四部 スルナの薙刀
（空気が変わった）
先程までの殺気立った空気が一転して、今は冷水をぶっかけられたような、唖然とした驚きの気配が伝わってくる。
スルナは左足を引いて
「あんたら、一体何者だ」
（山賊…にしては、気配が違う）
男たちは皆、商人や旅人らしい服装をしているが、膝をやや曲げて腰を落としているその姿には一切の隙はなかった。
スルナはちらりと後ろにいる外套を被った男を見た。気絶しているのだろう。手足はピクリともしないが、胸の辺りが微かに上下に動いていた。
「おい、女ァ、邪魔すんじゃねぇよ」
スルナと向かい合って立っているタダンが、ドスの
タダンは、薙刀の穂先を
「失せろ。この人に手出しはさせない」
「この……ガキがっ！」
タダンはスルナに斬りかかろうしたが、踏みとどまった。長柄武器を相手に真正面から突っ込めば、穂が胸に突き刺さる。間合いを詰められずにいるタダンを見て、タルクはそっと弓を引き絞った。タルクから静かな殺気を感じたタダンは、左足をやや後ろに引き、腰にある剣の鞘に左手を置いた。
そこら中から殺気が膨れ上がった。タダンが無言の気合と共に一気に距離を詰める。それとほぼ同時に、タダンの背後から弓弦の響き、スルナに目がけて一直線に矢が飛んだ。スルナがその矢を穂で弾き上げ、穂の向きがタダンから逸れた。
タダンががら空きになったスルナの腹に横殴りに剣を叩き込む。スルナはそれを柄で受けると、石突きの近くを掴んでタダンの手を払った。
手を柄の上で滑らせ、自在に操りながら目に見えぬ程の速さで薙刀を操り、翻弄する。次第に、バンとタダンは押され始めた。
体勢を立て直しつつ、バンはタルクを目で探した。スルナの背後に僅かに動く物を見たバンはスルナとの間合いを一気に詰める。
ほんの一瞬だった。
バンが大きく振りかぶった剣を柄で受けたスルナは、柄を回転させて、バンの首に絡めると地面に引きずり倒した。背中を石突で強打されたバンは、衝撃で息が詰まり気絶した。
刹那、左腕に殴られたような衝撃が走った。タルクが射った矢が、腕に刺さったのだ。石突で打つために腕を僅かに上げたおかげで、首に向かって飛んできた矢を防ぐことができたが、もし、そうでなかったら今頃死んでいただろう。
僅かな隙を見逃さず、タダンが、スルナに一気に詰め寄る。剣を振るう寸前、スルナを挟んで反対側にいるタルクと、一瞬、目が合った。
スルナとタダンの動きが止まった。互いに一定の間合いを保ったまま、武器を構えた。スルナの背後にいたタルクの気配はいつの間にか消えていた。恐らく、サギの方へ向かったのだろう。
スルナもそちらへ向かわなければ行けない。と思ったが、その場を動くことができなかった。今、目の前に立っている男から、少しでも気が逸れれば、間違いなく殺されるだろう。
スルナが一歩踏み出せば、一歩退き、スルナが一歩下がれば、一歩踏み出す。タダンは薙刀が届かない間合いを保ちながら、攻撃の機会を伺っていた。
先に動いたのはスルナだった。地をすくうように薙刀を鋭く振るう。地面の土を撒き散らして顔に飛んできた土くれを防ごうと、タダンが左腕を上げる。そのほんの数秒にも満たぬ間に、スルナはタダンの左手に回り込み、石突を脇の下へ思い切り突き込んだ。
脇の下は人間の急所の一つだ。強い衝撃が加われば、とてつもない激痛に襲われる。
しかし、タダンは呻きもせず、反撃に出た。
スルナは自分の目を疑った。咄嗟に身を捻ったが避けきれず、白い光が頬を掠め、そこがカッと熱くなる。
薙刀構え直しながら後ろに飛び
スルナは肩で息をしていた。全身から嫌な汗が噴き出す。心臓がドクンドクンと、今にも胸から飛び出そうなほど脈打っている。
タダンが不敵な笑みを浮かべて言った。
「おいどうした女ァ。来てみろよ、怖気づいたか。俺は女にゃ優しいんだ。今、ここで武器を捨てて降参すれば、殺さないでやる」
タダンが舐め回すようにスルナを見る。
「おめぇみたいなガキでも、売っ払えばそれなりの金になるだろ。もし、売れ残っちまったら、俺が毎日かわいがってやる…」
スルナはそっと、鞘を払った。先程までとは、明らかに気配が違う。胸を締め付けるような圧迫感に包まれた。
腰を落とし、丹田に力を込め、深く息を吸った。
深い谷へ落ちていくように、意識が集中していく。
やがて、心臓の鼓動や呼吸が、波となり空気を揺らし始めた。
✧
サギを背中に背負い、かなりの速さで山を駆け下っていたタルクは、ふと奇妙な感覚に囚われた。
タルクが初めてタダンと会ったのは、タルクが〈追跡者〉となり、ニ、三年が経った十四歳の時だった。彼はその当時から問題児で、同じ〈追跡者〉の仲間や教官に喧嘩を売っては懲罰房に入れられたりしていた。
そういったこともあり、タダンは周りから距離を置かれるようになったが、タルクは密かに彼のことを気に入っていた。
生まれたときから〈追跡者〉として訓練を受け、その運命に抗うことを許されなかったタルクにとって、何者にも囚われることなく自由なタダンが羨ましかったのだ。
いつだったか、彼とよくつるんでいた男たちが話してるのを偶然耳にしたことがある。
「おい聞いたか？タダンのやつ、また娼婦の女ダメにしちまったらしいぜ」
「またかよ？！ 今月何回目だ？」
「三回目じゃなかったか？ んで、また出禁食らったらしいぜ。あいつは絶倫だから……」
あとで分かったことだが、タダンの〈魔術〉は少し厄介なものらしい。"どんな苦痛も感じない"という少し変わった〈魔術〉だった。今思えば、訓練中はおろか、教官に鞭を打たれているときでさえ、眉ひとつ動かさずにいたのを覚えている。
だから、この奇妙な感覚が、タルクにはとても気がかりだった。気がつけば、さっきまで聞こえていた虫の羽音がぴたりと止んでいた。
何か大きな気配が近づいて来るのを感じ、サギを背中から落として、弓を構えた。
（やられたのか……？ あのタダンが？）
そんな不安が脳裏をよぎった。
不意に脇から殺気を感じて、振り向きざまに弓を射た。白い光が旋回し、矢を弾いてタルクの首元へ伸びる。すんでの所でそれを避けると、短刀を取り出してスルナの懐に飛び込んだ。
スルナの心臓に向けて、まっすぐに短刀を突き出した。
スルナの姿が視界から消えた。それと同時に、下から突き上げるような衝撃が腹にきて、思わず数歩退いた。背後に横たわっているサギに
スルナは荒い呼吸を整えようと、ゆっくりと深呼吸をした。命のやり取りをした緊張で、足が震える。
やがて、呼吸が収まってくると、警戒しながらタルクへと近づいていき、手に持っていた短弓の弦を切って使えなくした。そして、その弦でタルクの両手を後ろ手に
そこまですると、立ち上がってサギの元へ歩いていった。傷が痛むのだろう。苦しげに荒く呼吸をしている。
頭が揺れないように背負い、野宿をしていた場所へとゆっくりと歩き出した。
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