第13話

 暫く歩いた。途中は驚くほど静かで、まるで先ほどのあの大騒ぎが嘘のようだった。何度かリーレイが結界を貼り直して、あいつらの侵入を阻んでいたからかもしれない。元々はここはきっとこんな感じで静かな場所なのだろう。

 やがて、私たちは大きな扉の前にたどり着いた。

 扉には立派な彫刻が施されていたが、やはりそれは廊下にあった彫像と同じく首のない化け物だとか、悪魔だとか禍々しいものばかりだ。

「……扉が閉まってる」す

 ハンナが言った

「いつもは開いてるのか?」

「うん。まあ子供が自由に出入りできるくらいだしね」

「…それにしても重厚な扉だな。押してもびくともしない」

 リーレイが扉を力を込めて押した。ハンナも一緒に押す。

「うーん、こりゃ無理だな。……もしかして引いたら開いたりしないかな」

「どこを引けと?」

「うーん……」

 ハンナが扉を見て悩む。

 扉にはどこにも引けるような取手はついていなかった。

「そ、そうだね……どうやって……」

 私も扉に触る。すると、突然の扉に掘られた悪魔の瞳が赤く光った。私がびくりとして思わず手をひく。


 ゴゴゴゴゴ……


 ゆっくりと扉が開いていく。

「お前、何したんだ?」

「え、いや、特に……何も……」

 ジロリとリーレイの視線が刺さる。私、本当に何もしてないってば。


 ゆっくりゆっくり開いていく扉が完全に開ききったとき、私は思わず両手で顔を覆った。ハンナがサッと私の前に立つ。

 扉の向こうには大きな祭壇があった。外の煉瓦色の建物とは打って変わって、純白のそれは相変わらず禍々しい彫刻で彩られていた。

 その彫像の前に座り込む一人の人物。その周りには何やら赤黒い液体が囲んでいた。そして、部屋の中いっぱいに広がる生臭い臭い。その人物の周りに散らかっている無数の腕や脚。ここで何が起こったのか、語るに及ばずというような雰囲気だった。

 思わず息を呑む私たちにその人物はふと気がついたように振り向いた。

 女だ。

 とても、とても美しい女。

 絶世の美女と言っても過言ではない。濡羽色の長い髪に同じ色の潤んだ瞳。まるで陶器のような滑らかな肌。

 とてつもなく美しいのに、その出立ちに妙な違和感を感じるのは口許にべったりと付着した血糊のせいだろうか。

 女はこちらを見て、それからゆっくりと腰を上げた。女の瞳にまず私が映って、ハンナ、それからリーレイが映る。リーレイを見て、女がまるで子供のような笑顔を見せた。

「アルフ!!」

 立ち上がり、リーレイに飛びついた。

「な、なんだ?!」

「アルフ!!わざわざ迎えに来てくれたの?迎えに来てくれなくても、これ、食べ終わったら私の方から赴こうと思ってたのに……」

 そう言って、リーレイの顔を覗き込んだ。女の大きな乳がムニムニとリーレイに押し付けられている。

「えっと……俺はアルフという人間じゃ……」

 リーレイは困惑しているようだった。

「アルフ、髪の毛染めたんだね。前の黒髪も素敵だったけど、今の金髪もとても素敵よ。……まあ、私は黒髪の方が好みだけど……」

 そこまで言って、女の瞳が鋭く変わった。

「うぐっ」とリーレイが突然苦しそうな声を上げる。背中を向けているのでこちらからは何が起こっているのかわからなかったが、目の前でリーレイが膝をついた。足許に血溜まりができる。

「あら、ごめんなさい。違ったみたい。似た魔力だったから、てっきりアルフかと思ったら飛んだ偽物だったわ」

 女の手からはポタポタと血が滴っていた。

「それにそこの子、少ないけどとても嫌な臭いがするわね」

 そう言って、私に向き直った。

 ハンナが「リーレイ!」と叫ぶ。叫んだが、ハンナは冷静に私と女の間に入った。

「聖女様に何のようだい?」

 心無しか声が震えていた。

「あら、その子なのね」

 ハンナがバッとこちらを振り向いた。

 さっきまでハンナの前に立っていたはずの女が気がついたら私の目の前へと移動していた。

 私は女に魅入られて一歩も動けない。女はマジマジと私の顔を至近距離で見つめた。

「ふうん、あなたが聖女。先代の聖女はもっと美しかったけど。何かの間違いでは?私醜いものは嫌いなの」

「おい!」とハンナが叫ぶ。

 女は平然とそれを無視した。まるでハンナが視界に入っていないとでも言うかのように私に向かう。

 私はどういうわけか一歩も動けなかった。本当は早く逃げた方がいいのだと思う。いや、逃げなければならないのだ。だって、あのリーレイが簡単に腹を裂かれてしまったのだ。

 ハンナがこちらへ向かおうとするのが見えた。

 女がハンナを一瞥した。

 すると、ハンナの華奢な身体が吹っ飛び、奥の壁へと激突する。ハンナはそそのままその場に倒れ込んだ。

 生きているのか死んでいるのかここからではわからない。

 リーレイもハンナも倒れてしまった。ここにいるのは私とこの女二人きり。

 ハンナを見て青ざめている私に女は微笑む。

「ふふふ、大丈夫。死んではいないた思うわ。さすがに幾ら下等種族とは言っても、いまドラゴンに出てこられたら流石に困るもの」

 ニコニコとした笑顔に背筋に冷たいものが走った。

 逃げなければ、と本能が叫んでいる。ガチガチと歯が鳴った。恐怖で動けないなんて、漫画の中だけの話だと思っていた。

 --でも。

 女はニコニコしながら続ける。

「まあブスでも美女でも、邪魔なことには変わらないなら殺しちゃうんだけど」

 そうですよねー。知ってた。

 こういうの、漫画で良くあるもん。漫画だと聖女である私が突然覚醒して事なきを得るのが基本パターンだけど、これは漫画じゃないし、これ、私完全に詰んだやつですね。

「どうしたの?怖いの?何か言ってごらんなさいよ」

 女が私の髪を鷲掴みにする。

 私はささやかな抵抗で女を睨みつけた。

「……顔は全然似てないけど、その憎たらしい瞳はそっくりね」

 そして、そのまま私を引きずり倒す。

「本当だったら私の兵隊たちに殺させようって思ったんだけど、どうやって逃げたのかしら。この程度の臭いで、そこまでの力があるのは思えないのだけど」

「あの、わ、私、聖女って言われてるだけの……一般人なので……」

 苦しい言い訳だ。

「あらそうなの。そうだとしたら、余計口を塞いでおかなきゃ」

 私を殺害するのはもう決定事項らしかった。

 うん、さっきも思ったけど私やっぱり死にたくない。

 どうすればさっきの光がだせるんだっけか。確か死にたくないって強く願えば--……。

 私は女を見て目をカッと見開いた。私を串刺しにしよう腕を振り上げていた女が一瞬ビクリと怯む。

 そうだ。私は絶対に死んだりなんかしないんだ。


 --私は、生きる………っ!!!


 カッ!!!!


 出た!と思った。辺りに光が満ちる。さっきと同じだ。きっとこれはこの女にも効くに違いない。さっきのあいつらよりも強そうだし、あいつらほどには効かないだろうけど、それでもゼロダメージなわけが……。

 光が落ち着いた。私の目が段々と元の明るさに慣れてくる。

「……なに?今の」

 女の声がした。明らかにケロリとした声。

 慣れた目に女が映る。女は特に変わりがないようだった。

「何よ。眩しいわね……」

 ……効かなかったか……。

「猫騙しなんて、全くこの後に及んで何を考えているのかしら」

 女が再び腕を振り上げる。敗北必至、絶体絶命。もうダメだ、と私がギュッと目を瞑ったときだった。

 優しく、柔らかな光が辺りに満ちた。

『ちょっと待って待って。この子殺されちゃったら私が困っちゃうんだってば』

 この声は……いつぞやの女神。

「お前は……」

 女の手が止まる。

『やだわ、ヤクルちゃん。私のこと忘れちゃったの?』

 女神が脳天気に腰をくねらせた。女はあからさまに嫌な顔をしている。

 この二人、どうやら知り合いらしかった。

「忘れるわけないでしょ……なんであんたがここにいるのよ……」

『まあ、いろいろあるのよ。とにかく、今この子を殺されちゃったら私が困るわけ。今回は手を引いてくれないかしら』

「いやよ。あんたが関わってるのなら余計に嫌。ああ、そうか。前もあの女からイヤーな臭いがすると思ったら、あんたの臭いだったよね」

『やだ、ちょっとやめてよ。私が臭いみたいに』

「実際うんこみたいな臭いするじゃない」

『そ、そんなことないわよ!私、いつもフローラルな香りを心掛けているもの!』

 仲良し……なのか?

 取り止めのない言い合いをしている二人に私は一人置いてけぼりにされている。

「あ、あの……」と一応声をかけてみたが、二人は私のことなんて完全に無視だ。

「あの……!!!」

 私は勇気を出して、大きな声を出した。

『あ"?』

 ひえっ。

 二人がはもってこちらを睨みつける。その迫力に私は思わず尻餅をついた。いつも脳天気そうな顔でヘラヘラ笑ってる女神の顔が、般若のようだった。

 私の青ざめて引き攣った顔を見て、女神がハッとした顔をする。

『そ、そうだったわ。別に貴女と喧嘩をしに来たわけじゃないのよ』

「だったら何しに出てきたのよ」

『さっきから言ってるでしょ?この子を守りにきたのよ。もし、それでも彼女を殺そうとするのなら私だって実力行使に出るわよ』

 女神が冷静な顔で言った。どこかドス黒い迫力がある。

『私も現界はしていないし、本気は出せない。でも貴女も召喚されたばっかりでまだ完全じゃないんじゃない?』

 ヤクルが言葉に詰まった。

 じっとりとした瞳で女神を見る。睨み合う二人。

 しばらくして、ヤクルがため息と共に私を見た。

「……わかったわよ」

 肩をすくめた。

「でも、今回だけよ。私はこうやって呼び出された以上、災厄の悪魔としての責務を果たさなければならないもの。それにはその女は邪魔なの」

『ええ、わかってるわ。次会う時まで、この子は鍛えておくつもり』

「ちっ、余計なことはしなくてもいいんだよ」

 そう言いながらヤクルはカツカツとヒールを響かせて、私たちに踵を返した。

 そして部屋の真ん中の祭壇へと登る。

 そして、くるりとこちらを振り向いた。

「あなた」

 と、そう呼びかけたのはおそらく私に対してだ。

「聖女、気に食わないわね。あなたは私の邪魔をする存在。今日のところはそこの馬鹿女に免じて、引いてあげるけど、次会った時は覚えてなさいよ」

 ブワッとヤクルの足元に黒い闇が広がった。その闇はヤクルを足許から徐々に飲み込んでいく。

「まあ、再び会うのはきっとそんなに遠い未来じゃないわね。その時まであなたがどこまで強くなってるか、楽しみにしていてあげるわ」

 そう言い切るか言い切らないかで、ヤクルの全身は完全に闇に飲み込まれて、そして残った無。

 私は恐る恐る女神を見た。女神もこちらを見ている。

『はあ、危なかったわね。無事で良かったわ』

「えっと……」

『とりあえず、なんとかなってよかったわ。あの馬鹿、たまに見境ないから』

 そう言いながら、倒れているリーレイに歩み寄る。

『……死んじゃあ、いないわね』

 そう言ってしゃがみ込んで、リーレイの穴の腹を人なで撫でた。ふわりと優しい光が広がる。

「何を……」

『まだリーレイちゃんにも死んでもらっちゃこまるからね、リセットしたの。まだ生きているのだったら私の力でリセットは可能だもの』

 柔らかい光は20秒ほど経って消えた。気を失っていたリーレイが「うっ」と小さなうめき声をあげ、軽く身を捩った。

『これで大丈夫よ。もうちょっとで目が覚める』

「あ、ありがとう……!」

『あら、やだお礼なんていらないわよ。まあ、でも多分私があなたの前にこうやって直接顔を出すのはこれで最後』

 そう言いながら私に近寄り触った。実体がないホログラムのような雰囲気で、触れられた部分がほのかに暖かかったが、感触はなかった。

 そして、私のおでこに優しくキスをする。

『これから、辛いことや苦しいこと、あとは本当に死にかけることもあるかもだけど、大丈夫よ。あなたは強い。だって、私が見込んだ女だもの』

 女神はそう笑って、消えていった。

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