三部 死闘

 門の付近から人の気配が消えたのを感じ、サギは足を止めた。

(案外、あっさり引いたな。他の門にも同じように討手うってひそんでいたんだろうか)

 サギは頭の中で様々な思考を巡らせながら考えた。

(あいつらの目的が、俺を殺す事なのだとしたら、門にいたニ人は、なぜ追いかけてこないのか)

 何にせよ、何者かが自分を殺そうとしていることは確かだった。

 足元が定かでない暗闇の中、不案内な土地を進むのは危険であったが、少しでも遠くに逃げるために、サギは夜のうちに山を越えることにした。

 できるだけ、足跡が残らないよう木の根が露出しているところや、強い体を持つ植物が生えている場所を選んで歩いていった。

 途中、茂みに生えている紫色の丸い小さな実を見つけて、ニ、三粒手に取った。てのひらで潰すと、独特なにおいが広がる。が、サギは顔色を一切変えずに、紫色の果汁を顔や手に塗りだした。

 この実の汁から出る独特な臭いは、人の臭いを誤魔化ごまかすことができる。また、肌に塗れば、肌の色を隠すことで夜闇に溶け込み、見つけ辛くなる。

 もし、敵に〈魔術〉を扱える者がいた場合、どんな手段を使ってくるか分からない。サギは、用心に用心を重ねながら先に進んでいった。

 木々の葉の隙間から漏れる月明かりが、頬をほのかに照らしている。どこかから、チリリリ、と虫の鳴く声が聞こえる。

 サギは外套を取り、深く空気を吸い込んだ。燃えるように赤い髪が、夜風にさらさらと揺られている。

 サギは短く息を吐くと、再び歩き出した。時折、サギに驚いた小さな動物が逃げていく音が聞こえる。それ以外には、ほとんど音は無く、森は静まり返っていた。

 (あの時と同じだな…)

 サギは自分の青年期を思い出していた。十七歳のとき、とある事件から、一人の少女の護衛をすることになった。彼女は豊穣の神ユルに捧げるための生贄いけにえだった。

 まだ生きたい。そういう彼女の頼みを聞き入れて、二人の長く孤独な逃亡の日々を過ごした。

 あの時感じていた不安や孤独は、いま、サギが感じているものと似ている。

 不意にわしの鋭い鳴き声が聞こえ、物思いから覚めた。

(気を抜くな、サギ)

 自分にそう言い聞かせ、空を仰いだ。遥か頭上を飛んでいる鷲と目が会った。……様な気がした。

嫌な予感を感じ、外套がいとうを被り直して、小走りに駆け出した。もし、あの鷲になんらかの細工がされていてこちらを見ることができるなら、追いつかれるのは時間の問題だろう。

 サギは腰に差してある剣の柄を握り締めた。


 ✧


 ホクが操っている鷲を目印に、バンたちは円を描くように散らばり、一定の距離を保ちながら走っていた。かなりの速さで走っているのに、足音はおろか衣擦きぬずれの音すら聞こえない。

 サギの姿を捉えた鷲が鋭く鳴いた後、姿を見失ったのかその場に留まった。その様子を見ると、バンは指笛を低く、長く吹いた。それを合図に、バンたちは減速し、走るのをやめて、歩きながらサギの足跡を追っていった。

 サギが鷲の視界から隠れたのは、おそらく鷲の目を通してサギの居場所を探っているのを察知したからなのだろう。ホクが操る鷲のおかげで、想定よりもずっと短い時間でサギに追いついた。

 サギも、予想外のことにひどく焦っているはずだ。その証拠に、さっきまでは見えていなかった足跡が、暗闇でも見えるほどはっきり残っている。

(追い詰めたな)

 そう思ったとき、右手を走っていたはずのテノンの気配が消えた。異変に気づいた他の仲間たちも、みな足を止めて武器を構えた。

 息が詰まるような緊張が辺りを包んだ。

 目の端で何かが光った。バンは顔に飛んできたそれを、咄嗟の判断で身を捻って避けた。バンの後ろにいたテァンに避けた剣が真っ直ぐ飛んでいく。テァンがそれを弾き上げるのに合わせて、バンのすぐ脇を黒い影が駆け抜けた。

(しまった!)

 バンは掴もうと手を伸ばしたが、影はその手をするりとかわしてテノンめがけて突っ込んでいった。

 サギの剣を跳ね上げ、無防備になったテノンの鳩尾みぞおちにサギは拳を叩き込んだ。テノンが気絶し地面に倒れる頃には、サギは地面を蹴ってその背後にいたテファンに突進していた。

 横殴りに振られた短剣の下を最短の動きで避けると、剣を持つ腕に自分の腕を絡めて、抱え込むようにして身を丸めた。テファンの体が宙に浮き、地面に叩きつけられ、ボキッ、という音と共に骨が折れた感触が腕に伝わった。

 サギはテファンが持っていた短剣を拾い上げ、バンに向き直った。刹那、空を切る音と共に耳に蹴りが入れられた。サギは腕を折り畳んで耳を守った。呼吸を使って衝撃を和らげたが、腕が吹っ飛んだのかと思うほどの痛みと衝撃が響き、思わずよろめいた。

 左の腹に殺気を感じ体をねじったが、避けきれなかった。バンが繰り出した拳が脇腹に食い込んだ。飛びそうになる意識をなんとか保とうとしたが、視界が暗くなっていく。

 とどめが来る、と思ったがいつまでたっても次の攻撃は飛んでこなかった。

(なぜ…)

 という疑問が浮かんだが、相手が次の行動に移る前に、サギは逃げる準備をしていた。

 サギを捕まえようとバンが手を伸ばした。サギはその手の手首を掴むと、自分の腹に思いっきり引き付けた。まさか、サギが反撃に出ると思っていなかったバンは、驚いて手を引っ込めようとしたが、思いがけないほどの力で引っ張られ、体が大きく前に泳いだ。

 サギは引っ張った力を利用して前に1回転して立ち上がると、駆け出した。

「ちっ…」

 バンは小さく舌打ちすると、仲間の様子を見て回った。

 腕を折られたテファンは、腕を抑えながらもなんとか立ち上がり、仲間の介抱かいほうをしている。

「油断しすぎたな」

 ただの諜報員ちょうほういんじゃない、といったフェンの言葉が蘇った。いくら武術に長けているからとはいえ、この中の誰も、サギが〈追跡者〉五人を相手にできるほど腕が立つとは思っていなかった。

 ほどなくして、ホクが寄越よこした助人すけびとが三人来た。

 一人は、バンもよく知る人物だった。小柄で利発そうな整った顔立ちをしているタルクは弓の名射手だった。バンはフェンたちが通っていた養成所では、弓、魔力の扱いは共にずば抜けて上手く、頭も良かった。

 あとの二人とは、バンは初対面だったが名前だけなら聞いたことがあった。

 カッサルは、代々、〈追跡者〉のかしらとして、〈追跡者〉を総括する〈バラン〉の息子で、一昨年、養成所を主席で卒業したと聞いている。

 もう一人、タダンと言う男はあまりいい話を聞かない。女遊びが好きで、仕事が無いときは近くの風俗店に入り浸っているらしい。〈追跡者〉としての仕事も、相手をじわじわと追い詰めてゆっくりとなぶり殺す、というやり方をするので、仲間からもあまり良くは思われていないらしい。

 とはいえ、ホクが選んだだけあった、三人とも、武術の腕前においては群を抜いていた。

 戦闘の現場を見たタダンは笑みを浮かべて言った。

「なあ、バンさんとやら。あんたの話はちょくちょく耳にするが…。一人を相手にこのザマァかいな」

 場が凍りついた。タダンはそんなことは気にも留めず、話し続けた。

「そこで提案なんだがよぉ、どうせあんたらじゃ、サギとやらを捕らえるなんざぁ無理なんだ。俺が手を貸してやるよ、その代わり、俺に手柄を寄越よこしな?それなりに礼はするぜ?」

 ニタニタと笑みを浮かべながら話すタダンを殴りたくなる衝動を抑えて、バンは低く言った。

「…そうか、手柄がほしいならくれてやる。だが、やるなら一人でやれ。お前といると、任務に支障をきたすかもしれないからな」

 バンが突き放すようにそう言うと、タダンはやれやれ、といった表情で肩をすくめてみせた。

「あの…」

 カッサルがおずおずと口を開いた。

「出発はいつ頃にするんですか…?早くしないと、どんどん距離が…」

 険悪な雰囲気ふんいきを紛らわそうと、カッサルなりに気遣ったのだろう。それに気づいたバンは、努めて優しい口調で言った。

「いや、その心配はないだろう。ホクが上から見て探してくれているし、俺の〈魔術〉を使ってテファンの剣に付いてる〈魔力〉を追っていける。それに、急所こそ外したが、それなりに痛手を追っているから、短時間でそう遠くまでは行けまい」

 それを聞いたカッサルは安堵した表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻って言った。

「でも、かなり腕が立つのでしょう?その、サギという男は」

「ああ、そうだ。だから、しっかりと作戦を練る必要がある。なに、次は失敗しないさ」

 そういうバンの目には不敵な光が宿っていた。

 木々の切れ間から覗く月が足もとをこうこうと照らしている。肋骨が折れているのだろう。地面を踏むたびに左の腹がずきりと傷む。

 あの時――地面にうずくまったあの瞬間、敵の動きが一瞬止まったのは何故なのだろう…。やろうと思えば殺せたはずだ。

(敵の目的は、俺を殺すことでは無いのか?)

 考えてみれば、この襲撃には奇妙な点がいくつかあった。

(どうして密書を届けた後なのか…。今更俺を殺したところでを、何が変わるわけでもなかろうに)

 そんなことを考えているうちに、どこからか水が流れる音が聞こえていた。音がする方に行ってみると、急な斜面になっているその先に川が流れているのが見えた。

 サギはゆっくりと坂を下りて、川のぐ側まできた。心臓が止まるかと思うほど冷たい川の水に手を付けて、水をすくうと、ゆっくりと口に含んだ。疲れて乾いた喉を、甘い水がつるりと流れていく。火照ほてった体に、飲んだ水の冷たさが心地よかった。

(…さて、これからどうしようか)

 あのわしの目があれば、サギに追いつくまでそう時間はかからないだろう。

(待ち伏せするか…?いや、今の俺じゃ、あいつと戦うなんてのは無理だろうな…)

 肋骨が痛まないように気をつけながら立ち上がると、さっき来た坂を登り、川に沿って歩き出した。

(ひとまず、宿舎に戻って荷物と馬を取りに行こう)

 鷲に見つからないよう、できるだけ木が密集しているところを歩いていった。遠くに城壁の一部が見え始めた時、不意に空気の流れが変わったような気がして、サギは咄嗟に地面に伏せた。その瞬間、頭上を空気を切り裂きながら一本の白い矢が飛び、正面に生えている木の幹に、矢柄を震わせて突き刺さった。

 サギは伏せた姿勢のまま反転し、木を背にして追いついてきたバンたちに向かい合った。

 さっきの戦闘には居なかった者が三人増えている。気配や立ち方から、かなりの手練であることがうかがえる。


 サギは目を閉じ、浅く息を吸って、吐いた。意識が一点に集中していく。サギと、世界が融け合って行くような感覚に捕われる…。完全に融け合った…その瞬間、ひゅうっ、という音と共にニ度目の矢が飛んできた。それが合図だったかのように、サギとバンたちは同時に動いた。サギは飛んできた矢を剣で弾きあげると、その動きのまま、バンが繰り出した剣を上に弾いた。

 右から、左から、次々と繰り出される攻撃を受け、弾き上げる。攻撃を受ける度に、脇腹がずきりと痛んだ。痛みと疲労とで、視界が霞む。サギはほとんど感覚のみを頼りに攻撃を、受け続けていた。

 カッサルが、サギ目がけて短剣を振り下ろした。サギは僅かに剣を傾け、攻撃を受け流す。振り下ろした勢いで、カッサルの体が微かに浮いた。サギはその隙を見逃さなかった。

 サギは、カッサルの体に沿って、自分の体を斜めに入れると、カッサルの右手首を握り、右の脇の下に腕を入れると、抱きかかえるようにして後ろへ放り投げた。地面に叩きつけられる寸前、カッサルは受け身を取ると素早く立ち上がった。サギが目の前に迫り、鳩尾みぞおちに突きを繰り出した。すんでの所で、呼吸を使って衝撃を和らげたが、体勢が整いきっておらず、息が詰まった。カッサルは激痛に耐えながら剣を殴り付けるように横に振った。サギはそれ受けようと、真っ向から剣と斬り合った。

 そのとき、バンにはサギの体が淡く光って見えた。

(これは…)

 やめろ! バンがそう叫ぶ頃には遅かった。

 バンの剣と、カッサルの剣が交差する……。

 ガキーン!! という物凄い音と共に、カッサルの剣が根本から折れ、衝撃と共にカッサルの体が大きく後ろへ吹っ飛んだ。その勢いのまま坂を転げ落ちて、下を流れる川に放り出された。

「てめぇ!」

 タダンが物凄い気迫と共にサギに迫る。タダンの刃がサギに届くより先に、サギは身をひるがえして駆け出していた。背中を追う足音がニつ聞こえる。不意に、右腕に焼かれたような痛みが走りうめいた。タルクが放った矢が右腕をかすったのだ。

 タルクが次の矢をつがえた。タルクは〈魔術〉が使えない。だが、〈魔力〉の操作は〈追跡者〉の中でも抜きん出て上手かった。タルクの射った特別な矢が、サギの足元目がけて飛んでいく。

 サギからはタルクの姿は見えていなかった。そのため、木々の間を縫って突如現れた矢を防ぐことができなった。矢が刺さる衝撃と痛みが太ももに響いた。足に力が入らず前のめりに倒れた。

 追いついてきたタダンが不敵な笑みを浮かべて、倒れ込んだサギに近づく。

「追い詰めたぜ…"サギ"さんよぉ。手間かけさせやがって…」

 タダンが剣を大きく上に掲げる。殺される、咄嗟にそう思ったサギは目を瞑り、剣を横に持って攻撃を防ぐ姿勢になった。

(ここまでか…っ!)

 しかし、いつまで経っても攻撃は飛んでこなかった。

 不意に、タダンの声が低く響く。

「なんだ?てめぇ…」

 恐る恐る目を開けると、タダンの前に、薙刀を斜めに構えた、若草色の髪をした少女が立っていた。

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