七部 "見える"病

 昼の時間が過ぎ、日が傾き始めた頃、カザンとべリリアンは合流して、それぞれ集めた情報を出し合った。

 ランドラの商館を訪ねたあと、カザンは他の商館を訪ねたり、さり気なく裏取引を持ちかけてみたりしたが、どれも、これといった成果もなく終わってしまった。

 一方、べリリアンの方はと言えば、あの酔っ払いからは有意義な情報は得られるはずもなく、その後、商店を回ったりもしてみたが、特に異常は見られなかった。

「成果なし、か」

 落胆を滲ませた声で、べリリアンが呟いた。

 三ラモ(約三時間)ほど歩き回って、ほとんど進捗がないというのは、かなりこたえるだろう。歩き慣れていないべリリアンなどは、特に疲れた様子だった。アンとラングは、流石は武人、と言ったところで、疲れの色を、全く見せていなかった。

「何もなかった、というのも、立派な収穫だ、べリリアン。きっと、クワルマ地区では、闇取引や不正は行われていなかったんだろう」

「でもそれじゃあ、あの数字のズレはどう説明するんですか」

「そうだな。そこが問題だ」

 はあ……と、べリリアンがあからさまなため息を着いた時、アンとラングが、剣の柄に手を置いて構えた。

 驚くカザンとべリリアンに、落ち着くよう手で示して、周囲に聞こえないよう、小さい声で呟いた。

「誰かに聞かれています。殺気は感じませんが、念の為、あちらに悟られないように、自然に振る舞ってください」

 カザンとべリリアンは、緊張した面持ちで頷くと、ラングたちの後ろについて、場所を変えた。気配はずっと、遠くからこちらを追ってきている。人混みに紛れるために街に近づくと、足音が急激にこちらに迫ってきた。

「何者だ!」

 ラングが振り向きざまに剣を抜き放った、と同時に、アンが二人の背中を押し、走り出した。背後から、短い悲鳴が聞こえたあと、地面に重いものが落ちる音が聞こえた。

「す、すみません! 驚かせるつもりは無かったんです!」

 聞いたことのある声に、カザンは立ち止まり、振り返った。

「ニムナさん……?」

 腰が抜けて、地面に座り込んでいる青髪の女性は、先日、観星舎の案内をしてくれたニムナだった。

「どうしてニムナさんがここにいるんですか」

「か、カザンさん? いたんですね」

 ニムナは、尻についた土を払いながら、よろよろと立ち上がった。

「観星舎にいても、私みたいなのには仕事は回ってきませんので……。今日の朝早くに、カザンさんたちがお出かけする音が聞こえたので、ついていってみたんです。……ほら、私の今の仕事は、あなたたちを案内することなので」

「勝手に外に出て、大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。私なんて、いてもいなくても、たいして変わらないです。仕事なんて、ほとんど何もできないですからね」

 ニムナは気が抜けたように息を吐くと、また、へにゃへにゃと座り込んでしまった。

「観星舎にいてもすることがないので、あなたたちについて行ったんです。こっちに着いてすぐ、カザンさんとべリリアンさんが別れてしまったので、私あそこで待ってたんですよ。戻ってくるかな、って思って。

 そのあと、あなたたちが戻ってきた音がして、何かお話してたから、邪魔しちゃいけないな、って思って遠くから聞いてたんです。そしたら、人がいっぱいいる方に行っちゃうから……。

 私、目が見えなくて、代わりに耳が良いんですけど、人が沢山いると、どれが誰の音なのかわからなくなっちゃって。見失っちゃう、って思ったから急いできたんです」

 ニムナの話を聞いて、ラングはニムナに謝った。ニムナも、仕事ならば仕方がない、とそこまで気にしていないようだった。

「もう……一人、いらっしゃいますか?」

 ニムナは、確認するように、一言一言をゆっくり話した。アンは、自分のことだ、と気づくと、ニムナに近づいて挨拶をした。

「初めまして。護衛の、アン、と申します」

「アンさんですね。よろしくお願いします。アントン区の〈星読み〉の、ニムナ、です」

 そこまで言って、ニムナはあることに気付いた。各区〈星読み〉たちは、一年に一度、互いの区の観星舎を訪れ、話し合いを行う。その際につく護衛は、三、四人ほどの〈星読み〉に対して、せいぜい二人ほどで、〈星読み〉一人に対して護衛が一人つく、ということはなかった。

 つまり、カザンとべリリアンは、かなり位の高い〈星読み〉ということになる。

「もしかして……カザンさんとべリリアンさんって、中央レッサル区の〈星読み〉なんですか……?」

 カザンとべリリアンは、顔を見合わせた。今回の件では、東区の〈星読み〉たちも関係しているかもしれないことを考慮して、カザンたちがどこの〈星読み〉かを明かさずに、調査に来ていた。

 ニムナが、嘘を吐いている、という可能性もあった。目が見えない、という嘘を吐き、カザンたちの動向を調べる目的で寄越されたのかもしれない。現に、ニムナは、クワルマ地区までカザンたちを追いかけ、カザンたちのもとへ、迷いなく駆け寄ってきた。

 どう答えようか悩んでいると、ニムナが語気を強めて言った。

「もしそうでしたら、見ていただきたいものがあるんです! いいですか?」

 カザンたちが答える間もなく、ニムナは、近くにいたラングの手を引っ張った。

 ニムナが向かったのは、クワルマ地区の外れにある、廃墟と化した村だった。

 月明かりが、雨風に晒され、朽ちた家々に、こうこうと降り注いでいる。しっとりと気持ち悪い風が、首筋を撫でていった。虫の声すら聞こえない、気味の悪い夜だった。

 家々がこのようになっても、まだ人は住んでいるようで、どこからか、子供の甲高い声が聞こえていた。

「ここは、感染者たちの住む村です。そして、私の育った場所でもあります」

 ニムナの口調は、驚くほど淡々としていた。自分の生まれ故郷に対する愛着や、思い出などというものは、これっぽっちも無いような言い方だった。それどころか、声には怒りのような響きがこもっていた。

「タンノ王国は、ホメノス帝国やガルシアナ帝国ほどではありませんが、感染者に寛容な国です。ですが、感染者に対して、強い抵抗を感じている人がいるのも、事実です」

 治療法が何もわからない奇病〈腐蝕ガラン〉。感染したものは、徐々に衰弱していき、やがて死に至る。そして、感染者の死体は、急速に腐り落ちていく。その凄惨さと、不気味さから、〈腐蝕〉に感染したものは、遠ざけられ、差別されてきた。

 先代タンノ王の時代には、〈腐蝕〉に感染したものを受け容れる政策がなされ、感染者への差別の意識は弱まってきていたが、それでも、感染者に対する恐怖は、完全に払拭されたわけではなかった。

「ホメノス帝国は、感染者に寛容です。故に、このクワルマ地区には、ホメノスの感染者がやってくることもあります」

 ニムナは、一言一言、言い聞かせるように話し始めた。彼女の話は、今のタンノ王国の現実を、カザンたちに突き付けた。

 ホメノス帝国との交流が増えるにつれて、クワルマ地区を出入りする感染者も増えた。その結果、一部の人の、感染者への恐怖と、それに伴う差別は強くなり、感染者を外に追い出すようになった。

 この村もその一つで、感染者を徹底的に排除しようとしていたらしい。

「私が〈腐蝕〉に感染したのは、十五歳のときです。そのことが分かったのは、ある怪我が原因でした。炊事をしていたときに、包丁を落として、足に刺さったんです。七針縫う大怪我でした」

 ですが、二日後には、その傷口は完全に塞がっていました。それで、気付いたんです。私は、感染者なんだ、って」

 カザンたちは、ニムナの話を、黙って聞いていた。彼女の話は、カザンたちの心に重くのしかかった。

「隠すことはできませんでした。村の人たちは、私が感染者であることを知ると、あからさまに態度を変えました。

 外を歩けば石を投げられ、家にも入れてもらえず、窓から投げられた物を食べることしかできませんでした。

 そんなある日、母親が私に、煮え湯をかけたんです」

 ニムナが、焼け爛れた手を掲げた。アンは、耐えられなかったのか、ラングを連れて離れた場所に移動していた。

「その後です。私の目が見えなくなったのは。

 周りから見れば、私のこの手は、私をより不気味に見せていたんでしょうね。友人だった者たちは、私のこの手を見ると、石を投げるだけでなく、細丸太を使って私を殴ったんです。

 手に当たると、叫びたくなるくらい痛くて……。手を下げてしまったんです。そしたら……。

 皮肉にも、私はこの病気のおかげで、僅かにですけど、視力は回復したんですけどね」

 カザンもべリリアンも、何も言えなかった。何と言えばいいのか、かける言葉が見つからなかった。ただ後に残ったのは、深い後悔と、やり場のわからない怒りだった。

「カザンさん、べリリアンさん」

 ニムナは、二人の方を向いた。ニムナの目は、僅かに赤くなっていた。

「私は、感染者が笑顔でいられる世の中にしたい。そのために、〈星読み〉になりました。ですが、私には、現状を変えるほどの力がありません」

 ニムナの顔からは、いつもの明るさは消え去り、普段のニムナからは考えられないような、激しい表情をしていた。

「私には、もう、あなたたちしかいないんです。感染者のために、どうか、力を貸してください」

 夜の帳が下り、静けさは深まっていった。

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