〜三章〜 北へ

一部 傭兵と雇い主

 「で、連れてきたのか?」

「……はい」

 机に向かっていたサギが、呆れたように言った。片膝立ちになり頭を下げるコルーサの後ろで、スルナが興味津々といった様子で部屋をきょろきょろと見回していた。

「我々とホメノス帝国に板挟みにされている彼女を守るには、少なくとも我々の敵ではない、という状況を作るのが最善と判断致しました」

「ふむ」

 サギはスルナをちらりと見た。その視線に気づいたスルナがひらひらと手を振ったのを見て、サギはため息をついた。

「また会ったね。嬉しいよ」

 スルナが落ち着いた声で言った。

「私もだ。ちゃんと礼を言えてなかったから」

 サギが胸に手を当て、感謝の意を表した。

「私はサギ、という。あの時、あなたがいなければ助からなかった。心から感謝します」

 サギからの言葉を受け取りつつも、スルナはやや強引に話を始めた。

「そんなものよりも今は、説明がほしいな。君たちの目的は何?」

 サギは慎重に言葉を選びながら答えた。必要以上の事を知ってしまったり、知らない方が良いことをスルナが知ってしまった場合、サギたちはスルナを敵に回さなければならなくなる。

 サギはそれだけは避けたかった。

「私たちの目的は、〈迎王祭げいおうさい〉です」

 〈迎王祭〉と聞き、スルナの口がピクリと動いた。

 タンノ王国にとって、〈迎王祭〉は特別な意味を持つ。特に、今回の〈迎王祭〉が壊されるようなことがあれば、タンノ王国は後ろ盾を完全に失うことになりかねない。

「〈迎王祭〉では、武力行使の禁止、は暗黙の了解になっている。それどころか、武装することさえ許されない。その意味は外国人の君たちにも……というより、君たちのほうがよく分かってるでしょう?」

 〈迎王祭〉において各国は、タンノ国王の名の下に式典に参列し、タンノ王国の友好国、ひいては周辺国家全体の友好国として、今後も〈迎王祭〉に参加することを確認しあう。そのような場で、参列しない、あるいは武力行使をするということは、我が国はあなた方全員を敵に回します、と宣言するようなものだ。

 周辺国の貿易の中継地点として、人とモノと情報が行き交う場所として、旨みのあるタンノ王国を守るために、〈迎王祭〉が開かれてきた。

「もちろんだ。だからこそ、私たちはこうして動いているのだ」

「……ホメノスか。向こうは何をしようとしてるの?」

「これ以上は、私たちの問題だ。あなたは首を突っ込むべきではない」

 スルナは、はあ、とため息を吐いた。

 この人たちにはまだ、スルナに隠しておきたいことがある。本当にスルナの身を案じているのか、はたまた、何か理由があってスルナには教えないのか。どちらにせよ、スルナにはそれが腹立たしかった。

「私は、ホメノスの人たちを襲い、傷を負わせた。その上、君たちガルシアナの人間に目をつけられ、尾行までされた。ここまできて、何も知らなくて良い、は無しだよ」

 スルナの瞳は、決意を湛えていた。

 いつのまにか日は沈み、部屋は薄青くなり始めている。雨も弱まり、ぽつ……ぽつと雫が滴っていた。

「そうか……。ではまず、謝罪をさせてほしい。一般市民であるあなたを、我々の問題に巻き込む形になってしまい、誠に申し訳ない」

「過ぎたことはいいよ。今更どうしようもないからね」

「分かっている。スルナさんの安全は、我々が保証しよう」

 サギが言うと、スルナが怪訝そうな顔をした。

 少なくとも、スルナが見てきた状況だけで言えば、この人たちにそれは無理だろう。

「どうやって?」

 スルナは、淡々とした口調で続けた。その目はまっすぐとサギを見つめ、真っ向から立ち向かってくるような威圧感があった。

「サギさんはホメノスの奴らに敗れた。そして、あいつらの仲間は街の中に潜んでいる。

 コルーサさんが来る前に相手した奴ら、あそこに住んでる人たちじゃなかったよ。服も綺麗だったし、私を捕らえるんじゃなくて、追い返そうとしてた。きっと雇われたんだと思う」

 場に重々しい空気が流れた。分かってはいた事だが、今のこの状況は、サギたちにとって非常に危険な状態である。既にホメノスの手はタンノ王国の懐深くまで潜り込み、いつ、その薄皮を食い破って出てくるか分からない。

「こんなにまでなっているのに、君たちはどうやって私を守るの?」

 窓を打つ雨の音だけが部屋に満ちた時、それまで身動みじろぎもしなかったコルーサが、低いがよく響く声で言った。

「その点につきましては、私に考えがあります」

 コルーサは、この場の誰よりも、武人としての経験が深い。ガルシアナ帝国が領土拡大に踏み切った頃の、内紛が絶えなかった時代に、下を率いる立場にいた人物だ。

 激動の時代を乗り越えた彼の勘と判断には、全幅の信頼を置いていた。

「話してみろ」

「はい。我々にはやらなければならないことがあります。故に、スルナ様の仰るとおり、スルナ様の安全に気を配るほどの余裕はありません」

 サギとスルナは、眉一つ動かさず話を聞いていた。

「ですので、我々がスルナ様を雇うというのはどうでしょうか」

「ほう」

 スルナは片眉を上げて面白そうな反応をしたのに対し、サギは腕を組み、思案していた。

「我々には、使命があります。ですが、スルナ様の身の危険を案じて後手に回れば回るほど、我々の状況は厳しくなるばかりです。であれば、スルナ様と行動を共にすれば、こちらにとっても好都合ではありませんか? スルナ様の実力であれば、足手まといにはならないでしょう」

 スルナが覗き込むようにしてサギを見た。スルナはこの提案に賛成らしい。

 そこまで考えて、ふと、サギは、このスルナという少女が分からなくなった。

 女でありながら武術に秀で、感染者でありながら人々から慕われている。堅実に物事を考えているのかと思えば、この突拍子のない提案を受け入れたりする。何を考えているのか、何をしようとしているのか、底の見えない人だと思った。

 コルーサが言ったように、サギたちにはやらなければならないことがある。スルナが協力してくれるなら、これほど心強いことはない。

「スルナさんは、それで良いですか?」

 念のため確認をすると、スルナは答えた。

「もちろん。ただ、その仕事が終わったあとも、私の命があることが条件だけどね」

「ご安心ください、スルナ様」

 これには、コルーサが答えた。

「一流の傭兵というのは、何も深入りせずに仕事を忠実にこなすものであり、雇い主というのは、部外者に多くは語らないものでございます」

 コルーサの言葉に、スルナは笑みを浮かべた。この老人は、こういった事態には慣れているらしい。

「そうだね。その通りだ」

「では、一流の傭兵であるスルナに、仕事を依頼しよう」

「高くつくよ?」

「ああ。期待しておけ」

  そのあとは、順調に話し合いが進んだ。ホメノス帝国の目的を話した時、スルナが明らかに動揺した様子を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻し、全力を尽くすことを誓った。他にも、サギたちの次の目的地や、どこを通ってそこへ行くかなど、〈なんでも屋〉として各地を巡っていたスルナの知識は、とても役に立った。

「では、コルーサはこのまま〈星読み〉たちからの連絡を待っててくれ。スルナと俺は、サンシン区に向かう」

「〈星読み〉?」

「ああそうだ。何かあったか?」

「いや……別に」

 〈星読み〉と聞いた瞬間、スルナの顔が少し強張ったような気がした。〈星読み〉は、この国を支える柱のような存在だ。数週間前に崩御されたタンノ王により創設され、感染者の保護を行ってきた。そのおかげで、タンノ王国における感染者の扱いは、他の国ほど酷いものではない。

 〈星読み〉の立場が危うくなれば、感染者であるスルナの立場も危うくなる。スルナはそれを恐れたのだろう。

「安心しろ。〈星読み〉はこの件とは無関係だ。また、初めの面会以降は、特別な手段を使って連絡をとりあっている。〈星読み〉に危害が及ぶことはない」

「……そう」

 行燈あんどんの光が、二人の影を淡く写し出す。火が揺れると、壁に映る影も頼りなく揺れた。スルナは心ここにあらず、と言った表情でサギの話を聞いていた。

「三日後の早朝にここを発つ予定だ。それまでに、支度を調ととのえとけ。今日はもう遅い。ここに泊まってくと良い」

「うん。ありがとう、そうするよ」

 コルーサに導かれ、スルナは部屋を後にした。サギ一人だけになった部屋には、雨の音が満ちていた。

「どう思う。リン」

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