第16話 魔物

 ゴブリン。


 それはこの世界において最も人々が相手をする魔物である。

 最下級で気力を使用しない。訓練をしていない大人であっても一人で対処できる程度の魔物だ。


 だが対処できることは脅威でないこととイコールではない。


 彼らは群れる。そして、子供を狙うのだ。

 年端のいかない女子供がゴブリンに拐われてしまうことはこの世界では珍しいことではなく、その結末もまたありふれたものである。


 俺の村でもゴブリンは現れたことがある。

 俺自身は姿を見てはいないが、近所の子供が森にいたときに拐われたらしい。

 俺と同年代の子供で話したことはないがその姿を遠目に見たことは記憶にはあった。


 そして子供の死体が滅茶苦茶になって帰ってきたのを見た母親の姿。

 それに寄り添う父親。



 瞬く間にそれらの記憶が頭を駆け巡り思わず拳に力が入る。


 目の前にいるゴブリンは3体、他に仲間はいないか。


 違和感を五感で受け取り、視線を横にずらすと狼の姿が見えた。

 ゴブリンは他の動物を仲間にすると聞いたことがある。このまま戦うのは危険だ。


「ギド、モール。一旦退きます!」

「あぁ!」

「ふぇ」


 ゴブリン達は錆びた剣と棍棒を手にしていたが、幸いなことに遠距離武器を持っていないのを確認して俺たちは洞窟の方へと走っていく。


 岸壁を背に戦うことで速度のある狼と数の多いゴブリンによって包囲されてしまうことを防ぐつもりだ。


「こっちです!」


 モールの指示によって俺たちは方向を変える。ゴブリンが俺たちの少し後ろをついてきて、狼は横を並走している。


 間に合うか。どうやら狼は様子見している状態だ。

 だんだんと拠点の方に近づいてきた。


 もうすぐ…来た!


 目の前の空間に光を反射した線が見えた。

 そして俺たちは同時にその鉄線を飛び越える。


 続いてやってきたゴブリンのうち戦闘の1匹が走った勢いでそのまま足を切断された。そのまま前に転けて倒れるが状況を認識していないようでキョロキョロと後ろをみた。

 そして後ろで直立したままの脛から下と、血を吹き出す自分の足を見てやっと理解したようで泣き叫ぶように濁声を上げる。


 この間に狼は俺達の行く手を阻むように立ち塞がった。


 ゴブリンは仲間の様子を見てワイヤーに気づいたようで、残りの2匹は鉄線を跨いでこちらによってくる。仲間を気遣う様子は全く見られず、そのことが俺の神経を逆撫でしてきた。


「ギド、後ろを頼みます」

「おう!!任せろ」


 残念ながら直接戦闘ではモールは役に立たない。

 そこで前方のゴブリン2匹を俺が対処する。


 スゥ、と頭の奥が冷水を浴びたように思考が研ぎ澄まされていくのを感じた。


 ナイフを手に俺は前方へ飛び出す。

 もちろんゴブリンもそれを眺めるだけのはずがなく、剣を持ったゴブリンが剣を振り上げ近寄ってくる。

 このままではリーチの差で不利な戦闘を強いられることになる。


 そこで俺は消歩を使う。

 剣ゴブリンには俺がその場で留まっているように見えていることだろう。

 俺の動作を剣ゴブリンは認識できず、俺に簡単に懐に入られてしまう。


 目の前でやっと、間抜けなゴブリンは錯覚から抜け出す。

 慌てたゴブリンは柄をそのまま振り下ろすが、俺は気による強化を施した腕力に物を言わせて腕を切り飛ばしそのまま横を抜ける。


 残りの棍棒ゴブリンは一瞬で仲間があしらわれたことに驚いてその場に留まっていた。

 俺は足に強化を施すと、棍棒ゴブリンとの間合いを一瞬で詰める。


 左手で喉を掴み、そのままの勢いで力一杯後ろに押し倒す。


 倒れる先には、ゴブリンを1匹餌食にしたワイヤー。


 俺は倒れるゴブリンを足蹴にして後ろに飛び退く。


 勢いよくゴブリンはワイヤーへ突っ込み首を抵抗もなくあっさりと切断する。


 残ったのは足を失ったゴブリンと手を失ったゴブリンのみである。


 それぞれナイフで心臓にトドメを刺しているうちにギドの方も決着がついたようだ。

 ベアーハグのような格好で血だらけの狼を締め付けているギドの姿があった。

 既に狼はぐったりとして力尽きていた。

 声をかけるとこちらに気付いて狼を拘束から解放した。

 ずるりと地面に死骸が溢れ落ちた。


「お疲れ様です、ギド」

「あぁ、流石に疲れたぜ」

「モールも怪我はないですか」

「わ、私は大丈夫です。お二人に守ってもらったので」

「気にしないでください。モールの罠も役に立ちました」


 少し申し訳なさそうな様子のモールを励まし、俺たちは魔物の死体の処理をする。

 処理と言っても、死体に引き寄せられた魔物に襲撃されることがないように少し離れた場所に打ち捨てるだけだ。


 ゴブリンは生理的に食べたくないのもあるが、現在の状況では肉を保存する手段がないため狼もゴブリンも食べるつもりは無い。


 匂いを消すためには埋めるのが一番手っ取り早いが、ゴブリンにこれ以上の手間はかけたくないのが心情だ。


 俺たちは川でナイフの血を落として洞窟へと戻った。


 この時点で既にあたりはすっかり暗くなっていて、洞窟の中で作業するのは難しそうだったがここでギドの用意が役に立った


「『ファイアトーチ』」

「すごいです、ギドさん。魔術も使えるんですね!」

「まあな。これは簡単なやつだけど他にもいくつか使えるぜ!」


『ファイアトーチ』は数時間自分の周りを浮遊する明かりを作る補助魔法で今回のためにギドが習得してくれていたのだ。

 昼の間に燃料が確保できなかったらこの魔法を使わせてもらうつもりだった。

 一応多少の薪は用意して入るのだがそれはギドが寝る見張りの時のために残している。


 しかし、火属性である関係上洞窟のような空気の流れの少ない場所で使うのは危険だと思っていたが、今回は洞窟とは言っても出口が二つあり風の流れもあるようなので問題はないだろう。


 ついでに『ファイアトーチ』を地面に固定して、昼間に確保していたウサギを調理することにした。


 ナイフで皮に切れ込みを入れ皮を剥ぐ。

 内臓は血抜きの際に取り出していたので、そのまま部位ごとに切り分け薄くスライスしたものを木の棒に突き刺してファイアトーチにかざす。

 調理器具を準備していなかったので大分野生的な料理になってしまったが衛生面は問題ないはずだ。


 しばらくするとちょうど良い感じで焦げ目が付く。


 3人でそれを口に運んだ。


「これは美味いです」

「お、美味しいです」

「だろ」


 少しコクのある鶏肉のような味だ。

 だが、流石に調味料なしでは飽きてしまいそうなので、摘んでいた香草で切れ目を入れた肉の塊を包み込み木の棒で挟み込み焚火の前にかざしておく。


 遠間からゆっくりと温められた香草巻きの隙間から肉汁が溢れ出したところでこれを切り分けると香ばしい匂いと肉の旨そうな香りが漂ってきてよだれが垂れそうだ。


 3人の手に渡ったところで同時にかじり付く


「「「最っ高!!」」」


 一斉にうっとりとした声を上げ夢中で食べ尽くした。


 その後も野生的ながらも魅力的な料理に舌鼓を打った。



 ──────────



「次頼むぜ」

「…はい。おやすみなさい」


 ギドの声にわずかに停止したのち、今が遠征訓練であったことを思い出した俺はギドに挨拶をして寝袋からのそりと起き上がる。


 ギドが次の俺のために『ファイアトーチ』を置いてくれていたようなのでこの火を元にして、薪に火をつける。若干湿っているようなので着火までに時間がかかったがある程度火を大きくすれば簡単に火は安定してきた。


 そのまま、火をジッと見つめていると、心が落ち着いてくるのを感じふと今日の行動を内省することにした。


 今日初めて魔物と戦った。

 思いの外手こずることなく倒せてよかった。

 課題である最下級の魔物の討伐はこれで果たせたことになるが、教官たちはこれをどうやって確認するのだろうか。

 もしかすると俺たちの方で何か証明となるものを持っておく必要があるかもしれない。

 討伐証明について聞いておけばよかった。


 やがてじっとしているのがもったいなくなってきて、手元で青紫色の静寂サイレンスの気力を練りだす。

 これを弓に付与すれば『サイレントアロー』となり刃物に付与すれば『サイレントエッジ』となる。後者はほぼ使わないが一応職能の範疇だ。


 操作を手放し静寂サイレンスの気力を霧散させると今度は指先に硬化プロテクトの気力を纏う。

 次に気力を硬化プロテクトから強化エンハンスへと

 俺の目には気力が明るい黄色から少し落ち着いた黄色へと変化しているのが確認できた。


 これは交流戦の際にマリクが使っていた技術だ。もちろん彼はこの技術を俺よりも早く、より滑らかに行使していた。


 彼はおそらく交流戦に参加していた生徒の中で気力が


 にも関わらず、なぜ同等以上に闘えていたか。

 それは彼の気力の使い方にある。


 強化エンハンスを使う時、強化箇所を集中させることでより効果的に気力を使用することができる。ギドも投擲の際には腕だけに集中させたりする。


 彼の使い方はその数歩先を行っていた。

 剣を振る時には必要な筋肉以外には気を纏っていないのだ。

 切り払いの際には背筋の一部と腹部側面、そして上腕の一部にだけ纏っていた。


 その上効果範囲だけでなく気力の性質も変えていた。


 攻撃の際には筋力を、防御の際には体表面の頑丈さをそれぞれ強化していた。


 彼の技は『局所強化』の先を行く『極点強化』とも言える固有の技能だ。


 平均程度の気力しかない俺にとって彼の戦い方は俺の目標の一つとなっていたのだ。


 その後も別の気力への切り替えスイッチングを練習するが、一夕一朝で習得できる技能ではない。

 だが、戦闘中に効果範囲か気の性質のどちらかを変えながら動くことはできそうだ。



 ふと気づくとギドの用意していた『ファイアトーチ』が小さくなってきていた。交代の時間だ。

 俺は引き継ぐ間に火が消えないように薪を足すとモールを軽く揺する。

 しばらくそうすると彼女の瞳がうっすらと開く。


「…んゅ?」


 見た目にそぐわず可愛らしい声に少しときめいてしまったが、その戸惑いをグッと飲み込む。


「見張り、交代です」

「…ぅ、あぅ、わかりましたです」


 若干寝ぼけているようだが、寝袋から出たので大丈夫だろう。

 起き出した彼女を横目に俺は寝袋に入り眠りについた。

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