「さよなら、わたしの一番星」(Dear My Star.)


 ノイズがかった視界が僅かに、一定間隔で上下している。


「あ――れ――?」


 そのリズムは揺りかごのようで。だから私はそれをおかしいと思った。


 ちいさく、ちいさく。星は上に、星は下に。


 落ち着くリズム。ニンゲンの赤子はこんな風に、あやされるのだろうか。


 おかしいというのはそれだ。私に赤子だった頃などなくて。


 私は、


「……当機とうきは、気絶ダウン、していたのですね」


 見えるのは夜空だけ。満天の星と欠けた月。どういうわけか、この身体は自動的に進んでいるらしい。



「やっとお目覚めか。無茶し過ぎだぜ、【機族令嬢アイギス】」


「……【急進きゅうしん】? あぁ、」


 思い出す。私は、あの戦いで。あの奈落の奥底で――


「ご迷惑をおかけします」


「いいよ、持ち運びやすくて助かった」


 ――腕も脚も、れてしまったのだったな、なんて。他人事のように考えていた。


「……脱出、できたのですね。我々は運が良い。それとも何方どなたかの機転でしょうか」


 私を背負う異貌人ナイトメアは応えない。


 聞こえないので不安になるのだ。


「皆様、ご無事ですか。申し訳、ありません。当機がしっかりと盾役を務めていれば、」


 視線を巡らせる。少ししか動かない首をなんとか横に振る。それだけで機構がぎしぎしと軋み、ほんとうに壊れかけなのだなあ、なんて思ってしまった。



 そんなこたねェよ、と言ってください、【何でも屋アンダーエッジ】。


 まったくじゃ、でもいいんです、【隣人レイジィ】。


 いま聞きます。お説教を。【歩く神殿】。


 ですから、どうか。


「マスター……」


 不安なんです。


 いいえ、いいえ。認めたくなどないのです。どうして。どうして。







 足音がなのですか。



「……全滅した。わたしたちの冒険は、あそこで終わった」


「【急進】」


 荒野を進む。



莫迦ばかな連中だと思わないか」


 進んでしまう。


「戻りましょう。マスターが、皆様がお待ちです」


「君も十二分に莫迦だなァ」


「……、……ッ! 降ろしてください【急進】。当機は戻ります……っ! マスター、マスターッ!」


 一歩一歩は緩慢に。けれど確実に。


「当機はマスターの傍に居たいんです。お願いします【急進】、戻るのなら当機を置いて行ってください……!」


 遠くなる。迷宮が。マスターが。一歩ずつ、一歩ずつ。


 もう無いのに。それでも必死に腕を伸ばす。身体をよじる。


 嗚呼、まるで赤子のようだ。なんて無力。槍士の歩みは止まらない。


「マスター、マスター、マスター、マスター……!」


 遠くなる。遠くなる。遠くなる。遠くなる。


「置いて行ってください」


 戻ってももう間に合わないというのなら。


「当機を、」


 もう動けない私を。せめて少しでも、あのひとから近いところに。


「当機を置いて行って……置いて行きなさい……っ!」


 これ以上、遠ざけないで。


「【急進】――!」



「……まったく。非道ひどいことを言うよな君は。あいつらは」


 応える声は、けれど独白のようで。


「どうしてわたしなんかに、こんな重いモノを背負わせるンだ」


「なら利害は一致しているでしょう……!」



 空が白やむ頃になって、ようやく彼女は足を止めた。私を下ろし、毛布をかけ、野営の準備を始める。


 なんたる段取りの悪さだ。限界まで歩いてから、やっと休む用意に臨むなど。


 余力のあるうちにそういうことはするのだと、【何でも屋】も言ってたじゃあないですか。


 かちかちと火打石をこする姿を眺める。火は点かない。下手すぎやしませんか。――あ、魔法に頼った。魔力の温存も考えてないのですか、貴女は。いま襲われたらどうするのですか。


 ……そこで、彼女が異貌を解いていないことに気づいた。伸びた角と金色の瞳に、青ざめた肌。とてもではないが、健常なニンゲンのそれとはかけ離れた、忌避さえ誘う、美しい横顔。


 焚火に口づけるように寄せた唇には見慣れた……けれど彼女の口元にあるのは初めて見る煙草があった。


 あ。むせた。似合わないことをするからです。


 吸い終える前に、焚火にくべてしまった。水を飲んでいる。まさかそれで食事を済ませる気ですか貴女は。


 ……そして、思い出したように彼女は荷物を漁り、機人わたし用の携帯食カプセルを取り出すと、抵抗できない私の口にそれを押し込んだ。


「聞いていなかった。ソレ、どんな味なの?」


「…………特には。美味しいとも、不味いとも言えません。味が無いので」


「なるほど、あまり変わらないンだねえ」


「……?」


「君はもう眠り給えよ。あと三日もあれば、街に戻れる」


「当機は此処で良いです」


 置いて行って、という私の願いには。結局一言も返してはくれなかった。



「…………貴女を、恨みます」


「それは、嬉しいことだねえ」


 有難いことだ、と彼女は俯いて笑った。



 まるで、泣いているようだった。



 /



 思考に亀裂が走っている。もともと壊れかけの身体が、とうとう壊れるだけなのだろう。


 どれだけ歩きましたか。


【急進】は私を背負い、たった一人で荒野を進む。降ろされるのは休む時と、遭遇戦エンカウントの時だけ。


 名実ともにお荷物となった私は、横向きに寝かされたまま半分の視界で踊る槍の残像を見ていた。


 嫌気が差す。


「……【急進】、当機を」


 こんなにも弱い私に。



「置いて、行かないでください」


「当たり前だ。莫迦言ってンじゃあないよ、ヴェイゼ」


 捨ててくれない貴女に。



 ザザッ、



 ノイズまみれの視界と思考。音もあまり聞こえなくなって。ああ、私の稼働もここまでか。


 マスター。マスター。ごめんなさい。貴方の傍に居たかった。貴方の傍で壊れたかった。


「   ?」


 はい。


「    、   」


 はい。


 ごめんなさい、【急進】。きっと誰も彼もが、みんな貴女に押し付けた。



 首に、白い指先が掛かる。


 私は彼女を見上げている。


 月の逆光で、見上げる彼女の表情に影が入ってよく見えない。



 ――ありがとうございます。散々な旅路でした。一生恨んでやる。ごめんなさい。


 回路が断線する。


 願いが届かないことなど知っている。だから焼き付いて欲しい。


 もう一度、目を覚ました時。


 貴女のことを、どうか憎んでおぼえていられますように。






 ごきり、と。生涯が折れる音を、最期に聞いた。


 頬に触れたのは、きっと春の雨なのだろう。



 だってこんなにも、あたたかい。



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