三部 夜明けの星

 日が傾き、足元も定かではなくなってきている。べリリアンは、転ばないよう足元に気をつけながら進んでいった。

「べリリアン。食べられる野草の種類は分かるか?」

「はい。毒があるかどうかは見分けられます。それに、野草の本も持ってきてますので」

 カザンは頷くと、矢を番えた。

「あまり野営地から離れないようにしろよ」

「はい」

 カザンは足音を立てないよう、足を真上から下ろすようにして歩いた。カザンが〈星読み〉になる前は、スルナと一緒に近くの山に行って遊んだものだ。その時に、スルナから色んな事を教えてもらった。音の出ない歩き方、弓の扱い、獲物の捌き方……。

 もう何年も前のことになるが、昨日の事のように思い出せる。

 スルナの父は厳格な人間で、まだ幼いスルナとの稽古でも容赦なかった。カザンがスルナに初めて会ったのは、今から十三年前。カザンが九歳の時だった。その時のスルナはまだ五歳ほどだった。

 どのような理由で、カザンらの住む村に来たのかは教えてくれなかった。周りの大人も、そのことには触れようとしなかったので、聞かないほうが良いものなのだろうと思っていた。実際、スルナの父は、他の大人とは違う雰囲気をまとっていて、近寄りがたい空気があった。

 スルナらが他の人とは違う、と明確に思うようになったのは、それから数日経った時だった。

 ある時、スルナとスルナの父が、朝早く家を出ると、夕暮れ時まで戻ってこなかった。ようやく戻ってきた、と思えば、スルナは泥だらけで、膝や手には擦り傷がたくさんあった。

 びっくりして、何をしていたのか聞いてみたが、スルナは、言わない、と首を横に振るばかりだった。次の日も、その次の日も、スルナは同じように泥だらけで帰ってきた。時には、次の日の朝になっても戻ってこないことすらあった。

 そんな日々が二年ほど続いたあと、稽古はより厳しいものになった。ある時、スルナが血塗れで帰ってきたのだ。立っているのもやっとのようで、ふらふらとした足取りで表口に立っているのを見たときは、思わず叫んでしまった。その後も、肩を脱臼したり、骨を折ったりと、いろんな怪我をしてきた。その度に、カザンはスルナの面倒を見ていた。

 カザンは平凡な農家の生まれであったが、母が薬草師だったので、薬草に関する知識は人一倍あった。彼は、毎日傷だらけで帰って来るスルナに、薬を煎じてあげていたので、ますます薬草に詳しくなっていった。

 スルナという存在と、彼の勤勉な性格のおかげで、彼は、〈星読み〉のおさにまで昇り詰めることができたのだろう。

 落ち葉の割れる音で、カザンは我に返った。目線の先、木と木の間に、僅かに動く黒い影が見えた。

 カザンはそっと弓を構え、引き絞った。風が耳元を通り過ぎる。自分の息の音が聞こえるほど静かだった。

 耳元で弓弦ゆんづるの音が鳴る。トスッ、という音が微かに聞こえ、カザンは立ち上がった。


 気づいたら、手元も定かに見えないほど暗くなっていた。べリリアンは、行灯あんどんに火をともした。

「うーん……これは、食べても大丈夫なやつなのかな」

 目の前の野草と、本を交互に見ながら、べリリアンはつぶやいた。毒があるかどうかを見分けられる、とは言ったが、正直、なんとなく分かるというだけで、そこまで自信があるわけではなかった。

「『葉の裏が白いなら、毒が――』。……うーん。ま、いいや、入れちゃえ」

 べリリアンは途中でめんどくさくなって、近くにある見たことのある野草を、片っ端から籠に入れていった。

 場所を移ろうとしたとき、べリリアンの目にあるものが写った。それは、背が低く、葉の大きい植物で、みずみずしい緑色をしていた。周りを見回してみると、同じような草が群生していたが、そのほとんどに、食べられた跡があった。

「お、これ美味しそう」

 幸いにも、すこし離れたところに生えてるものには、食べられた跡がなかったので、べリリアンはそこから、できるだけ多く摘んで、籠に入れた。

「よし。これくらいでいいかな」

 ある程度の摘み終えると、べリリアンは籠を背負い直して、来た道を戻っていった。

 野営地にはすでにカザンの姿があった。

「もう帰ってきてたんですね」

 カザンの手元には、皮を剥がれて、部位ごとに切り分けられた動物の肉があった。その他にも、護衛の人たちが取ってきたのか、焚き火のそばに魚が刺さっており、香ばしい匂いを放っていた。が、その二人の姿は見当たらなかった。

「ああ。そっちはどうだい?」

「たくさん採れましたよ。見てください。これとかすごく美味しそうです」

 べリリアンは籠を置き、中を見せた。籠の中には、きのこや山菜が入っていた。

「私の荷物の中に、小さい鍋が入ってるので、カザンさんが取ってきたお肉と一緒に炒めましょう」

 べリリアンは自分の荷物を漁ると、手持ち鍋を引っ張り出してきた。

「それ全部入れるのか?」

「……なんですか。お腹が空いてるんだから仕方ないでしょう」

「違うよ。そうじゃなくて、あの二人にも分けてあげようかな、って思ってさ」

 あっ、と呟いたべリリアンは、顔を赤くして伏せてしまった。神童、と呼ばれたカザンに並ぶ〈星読み〉であっても、実際にはただの、年頃の少女である。食い意地を張ってる、と思われたのかと考えると、恥ずかしかった。

「そ、そうですね。分けてあげないとですよね」

 べリリアンは、自分たちの分の山菜を鍋に移した。残りを二人のところに届けるためにと立ち上がろうとした時、山菜の中に食べられないものが混じってることに気づいた。

「あっ、これ、食べられないやつだ。カザンさん、そっちの鍋にも同じものが入ってるので、抜いといてもらっても良いですか?」

「いいよ」

 カザンから、護衛の二人がいる場所を教えてもらうと、べリリアンは籠を抱えて二人のところへ向かった。

 カザンといた野営地からは、火の明かりや、話している音は全く聞こえなかったが、護衛の二人がいる場所はすぐに見つけることができた。

「こんばんは。これ、どうぞ」

「ああ。わざわざありがとございます」

 二人が熾した焚き火は、カザンが熾したものとは違い、ほとんど煙が出ていなかった。

「お二人はここら辺の出身なんですか?」

 べリリアンは焚き火のそばに座った。二人は少し居辛そうにしていたが、快く話してくれた。

「はい。私たち二人とも、アントン区の出身なんです」

 そう笑顔で答えた女は、アンという名前らしい。男の方は、ラングというらしく、お互い、親しげに名前を呼び合っていた。

「お二人は、付き合いが長いんですか?」

「ええ、まあ。物心付いたときから隣にいましたから」

 困惑した様子で、ラングが答えた。〈星読み〉は本来、彼らのような身分の人が話せる相手ではない。人を傷つけ、血で汚された身では、政治を行うことが許されない。

 王宮の武人たちは、為政者に代わって、その汚れを一身に背負う者たちであった。故に、為政者たちと話すことはおろか、近づかれることさえ嫌がる人も、中にはいた。

「そうなんですね。私にはそのような関係の人がいないので、羨ましいです」

 べリリアンがそう言うと、二人は照れくさそうに顔を見合わせた。

「お二人が王宮に来たのはいつ頃なんですか?」

「十年ほど前です。私が、王宮仕えの兵士になるために中央レッサル区に行くと言った時、周りの反対を押し切って、アンが来てくれたんです」

 べリリアンが瞳を輝かせてアンを見た。その目は、友達と恋の話をする、普通の少女のようだった。

「まあ……もちろん、当時は、彼も私も、お金なんて持っていなかったので生活は苦しかったですが、でも、あの時、彼に付いていくと決めたことは後悔していません」

 ラングを見るアンの目は、力強く、頼もしかった。彼らは、とても深い信頼で結ばれている。

 べリリアンは、生まれてから一度も、恋というものをしたことがなかった。興味がなかったわけではなく、男と会う機会が無かったからだ。彼女は、地方のとある貴族の出身で、年の離れた弟とともに、溺愛されて育った。そこにいたときには、ほとんど屋敷から出ることはなかったし、〈星読み〉になってからも、友達、と呼べるような人とは出会えなかった。

 だから彼女は、他人との交流をとても楽しみにしていた。

「素敵です。私、二人のこと、応援してます!」

 きらきらした目でいうべリリアンに驚きながらも、アンというラングは、素直に感謝の気持ちを表してくれた。その後も三人は、他愛もない会話を続けた。しばらくして、べリリアンが思い出したように立ち上がった。

「すみません、長居しすぎてしまいました。私はそろそろ戻りますね」

「はい。ありがとございました、私どもなんかとお話していただいて」

「いえいえ、私の方こそ、すっごく楽しかったです。あの――」

 べリリアンは籠の中の山菜を指さして言った。

「私の採ってきた山菜、栄養いっぱいできっとおいしいので、是非食べて下さい!」

「ありがとございます」

 アンとラングは、笑顔で返事をした。二人とも、始めの頃の、緊張した堅苦しい表情は消えて、自然な笑顔になっていた。

「では、おやすみなさい。お身体に気をつけて」

 べリリアンはほくほくした気持ちで歩いていた。涼しい風がそっと肌を撫で、鈴虫の無く音が耳をくすぐる。どこからともなく、肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。べリリアンは、とても良い気分だった。

「もうお料理できてるのかな」

 カザンのもとに戻ると、カザンは夕飯を食べているところだった。

「おかえり。あの二人は、どうだった?」

「すごく、良い人たちでしたね。朝会った時は、無愛想な人たちだな、って思ってたんですけど」

「そうだね。良い人たちだよ」

 カザンは、飯の乗った油紙を地面に置き、べリリアンの分の飯をよそった。小鍋には、こんがり焼けた兎肉と一緒に、べリリアンが採ってきた山菜も入っており、とても美味しそうだった。

「ありがとございます。私の採ってきた山菜、どうですか?」

 べリリアンが聞くと、カザンはなんとも言えない顔をした。カザンは普段、べリリアンに対しては、気遣いというものがない。故に、べリリアンに、こんなにも申し訳なさそうな顔をするということは、採ってきた山菜はよほど不味かったのだろう。

「あの……もしかして不味かったですか?」

「いや、そんなことないよ。まあ、食べてみなって」

 べリリアンは怪訝な顔をしながら、おそるおそる、料理を口に運んだ。

 肉を一口噛むと、香りの良い肉汁がじゅわっと広がった。山菜の苦みと、肉の旨みが絶妙に合わさり、とても美味しかった。特に、あの大きい葉の山菜は甘みが強く、肉汁の旨みを引き立てていた。

「すごく美味しいじゃないですか」

「……ほんと? べリリアンが見せてくれたあの葉っぱは?」

「食べましたよ。甘みがあって美味しいです」

 カザンは、あり得ないものを見るような目で、べリリアンを見た。

「あぁ……そうか。後で医者に診てもらえ」

「どうしてですか! カザンさんは、これ、嫌いですか?」

 カザンは、うん、と頷いた。

「というか、ありえないほど苦い」

「苦い……?」

 べリリアンは首を傾げた。

 今までもこういうことはあった。宿舎のご飯の味が、二人で違く感じたり、感じる匂いに違いがあることが、何度かあったが、それはどれも些細なもので、大して気にもならないようなものだった。

 しかし、今回のように、全く違う味を感じる、というのは初めてのことだった。だが二人は、そこまで気にせずに、話を進めてしまった。

「じゃあ、カザンさんのほうのは、私が貰いますね」

「いや、いいよ。ちゃんと食べるから」

「結構です。残されても嫌なので」

 べリリアンが身を乗り出して、カザンの皿から、葉だねを取り除いて、自分の皿に移した。

 時間はゆっくりと過ぎ、焚き火が弱くなる頃に、二人は寝る準備を始めた。火を消して、寝具を引く。カザンは頭の下に油紙を敷き、そのまま寝転がった。

 天を見上げれば、木々の間から、綺麗な星空が見えた。カザンの真上、一番明るい星と、二番目に明るい星があった。それを中心に星たちを結ぶと、夜明け、を表す星座ができ上がる。

 感染者を、この国の民として、政治に参加させる。

 カザンの歩む道は、果てしなく長く続く、先の見えない茨の道だった。

(良い夜だな。星がこんなにもきれいに見える)

 それでも、カザンの目には、強い光が映っていた。

(急いでいては、見えてるものも見えなくなる。今は、必要なのは、時間だ。人々の間にある溝を埋めるには、長い時間が必要だ)

 カザンは目を瞑った。

 星の光が優しく降る森で、とある〈星読み〉は、星を夢見た。

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