二部 それぞれの道

 燭台の蠟燭が、ジジッと音を立てた。芯に塗り込まれた香料が燃えて、ユランの花の香りがほんのり香った。

 中央レッサル区の夜は冷える。海から吹く風が山にぶつかって上昇気流となり、雲を押し退けるためだ。そのため、王宮の壁は厚く、窓も小さい。王宮に長くいると、閉塞感で息が詰まることがある。

 だが、狭くて広いこの場所こそが、シライにとって唯一、心が休まる場所だった。

 タンノ王が崩御されてから、宮廷内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。次の王座を巡る派閥争いや、周辺国への対応など、様々な問題を抱えていた。

 王のいない今、一時的とはいえ国の長として、シライはそれらの問題を対処しなければならなかった。

(まったく、面倒な仕事を残してくれたな……)

 近頃、城内で赤い髪のガルシアナ人と、複数のホメノス人を見た、という報告が入ってきた。この二つの国はどちらも、大陸で最も強大な国だ。そんな者たちが城内にいる、というのは心地の良い話ではないだろう。

 そこで、シライは、城内に私兵たちを送り、様子を見させていた。そして数日前、赤い髪のガルシアナ人が、緑の髪のタンノ人と一緒にいるのを見た、という報告があがった。

 事は順調に進んでいる。

 シライは大きく息を吸い、ユランの花の香りを楽しんだ。

 ユランの花は、白く大きな花びらを持っている。夏になるとやってくる渡り鳥に形が似ていることから、帰郷、旅発ち、といった花言葉を持っていた。シライは、故郷に咲くこの花が好きだった。

 「入れ」

 扉を叩く音が聞こえ、シライは声をかけた。戸をゆっくりと二回叩く、シライとその部下にだけ伝わる合図だった。

「シライ様、街に潜伏してる兵士たちより言伝ことづてです」

「話してみろ」

「例の場所で見張りをしていた兵士たちが、襲撃されました」

「何者だ」

「緑の髪のタンノ人だった、と申しております」

 シライは紙の束から顔を上げた。

 想定してたよりも、ずっと早く見つかった。緑の髪のタンノ人――スルナという人物と、例のガルシアナ人にどのような繋がりがあるかは分からないが、国をおびやかす可能性がある以上、無視はできない。

「捕らえて、連れてこい。ガルシアナ人と行動を共にしていた場合、多少手荒な真似をして構わない。よいな?」

「はっ」

 部下が部屋を去ると、シライは背もたれに深くもたれかかり、天井を仰いだ。万全とは程遠いが、それでも、心配事が一つ減り、少しは気が楽になった気がした。

 タンノ王が病死し、正統な世継ぎもいない今、この国は己を守る武器を完全に失った状態にある。今回の〈迎王祭〉で、参列する各国を納得させられなければ、この国の信頼は、完全に地に落ちる。

 〈迎王祭〉を完璧なものにするために、どんなに小さな不安の種も摘み取っておきたかった。

 先々代タンノ王の側近として、誰よりもこの国のことを考え、この国に尽くしてきた。シライは、それに責任のようなものを感じていた。

 何があっても、自分だけは折れてはいけない。だがそれも、歳と共にしんどくなってきた。

(そろそろ、身の引き際か……。時の流れというのは残酷だな。私にはまだ、やるべきことが山ほどあるというのに)

 だが、シライにはどうしてもしなければならないことがあった。

(後のことは、あの若者に任せよう。立場こそ違うが、この国の未来を見据えるものとして、彼が必要だ)

 シライにとって、信念を貫き通せること、堅い意志を持っていることは、彼の後継者を選ぶにあたって最も重要なことだった。そしてもう一つ、彼の信念を、先代タンノ王の意志を継ぐために、必要なことがあった。

(カザン、彼は、非感染者として国を導かねばならぬ)



 〈星読み〉たちの朝は早い。彼らの主な仕事は、星を見て国を導くことだ。だが、星を読むだけでなく、国民たちの声を聞くのもまた、〈星読み〉の仕事だった。

「べリリアン、あと半ラモ(約三十分)ほどしたら出発するぞ」

「はい、分かりました。あの……それ。それで全部ですか?」

 べリリアンがおずおずと尋ねた。目線の先には、必要な書類のみを鞄に詰めたカザンがいた。

「何か問題があるか? お前こそ、そんなに沢山荷物を持って、大変じゃないか?」

「こ、これくらいしないと危ないじゃないですか!」

 何が入ってるのかとカザンが聞くと、べリリアンは荷を解き、中の物を一つひとつ見せて言った。

「革水筒に、火打ち石に……」

 小さな鞄からは、野宿に最低限必要なものが出てきた。やがて、べリリアンは大きな鞄をごそごそと漁り始めた。

 べリリアンは非常に優秀な〈星読み〉だが、心配性な一面がある。その性格のせいで、損をしていると思うことが多々あった。この国に必要なのは、不安定な道を進む思い切りの良さだ。

「それから、ご飯を美味しくするための調味料です。見て下さい! ティマ公国から取り寄せた胡椒ですよ! あそこの物は何でも美味しいんですよね。

 それと、地面に直接寝るのは嫌なので、ござと寝袋です」

 カザンは、はあ、とため息をついた。こいつは野宿の良さを何も分かってない。

「あのな、野宿ってのは、地面にそのまま寝そべるのが醍醐味なんだよ」

「嫌ですよ! 変な虫とか、いっぱいいそうじゃないですか!」

「虫の研究を始める良い機会だろ」

 べリリアンは諦めたのか、それ以上何も言い返さなかったが、何か言いたげな目でカザンを睨んでいた。こうなると、べリリアンは面倒くさい。以前、仕事するのに香水なんて必要ない、と言った時も、二日は口を聞いてくれなかった。

 そんな様子のべリリアンを見て、カザンはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「ところで、べリリアン。出発まであと半ラモもないけど、荷造りは大丈夫そう?」

「え……?」

 長机の上には、べリリアンの荷物が綺麗に並べられていた。カザンがちらりと見ると、べリリアンの肩がぷるぷると小刻みに震えていた。カザンは音を立てないように、そっと部屋を出た。

「こんの……! カザンさん!」

 カザンがいたほうを勢いよく振り返ると、そこにはもうカザンの姿はなかった。べリリアンは半開きになった扉に駆け寄り、外にも誰もいないのを見ると、大声で叫んだ。

「……あんの野郎、どこだぁ!」

 べリリアンは、あっという間に荷物を鞄に詰め直すと、カザンを見つけに、部屋から飛び出していった。しばらくして、べリリアンは、〈星読み〉の宿舎の裏門で、カザンを見つけた。カザンの後ろには二人の武人が立っており、一人は女だった。

「いた! カザンさん」

「遅いぞ、べリリアン。荷物はもう積んである、そろそろとう」

 裏門には、カザンと二人の護衛の他に、白い馬も一頭いた。がっしりとした肉付きの良い馬で、荷を運ぶための馬のようだった。

「いつの間に運んだんですか?」

「お前が宮中を走り回ってる間に全部運び終えたぞ」

「なっ……! あれはカザンさんが――」

 言い返そうとするべリリアンを手で制し、カザンは後ろに立っている武人たちに向き直った。

「じゃ、お願い」

 軽く頭を下げると、護衛たちは門をくぐって先に行ってしまった。

「さ、俺たちも行くぞ」

 カザンが手を差し出したが、べリリアンはそれを払ってずかずかと歩いていった。

「結構です。一人で歩けます」

 ムスッとした顔のべリリアンについて、カザンも手綱を優しく引いて歩き出した。

 カザンが借りてきた馬は、大人しく、言うことをちゃんと聞く馬だった。良い子だな、と首を撫でてあげると、嬉しそうに尻尾を振っていた。

「そういえば、護衛は幼馴染の方に依頼しなかったんですね」

 都を出てしばらくしたころ、べリリアンがようやく口を開いた。裏門を出たときから一度も、護衛の姿は見ていない。あの二人は、〈星読み〉たち専属の兵士たちで、その中でも、カザンやべリリアンといった位の高い〈星読み〉たちを護衛する精鋭だった。

ふみを送ったけど、返事がなかった。きっと忙しいんだろ」

「そうですか。残念です……。会ってみたかったのになぁ」

「街に降りれば、会えるかもしれないぞ」

「そんなの何ヶ月後になるんですか」

 〈星読み〉たちの仕事は、星の動きを見るだけではない。時には、街の人たちの声を直接聞くことだってあった。それは、〈星読み〉を創設した先代タンノ王の、天と地、国と国民の二つを上手く支配することが、善い政治である、という考えがもとになっていた。

 しかし最近は、先代タンノ王が崩御したために、次の国王を巡る権力争い、〈迎王祭〉の準備、とやらなければならないことが重なり、ほとんど街に行けてなかった。

「俺だって、少しは休みたいさ。だからこそ、なるべく早く、仕事を終わらせよう」

「じゃあなんで、歩いて行こう、なんて言ったんですか」

 アントン区に行く許可を貰ったあと、シライが、馬車を貸すことを提案してくれていた。しかし、カザンは馬車を使わずに、歩いてアントン区まで行く、とその提案を断わったのだ。

「大変だからこそ、こういった息抜きは大事なんだよ。書物ばかりの部屋に籠もりっきりじゃ、気分も優れないだろ」

「山を歩くのだって、疲れるし、心も休まりません」

「そうか? じゃあ、今回の旅で、少しはその考えが払拭できるように、俺も頑張らないとな」

 カザンたちは日が沈み始めるより前に、野宿の場所を決めた。荷馬を近くの木に留め、荷物をおろしてやった。カザンが、道中で拾ってきたたきぎを使い、慣れた手つきで火をおこしたところで、護衛の二人がどこからともなく現れた。

「お疲れ様。今日はここで野宿をしよう」

 カザンはそう言うと、護衛の一人から短弓と短刀を受け取った。

「さ、べリリアン。狩りに行くぞ」

「はいっ?! 狩りですか?!」

「そうだ。ほら」

 カザンがべリリアンの腕を引っ張って連れて行こうとするも、べリリアンは必死に抵抗した。

「無理ですよ! 私、生き物を殺すなんてできないです!」

「野草を採るだけでも良いから、ほら」

 べリリアンは、それなら、としぶしぶ立ち上がり、カザンのあとをゆっくり付いて行った。

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