスに対してギドが少し不機嫌になりながらも了承した。


フィジカルに優れたギドは引っ掻きを耐えることができる一方で奴の炎を避けるほどの敏捷性を持たない。

そこで炎を防ぐことのできるフェリクスにカバーを任せる。


あと必要なのは


「ギドのために棍棒とかがあれば…」 ゴトッ


後ろに丁度良いサイズの棍棒が落ちていた。そして、微かに聞こえる足音。

モール、恐ろしい子。


こちらに向かって来た化物に対して棍棒を持ったギドとフェリクスが構える。

俺は気配を殺しながらも森の中を駆ける。


風の音に紛れて打撃音が聞こえる。ギドが粘っているらしい。


森の中で少し背の高い木に登る。

奴が暴れ回ったおかげで、彼らの周囲の木が倒れてここからでも十分に狙える。

距離は70程だろうか。

これだけあれば奴も俺の存在には気づかないだろう。


俺は今まで止まっている的に対して狙いを外したことは無い。

だが動いているものとなると話は別だ。どうしても狙った位置から対象が動き百発百中とはいかない。走るウサギであれば、精々20メートルほどが限界だ。


では70メートル先の暴れ狂う獣の脳天を気付かれず貫くにはどうしたら良いか。



答えは俺の構えた弓の前に広がる七重の魔術式アクセルだ。

同時に魔術を織ることで俺の脳が激痛を訴えるが、無視して矢に気を通す。


やがて矢は薄く紫の気を帯びた。


普段ならのたうち回りそうな激痛の中で俺はその瞬間を待った。



そして、ギドへと化け物が飛びかかった瞬間。


二つの頭が、同時に俺の射線に重なった瞬間、声を出さずに呟いた。




『サイレントアロー』


人の目の捉えられる速度を超えた矢は、重力による曲線を一切描かずに俺の手元から二頭の側頭部へと直線を結び、そのまま大地も繋いだ。


一拍の空白の後に、奴らの脳天を衝撃が襲い、頭蓋に大穴をこじ開けた。


遅れてどしゃりと崩れ落ちる巨体。

いくら待ってもその体はぴくりとも動かなくなっていた。


「ギド」

「ルート」


二人のもとへ駆け寄った俺はギドとハイタッチを交わす。見るとギドの体はボロボロになっていた。

続いてその隣で居心地悪そうにしているフェリクスに声をかけた。


「フェリクス」

「……」


「フェリクス?」

「……俺は」


フェリクスが何か言おうとした瞬間に、ギドがフェリクスに飛びつく。

ギドがフェリクスと肩を組む体勢になると、大きな声で言った。


「フェリクスっ、お前、なかなかやるな!!」


先ほどまでの嫌悪感はどこに行ったのやら。二人で共に戦ったことでギドの蟠りは無くなったらしい。少しその単純な思考が羨ましい。

今は俺も彼に倣うべきか。彼は俺のために命を懸けてくれたのだから。


「フェリクス、貴方のお陰で助かりました」


彼に手を差し出す。


「……あぁ、こちらこそ。仲間を助けてくれて、ありがとう」


少し間を置いて彼も手を差し出した。

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