五部 暴走する本能
バンは、テファンとタダンと合流したあと、先日見つけた痕跡の近くに来ていた。
見つけたのは足跡で、踏ん張ったような跡があった。足跡のあった場所は、傾斜が緩く、足場も不安定でなかったこなとから、カッサルはだいぶ消耗してるだろう、ということまで分かった。
「着実に、カッサルに近付いている。なんとしてでも見つけ出すぞ」
「バン」
タダンが訝しげに言った。
片腕を折られたテファンも、足の腱を斬られたタダンも、既に、怪我は完治し、まともに戦えるまでになっていた。
「本当に見つけられるんだろうな。もし、見つけられなかったら、容赦しねぇぞ」
そう言うタダンの目には、激しい怒りと焦りが浮かんでいた。タダンは、カッサルに恩がある。だから、このことについては、バン以上に真剣になっていた。
「ああ。分かっている。必ず見つける」
カッサルは、バンたち〈追跡者〉の長である、〈
〈追跡者〉という組織は、実力が全てだ。たとえ、〈幕〉の息子といえど、
「もし捜索が長引いて、〈幕〉に気付かれでもしたら、お前も俺も、もうこれ以上任務を続けられないんだぞ」
「お前の心配はいらない。全ての責任は俺が持つ」
「バン……!」
タダンが苛立たしげに言った。今にも爆発しそうなタダンを鎮めるように、テファンが口を開いた。
「タダン。ここで言い合っていても、何も解決しないだろ。焦る気持ちはわかる。それは、俺も、隊長も同じだ」
タダンは、黙り込んだ。テファンは、感情の機微にとても敏感だった。テファンを相手に感情的になったとしても、うまいように丸めこまれるのがオチだ。
「今やらなきゃいけないのは……」
「分かった、もういい」
タダンが、テファンの話を遮った。さっきまでの激しい感情は、小さな火種のように、まだ
「もういい。お前と話しても、時間の無駄だ」
口を開きかけたバンを
「……隊長」
「なんだ?」
「本当に大丈夫なんですか?」
テファンが、罰が悪そうに聞いた。
「ああ。問題ない。カッサルは、必ず見つける」
「いえ、そうではなく、タダンのことです」
テファンの言葉の意味が分からず、バンは一瞬、戸惑った表情をした。が、テファンの言いたいことをすぐに理解し、淡々と答えた。
「腕はたしかだ。俺たちの足を引っ張ることもないだろう」
「ですが……」
「大丈夫だ。やりたいようにやらせておけ。あいつが何かやらかしても、上で上手いことしてくれるだろう」
バンの感情に、揺らぎは感じられなかったが、テファンはどこか、バンの言葉に違和感を覚えた。しかし、その違和感の正体を突き止める前に、バンが次の言葉を紡いでいた。
「だから、心配はするな。さあ、俺たちも行くぞ」
「……はい」
昼になると、真上から差し込む陽の光が葉に遮られ、森は暗くなる。また、影も少なくなり、足跡などにも気付き辛くなる。そのため、バンたちは、日が昇り始めた朝早くに、森に来ていた。
タダンは、すでに、いくつかの痕跡を見つけており、捜索は順調に進んだ。昼になり、森が薄暗くなると、バンたちは一度足を止め、昼飯を食べた。だが、タダンはその間も、捜索を続けていた。
タダンとの差が開かないよう、バンとテファンも、ほとんど昼飯を食べずに、捜索を再開した。
「先程から足跡は、
ある地点で、野宿の跡を見つけてから、歩幅が小さくなり、足跡がはっきりと残るようになっていた。その足跡を辿っていて気付いたのは、足跡は少しの迷いもなく、とある方向――北区へ向かっていることだった。
北区は、ホメノス帝国との国境が近い。カッサルは、ホメノス帝国に戻ろうとしているのだろう、と考えた。
(だが、なんのために?)
今、優先すべきは、宰相から直々に任された任務の完遂だった。その任務を放棄して、国に逃げ帰ったとなれば、〈追跡者〉の
そうなれば、カッサルは見つかった、として、この捜索を終了するしかなくなる。
「急ごう。なんとしてでも、カッサルを見つけるぞ」
時間はもう、あまり残されていなかった。足跡の付き方や、野宿した跡を見るに、カッサルはほとんど休むこと無く、森を歩き続けているはずだ。もしかしたら、先に、カッサルの体が限界を迎えるかもしれない。
暗くなると、バンとテファンは、それぞれの〈魔術〉を使って捜索を続けた。タダンも、常に二人から見える位置で、痕跡を探すようにした。
テファンの眼に映る痕跡はまばらで、見つけた、と思っても、すぐに途切れてしまっていた。
「くそ。なんでこんなに進むのが遅いんだよ」
痺れを切らしたタダンが、怒りをあらわにして吐き捨てるように言った。
「おい、バン! 何をちんたらしてんだ、さっさとしろ!」
タダンが振り返ると、眉間を抑えてよろよろと座るバンの姿があった。
「バン?」
ぎょっとして、タダンとテファンが駆け寄った。タダンが、バンの脇に体を入れて、バンの体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。問題ない」
バンは、タダンに支えられ、ゆっくりと座り込んだ。バンが目を押さえているのを見て、タダンは聞いた。
「〈魔術〉を使ったのか。何を見た」
「あの時と同じだ。……カッサルが危ない」
✧
水の中を歩くように、足が重い。
耳の奥で、サーッと血の流れる音が聞こえる。体が冷たくなり、ふわふわとした奇妙な心地よさを感じていた。
(今度は、なんだ?)
今、カッサルの体の中では、激しい変化が起きていた。
カッサルが川から引き上げられてから、すぐに、それは起きた。彼の中の〈
〈魔素〉は、〈
だが、〈腐蝕〉に適応できた感染者だと、話は変わる。
ホメノス帝国の研究によれば、〈腐蝕〉に適応した感染者は、並の人間を遥かに上回る速度の自然治癒力と、免疫力を得ることが、判明していた。
しかし、カッサルには、それ以上の効果が現れた。まず、活性化した〈魔素〉は、止まってしまった心臓を動かし、呼吸を再開させた。
次の段階では、意識を失ったままのカッサルの体を乗っ取り、移動を始めた。カッサルの意識が回復したあとも、体の主導権は、カッサルの中に潜む〈魔素〉にあった。
そして今、彼の体の限界を感じた〈魔素〉は、次の段階へと変化を始めていた。
カッサルは姿勢を低くし、息を潜めた。途端に、景色が鮮明に見え始め、土の匂いが強くなった。
(ホクが〈魔術〉を使ってる時も、きっとこんな感じなんだろうな……)
そのようなことをぼんやり考えながら、体が勝手に動くのに身を任せていた。肌では感じることのできない空気の流れの中に、僅かに獣の匂いを感じ取り、体が反応した。
音を立てず、木々の間をすり抜け、どんどん進んでいく。藪を抜けた瞬間、自分の丈ほどある鹿が、目の前に現れた。
向こうが、こちらに気づいて逃げるより早く、カッサルは鹿の首に組み付き、思いっきりへし折った。とても、人のものとは思えない程の力だった。
首を折られたあともじたばたと暴れる鹿の頭を潰すと、カッサルは、解体もせずに、そのまま噛みついた。引き裂くように、皮を噛みちぎり、生温かい肉に
(……もっと、食べないと)
衝動に突き動かされるように、獲物を
やがて、カッサルの目に、ふわふわと浮かぶ淡い光が見えた。それは、ずっと先へと続いており、カッサルはそれに吸い寄せられるようにして、光を追っていった。
その時にはもう、カッサルにはどうしようもないほど、〈魔素〉は完全に、カッサルの体を乗っ取り、動かしていた。意識さえも朦朧とし始め、自分が何をしているのか、何を考えているのかさえ、分からなくなり始めていた。
最後にカッサルが見たのは、恐怖に顔を引き攣らせた、男の顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます