三部 萌芽

 地面から立ち昇る土と雨の匂いで目が覚めた。

 目を開けると、木々の葉の間に満点の星空が広がっている。

 ゆっくりと体を起こすと、月明かりの届かない暗闇がどこまでも広がっていた。

「いっ……」

 立ち上がろうとすると、鳩尾みぞおちのあたりがズキリと痛んだ。その痛みに刺激されてか、靄が晴れるように、曖昧になっていた記憶が徐々に鮮明になっていった。

「皆はどこに……」

 そこまで考えて、急に身体が鉛になったかのような気だるさを感じ、がっくりと全身の力が抜けた。起きなければ、そう思うが意思とは裏腹にどんどん身体が重くなっていく。

 暗くなってゆく世界の中、わしの鳴き声が木々の間にこだまのように響くのを聞いたのを最後に、深い眠りへと落ちていった。



「見つけたか?」

 スルナに返り討ちにあってから二日後の朝、バンとホクは、アントン区のとある宿舎にいた。

「いや、まだだ。中流あたりで、川から何か引き上げたような跡があったけど、この視点からだとよく見えないな」

「ふむ……。俺はそこまで行って痕跡を辿る。ホクはそのまま、空からカッサル様を探してくれ」

「わかった。何かあったら、すぐに知らせて」

 ああ、と頷くと、バンは音もなく部屋の外へ出た。

 バンの気配が遠ざかったのを感じ、ホクは、はぁ、とため息をついた。この二日間、起きてる間は、飯の時を除いて、ずっと術を使い続けている。"己の血を分けた生き物と感覚を共有する"という〈魔術〉は、強力だが、その分、身体への負担も大きい。

時折、どれが人間の自分なのかが分からなくなることがある。

(バンが向こうに着くまで、まだ時間があるだろう。少し横になろう)

 眠れなくても、目を瞑っているだけでいくらか体は休まるものだ。それに、眠ってしまったとしても、鷲たちが知らせてくれる。

 ホクは放るように茣蓙ござを敷くと、ゆっくりと横たわり、目を閉じた。

 一方その頃、階下では、バンが自分の部下たちに指示を出していた。

「テァンとテノンは、中央テルミナ区でサギという男について調査しろ。

 テファンは……」

 バンは、テファンの腕を見た。あの夜、サギに折られた右腕には補助の添え木がされ、包帯が巻かれている。

「テファンは俺と来い。カッサルの行方を探る」

 無言で頷くテファンを見たバンは、何もない空間に目を向けて言った。

「テオンは、サギの監視をしろ。いいな?」

 この時、唯一、テノンだけが何者かが動く気配を感じることができた。だがそれは微かなもので、テノンでさえ、ただの風の揺らぎにしか感じなかった。

「散れ」

 バンのその一言で、〈追跡者〉たちの姿が一瞬にして消えた。バンは残ったテファンと共に、中央区へと続く道を何気ない足取りで歩いていった。



 バンたちが、森についたのは昼頃だった。太陽は空高く登り、木漏れ日も少ない薄暗い森の中を、二人の〈追跡者〉が音を立てずに進んでいく。

 やがて、例の場所に着いたバンたちは足を止め、一定の間隔を保ちながら、カッサルの痕跡を探し始めた。

「俺は森の方を調べる。テファンは、川岸の方から調べろ」

 テファンの魔術により視ることができる痕跡は、雨や風によって消されることはない。バンとテファン、それぞれで違うものを視ることができるできるため、この二人の組み合わせは、追跡においては非常に優秀だった。

 (大きな物を引きずった跡が川の方から伸びている。足跡は二人分)

 足跡の大きさや付き方から、年齢や体格、大体の職業までも推測することが可能だ。一人は商人の男。もう一人は小柄な女、そして、武術に秀でていることまで、容易に見て取れた。

 (これがスルナのものと見て間違いないだろう。そして、川から引き揚げられたものがカッサル様だとするなら……)

 引きずられた跡を辿っていくと、途中からスルナの足跡が消えていることに気づいた。様子を確認するために上流へ向かい、その後、バンたちとやりあったのだろう。

 痕跡は森へと続き、茂みの中で消えていた。近くの木には、黄色い帯がくくりつけられてある。これは、バンたちが追跡に用いる物で、後から来る味方への目印になる。

 帯には大小二つの結び目があり、小さい結び目は来た方向を、大きい結び目は進んでいった方向を示している。

 バンが残した微かな印を見逃さないよう注意深く森の奥へと入っていく。

 やがて追いついてきたテファンに、バンが地面を指さして言った。

「テファン、どう思う」

 バンが示す先には、変わった形の足跡があった。

「これは、ク隊のものですね。……この足跡だけ、踏み締めたような跡が見られるので、例えば……」

 テファンは近くに立っている木を見て言った。

「この木に寄りかかって、息を整えようとしたんだと思います。足型から見ても、カッサル様のもので間違いないでしょう」

「うむ……。には何が見えた?」

「主に不安と焦りの色が見えましたが、状況を考えれば普通のことでしょう」

 そうか、とだけ呟き、思案顔で黙りこんだバンを見て、テファンが尋ねた。

かしらには、何か見えたんですか」

「……俺には、〈腐蝕ガラン〉や〈魔術〉の基となる〈魔素〉が光って見える。光が強いほど、濃い〈魔素〉なわけだが……」

 バンは顔を上げ、焦点のあっていない目で空を見つめていた。

「これほど濃く、大きい痕跡は、見たことがない……」

 そう言うバンの目には、天高く聳える巨木のような黄金の〈魔素〉の流れが映っていた。

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