第4話 未来の二人に

 ジオン・ズム・ダイクン逝去のニュースはジオン共和国のみならず、ラグランジュ・ポイントに浮かぶコロニー、月、地球にまで広がった。宇宙を居とする人々に、肌の色や先祖ではなく「スペースノイド」という新たなアイデンティティを与え、誇りを持たせた人物の死である。ニュースバリューは十分にあった。

 これは同時に、ジオン共和国内の権力構造へも目を向けさせることになった。ダイクンが首相として君臨していた世界はいったいどのように変化するのか。ダイクンはいったい誰を自らの後継者として考えていたのか。

 マスコミはダイクンがその死にあたり、特定の人物と面会したことをつかんでいた。その人物こそが後継者となる可能性は高い。だがダイクン家は非常に口が固く、外部に情報はほとんど漏れない。それでもなにか探ろうと、マスコミのみならず、企業の調査部、情報機関までもが躍起になった。

 さて、その「面会した人」ことキシリアである。彼女は今の段階で、自らがジオン共和国を率いようなどとは思っていなかった。それはテレビ版『機動戦士ガンダム』への冒涜であると同時に、ダイクンに転生した知らないオタク女に踊らされることになるからだ。

 あの女の目的は、ストーリーを早めてこの世界をパプテマス・シロッコの天下にすることだ。シロッコはまだ生まれてもいないのではと思うが、そんなことは関係ないらしい。まったくオタクの熱情というのは恐ろしい。

(なんとかしてダイクンの陰謀を防がないと……)

 朝、まだ朝食もとっていないうちから、彼女は考えを巡らせていた。

 ダイクンというか転生していた女はうっとりしていたが、シロッコだけに都合のいい世界なんて別のアニメだ。つつがなくテレビ版『機動戦士ガンダム』のストーリーを進めねばならぬ。

 しかしどうしよう。どっちも中身はオタクの女だが、向こうは首相でこっちは十代の少女だ。打てる手段に違いがある。ただ相手はつい数日前に死去し、自分はザビ家の一員なのだから、今生きている分だけ利点がある。

 キシリアは自室のベッドに寝転がり、先ほどからニュースサイトをチェックしていた。どこもダイクン逝去のニュースばかりである。葬儀はいつするのか、それは国葬となるのか、ジオン共和国には国葬でも、地球連邦からすればただの葬儀ではとの論説もあった。

(どっちでも、ギレンが仕切るんだけどねえ)

 建国の父の葬儀なんて、豪勢にやるに決まっていた。権威を示すと同時に、国民の心を刺激して一致団結させるのである。ジオン共和国の首相たるもの、死んだ後でも国のために尽くしてもらうのだ。ギレンはここらへんの手を抜くような人間ではない。ふいに、頭の中であることが形作られた。

「そうだ!」

 キシリアは端末を手元に引き寄せ、猛然とチェックをはじめる。目的のものがないと知ると、ギレンの部屋へ走った。荒々しく扉を開ける。

「兄上、こないだのパーティーの来客名簿とかありますか?」

「……朝なのだから、ノックするとか挨拶するとかあるだろう」

「おはようございます。名簿は?」

 ギレンは無言でタブレット型端末を渡した。パーティーのフォルダを開けて中身を見ていく。目当ての人物はすぐに見つかった。

「私が謝った人の中に、コロニー公社のサイド3担当部長がいましたよね。グラナダの市長とかと知り合いだったりしませんか」

「知ってるだろう。ここのコロニーを建造するとき、資材の大半はグラナダのマスドライバーで打ち上げた」

「市長は私に惚れてたりしません?」

「馬鹿を言うんじゃない」

 彼女は連絡先を素早くメモる。もう一つ訊いた。

「都市計画の専門家とか知り合いにいませんか」

 ギレンは怪訝けげんな顔をした。

「私よりお前が知ってるだろう」

「ええ? まさか」

「セレブ好きだから建築家を紹介したことがあるぞ。紹介した後にフォトグラファーがよかったと駄々をこねていたが」

「私の言いそうなことですね」

 聞くだけ聞いてから階段を下りて食堂に行き、手早く朝食をすませる。自室に引き揚げて端末を動かした。

 アドレス帳の中には、確かに建築家らしき人物がいた。こっちはまだ置いておくとして、まずは教えてもらったコロニー公社のサイド3担当部長だ。

 メールを書くなんて悠長な真似はしなかった。いきなりサイド3担当部長に電話をかけたのである。

 相手は中年の男性で、物腰の柔らかそうな人物であった。キシリアは挨拶もそこそこに、いきなり本題を切り出した。

「月のグラナダの市長を紹介してもらえませんか?」

 およそ十代の少女のものとは思えない相談事に、サイド3担当部長は目を白黒させた。

『……確か市長には十代の娘さんがいます。そこのパーティーに行くのですか?』

「そういうわけでは」

『天井に穴を開けたり、食べ物を庭に撒かれたり、グラスを全部壊すなどされるようでは、さすがに紹介するわけにも』

「こないだもしないって言ったじゃないですか。ダイクン首相の葬儀にいらしてもらえるよう、連絡しようと思ってます」

 ダイクンの葬儀は国葬で、差配はギレンである。沿道で眺めるだけなら誰でも可だが、会場入りできるとなると限られる。誰を入れるかはギレンの一存にかかっていた。そしてキシリアはギレンに影響を及ぼせる数少ない人間である。

「市長も参列して欲しいんです。最前列のいい席を兄に頼んでおきます。葬儀でいい席というのも変ですけど」

 男性はあからさまにほっとしていた。

『そういうことなら構いません。ところで私もぜひ葬儀に……』

「もちろんいらしてください」

 キシリアはグラナダ市長の連絡先を聞き、通話を切った。

 今度は技術研究所に電話をかける。いつもの女性研究員が応対してくれた。

『これはキシリア様。朝早くからどのようなご用件でしょう』

「名前ちゃんと変えた?」

『明日付でジオニック社として発足することになっています。株式の半分以上は共和国所有なので、実体はほとんど変わらず…………』

「政府が握ってる株は私の手の中って知ってる?」

『あの噂、本当だったのですか』

「株主のお願いなんだけど、所長連れて首相の葬儀に出てきてもらえる?」

 当たり前だが女性は戸惑っている。

『首相のことは尊敬しておりますが、あの方はうちの予算を削ったりしていたので』

「私が増やしてあげたでしょ。出て」

 キシリアは重ねて「詳細はあとで。出席は国民の義務だから」と告げ、無理矢理納得させた。

 ストーリー進行のためには、キシリアも独自の派閥を持っていないと駄目だ。そしてキシリアの手駒といったら突撃機動軍と月面グラナダ市である。今のうちに関係を深めておかねばならない。

 次は建築家へのメールに取りかかる。堅苦しいものになったが、ビジネスメールは転生前に散々書いたので、応用にすぎない。ザビ家からのお願いであると言うことを強調し、送信した。

 全て終わらせてから一息つく。

(足がかりの第一歩ね)

 心の中で呟いた。やることは他にもあるが、あとは葬儀になってから。端末を手にベッドに寝転がる。ジオン共和国バーチャル観光案内なるソフトを起動し、適当に見物するつもりだった。「ジオン」と名のつくものはなんでも楽しい。

 いくらもしないうちに、自室の扉がノックされた。

「開いてるから勝手に入って」

 ベッドで仰向けのまま答える。扉が開いたので横目で見ると、そこにいるのは金髪の少年だった。キャスバル・レム・ダイクンであった。

 キシリアは慌てて起き上がった。転生前の自宅は1LDKのマンションであり、リビングで寝転がって動画を見るかマンガを見るかの生活しかしていなかった。その時の癖が出たのである。ちなみに唯一の部屋はガンダムグッズで埋まっていた。

 急いで裾を整えると愛想笑いをする。キャスバルは困ったような、戸惑ったような表情を浮かべていた。

「あの……出直した方がいいですか……?」

「いいの。入って」

 いつもなら客人は召使いが取り次ぐのだが、手を抜いたらしい。キシリアは椅子の上に載せたままになっていた資料をどかすと、座るよううながした。

 キャスバルは興味深く室内を見回している。

「……こういうことを言うのは失礼だと思いますが、もっと女の子らしい部屋だと思っていました」

「あら、そうなの」

「僕の妹の部屋は人形とぬいぐるみばかりです。キシリアさんはファッションにしか興味がないと聞いていましたから」

「そういうのは卒業する年頃だから」

 なにしろファッションよりガンダムの女である。転生前はアニメになど興味ございませんという擬態をしていたので、服や宝飾品も一通りあったが、ここで遠慮する必要はない。キャスバルに椅子を勧めたあと、自分はベッドに腰かけた。

「ご用件は? ガルマを呼んでこようか」

「いえ、キシリアさんにお話があります」

 キャスバルは改まった。

「先日は父の最後のままを聞いてくださり、本当にありがとうございました」

「ああ、いいのよ」

「先日、ギレン様が我が家にやって来られて、葬儀の準備がはじまりました。国葬にするつもりだとおっしゃっていて」

「そういう人だからねえ。ガルマが死んだときも国葬だったし」

「はい?」

「気にしないで。こっちの話」

「共和国だけではなく、各コロニーや月の要人も招待すると……」

「分かった。もっと簡素にしたいから、ギレンを説得して欲しいってことね」

「そうではありません」

 キャスバルは首を振った。

「父は以前、葬儀も共和国のためにおこなうべきだと語っていました。ですからギレン様の言う通りにすべきだと思います」

「あら。じゃあ私になんの話があるの?」

 このときはじめて、キャスバルは逡巡の色を見せた。

 うつむき加減になり、目を合わせていない。どこかおどおどしているようでもあり、年相応の仕草を見せていた。

(こういう姿も可愛いわね……記憶に焼き付けておこう。いっそ動画に残すか)

 そんなことを考えていると、突然キャスバルが言った。

「僕の隣にいてくれませんか!?」

「はえ?」

 なにを言われたのか分からず、キシリアは変な声を出す。キャスバルは勢いのままに続けた。

「葬儀の最中、僕と妹はずっと立ちっぱなしで民衆の前に出ていなければなりません。妹に伝えたら怖がってしまって……。僕も不安ですから、一緒にいて欲しいんです」

「いや……それなら、警護官とかいるんじゃない?」

「知ってる人がいいんです。お願いします」

 詰め寄られそうな勢いであった。実際、キャスバルの腰は浮いていた。

 キシリアは目をぱちくりさせた。確かに金髪美少年と一緒にいられるのはこの上ない幸福だ。現実世界なら手が後ろに回るかもしれないが、葬儀なのだから多分セーフだろう。下心は隠しておけばいい。

 しかしここでキャスバル、つまりシャアとの関係を縮めるのは正しいのだろうか。適当にあしらっておいた方が、ストーリーもきちんと進むのでは。シャアとキシリアって、こんなに親しかったっけ?

 彼女は断ろうと思って口を開く。

 ふと、ある考えが思い浮かんだ。

「いいわよ」

「本当ですか」

 キャスバルが目を輝かす。キシリアはうなずく。

「私も周りが大人ばかりになるよりは、キャスバルたちの近くにいるとほっとするから」

「ありがとうございます」

 彼は何度も礼を言った。

「アルテイシアも安心すると思います」

「いいって。早く妹さんにも教えてあげて」

 帰宅するキャスバルを玄関まで見送った。それからまたギレンの部屋へと向かった。


     ○


 葬儀は荘厳なものとなった。そもそも明るく派手な葬式自体があまりない。ましてやスペースノイド自立の体現者なのだから、威厳に満ちたものになるのは当然だった。

 ダイクンの遺体は大勢が見守る中、葬送されることが決まった。遺体はが施されており、棺は共和国軍兵士による護衛のもと、大通りを進む。共和国政庁を通過し、国葬会場に運ばれた。

 会場は屋外である。その方が見栄えがいいとの理由による。これが地球だと天候を気にしなければならないが、コロニーなので自在に操れる。当然晴天となった。参列はジオン共和国の国民であるなら誰でも可能。さすがに一般市民は遠巻きに見守るだけだが、映像中継のクルーはかなり近くまで寄れた。

 棺が保管所から出され、車に乗せられると沿道をゆっくり走る。大勢の市民が見守っていた。

 ザビ家の面々はあらかじめ国葬会場で待機していた。もちろんキシリアもそこにいた。彼女は転生前から葬儀が好きではなかった。辛気くさいし足元が寒い。本音をいうなら家でアニメを見ていたかった。むろん表面上は神妙な顔をしているのだが。

 以前のキシリアは堂々と葬儀を欠席するか、「喪服の男の人かっこいい」と大声で喋っていたらしい。それに比べればよほどマシではある。

 さすがダイクンの葬儀だけあって、招待者のほとんどが参加を希望してきた。各コロニーの要人はもちろん、月からは市長や議長クラスが来ている。地球連邦政府だけは、「サイド3連絡事務所次長代理補佐」という申し訳程度の肩書を持つ人物だけであったが。

 キシリアは黒い服に身を包み、会場を歩いていた。目当ての人物を見つけると、自分から近づいていって挨拶をする。

「市長、キシリア・ザビと申します」

 初老の女性は、当初不思議そうにしていたものの、すぐに顔を明るくした。

「失礼しました。キシリア様ですね。お初にお目にかかります」

 グラナダの市長は物腰が柔らかく、いかにも調整型のリーダーであった。

「私の葬儀への参加を後押ししてくださったとか」

「ええまあ。実は紹介したい人がいます」

 キシリアは市長を連れ、会場の隅にいた二人の人物に引き合わせた。

 研究所の所長と女性研究員である。二人はキシリアがいきなり大物の市長を連れてきたので、ぽかんとしていた。

 キシリアはにこやかな顔で喋り出す。

「共和国の研究所だったのですが、ついこのあいだ、半官半民のジオニック社となりました。技術研究だけではなく生産も手がけたいと考えています」

 彼女は相手の考えがまとまらないうちに言い続ける。

「手始めにグラナダ市への進出が計画されています。研究施設だけではなく、生産工場も含めてですから、グラナダの雇用改善に大きく寄与するものと思われます」

「……そうなのですか?」

「もちろんです」

 所長と女性研究員は驚いている。確かに詳細はメールしたものの、真剣に受け取っていなかったのだ。

 キシリアには、これは進めなければいけないとの確信があった。さもないと、モビルスーツその他の生産と自らの派閥に影響が出てしまう。逆に言えば、これがあればストーリーをテレビ版で進められるのだ。

 突然のことであったものの、市長の目の奥には興味津々な色があった。

 キシリアは肘で所長の脇腹を突く。

「ほら、うなずいて所長」

 所長と女性研究員はギクシャクしながら認める。キシリアはにこにこしながら断言した。

「バックには共和国政府がついているのでご安心を。それじゃ、あとは皆さんで話し合ってください」

 彼女は会場の自分の席へと戻る。

 デギンに、どこにいたのか訊かれたが、「知り合いと会ってました」とだけ答えた。間違ってはいない。

 ざわめきが大きくなってきた。ひつぎが近づいてきているのだ。それに連れて、中継クルーがザビ家を映しだしていく。

 カメラがキシリアの隣を向く。空気が張りつめるのが分かった。

「大丈夫」

 キシリアは少年の身体にそっと触れた。

「すぐに終わるから。じっとしてよう」

 隣にいるキャスバルは、小さくうなずいた。その隣のアルテイシアも大人しくしており、キシリアは頼もしく思うと同時に、「子供の身体って柔らけえ」と不謹慎な感想を抱いた。

 参列者の中心は当然ダイクンの遺児二人、キャスバルとアルテイシアだ。その周囲を固めるようにザビ家が並んでいる。キシリアだけではなく当然デギンやガルマまでいる。一番先頭の目立つ位置だ。他はコロニーや月からの要人が多く、ジオン共和国の政治家や企業家たちはやや後ろに位置している。

 キシリアがギレンに電話した内容がこれだった。キャスバルとアルテイシアの近くに、自分だけではなくザビ家が全員集まる。カメラは遺児二人を映すから、そうすることでザビ家がダイクンの後継者であるとアピールするのだ。

 国家では、葬儀や党大会での席順が重要だと言われることが多い。早い順番であればあるほど、権力の強さに直結するのだ。転生前にたまたまネットニュースで得た知識が、早くも役に立った。

 このあと、ダイクンへの弔辞をデギンが読み上げることになっている。これで明日からザビ家がジオン共和国の顔だと言っても通用するだろう。この案をギレンに告げたときは「その年でよく思いつくな」と感心されたが、どうせザビ家が支配するんだから、これくらいしなくては。

「……ありがとうございます」

 隣のキャスバルが呟く。

「ザビ家の皆さんが支えてくれなかったら、僕はこの場にいられませんでした。政治なんて父だけの仕事だと思っていました」

 キシリアは微笑む。

「そんなことないわよ。キャスバルはいずれスウィート・ウォーターの主になるんだから」

「それ、新しい飲み物かなにかですか」

 キシリアは「そんなとこ」と返す。視界の隅に、運ばれてくる棺が見えた。

 やや弛緩しかんしていた空気が急に引き締まる。鐘が鳴らされ、棺の到着を知らせる。全員棺の方向に身体を向けた。

 と同時に。

 棺が爆発した。


 あとから考えると爆発はオーバーだったのだが、音と光の派手さは爆発と表現しても差し支えなかった。棺の蓋が弾け飛び、煙が上がったものだから、周囲は大騒ぎになった。

 参列者は騒然となり、伏せるか逃げるか判断を迫られた。警護官が泡を食ってそれぞれの要人の盾となり、避難路に引っ張っていく。

 キシリアは反射的にキャスバルに覆いかぶさろうとした。が、キャスバルも同じ考えだったらしく、二人はぶつかり、顔を押さえながらそれぞれの弟妹、ガルマとアルテイシアを庇うことになった。

「あ、姉上、なにが……!?」

「分かんないけど、テロかもしれないから逃げるよ!」

 ガルマを立ち上がらせる。周囲を見ると、デギンとギレンは警護官に守られていた。ドズルはむしろ他の人を助け起こしている。

 爆弾テロだとしたら、この場に留まるわけにはいかない。二発目、三発目があるかもしれないからだ。キシリアは自分で驚くくらい落ち着いていた。OLやっていたときに、避難訓練を真面目にやっていたのがよかったのだろう。回りからはなにもそこまでと言われていたが、さっさと終わらせて声優のネットラジオを聴きたかったのだ。

 会場から遠ざかる。ザビ家の屋敷までノンストップで避難した。

 ようやく落ち着く。自然とニュースが舞い込んできた。不確実なもの、明らかにデマだと分かるものを除くと、棺に仕掛けられていたのは爆弾というより花火だと分かった。

 教えてくれたのはギレンであった。

「花火で会場を混乱させるのが目的だ」

「悪ふざけがすぎますよ」

「それだけではすまない。騒動より前、会場付近に潜んでいた不審者を警備が捕らえた。パーティーのときと同じで元軍人だ。ダイクンの遺児をさらうつもりだったそうだ」

「またですか」

「花火の混乱に紛れるつもりだったんだろう」

「故人の陰謀ですか?」

「不明だ。だが花火は分かった。ダイクンがそうするように、あらかじめ言い含めていた。棺の業者が白状した」

「ええ? 葬式で花火を上げて参列者を驚かすなんて、十返舎一九や林家正蔵のネタでしょう……あらかじめ言っときますが、前にWikipediaで読んだだけなんで、これ以上突っ込まないでください」

「花火と誘拐未遂が続いたのは偶然だろう。もしかしたら、不審者がダイクンの仕掛けをあらかじめ知っていて、利用したのかもしれない」

 ギレンはあくまで花火と誘拐未遂が別々のものと考えているようだった。だがキシリアには分かっていた。どちらもダイクンの中身、転生した女性の陰謀である。戦争を早めるのが目的なのだから、混乱はあればあるほどいいのだ。その証拠に、先ほどから流しっぱなしにしているニュース番組では、しきりと地球連邦政府の陰謀が語られていた。誘拐未遂のことは情報統制が利いているものの、花火の発火は大きく取り上げられていた。

「……会葬者を混乱させるために、あえて地球連邦は花火にしたのだと言ってますね」

「真実かどうかは問題ではない。民衆がこの説に飛びつくのが問題だ」

 ギレンは憂慮しているのが分かる。彼にとって地球連邦政府の陰謀云々より、世論が手を付けられなくなる方がよくないのだ。手の内にないとやりづらいのである。

「首相が亡くなったのも、地球連邦のせいだとも言ってますね。食べ物に放射性物質を混入したって言ってますよ」

「そんなことはない」

 とはいえ、この状況ではどんなことでも地球連邦政府の仕業になりそうな勢いである。

「政府が公式発表で否定するしかないな。どこまで効果があるか不明だが」

「兄上が直接記者会見を開くべきです。事態収拾に動けば、自然とダイクン首相の後継者だと思ってくれます」

「葬儀の席順といい、本当に妹なのか」

 とギレンは言ってから、

「これで今後、国の儀式は全て屋内でおこなわれるだろうな。安全面を考えると仕方ない」

「どうせ、そうなりますから」

 キシリアはテレビ版『機動戦士ガンダム』第十二話「ジオンの脅威」の国葬シーンを思い浮かべながらギレンの元を離れた。


 キシリアは自室に戻り、今まで起こった出来事をじっくり反芻した。

 世間ではダイクン首相の死は連邦の仕業で葬儀の花火も連邦だ、一刻も早く報復しろと騒がしい。政府の一部でもそのような動きがあるという。

 しかしそこで、本当に報復してしまっては開戦に進むしかなくなる。ただでさえ禁輸措置だなんだでぴりぴりしている時期である。なのに彼我の軍事力は地球連邦軍が圧倒的。戦端を開いては敗北は必至だ。

(ダイクンはここまで計算……してそう)

 オタクは刹那的なわりに先のことまで考えるのが得意だ。狙っていたに違いない。葬儀の事件と並びニュースとなっているのは、ダイクンの遺児、キャスバルとアルテイシアのことだ。二人をキシリアたちが囲んでいたため、ザビ家の後継者アピールは成功している。だがそれが対立派閥を刺激し、逆に反ザビ家の象徴として担ぎ出すのではとの予想もあった。

 実際、ダイクン家の屋敷に侵入し、二人を連れだそうとした事件もあった。犯人は狂信的なダイクン主義者でキャスバルとアルテイシアに王として即位してもらいたかったらしい。これはかなり堪えたらしく、キャスバルからキシリアに連絡があった。

『警察にも頼んでいるんですけど、あまりうまくいかないんです』

 画面の向こうのキャスバルは、年齢に似合わず疲れた顔をしていた。

『僕は大丈夫でも、妹が』

「あー、そうねえ。しばらく続きそうだし」

『引っ越そうかと思ったんですけど、今の方が警護はしやすいと言われました』

「私もなにか考えてみる」

 通信を終えてから思った。どうすればいいかは分かっている。だが、どのタイミングでどうやろう。

 呼び出し音がして、端末が震える。メールだ。差出人を見ると、紹介してもらった建築家の名前がある。

 メールには「建築物のラフスケッチです」と書いてあり、画像が添付されている。

 キシリアは添付の画像をじっくりと眺め、うんうんとうなずく。そしてドズルとガルマを呼んだ。

「さっき届いたんだけど、これ見て」

 ドズルは画像を見せられても無言だった。どう答えていいか分からない様子。

「ええと、キシリア……」

「共和国の新しい庁舎の予想図よ。恰好いいでしょう」

「…………」

 ラフスケッチは「悪人のマスクにツノがついたような建物」であった。要するにズム・シティというと画面に出てくるあれ、である。

 キシリアは建築家を集めて(と言ってもメールのみのやりとりだが)、小規模なコンペティションを開いたのであった。

 建築家たちにはお嬢様のお遊びくらいにしか思われず、デザインコンセプトが伝えられるとますますそう思われた。だが彼女にはなくてはならない建物であり、ガンダムオタクとして欠かせないと信じていた。

 キシリアはラフスケッチをうっとりと眺めた。

「庁舎の前を広場と公園にして、民衆憩いの場にするの。庁舎を見上げるたびに共和国の偉大さを感じるってわけ」

「…………」

「ドズルにも部屋をあげるわね。ツノのてっぺんがいい?」

「…………」

 ドズルは無言で拒否を示した。ガルマは「姉上、恰好いいですね」と言っていたが、これもキシリアの言うことならなんでも肯定しているだけのようだ。

 もちろん彼女は気にしない。

「やっぱり目とか光った方がいいかしら」

「いや……普通のビルでいいんじゃないか……」

「ちょっとドズル、つまらないこと言わないで」

 キシリアは諭すように言う。

「これは私たちの象徴。国民はこれ見るたびにザビ家を思い出すの。インパクトある方がいいに決まってるでしょう」

「だってこれじゃ悪人の基地だ」

 ドズルは最近放映されている子供向き番組の名を挙げた。

「こんなの建てたら、俺たちが悪いことしてるって思わせるだけだろ」

「話にならないわね。いい、悪いことってのは……」

 そこまで言いかけて、キシリアは手を叩く。

「それ、それだ。さすがドズル、いいこと思いついたわ」

 キシリアは一人で納得する。ドズルは怪訝けげんな顔をしていた。


 翌週から、ジオン共和国内にある噂が流れはじめた。

 ダイクンの死は病死などではなく、暗殺であったというのだ。しかも企んだのは地球連邦政府ではなく、ザビ家だというのである。

 当初は根拠のない噂だとして一笑に付されたが、やがて有力雑誌が「首相の死に疑義あり」と特集記事を組む。放送ネットワークも追随し、噂はジオン共和国全てのコロニーに広がっていった。

 さすがに放送ではザビ家の仕業と名指ししていない。だが匂わすことで、見た人間には分かるようになっていた。

 このような噂の反応は、すぐ形となって現れる。まずザビ家の屋敷に小規模なデモ隊が出現し、それらは徐々に大きくなっていく。警察によって私邸前だからと排除されたが、すると公道でのデモに繋がり、数を増やしていった。

 デモ隊はプラカードにザビ家の所業を書き連ねている。それらは虚構もあれば事実もあった。

 あるとき、ドズルが驚いたような、感心したような顔で帰ってきた。

「さっきデモ隊と遭遇したんだけど、ありゃすげえな。連邦がルナツー作ったのも俺たちが助言したことになってる」

「そのうち地球連邦がジャングルの奥に秘密基地造ってて、それも私たちのせいにされるわよ」

「そのプラカード、もうあったぞ」

「ドズルは見物してて大丈夫だったの。なんかされなかった?」

 キシリアの言葉にドズルは首を振る。大柄なので目立ったろうが、ここまで体格がいいと手出しをしてこないものらしい。

「姉上、僕も見に行きたいです」

 ガルマが言ってくるので「あんたは駄目」と釘を刺す。ドズルにも「これでおしまいだから」と告げた。

 噂はどんどん大きくなる。むろん、まだ地球連邦政府の陰謀説も根強い。だがデギンとギレンが共和国政治を仕切るようになると、ますます真実味が増した。葬儀の席で後継者アピールをしていたことも拍車をかけた。

 ある日のこと、キシリアはギレンに「ちょっと出てきます」と告げた。

 すぐに帰ってくるつもりだったが、いつもなら返事もしないギレンが、この日ばかりは「駄目だ」と言った。

「今の情勢はザビ家には安全と言えない。しばらく控えろ。ドズルやガルマに出かけるなと言い続けたのはお前だろう」

「会いたい人がいるんですけど……」

 カミソリみたいな目で見つめられ、彼女は口を閉じた。

 かと言って止めたりしないのがキシリアである。転生前も親の目を盗んで声優のイベントを観に行った。今も同じだ。

 キシリアが訊ねたのは、ランバ・ラルの住まいであった。

 ラルは官舎ではなく、父親のジンバ・ラルと同じところに住んでいた。ただしほとんど帰っていないらしく、明かりの点いていないときが多い。

 今夜もいなかったので、キシリアは玄関側の暗がりに潜んでいた。夜半になり、いい加減立っているのも疲れたころ、顔をうっすら赤くしたラルが帰ってきた。

「ラルさん」

 少女に声をかけられ、ラルは明らかに驚いていた。キシリアと分かり、今度は意外そうにしている。

「キシリア様……? どうしたんですか、こんな夜中に」

「パーティー以来ですね。入れてください」

 強引に中へ入れてもらった。

 明かりが点けられる。室内は独身男性らしく乱雑であり、服だろうと酒瓶だろうと置きっ放しであった。キシリアは呆れるより、「服をCDに変えたらうちのコレクションルームと同じ」と思っていた。

 ラルは新しい酒瓶の蓋を開けようとしたが、さすがに思い留まった。

「なんのご用ですか」

「いつも夜遅いのは、誰か女性と会ってるからですか?」

「……ご用件は?」

「最近の噂をどう思います? ダイクン首相が亡くなったのはザビ家の仕業だというものです」

「……連邦が流しているんでしょう」

 顔を背けながらラルは答えた。

 その仕草にぴんと来る。ラルも疑っているのだ。証拠もないことなのだから、広言していないだけだろう。

 キシリアは神妙な顔をする。

「あり得ます」

 その言葉に、ラルは驚いて酒瓶を落としそうになった。

「は? なにをおっしゃっているのかお分かりで?」

「ザビ家は陰謀と策謀によって成り立っています。権力こそが全てで共和国支配の頂点に立つことが目的でした。首相の死について私からはなんとも言えませんが、一定の信憑性はあります」

 唖然としたままのラルに、彼女は続ける。

「父上はダイクン首相の後継者となることに成功しました。となると、誰が邪魔になると思いますか」

「まさか……キャスバル様とアルテイシア様ですか!?」

 ラルは今度こそ酒瓶を落とした。

「ひょっとしたら葬儀での混乱もザビ家の陰謀だとおっしゃる!?」

「家族を悪く言うつもりはありません」

 キシリアは一応顔を伏せてから、

「ですが、私はあえてラルさんに頼みたいんです。二人を亡命させてもらえませんか?」

「……亡命……ですか」

 さすがのラルも、口に出すのをためらっていた。

 だが、これこそキシリアの考えていたことであった。キャスバルとアルテイシアが共和国に留まっていると、政治の波に翻弄される。幼い二人には大きな負担だ。それよりもどこか遠くに行った方が、ガンダムシリーズの今後のためにもいいのだ。

「ここは二人にはもう安全ではありません。共和国のダイクン派が担ごうとするでしょうし、そうなったら兄が邪魔に思うでしょう。離れることが最善です」

 ラルの視線が動く。頭の中で色々計算しているのだ。

「しかし……仮に共和国を脱出できてもどこにお連れすれば……」

「お父さんのをたどってください。こっちでID用意します」

 あえて自信に満ちた気配を出し、断言した。

「ここで脱出できないと、ジオン・ズム・ダイクンの血統は永遠に断たれて、ダカールで演説もできなくなります。ラルさんの助けが必要なんです」

 眼前の男性はしばらく黙っていた。

 キシリアはあえて声をかけなかった。やがて、うなずく。

「……やりましょう。父はかつてダイクン閣下と共に独立を戦った仲です。息子の私がやらない道理はない」

 彼女は胸を撫で下ろした。

「よかった。宇宙港までの手筈てはずを整えてください」

 彼女はその足でダイクン家の屋敷へ向かう。入ると同時にキャスバルに告げた。

「亡命するわよ」

 金髪の少年は、すぐにどういうことか悟ったらしい。表情を引き締めていた。

「……それしかないんですか」

「ええ」

「父の眠る土地を離れるのは気が引けます」

「あなたたちの安全にはこれが一番。アルテイシアの将来もかかってるから」

 妹のことはキャスバルも気にかけていた。なので、すぐ「分かりました。キシリアさんにお任せします」とうなずいた。

 翌日から目が回るくらい忙しくなった。キャスバルとアルテイシアを連れ出す前にやることがある。IDの偽造だ。いつどこで提示を求められるか分からないので、用意する必要があった。これはギレンにも言えないので自分でなんとかするしかない。

 かといって、偽造のテクニックがあるわけでもない。彼女が頼ったのは、ジオニック社と名を変えた研究所の女性研究員だった。

 研究員たちは、予算増額に手を尽くしたキシリアの頼みを聞いてくれた。中を案内してくれた女性によると、「キシリア様は以前にも同じ頼みをされました」とのことだった。

「前の私はなんで頼んだの」

「パーティーに行くのに成年のIDが必要だとおっしゃってました」

「あのころの私ってほんとろくでもないわね」

 酒でも飲むつもりだったのだろう。今度はそれよりもスケールの大きいことをする。

 じりじりしながら待っていると、IDが届いた。さすが専門家が作っただけあって、本物そのものだ。

 ほぼ同時に、ラルからも準備が整ったとの連絡があった。

「空港までの足を用意しました。ですが、どうやってお二人を屋敷から連れ出します?」

「そこは任せて」

 まずは二人をダイクンの屋敷から連れてこなければならない。周囲にはダイクンの残した警備兵がいる。子供二人を守るために存在する彼らの目から子供二人を脱出させるという、ややこしいことをする必要があった。

 キシリアはあえて、余計なことをせず堂々とおこなうことにした。正面に車をつけ、「ザビ家の屋敷に招待したから迎えに来た」と告げる。キャスバルとアルテイシアも当然のような顔で出てくる。そしてザビ家の屋敷で車を乗り換え、今度は本当に脱出するのだ。

 これはうまくいき、キシリアは二人をあっさり連れ出すことができた。

「あなたたちは、しばらくザビ家の屋敷で生活するってことを発表するから」

「それじゃ僕たちをさらったって言われませんか?」

「いいの。どうせ悪い噂が流れているんだから」

 大した違いはなかろうというのが、キシリアの考えであった。

 まず着替えた。三人とも顔が隠れるようなフード付きの服を選んで着る。さもないと監視カメラに捉えられ、顔認識で引っかかる可能性があった。

「行こう」

 裏手に停めてある車に向かう。ラルが用意した車は、ケータリング用のトラックであった。

「売店用の軽食を運ぶためのものです」

 とラルは説明した。

「知り合いの女性に頼みました。空港の納入業者に繋がりがあって……」

「ハモンさん? どこ?」

 ラルの「知り合いの女性」なんてクラウレ・ハモンに決まっている。キシリアはきょろきょろし、ラルは不審な色を見せた。

「ハモン……?」

「またまた、どうせハモンさんでしょ……あっ、あそこだ」

 彼女は運転席によじ登ると手を振った。

「ハモンさん、ハモンさん……あれ」

 座っていた女性はクラウレ・ハモンとまったく似ていなかった。キシリアはがっかりする。

「ハモンさんじゃなかった……」

「それはどなたなのですか?」

 相手は不思議そうな顔をしている。キシリアは早口で言った。

「小さい頃、憧れの女性だったんです。大人の女って感じだから。特に男の子を『坊や』って言うのが好きで、同級生の男子にやったら追い回されて……」

 女性はなんと答えていいか分からないという表情だ。キシリアは喋るだけ喋ると、運転席から下りた。

 ラルが咳払いをする。

「彼女は信頼できます」

「それは疑ってません」

 女性が運転もおこなう。ラルはアシスタントのふりをして助手席に。キシリアはキャスバルとアルテイシアを促し、荷台に乗せた。

 中には冷蔵食品が積まれているが、いくつかあるコンテナの中に保冷装置が入っており、荷台そのものは冷やされていない。二人はその隙間に入り込んだ。

 キシリアは自分も乗り込み、大きな扉を閉める。「せめてコロニー脱出までは見守らないと」という使命感による。

 トラックがスタート。荷台の中は暗く、うっすらと差し込む光しかない。キャスバルとアルテイシアは手を握り合っていた。運転はわりと荒く、キシリアはコンテナが崩れたり動いたりしないか、気が気ではなかった。

 キャスバルが呟く。

「……まさか、僕たちが共和国から脱出することになるなんて、思いもしませんでした」

「それが歴史ってもんよ」

 キシリアが答える。正確にはストーリーだけどね、と心の中で付け加えた。

「いつか帰ってこられるから、それまでの辛抱よ」

「いつになるんでしょう……」

「正確なことは言えないけど、まあ、士官学校に入る年かなあ」

 冗談だと思ったのか、キャスバルは少し笑みを浮かべただけだった。

 キシリアとしては、この少年がシャアとなって帰ってくるのが早くても遅くてもよろしくない。極力タイミングが合ってくれますようにと祈っていた。

(あー……でも、アルテイシアはずっと帰ってこないのか……)

 そうなったらキャスバルは自分を恨むだろうか。恨んでくれた方が、ストーリー的に都合がいいのだが。

 トラックが停止する。キシリアは耳を澄ませた。

 外でなにやら会話をしていた。空港に入るためのチェックだろう。警備員が荷台を見せてくれと言っている。女性とラルがまくし立てているが、規則だからと押し通していた。

「身体を小さくして。早く!」

 小声で、かつ分かりやすく言う。二人はなるべく身をかがめた。

 キシリアはコンテナの陰に隠れる。同時に荷台の扉が開いた。

 ぱっと明かりが差し込む。警備員が中を見回しているのが気配で分かった。

 ステップに足をかけて、中に入ろうとしている。キシリアは思わず身体を硬くした。

「おい、早くしてくれないと、腐っちまうよ」

 ラルの声が響く。警備員は入るのをやめ、面倒そうに「通ってよし」と告げた。

 扉が閉められる。トラックは低速で進み、今度は別のところに止まった。女性が扉を開け、「もう平気です」と言う。キシリアたちは安堵しながら下りた。

 停車したのは宇宙港のバックヤードにあたるところだった。ここから売店やレストランで使うものを積み下ろしする。

「こっちです」

 ラルが先導した。女性は帰りの運転もするので残る。

 狭い通路を抜け、宇宙港ロビーに向かう。ハイジャック警戒のためゲートがいくつかあったが、キシリアの用意したIDカードで通過した。

 ロビーに出た。バックヤードとは比べものにならない明るさで、思わず目を細めた。

 さほど混雑していなかった。地球連邦との緊張が高まるにつれて避難する人が増えてもいいように思えるが、むしろ国難にあたって団結する雰囲気が強まっているようだ。

 警備員が増やされているので、物々しい雰囲気はある。テロ対策なのだろうが、不審な行動をとると銃口を向けられそうだ。キシリアはフードのかぶりを深くし、なるべく目立たないようにした。

 出発カウンターの近くまでゆっくりと歩く。

「はい、これ」

 キシリアはキャスバルとアルテイシアに、地球行きのチケットを渡した。

「ケープケネディまでの直行便よ。エコノミーだけど我慢して」

「地球に着いてからのことは、父の仲間が引き受けます」

 ラルが台詞を引き継いだ。

「潜伏用の家を用意しています。コロニーと地面の違いはあるでしょうが、いずれ慣れると思います」

「お二人は来ないんですか?」

 キャスバルが訊く。キシリアは「それは無理ね」と首を振った。

「私たちまでいなくなったら逆に捜索が強まるから。ストーリー的にもよくないし」

「じゃあ、僕たちがどこに行くのかは……」

「ごめんね。それも知らないの」

 キシリアは申し訳なさそうに言う。

「私も知らないし、ラルさんも知らない。それが一番いいのよ」

「じゃあせめて、地球に着いてから声明を発表します。父の死にザビ家は関係ないって。そうすればあんな噂もなくなりますから……」

「ああ、あの噂。私が流した」

 さらりとキシリアは言う。キャスバルの目が飛び出んばかりに見開かれた。

「え!? そうなんですか!?」

「その方が怒りが分散するでしょう。連邦だけじゃなくてザビ家も憎まれた方がバランス取れるわよ。今のままじゃ、明日にでも連邦と戦争しそうじゃない」

「それじゃキシリアさんたちが悪人になってしまいます……!」

「悪のザビ家って恰好いいと思わない?」

 彼女は茶目っ気を出そうと片目をつぶろうとして失敗し、両目を閉じてしまう。失敗を隠そうと咳払い。

「じゃあ元気で」

 キシリアはキャスバルの手を握った。一瞬撫で回したのは下心あってのことだが、キャスバルも小さな手で強く握り返した。

「ご恩は忘れません」

「忘れていいから。いや、本当に忘れてもらっちゃ困るんだけど、まあ時期が来たら思い出せばいいから」

 アルテイシアの手も握る。

「強くなってね。勝手に強くなると思うけど。とりあえず男を引っぱたくのがおすすめ。決めぜりふは『軟弱もの』よ」

 少女はきょとんとしたものの、口の中で「軟弱もの。軟弱もの」と繰り返していた。

 シャトルの出発時間が迫る。ダイクンの遺児二人は、何度も振り返りながらゲートを潜った。

 人混みの中に消えていく。キシリアは肩の荷が下りて、息を吐いた。

 ラルも同じくほっとしている。いつまでもぼやぼやしていられないので、二人は足早にバックヤードまで戻る。女性は運転席で待機しており、二人が荷台に乗り込むと同時にエンジンをかけた。

 宇宙港から遠ざかった。帰り際、ラルが何気なく訊く。

「噂を流した件は本当ですか」

「もちろん。ラルさんもザビ家を憎んでいいですよ」

「言われなくても、ラル家はザビ家を苦々しく思っています」

 キシリアはトラックの中で「あはは」と笑った。

 業者のふりをして、ザビ家の屋敷前で下ろしてもらった。

「それじゃラルさん、お世話になりました。すぐにハモンさんと知り合うことになるはずですけど、戦場に連れて行くのは正直どうかと思います。ストーリー上仕方ないとはいえ」

「よく分かりませんが、心に留めておきます」

 トラックは遠ざかっていった。

 キシリアはそっと屋敷の中に入る。留守にしていたことは気づかれなかったようで、誰にも咎められなかった。

 シャワーをひと浴び。それからベッドでごろごろしていると、扉が控えめにノックされる。

 入るように返事をすると、召使いが扉を開けた。

「あの……お客様が外に」

「客? もう寝る時間だけど」

「どうしてもとおっしゃってます」

 困った様子だったので、キシリアは玄関まで下りた。訪問販売かなと思いながら見る。

 思わず口をあんぐりと開けた。玄関にいたのは、地球に向かっているはずの、キャスバルだったのだ。

 キャスバルは走ってきたのか、髪は乱れがちで息を荒くしていた。

「すみません、夜中に」

「あんたなんでここにいんの!?」

「シャトルにはアルテイシアだけ乗せました。僕は共和国に残ります」

 彼はきっぱりと言った。

「ダイクン家の跡取りとして、責務を果たします」

「遠慮しないで逃げなさいよ!」

「キシリアさんが父の死の責任を引き受けると聞いて、恥ずかしくなりました。自分だけ助かるわけにはいきません」

「いやでも、噂流さないとストーリーが……」

「ダイクン家はザビ家と共にあります」

 キャスバルの瞳は真剣であった。

 対照的に、キシリアは茫然としていた。キャスバルはアルテイシアと一緒に姿を消し、シャアとセイラになるのが歴史だ。一人だけ残ったら、いったいどうなってしまうのだろう。

 彼女は玄関に立ち尽くしている。今後のことで頭がいっぱいになり、声をかけられてもしばらく気づかなかった。

                        

                                [つづく]

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