二部 〈追跡者〉

 (意外いがいに若いんだなぁ。稀代きだいの天才、とまで言われる〈星読ほしよみ〉様は)

 広く長い廊下を歩きながら、外套がいとう目深まぶかかぶった男は、さっき見た青年の顔を思い出していた。

「カザン殿は、随分ずいぶんと若く見えたが、何歳か、ご存知ですか?」

「今年でニ十一歳になると聞いたことがあります」

「二十一か…」

 男は、内心、驚いていた。男が見た限りだと、カザンは二十代なかばに見えたからだ。けて見えるほど、疲労がまっているということなのだろう。今思えば、彼の机の上には、様々な書物や書類やらが山積やまづみになっていた。

(特に、色んな事が起こっている今の時期は、休みたくても休めないのだろう)

 タンノ国王の崩御や、次期国王を巡る政治的対立、そんな中開催される〈迎王祭げいおうさい〉の準備…。

(彼にとって、今は人生最大の山場だな)

 大広間に出ると、さっきとは別の従者が、男に歩み寄ってきて言った。

「サギ様、夕食は食べていかれますか?」

 サギ、と呼ばれた男は笑顔を浮かべて言った。

「そうしたいところですが、まだ、少しだけ仕事が残ってるので遠慮しておきます。ご厚意こうい、感謝します」

 大きな門を抜け、外に出ると、初春のあたたかな甘い夜の空気につつまれた。

 眼下がんかには、屋台や家々の灯りが、街全体を明るく照らしている。

(俺の国とは違って、この国は夜でもこんなにきとしているんだな)

 サギが生まれ育った国では、年中雪が降り、夜になると、気温は氷点下にまでなる。そのため、夜に人が外出するなんてことはほとんどなかった。

 (隣の国なのに、全く違う文化の中で暮らしている人たちがいる。俺は随分ずいぶんせまい世界で生きてしまっていた)

 密偵みっていとして、異国いこくおとずれるたびに、サギはそう思う。

 タンノ王国の春は長く、とても暖かい。城下町へと続く石の階段をおり、気分が高揚するような雰囲気の街並みを歩いていると、見たことのない色をした果物を見つけ、思わず足を止めた。

(この国の人たちは、こんなものを食べるのか)

 真っ赤に熟れた果実が、無造作に棚に並べられている。サギはそれを一つ取ると、店員に声をかけた。

「これ、いくらだい?」

「四ダンだ」

 店員がサギの顔をのぞき込むようにして言った。

「お客さん、見たところ外国人だろう?特別に安くしてやるよ。半分のニダンでどうだい?」

「いいのかい?ありがとう」

 サギはそう言って、果物を受け取ると、踵を返して、ゆったりと歩いていった。

 雑貨店で、商品を見ていた男がニ人、顔を上げて、歩いていくサギの背中を見ていた。入り口に近い所で商品を見ていた男が、奥にいる男に目で合図をすると、一定の距離を保ちながら、サギの後ろをついていった。

 サギの姿が、屋台の灯りが届かない薄暗い路地ろじに消えると、片方の男がその路地に近づき、様子を見た。

「住宅街へ出るつもりだろう。奴が路地を出る前に仕留しとめるぞ。お前は先回りして、出口をふさげ」

 小柄な男がそう指示すると、部下らしき男がうなずき、走り去った。

 闇の中に溶けていくその背中を見送ってから、小柄な男は、路地に足を踏み入れた。途端とたん、殴られたような衝撃をうなじに感じ、何も分からなくなった。

 (やっぱり、追われてたか)

 完全に気絶し、動かなくなった男の手足を縄で縛りながら、サギは考えていた。

(ここでこいつを殺すべきか…?)

 と思ったが、他にも追手が居ることを想定し、一刻も早くそこを立ち去ることにした。

 サギは、男の口に猿轡さるくつわをはめて、物影に隠し、男の腰にしてあった長剣を引っこ抜いて、路地から大通りへ出た。

 サギは半眼になり、辺りの気配を探った。

(まだ、追手は来ていないっぽいな)

 城内から出るため、ここから最も近い西門へと走り出した。

 見張りの兵士がいるはずの城門には、人の気配は無く、どことなく異様な空気がただよっていた。城門に近づくと、サギは剣の鯉口こいぐちを切り、城門を駆け抜けた。

 門を出た瞬間、脇から何かが飛んでくる気配を感じ、剣をすくい上げるように振った。剣を握る手に重い感触が伝わり、金属同士がぶつかる高い音が響いた。後ろから男がニ人、追いかけて来ているのを感じたが、後ろを振り返らずに、森の中に飛び込んだ。

 門の裏でサギが来るのを、気配を消して待っていたフェンは、何者かがけてくる気配を感じた。門の反対側で、同じようにサギが来るのを待っていたシュンに目で合図をし、身構みがまえた。

 気配がどんどん近づいてくる。ひりひりとした緊張感が辺りを満たした。

 黒い影が、門から飛び出した…。と、同時にフェンは棒手裏剣を鋭く投げ、同時に間合いを一気に詰めた。白い光の尾を引いて、棒手裏剣が上に弾かれた。間髪入れずに、剣を横殴りに振ったが、刃は空を切った。

 あっという間に駆け抜けていったサギの背中を見て、フェンはシュンに声をかけた。

「追うぞ!」

 前を走るサギの姿が木の陰に隠れた…と、思った瞬間、やや後ろでにぶい音がし、シュンのうめき声が聞こえた。

 一瞬、シュンの様子を見に行くか、標的を追うか、迷いがしょうじた。

 集中が途切れたその一瞬のうちに、サギの気配は消えてしまった。

「くそっ…」

 フェンは振り返り、シュンの様子を見に行った。


「おい、シュン!大丈夫か!」

 サギが投げた小石が左目に直撃した激痛にえながら、シュンが応えた。

「あぁ…大丈夫だ」

 目をおさえている手の隙間すきまから、赤黒い血がしたたっているのが見えた。

 フェンは、そでの布を引きちぎると、シュンの目に当て、頭の後ろできつくしばった。

 シュンの頭が揺れないよう、彼を背負せおい、ゆっくりと立ち上がると、フェンは集合場所として決めていた場所に向かった。

 集合場所としていた旧市街の路地には、既に仲間たちは全員集まっていて、気絶しているシュンを見ると、すぐに駆け寄ってきた。

 大柄なバンが、低い声でたずねた。

「表門か?」

 フェンが暗い顔で答えた。

「ああ、そのまま、森へ逃げていった」

 うなずいたバンが、部下を四人連れて表門へと向かっていった。

 その背中に、フェンは声をかけた。

「俺たちが追ってる奴は、ただの諜報員ちょうほういんなんかじゃない」

 その声に振り返ったバンは、言葉を続けようとするフェンを目で制して、暗い夜の闇へ消えていった。

「はぁ…」

 フェンは深いめ息をついた。

 その様子を見たホクは、シュンを手当てする手を止めずに話しかけた。

「シュンがここまでやられるなんてな。そんなに手強かったのかい?」

 フェンは答えなかったが、それでも、今回の"獲物"は、一筋縄ではいかない、ということははっきりと分かった。

 シュンは、決して大柄ではないが、剣の腕はバンとほぼ互角だった。そんなシュンが一方的にやられてしまったのだ。

 これは、思わぬ事態だった。

 一通り手当てを終えると、ホクは背後を振り返った。

「デク、ノク、シュンを頼んだ」

 ニ人が頷いたのを見ると、ホクは立ち上がり隅に置いてある木箱にもたれかかるようにして座り込んだ。

 そして、目を閉じると、そのままピクリとも動かなくなった。

 〈魔術〉を使うことができる人間は多くはない。

 〈追跡者〉は、そんな数少ない人間、〈魔術〉を使える人間のみで構成されている。

 "自分の血を与えた動物と感覚を共有できる"

というホクの〈魔術〉は、〈追跡者〉として大いに役立ってきた。

 (ホクの〈魔術〉を使えば、明日の昼頃には獲物を捕らえられるだろう)

 フェンは張り詰めていた緊張の糸が、ぷつんと切れたように、崩れるようにして横になった。

 全身が重く、目を開けているのさえ、しんどく感じる。

 徐々に視界が狭まり、意識は暗い谷の底へ落ちていった。

 表門に着いたバンは、そこで行われた戦闘の跡を見て、相手の手強てごわさに、内心、舌を巻いていていた。

 (相手に武術の心得があるとしても、ニ人に奇襲されて、無傷どころか一人を戦闘不能にするなんてことが可能なんだろうか)

 やがて、あたりを調べていたテァンが、手で合図を出した。

 バンは他の部下たちと共に、合図された場所に集まった。

「見つけたか?」

「はい。ここの木の根元、かすかですが、踏ん張ったような跡があります」

「ふむ…」

 彼の言うとおり、確かに地面が一部だけ不自然にくぼんでいる。

 バンは一歩後ろに下がり、門から木の根元までの道程みちのりを確かめた。

 バンの〈魔術〉を使えば、"〈腐蝕〉の痕跡をる"ことができる。

 フェンが投げた棒手裏剣に付いていた〈魔力〉の跡が、凹んだ跡を通って森の奥へ続いていた。

 そして、もう一つ、フェンの物でも、シュンの物でもない、〈魔力〉がわずかに残されていた。部下の一人、テノンが聞いた。

「何か視えましたか」

「ううむ…。事前に集めた情報の中に、サギという男が〈魔術〉を使えるだなんてのは無かったよな」

 〈追跡者〉は、事前に相手のあらゆる情報を探り、仲間内で共有する。

「はい。もし〈魔術〉を扱えることが知られていたら、必ず耳にしていたはずです」

 バンは難しい顔をしている。もし、サギという男が〈魔術〉を使えるのなら、サギは想定以上に厄介な相手かもしれない。

 そう思ったとき、つん、と鼻を刺すようなキツイ匂いがして、バンは顔を上げた。

 バンが突き出した腕に、一羽のわしがとまった。

 暗い闇の中に、ニつの眼が異様に光っている。バンはその鷲に話しかけた。

「相手は〈魔術〉を使えるかもしれない。助人を寄越よこしてくれ」

 バンの話してる事が理解できるのだろうか、鷲は短く鳴くと、飛び去っていった。

 鷲の姿が見えなくなるのを見送ると、バンは部下たちを見回して言った。

「今のを聞いていたな?合流する前にサギを見つけ出すぞ」

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