六部 温かな春

 クワルマ地区は、ホメノス帝国との国境がすぐ近くにあり、ホメノス帝国からの輸入品のほとんどは、ここを中継している。タンノ王国の中で、ホメノス帝国との繋がりがもっとも強い地区だった。

 また、サンシン区は、ホメノス帝国から独立し、土地を与えられた、ティマ公国との国境に近い。

 タンノ王国の、アントン区クワルマ地区と北区は、それぞれ、ホメノス帝国とティマ公国と繋がりが強かった。また、クワルマ地区と北区、ホメノス帝国とティマ公国でも、それぞれ繋がりがあるため、この四つは複雑な関係を築いていた。

「べリリアンは、市場の方へ。俺は商館に行く」

「分かりました」

 カザンたちが、クワルマ地区に着いたのは、昼頃だった。クワルマ地区は、飯屋が多いため、昼には人の通りが活発になる。街を巡回する兵士たちも、いざこざに対応できるように、市場に集中する。

 この時間は、警備が手薄になるため、裏の取引を行いやすい。安全を考慮して、べリリアンには市場に行ってもらい、カザンは裏取引に関する情報を集めることにした。

「ラングさん。いざというときは頼みます」

「はい」

 カザンたちはまず、建材を扱っている商館を訪ねた。この商館は、クワルマ地区で最も大きい商館で、ホメノス帝国の商人が運営をしていた。

 ホメノス帝国の建築技術は卓越している。ホメノス帝国は短期間で、領土を何倍にも広げた。それに伴い、都市部では人口が増加し、大量の家屋が建てられた。

 そのようなことができたのは、釘などを使わずに、木材を組むだけで、頑丈な建物を建てる技術のおかげだった。

 この建築様式は、クワルマ地区を始めとした、北区の様々な場所で見ることができる。

「こんにちは。ランドラさんはいらっしゃいますか?」

 カザンは、門番をしている衛兵に尋ねた。門番は、常に二人一組で行うことになっており、門の中に作られた狭い部屋で寝泊まりをしていた。

「名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ホラ地区のサーナン=アントンです。今度、新しく商売を始める予定でして」

 衛兵は頷き、ラングをちらりと見た。

 ラングは丁寧に会釈をし、落ち着いた口調で挨拶をした。

「こんにちは。サーナンの従兄の、ルイン=アントンと申します。今度、新しく土地を買い取ったので、古い方をサーナンに譲ったのです」

 衛兵たちは怪訝そうな顔をした。それを見ると、カザンは、予め考えておいた言葉を口にした。

「前に使っていた館はあるんですが、そのままだと少々不便でして……。改築をお願いしたいんです」

 それを聞くと、衛兵は頷き、片方が門の向こう側へと姿を消した。程なくして、衛兵が戻ってくると、もう一人に耳打ちをして、二、三、言葉を交わすと、カザンたちを中に招き入れた。

 観星舎とは違い、人の移動できる場所は少なく、広間の中央には、建材を運ぶための貨車や、線路が敷いてあった。木の匂いの中に、僅かに、土のさらさらとした匂いが混じり、独特な空気をかもしていた。

 カザンとラングは、階段を上がりきったすぐ隣にある客室へと通された。部屋には、机と長椅子があるだけで、とても簡素だった。

 机の向こう側には、白い髪を短く切り揃え、きれいにまとめ上げた男が座っていた。

「ようこそ、お客様。私がここの責任者である、ランドラ=ハウハーゲンです」

 ランドラが、礼儀正しくお辞儀をして、手を差し出した。カザンもラングは、その手を握り、軽い自己紹介を済ませると、早速本題に入った。

「もう、話は聞いてるかもしれませんが、引き取った館を改築したくてですね……」

「はい。存じております。新しく商売を始められるそうで……。おめでとうございます。」

「いえいえ。ありがとうございます」

 会話を通して観察したランドラは、真面目で、人当たりが良く、脱税や不正をするようには見えなかった。有益な情報を聞き出せないまま、話は進み、問題である金の話になった。

「ちなみに、予算はいくらぐらいでお考えですか?」

「そうですね……四ドマン(タンノ王国のお金の単位)程で考えています」

「なるほど……」

 ランドラはしばらく考えたあと、指折り数を示しながら、説明を始めた。

「木の種類によって、値段が変わるんです。例えば、軽くて丈夫なメラック木材であれば、先程仰っていた大きさの建物であれば、大体、五から六ドマン。

 耐久性は少し落ちますが、ネンメ木材であればもう少し安くなって、四ドマンほどになります」

「なるほど……。その木材を実際に見ることはできますか?」

 ランドラは、笑顔で、もちろんです、と答えると、カザンたちを案内した。ランドラの説明によれば、建材は、ホメノスの建材商人から、必要に応じて買っているらし。また倉庫には、客に見せるための建材が、いくつかあるらしかった。

 本当は、建材の量から、支出を概算したかったのだが、仕方がない。実際にその量を見なくとも、いくら儲けているかの計算はできる。

「こちらが、メラック木材です。少々値が張りますが、品質が良く、見た目も良いため、客の多く入る店や、人の目に触れるような建物によく使われます」

「こちらは?」

「これは、サンマ木材というものです。最も一般的な木材でして、この館もこの木を使って建てられています」

「ほう。ちなみにこれはいくらぐらいになるんですか?」

「三ドマンほどですね。サーナン様の予算の範疇ですので、こちらもお勧めです」

 その後も、数種類の木材と、値段を聞いていき、大体の相場を把握したところで、カザンたちは引き上げることにした。

「ううむ。やはり、今すぐに決める、というのは難しいですね……。予算の方も、もう少し出せないか検討してみます」

「そうですか。それはどうも、ありがとうございます。門まで見送りましょう」

 カザンたちが外に出ると、人々はもう昼食を終え、街は活気を取り戻していた。

 商館を離れるとき、カザンはさり気なく踵を返し、ランドラたちに礼をする素振りをしながら、改めて商館を見た。

 ランドラとの話し合いで、カザンたちがランドラに伝えた商館の大きさは、東区では一般的な大きさのものであり、ランドラの商館はそれよりも一回り小さかった。その代わり、広大な敷地のほとんどを、木材を加工したり、運び出すための設備が占めていた。

 恐らく、そこら辺の商館より、費用は高かっただろう。だがしかし、それは加工場の設備のためで、建物そのものは、そこまで金がかかっていないはずだ。

 カザンは、愛想の良い笑みを浮かべて、お辞儀をした。

「ありがとうございました。また今度伺います」


 クワルマ地区の昼は、外の人通りが減り、驚くほど活気がないように見える。だが、飯屋や家から漏れる声で、街は相変わらずの活気を感じさせていた。

「アンさん、どこか行きたいお店はありますか?」

「そうですね……。あそこなんてどうですか?」

 アンが指さした先には、大きくはないが、人がたくさん入っていそうな飯屋があった。看板には、ホメノス語で「ラックの肉屋」と書かれており、良い匂いがここまで漂ってきていた。

「良いですね! 行きましょう!」

 店に入ると、人々の喧騒と、肉を焼く熱気がむんっと押し寄せてきた。店の中は、思っていたよりも広く、十ほどある席は満席で、繁盛していた。

「こんにちはぁ! 席、空いてますかぁ!」

 べリリアンが大声で呼びかけると、奥の厨房から男の人が顔を出し、口に手を当てて大声で返した。

「いらっしゃい! あいにく、今は満席なんだ! そこら辺の椅子を持って、相席してもらっても良いかい」

「分かりましたぁ!」

 べリリアンは返事をすると、椅子を持ってきたアンの手を取って、適当な席に座った。席には、中年の男が座っていた。昼間から酒を飲み、ベロベロに酔っ払っているその男は、べリリアンたちを見ると、更に上機嫌になって、べらべらと喋り始めた。

「こんなかわいい嬢ちゃんたちが来てくれるとはなぁ、さあほら、飲め飲め!」

「ダメですよ。私たち、まだ仕事があるので」

 べリリアンが断ると、男は残念そうな顔をした。

「なんだ……そうかい。そういえば、あんたら、初めて見る顔だな」

「ええ。私たち、さっきこの街に着いたばかりなんです。すっかりお腹が空いてしまっていたところ、美味しい匂いがするので来てみたら、こんなに素敵なお店があって、びっくりしました」

「おうおうそうだろう! この店は、タンノ王国一旨い肉が食える店だからな!」

 ガッハッハと豪快に笑ったあと、男は厨房の奥に声をかけた。

「おい! ラック! このお嬢さんたちに、一番良い肉を持ってきてやってくれ!」

「ええ?! そんなお金持ってきてないですよ!」

「なぁに言ってんだ、俺のおごりだよ」

「お前、毎日仕事サボって飲みに来てるくせに、奢る金なんてあんのかよ?」

 近くの席にいた、男の知り合いらしい人が、からかうように言った。途端、店の中は笑いに包まれた。

 この店にいる人はみな、優しくて、とても温かい。アンはずっと喋らなかったが、それは、人見知りをしていたからではなく、涙が出るのを堪えこらていたからだった。

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