〜二章〜 影に潜む者たち

一部 騒動の後

 野営地に戻ると、ホイが不安げな顔で待っていた。

 小走りに寄ってきたホイが、目を丸くして言った。

「スルナさん、どうしたんだいその傷! それに、背負ってるその男は……」

 まくしたてるように話すホイを制して、スルナは静かに言った。

 「戻ろう、ホイさん。上に山賊たちがいた。何人かは気絶させたけど、まだ他にも仲間が居るかもしれない。もちろん、払ってもらった金は返す」

 ホイの目に動揺の色が浮かんだが、すぐに怒りの色に変わった。

「そりゃあ話が違くないかい、スルナさんや。俺は山賊から守ってもらうためにあんたを雇ったんだ。あんたもそれを呑んで、この依頼を受けた。そうだろう?だのに、今更、依頼を受けれない、なんてのは約束と違うじゃないか!」

 怒りに満ちたホイの目を、スルナはまっすぐに受け止めた。

「ホイさん、頼む。私らが思っているより、ずっと深刻なんだ。それに……」

 スルナは、背中に背負っている男をちらりと見て言った。

「それに、怪我人がいるんじゃ、ホイさんを守りきれないかもしれない。これは、ホイさんのためでもあるんだ。だから、頼む」

 スルナは普通を装っていたが、声には不安や焦りの色がにじんでいた。商人であるホイは、スルナの顔を見て異常さに気づいたのだろう。ややあって、口を開いた。

「あんたの評判はよく耳にする。悪い評判は聞かねぇってくらいにな。そんなあんたが最善だと判断したなら、俺ぁそれに従うしかない」

 一息置いて、ホイが聞いた。

「あんたを信じて良いんだな?」

 スルナが目に重い光をたたえて言った。

「……できる限りの事はする」

 ホイが用意してくれた毛布に男を寝かせると、スルナは自分の荷物の中から、布切れを二枚取り出した。左肩に刺さった矢は、カッサルと戦う前に、僅かに柄を残して折っておいた。スルナは丸めた布切れを口に入れ、残った矢の柄を持つと、傷口を広げないよう気を付けながら引っこ抜いた。そしてすぐに、もう一枚の布切れを肩できつく縛って止血した。

 その後ホイを家まで送り届け、スルナは自分の家に帰って、寝台に男を寝かせた。

(熱が出てきたな……)

 男の額に手を当てて様子を見たあと、手拭いを水で濡らし、男の額に置いた。

(とりあえず、これで様子見だなぁ。明日の朝市で解熱剤やらなんやらを買ってこう)

 そこまで考えて、どっと疲れが出てきた。スルナは座り込み、寝台に肘を乗せて、もたれかかるようにして、深い眠りへと落ちていった。

 次の日、目が覚めると既に男の姿は無かった。

「あれ……いつの間に、もう動いて平気なのかな」

 幸い、傷は浅く骨も折れてはいないようだったが、それでも、動くのはまだ辛いはずだ。

 スルナは昨晩の出来事を思い出していた。あの男を襲っていた、三人の男たち。彼らは、商人や旅人風の身なりをしていたが、剣の構え方や気配からして素人ではないのは確かだった。恐らく、誰かに雇われた殺し屋か何かだろう。

 そして、気になるのはあの大男だ。どういうわけか、こちらの攻撃が全く効かなかった、あの大男。

(どれだけ我慢強い人でも、急所を石突きで打たれて、うめき声さえ出さないなんてことはあるんだろうか……)

 考えられる可能性は、一つしか見当たらなかった。

(あいつは、〈魔術〉を使えるかもしれない……)

 ――〈魔術〉。この世界に突如として現れ、大木が地に根を張るように、ゆっくりと世界中に広まっていった摩訶不思議な力。

 その源となると考えられているのは、〈腐蝕ガラン〉と呼ばれる、感染した者は確実に死に至る奇病である。約百年前、〈腐蝕〉に感染したダニやノミが、山犬やネズミ、キツネなどの野生動物に噛みつくことで、感染が拡大した。それだけならまだ手の施しようはあったのだが、山岳部の集落で飼われている家畜にまで感染が拡がってしまった。

 〈腐蝕〉に感染した者の最期は凄惨である。〈腐蝕〉が進行するにつれ、体が内側から壊れていく。最期には、文字通り、体が徐々に腐り黒く変色して、崩れ落ちる。

 この病が人々に知られると、徹底した隔離が始まった。感染の疑いがある人は都市を追われ、辺境の地へと追いやられた。その結果、感染者、非感染者、という区別が明確となり、厳しい差別が始まった。

 しかしある日、西のケノンという国で一人の少女が立ち上がった。――ノナ、というその少女は〈腐蝕〉に適応し、不思議な術を使用したという。やがて、その少女は、その力を用いてケノンを大混乱に陥れた。現在では、その混乱が起こっていた時期は、ノナの力に喩えて〈ねじれの年アラン・ナノニア〉と呼ばれている。

 そのような歴史から人々は、少女が使った不思議な力をみ、畏怖の念を込めて〈魔術〉と呼ぶようになった。〈ねじれの年〉をきっかけに、感染者に対する差別がより強まった。だからこそ、相手に〈魔術〉を仕える者、即ち感染者がいることが不思議でならないのだ。

(相手は、多分、かなりの手練で、しかも、〈魔術〉が使える。武術の訓練を受けているのなら、どこかの国の兵士の可能性が高い。それも、〈魔術〉の研究が進んだ国)

 ともすれば、考えられるのは北のティマ公国だろう。ティマ公国はホメノス帝国から独立した小さな国で、〈腐蝕〉の治療や仕組みに関する研究が盛んで、他の国に比べ、〈腐蝕〉や〈魔術〉に対して寛容な国である。

 そのような国であれば、〈魔術〉を扱う者が兵士として軍にいてもおかしくはないのだろう。

 もしそうだとしたら、あの男は、ティマ公国にとって不都合な人物。

 そして、自分はそんな男を助けてしまった。

 頭を抱え、はぁ……、と重いため息をついた。

「なんだってこんな面倒くさいことにぃ……」

 お昼の時間が近いのだろう。城壁の向こう側から、商店街の賑わいが聞こえてくる。長い間寝ていたらしく、窓から斜めに差し込む陽射しは、燃えるように染まっていた。

 スルナは、もう一度ため息をつくと、のっそりと立ち上がり、かなり遅い朝食の準備を始めた。

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