二部 郷愁

 長い廊下を歩き、重厚な木の扉の前に立つと、カザンは外にいた従者に、中に入れるよう言った。ギィ……、と木がきしむ音を立てながら、ゆっくりと扉が開いた。

 部屋の中は薄暗く、部屋の中央にある机の上にある二本の蠟燭だけが、その周りをほのかに照らしている。

 一昨年、還暦を迎えたシライはその見た目の通り、賢明な老人で、その切れる頭で二世代に渡ってタンノ国王を側で支えてきた重鎮である。

「カザン殿か。何用でお越しになったのかな」

 カザンは、お辞儀をして答えた。

「シライ殿、会議は順調に進んでおりますか」

「全く、進展は無しといったところですな」

 約二週間前、タンノ国王の持病が突如悪化し、医師の懸命な治療も儚く、崩御された。それによって、王宮内では、国葬の準備は勿論、誰が次の国王になるのかについての会議が頻繁に行われていた。

 「次期国王を決めるとあらば、慎重に成らなければならぬ。候補となる人物は、既に何人か挙がってはいるが……」

 そこまで言うと、シライは苦虫を噛み潰したような表情になった。

「先々代の二男に当たるヤラの息子テク、同じく先々代の従兄弟に当たるスフの息子ヤーリ、先代の姪であるハラノの長男ウタイ。

 この三人の中から誰を国王にするか、それぞれの派閥で言い争うだけで、平行線をたどっておるわ。皆、己の利益のことしか考えておらぬ」

「その三人の中でなら、シライ殿は誰を推しているのですか」

 シライはしばらく考える仕草をすると、口を開いた。

「今までの規則通りならば、テク殿を国王の座に就かせるのが妥当だとうであろうな。彼はまだ若いが、他国との信頼関係を着実に築いておられる」

「私もテク殿のことは耳にしたことがあります。この前も、西のルールナムへ行ったらしいですね。なんでも、ルールナム国王の誕生日だったとか」

「うむ。国王の誕生日を祝う席に招かれるような男ゆえ、タンノ国王として上手くやってくれるでしょうな」

 カザンは軽く相槌を打つと、ふと、思い出したように言った。

「……そうだ、シライ殿。お疲れになっていることでしょうし、茶でも飲みませんか。地元から取り寄せた、美味しい茶があるんです」

 そう言うと、カザンは外に控えていた従者に、茶器と茶壺を持ってくるよう言いつけた。従者が廊下を早足に去っていく音が消えると、部屋の中に沈黙が訪れた。

 蠟燭の炎が燃えるジジジ……という音だけが、不規則に聞こえている。その炎を見つめながら、カザンは口を開いた。

「今年は、海を越えた向こう側の国も多く参列するらしいですね」

「〈迎王祭〉を始めた、初代の功績であろう。隣国だけでなく、遠く離れた国にとっても、このタンノ王国という国は大きな役割をなしているということなのだろうな。

 だからこそ、特に今年の〈迎王祭〉は、失敗するわけにはいかないのだ」

 蠟燭の炎が大きく揺れ、再びジジジ……という音が響いた。

 カザンは、視線を蠟燭からシライへ向け直した。

「シライ殿、少しの間、休暇を頂けませんか」

 カザンと同じように蠟燭の火を見つめていたシライは、不意の言葉に疑問の表情を浮かべながらカザンを見て、口を開きかけた。丁度その時扉を叩く音がし、カザンの従者が盆に茶器と茶壺を載せて部屋に入ってきた。

「カザン殿、お持ちしました」

 従者はそう言い、盆を机の上に置いた。

「ありがとう。下がってくれ」

 従者がお辞儀をして、扉の奥に消えた。カザンはそれを見届けると、慣れた手付きで二人分の茶を淹れた。

「どうぞ、召し上がってください。私の住んでいた所では、農夫たちが仕事終わりにこの茶を淹れてもらって、それを愉しむというのが風習になっているんです。

私も、父を手伝った後にこの茶を飲んでいたものです」

 カザンが昔を懐かしむように言うと、湯気の立っている茶をゆっくりと口に運んだ。同じように、茶を飲んだシライは顔をしかめて言った。

「見た目の割に苦いのだな、この茶は。お主の地域では、このように苦い茶を仕事終わりに飲んでいたのか?」

「ええ、私も初めはこの苦味が苦手でしたが、何度も飲むうちに、この苦味が疲れた体に沁みるようになって、ああ今日もいい仕事をしたな、と思えるようになっていったのです」

「お主の出身地は、確か西オッサム区であったか」

「ええ、左様でございます」

「ふむ。なるほどなぁ。西区は茶で有名なのは知っていたが、まさかこのように苦いものだったとはな。この年になってもまだ、知らないことが沢山ある」

 そう言うと、シライは茶碗に入った薄茶色の茶を飲んだ。

「ところでカザン殿。先程の話であるが……」

 シライがそう言うと、カザンは姿勢を改めた。

「この時期に休暇が欲しいとは……。この茶を見て、故郷を思い出しでもしたか?」

「いえ、そうではなく。三週間ほど外出許可を頂きたいのです」

「なぜ、急にそのようなことを……」

「〈迎王祭〉には、中央区以外からも大勢の人が参加します。我々には見えない暮らしがそこにあるのです。それを、私自身の目で見てみたいと思い……。

 人々の暮らしを知るというのは、まつりごとをする我々にとってとても大事な事だと思うのです」

 シライは困ったような表情を浮かべて言った。

「しかしのう……お主も分かっておるだろう。今はやらなければいけないことが沢山ある」

「国のために尽力するのが為政者ならば、我々〈星読み〉は国民のために尽力するべきである、と考えております」

 カザンはシライの目を見据えて言った。この老人は、この若者の、物怖じせずに己の考えをはっきりと言い切る性格をとても気に入っていた。長く王宮にいるが、これほどまでに活発な若者は見たことがなかった。

「ふむ……。では、二月ふたつきの間に帰って来る、という条件であれば許可しよう」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 カザンの表情が、安堵したように柔らかくなった。

 シライは、椅子から立ち上がり部屋を出ていこうとするカザンの背中に慌てて声をかけた。

「それと、お主がいなくなるとなれば、我々の人手が足らなくなるからな。お主の方から、手伝いの〈星読み〉を三人ほど寄越してくれると助かる」

 カザンは扉に手をかけたまま、顔だけシライに向けて答えた。

「そのことであれば、既に手配してあります。明後日みょうごにちには、手伝いの者達が行くはずです」

 カザンが部屋から出ていくと、部屋の中が、嵐が去ったあとのような静けさに包まれた。

 シライは、すっかり冷めてしまった苦い茶を一口啜ると、部屋の外に控えていた従者を呼んだ。


 その頃、自室に向かっていたカザンは、従者の一人に呼び止められていた。

「カザン様、お客様がいらしております」

「ほう、名は?」

「オウナ様でございます」

 従者の口から飛び出てきたのは、あまりにも意外な名にだった。

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