第3話 罠
パーティーでの誘拐未遂事件はひとまず無事収まった。キシリアとしては、誰が裏で操っているのか大変気になったものの、情報は教えてもらえなかった。意地悪をされているというより、実行犯が口を割らないのだ。なので、それ以上考えても前に進まなかった。
パーティーのあと、ザビ家には護衛がついた。軍から派遣されたのである。ダイクンが直々に命じたようで、物々しい一団が屋敷の周囲を固めていた。
キシリアは自室の窓から、それら兵士を見ていた。
全員ジオン共和国防衛隊の戦闘服を身につけており、サブマシンガンを装備している。出入りする者は客だろうとデリバリーだろうと、全てチェックする厳重さだ。
「……なんか護衛だけじゃなくて、こっちのプライベートまで見張られてる気がするわねえ」
ザビ家は共和国で重要なポジションにいる。それだけにみみも多いが、主流派としての地位を保っていた。特にデギンとギレンは、共和国のために尽くす人物として知られている。
「なのに警戒されているのは……もしかして」
誘拐騒ぎが落ち着いてから、彼女の頭の中にはある人物が浮かぶようになった。ジオン共和国の首相、ジオン・ズム・ダイクンである。
憧れているわけではない。彼女はザビ家箱推しであり、ダイクンに感情移入しようにも媒体ごとにデザインが変わるキャラクターはややつらい。好きなのはむしろキャスバルとアルテイシアの方であった。
それでも気にせざるを得ないのは、自分の周囲に、しばしば影を感じるからだ。特にミノフスキーの研究を中止していたのは気になった。
こうなったら会いに行かねばと思うが、果たして面会が許されるだろうか。相手は首相。こっちは関係者とはいえ、ただの子供である。
「ううむ……」
キシリアは窓際からベッドの上に戻ると、腕組みをして考えを巡らせていた。何度か召使いがシーツやら枕カバーやらを換えに来たが、邪魔をしないよう気を使っていた。
チリリンと音がして、サイドテーブルに置いたままの端末が鳴る。たまたま集中が途切れていたときだったので気がついた。
操作して確認する。メールだった。
「ミノフスキー博士じゃない」
パーティーで出会った際、よかったらとメールアドレスを教えあったのである。ミノフスキーは研究を再開できた感謝もあってか、喜んで応じてくれた。
彼女は返信しようとして思い直し、直接通話をする。数度呼び出し音が鳴ってから、端末に顔が映った。
『これはキシリア様』
ミノフスキーの顔には、研究に没頭できたときに生じる独特の喜びが浮かんでいた。ただ少し疲れが見える。
「博士、メールを読みました。研究に影響する出来事とはなんです? また中止すると言われたんですか?」
『いえ、そうではありません。研究中の理論は反応炉の小型化に繋がり、共和国のエネルギー事情にも直結することは承知と思いますが……』
「ええまあ。十代の女の子には難しすぎますけど」
『ご冗談を……それで先ほどの出来事なのですが、事実だとしたらかなり困ったことになりそうです。むろん実はまだ噂レベルではあるのですが……』
ミノフスキーは小声になりながら説明を続ける。
聞いているうちにキシリアは姿勢が前のめりになっていった。改善を約束すると告げて通話を終わらせる。
ギレンの元へ行こうとしたら、自室の扉が半開きとなり、ガルマが覗き込んでいた。
「姉上……」
「どうしたの。誰かにいじめられた? そいつの家にコロニーレーザー撃ちこむから言って」
ガルマはおずおずと、手紙を差し出す。
「ダイクンの家から来てた。姉上宛」
手紙とはまた古いわねと、彼女は受け取りながら思った。転生前の時代ですら
よく見るとキシリア宛となっていた。名前のみで住所が書かれていないから、じかに運ばれてきたのだ。
「誰が持ってきたの?」
「キャスバル」
「ふーん。義理
「このあいだのお礼だって」
「上がってくれればお茶くらい出したのに」
直接届けるのが礼儀だと考えているのだろう。使者を介さないあたり、本気度が違う。
「そういえばさ、ガルマは最近キャスバルと仲いいんだって?」
「うん。よく話しする」
キシリアは、弟が頻繁に通話してるとドズルから聞かされたばかりであった。
「ガルマはキャスバルのことどう思う?」
「かっこいいなって」
「それだけ? 好き? 嫌い?」
「好き」
幼い顔に、屈託のない笑みが浮かんだ。
対照的にキシリアは渋い顔つきになった。キャスバルとはのちのシャアである。ガルマを奸計に陥れ、ガウ攻撃空母ごと葬り去る。眼前の美少年が死んでしまうのだ。
キャスバルと仲良くすればするほど、ガルマのショックは大きくなるだろう。「ジオン公国に栄光あれ!」の断末魔ももっと大きくなるに違いない。渋い大人と同じくらい美少年を愛でる、ようするに男性キャラに対し節操のないキシリアとしては、実によろしくない結末だった。
(うーん……もっと大人になってから会わせた方がよかったかなあ……)
かと言って親しくないのも考え物だ。ガンダムオタクとして、微妙な舵取りを求められていた。
「……姉上?」
ガルマが不安そうに見上げている。彼女ははっとして、微笑んだ。
「なんでもないよ。そういえば、ガルマは前髪を指でくるくるってしないのね」
「父上がやめろって」
「やんなきゃ駄目。練習しておいて、とっさのときに使えるようにしておきなさい」
「とっさってなに?」
「相手を侮るとか、そういうとき」
ガルマは前髪をいじりながら自分の部屋へ戻っていく。キシリアは手紙をポケットに入れると、改めてギレンの執務室を訪れた。
ノックして呼びかける。
「兄上、お話が」
入るよう返事があったので、足を踏み入れた。
木製の大きな机と、モニターが複数。繋がれたネットワークの端子がしきりと瞬いている。机の端には紙の束が積まれているが、これは重要書類である。ハッキングを警戒するためネットワーク上に保管していないのだ。不燃性だが、ある金属で擦ると分解されて跡形もなくなる。
ギレンは椅子に腰掛け、モニターを見つめていた。公的な執務室はここではなく、共和国庁舎の中にある。ただよく仕事を持ち帰るので、同じ環境になるよう整えられていた。
兄はちらっとキシリアを見ると、書類を机の中に放り込み、ロックをしてから言う。
「どうした。また軍事関係の予算を増やせと言うのではあるまいな」
「当面はあれでいいです。それより地球連邦による経済制裁がはじまるのは本当ですか?」
最近のギレンは、妹が政治的なことを口にするようになっても、眉をほんの少し動かすだけに留めていた。もっとも眉が薄すぎてほとんど見えないのだが。
「今さら驚くのも飽きた。どこから聞いた」
「ヘリウム3に影響が出るとの噂が」
キシリアは情報ソースがミノフスキーだと教えずに言った。
地球連邦政府とジオン共和国の間では緊張が高まっている。とはいえ、いきなり戦端が開かれることはない。古今東西よくある話だが、まずは軍事力によらず、かつ効果的に相手を弱体化させる方法を選ぶだろうと言われていた。
よく使われるのは、特定品目の貿易を停止することで、経済にダメージを与える手段である。ジオン共和国が独立宣言をして以降、地球連邦政府は様々な手段で経済的圧力を高めていった。それらはもっぱら共和国自身の努力と各コロニーの同情を買うことによってどうにか切り抜けており、業を煮やした連邦政府がさらなる圧力を加えるのは必至と考えられていた。
今回新たな禁輸対象になるのがヘリウム3である。反応炉に必須の原子であり、これがないと宇宙船が動かない。ミノフスキーは反応炉の極端なほどの小型化を目指しているため、禁輸されては研究の大幅な遅れは避けられないと告げていた。
ギレンはしばらくキシリアを見つめると、モニターの角度を変えた。
「情報では連邦が経済制裁を考えているのは確かだろう。共和国の独立をなにがなんでも阻止するつもりだ」
キシリアは覗き込んだ。モニターの中には、地球連邦政府がピックアップした禁輸品目がずらりと並んでいる。どこからの情報なのかは定かではないが、精度はかなり高そうだ。
「書いてありますね、ヘリウム3」
「今のところ木星でしか産出されない。木星エネルギー船団も全てを連邦に供給し、そこから各コロニーに分配している状態だ」
「連邦に首根っこを押さえられてますね」
「食糧の自給は問題ない。軽工業と重工業も確立されている。一部のレアメタルに難があるが、代替品でなんとかなるだろう」
「資源って月面からも送られてるはずです」
「そうだ。相変わらず詳しいな」
希少資源だけではなく鉱物資源の多くは、月面にあるフォン・ブラウン市とグラナダ市からマスドライバーを用いて射出されていた。これらはもっぱらコロニーの建設、修復に使われる。
「フォン・ブラウンもグラナダも連邦の指導で資源供給を止める可能性がある。まあグラナダが我々に同情的だからなんとかなっているが……。やはり問題はヘリウム3だ。禁輸が本当におこなわれると株価と長期国債に影響が出る」
ギレンは椅子にもたれかかる。背もたれがぎしっと音を立てた。
「やはり共和国の将来のためには、ある程度の妥協は必要か……」
「兄上、弱気なことは言わないでください」
キシリアは、ギレンの独り言を遮った。
「連邦の
キシリアはギレンに詰め寄った。
「なにも連邦に頼る必要はないです。木星までヘリウム3を取りに行く船団を独自に編成すればいいんです。しちゃいけないなんて決まりはないんですから」
「一から船団を動かすのは膨大なコストがかかる」
「編成するって発表だけしちゃえばいいんです。連邦も経済制裁が意味ないって分かりますし、株価も上がります」
ギレンがじろっと睨む。
「いい案だが、どうして思いついた?」
「そういう歴史で……あー、なんというか、さっきの書類がそうですよね」
キシリアは机の引き出しを指さす。
「ちらっと見えました。共和国独自の木星船団は兄上も考えていたんじゃありません?」
ギレンはやや顔をしかめた。
「ひとの書類を覗くんじゃない」
「固いこと言わないでください」
「……お前の言う通りだ。ヘリウム調達船団の計画を立案させている。首相直轄の組織になるはずだ」
「往復でざっと四年ですよね。最低でもその間は備蓄でしのぐ必要がありますから、連邦と交渉を長引かせて、各コロニーに融通してもらえるか確認しましょう」
「お前は将来国政に参加したいのか」
「自動的にそうなるというか、子供の妄言というか」
キシリアはとぼけた。まだなにか聞かれそうだったので、話題を変える。
「そういえば、ドズルってなにしてます?」
「将来軍人になることを考え出した。お前の影響だ」
「いいですね。その方が歴史的に正しいです。励ましてきましょう」
キシリアはギレンの執務室を出ると、ドズルの部屋へと向かった。
以前のドズルは四六時中鍵をかけていたが、今は違う。開け放していないものの、ノックをすれば拒まなかった。
ノックをしてから開ける。ドズルは部屋の中央にいて、パンフレットらしきものを広げて眺めていた。
軍関係の学校のものだ。士官学校だったりミリタリースクールだったり、色々ある。鮮やかな色使いでパンフレットを飾っていた。
サイド3が独立宣言をしてジオン共和国になった際、軍の中核を担ったのは、地球連邦軍の軍教育機関で士官や下士官となった者たちである。共和国では将来軍の拡大は必至と考えられており、それらを見越して士官、下士官の教育が進められていた。ドズルが読んでいるのも政府肝いりで作られた教育機関である。
「引きこもりから軍に行くって随分な変わりようねえ」
キシリアは感心して言う。ドズルはパンフレットから目を離していない。
「軍を勧めたのはキシリアだろ」
「まあねえ。そういや、あんたなんで引きこもっていたんだっけ」
キシリアとしては何気なく聞いたことだが、ドズルは露骨に嫌な顔をした。
「そういうこと言うから、ずっとキシリアと会いたくなかったんだよ」
「悪かったってば。で、なんで?」
彼はまだ顔をしかめていたものの、ぽつぽつと話してくれた。
「それは……ほら、共和国の建国五周年記念式典やったとき、みんなで出席したじゃないか」
「そんなことしたんだ」
転生前の話である。当然覚えてない。
「キシリアは、そんなつまんないところに行くなら服買ってくれってゴネてたけど……そこでちょっと……俺はキツいこと言われてさ」
「誰に」
「ダイクン」
キシリアは「ん?」と思った。
「首相があんたにパワハラしたってこと?」
「色々言われて、それが結構当たっていたもんだから、がっくりしちゃってさ。親父とギレンは庇ってくれたけど、学校行く気なくなったし、ゲームも面白かったし……」
最後はぼそぼそした喋り方で、聞き取れなかった。
つまりはダイクンがきっかけで引きこもっていたのである。一国の首相のくせにとんでもない男だ。
しかし、なんでそんなことをしたのか。ドズルに圧力をかける意味はないだろう。
「ダイクン首相はさ、記念式典からのあと、人が変わったようになったんだ」
ぽつぽつと、ドズルが喋る。
「前はもっと優しくて、みんなのおじさんって感じだったけど、なんか雰囲気きつくなったし」
「父上とかどう言ってるの?」
「仕事が忙しいからじゃないかって」
建国後数年なんて、指導者がもっとも大変な時期である。イライラするのも分かる。だからって、盟友の子供につらく当たるだろうか。
(やっぱり会う必要があるわね)
ダイクンはすでに病気のはずである。過去のニュースをチェックしたところ、議会での演説を途中で切り上げ、入院したことがあったらしい。ただその時は短期間で退院している。
(でも時期的にもう病気で危ないはず……お見舞いすれば分かるかも)
病床のダイクンを見舞うのなら不自然ではない。単なる訪問よりかなりマシだ。
このあたりで病気になっているはずだ。というか、なってくれないと困る。そうしないとザビ家に権力が移譲されない。ぴんぴんしていたらこっちが一生日陰者で終わってしまうのだ。
ドズルの部屋から出て、ダイクンの屋敷に連絡を取る。
うまくいかなかった。秘書らしき人物が出てきたが、「首相はお忙しい。健康状態も安定している」と取りつく島がない。粘ってみたが、やはり駄目だった。
頑なな態度が、逆に病状が悪化しているのではとの疑念を抱かせる。しかしどうやって会いに行こうか。
ふと端末を見ると、技術研究所からメールが届いていた。予算増額への感謝と、二足歩行兵器の方向性が固まったので、よければまた見学に来て欲しいとの内容であった。
「やった、モビルスーツだ!」
ダイクンへのお見舞いが手詰まりになったこともあり、さっそく行くことにした。
場所はもう分かっている。車を回してもらい、一人で向かった。研究所では以前に案内してくれた女性研究員が出迎えてくれた。
「キシリア様、早速のご訪問、ありがとうございます」
「挨拶はいいから、研究がどうなってるか聞かせて」
女性研究員は大きな部屋に案内し、モニターを操作した。
「これが二足歩行兵器の完成予想図です。研究所が総力をあげて開発を進めています」
だがキシリアはがっかりした。画面に映っているのは、モビルスーツとは似ても似つかない3Dモデルだったのである。
剥き出し同然のコクピットに、鳥みたいな関節をした二本の脚。腕も頭もなく、武器はコクピット横に装着されていて、あとはほぼエンジンという有様だった。
彼女は不満を思い切り表わした。
「こんなのモビルスーツじゃない!」
「現時点ではこれが最善のスタイルで……」
「大河原邦男デザインからかけ離れたポンチ絵よ! 美しさのかけらもない!」
ガンダム大好き女としては許せないレベルである。全高も低いし、ジャンプも不可能だ。これはこれで味があるのだが、モビルスーツの名称はつけられなかった。
憤慨しつつ訊く。
「これ、飛べる?」
「いえ、コロニー内のみの戦闘を想定しています。宇宙には別の兵器で対応することに」
「飛びなさいよ! あと、うちゅうじゃなくてそらよそら!」
研究員は目を点にさせながら言う。
「それにはもっと高出力のジェネレーターを積みませんと」
「やって」
「高出力化と小型化が必須です。今のままだと戦闘艦艇並みの大きさにするしかありません」
キシリアは口の中で「むー」と唸った。解決策は分かっている。ヘリウム3の安定供給と、ミノフスキー理論の確立だ。
「やはり現実的な方向性が一番だと考えます」
「そんなことない。いずれ小型化は達成されるから。そうしたらびっくりするわよ」
「はあ」
「信じてないでしょう。でもできるの。今から心の準備をしておいて。将来連邦のをばんばん墜として、プラモもばんばん売れるから」
研究員はあり得ないという顔をしている。これ以上の説明は無理なので、「そういうことになるから」とだけ告げた。
キシリアは去り際に、「早くジオニック社って名前にしなさい」と言い残す。車をずっと待たせていたので、それに乗って帰った。
車の中でニュース動画を確認する。ダイクンの病気のことはやっていない。伏せられているのだ。それよりジオン共和国の各コロニーで、反連邦政府の抗議活動が活発化しているとのニュースが多かった。
ぼんやり観ているうちに、ザビ家の屋敷に戻る。
自室に入ろうとしたら、屋敷の一角から大声が響いてきた。
当初、ドズルの叫び声かと思った。だがただ大きいだけではなく、重々しい声音だ。階段を上りながらきょろきょろすると、ギレンの執務室から聞こえていた。
「兄上……?」
そっと扉を開ける。ギレンはモニターに向かって声を張り上げながら指示を飛ばしていた。この声が漏れていたのだ。
どこかと通信しているようだ。激昂なんて冷静沈着なギレンにしては珍しい。話が終わるまで待ってから、声をかけた。
「どうしたんですか。大声出すなんて珍しい」
「木星船団の計画が潰された」
「えっ!?」
思わず聞き返す。
「もう連邦に計画がバレたんですか!?」
ギレンは首を振った。
「中止にしたのは首相だ」
「ダイクンが? なんで……?」
さっぱり分からないとギレンは言った。
まずいまずいとキシリアは思った。非常によくない知らせだ。ミノフスキーの研究に影響があるだけではなく、木星船団がなければシャリア・ブルが出てこなくなるかもしれない。ガンダム世界において木星というのは、行って帰ってくるだけでニュータイプが手に入る自動販売機みたいなものなのだ。コインを入れても商品が出てくるまで四年ほどかかるが、あるとないとでは大違いだ。
「抗議しましょう」
彼女は言った。
「デモ隊を組織して首相公邸を取り囲むんです。木星船団を首相直轄からザビ家かどこかの省庁の傘下にしろと要求させて、同時に議会の親ザビ派を動かし首相への弾劾請求を……」
「それはできない」
ギレンがタッチパネルに触れる。画面が変わった。
ニュース画面になった。評論家とキャスターがなにやら話を交わしている。双方とも顔が紅潮しており、興奮状態にある。
画面が切り替わり、街頭の様子になった。人間が大勢映っている。
「あっ、デモ隊。もうやったんですか」
「私が組織したものではない」
よく見ると、地球連邦政府に反対するプラカードやTシャツを着ている。反地球派のデモなのであった。
これはキシリアも、以前車の中から見たことがあった。だがあのときと違うのは、参加者は激しく声を上げ、より殺気立っており、眼前には地球連邦政府の連絡事務所があるのだ。
キシリアは目を丸くする。
「襲いそうですよ?」
「そうだ。デモ隊の自制が利いていない。このままでは建物に突っ込むぞ」
「これじゃ連邦に口実与えちゃいますよ」
地球連邦政府はジオン共和国の独立を認めていない。あくまで「地球連邦内の行政区画として一定の自治を認められた地方自治体」としての扱いである。そのため共和国内にある地球連邦の連絡事務所も、単に建物がそこにあるだけとなっている。
実際は一種の大使館としての機能を果たしており、ジオン共和国と地球連邦政府の交渉もここを通すことが多かった。そして駐在員の身の安全は保証されることになっている。なのにデモ隊が襲ってしまっては、地球連邦政府の態度が硬化するなんてものではなくなってしまう。人員の安全を口実に連邦軍が投入されることだってありえるのだ。そして今の共和国の軍備では、連邦軍に対抗することは不可能だ。
画面がまた変わる。先ほどの評論家が出てきた。共和国軍の軍備拡充を要求しており、背後のグラフは開戦支持率が急上昇。そもそもキャスターからして地球連邦を罵るのに忙しかった。
彼女は仰天した。
「これじゃ戦争になっちゃいます。早くない!?」
「うむ……いずれ衝突は避けられないとしても、性急すぎる」
「モビルスーツがないと負けちゃう! あっても負けるんだけど!」
「だからそれはなんなのだ」
「それにあのキャスター、共和国から公国へ移行しろって言ってますよ。兄上の手下なんですか?」
「馬鹿言うな」
「せめてデモを止めないと!」
「やっている。だが内務大臣が警察に手出ししないよう通達を出しているらしい。どうもダイクンの命らしい」
またダイクンかとキシリアは思った。なんでこうも悪い方向に持っていこうとするんだ。お前はニュータイプ理論をこねくり回すのが役目だろ。
彼女は決心した。
「ダイクンに直接会って話をしましょう」
キシリアは勢い込んだ。
「いくらなんでも嫌がらせがすぎます。会って話すのが手っ取り早いです」
デモ隊だけではなく、木星船団やミノフスキーの研究もそうだし、なんといってもモビルスーツに水を差したのもダイクンなのだ。どういうつもりか問い質したかった。
ギレンはいい顔をしなかった。
「近所まで買い物に行くのとはわけが違うぞ」
「分かっています。家族でお見舞いに行きたいのです」
「しかしだ、このあいだの襲撃事件のせいで、首相の警護体制が厳しくなっている。我々だろうとおいそれと会いに行けない」
「襲われたの、ザビ家なんですけど」
「襲撃犯の目当てはダイクンの子供二人だったろう。当分は父上すら会うことが難しい」
デモ隊はなんとか抑えるとギレンは言った。
キシリアは焦燥感を抱えながら執務室を出た。恐らくギレンならデモ隊を解散させることが可能だろうが、明日も明後日もデモが組織されるかもしれないのだ。
やっぱりダイクンに会いに行くしかないと思った。そのためには口実が必要だが、どうしよう。
ふと、手紙のことを思い出す。彼女はガルマの部屋に向かった。
扉を荒っぽく叩く。驚いたガルマが出てくると、間髪入れずに告げた。
「キャスバルのとこに行くから支度しなさい」
「えっ……」
「手紙に書いてあったの。こないだの襲撃を防いだお礼に、ぜひ訪問してくれって。だから今行くのよ」
急いで着替えさせると、車を呼ぶ。ダイクン邸まで飛ばすようにと告げた。
途中で地球連邦政府の連絡事務所近くを通過した。店は全てシャッターが閉められており、道路も歩道も人で一杯なので遠回りする羽目になった。
ダイクン邸に到着。門が閉まっているので警備の人間に「キシリアが来た」と告げた。
警備はなにも知らないのか、帰れとしか言わない。十代の少女に銃口を向けることはしないが、サブマシンガンをぶら下げているから結構な迫力だ。
彼女は手紙を見せた。
「ほら、キャスバルから招待されているの。礼がしたいから、いつでも来てくれって。だから来たのよ!」
なおも警備兵は渋い顔をしている。そうこうしているうちに、屋敷の扉が開いた。
「そのひとは僕の客人です。通してください」
豊かな金髪に整った顔立ち。キャスバルであった。
門が開く。キシリアは堂々と通った。キャスバルに微笑む。
「ありがと」
「わざわざご足労いただき、こちらこそありがとうございます」
キャスバルは先に立ち、邸内へ導いた。
「二人だけでいらっしゃるとは。デモ隊とか危なくなかったですか」
「別に平気よ」
どうせあれは官製デモだ。動員した連中にやらせているのである。むしろ、デモを組織した人間にこれから会うのだから、そっちに緊張する。
キャスバルの言葉遣いからして、自分の父親がデモに関与しているとは知らないのだろう。いずれネオ・ジオンの総帥になるとは言っても、今は純朴な少年である。
少年はまず、自分の部屋にキシリアを通した。
そこにはアルテイシアが待っていた。
「妹も、お礼をしたいと言ってました」
「……助けていただいて、ありがとうございました」
たどたどしさを残しながら、アルテイシアは礼を述べる。恐らく他人にこのようなことを言うのははじめてなのだろう、仕草の一つ一つが愛らしく、初々しかった。
緊張感に支配されていたキシリアだったが、つい顔がほころぶ。
「可愛いわね。とても将来男を軟弱者と罵って引っぱたくようには見えないわ」
「……?」
「ガルマ、アルテイシアとお話ししてて」
弟に相手をさせると、キシリアはキャスバルに小声で言った。
「お父さんにも会いたいんだけど」
キャスバルの顔が曇った。
「実は……父はこのところ病に
「でしょうねえ」
「ご存じだったのですか……?」
「まあいいじゃない」
「医師の見立てだと、ここ数日が山だそうです。ちょっと面会は……」
さすがに深刻そうな顔をしていた。
キシリアは心の中で舌打ちした。ダイクンが病没するのは定められた歴史だが、今だとはさすがに予想できなかった。このままむざむざ死なれると、裏で糸を引いていたと思われる出来事を問い詰めることが不可能になる。
唇を噛みしめる。その様子を見て、キャスバルが言った。
「父に訊いてみます」
少年が姿を消した。
ガルマはアルテイシアと話をしている。あまり盛り上がっているようには見えない。子供同士だからしょうがないが、アルテイシアにその気がないようだ。
(これでガルマが金髪女性に興味持ってくれればいいか)
ぼんやりしてるとキャスバルが帰ってきた。
「父がぜひ会いたいと申しています」
彼自身も意外だったのか、声に驚きがあった。
「ザビ家の方と会いたいと思っていたそうです。キシリア様なら願ってもないと。こちらにどうぞ」
キャスバルが先に立ち、奥へと案内する。キシリアは従った。
荘厳さのある扉が目に入った。キャスバルは力を込めて開ける。
内部は広かった。雰囲気は落ち着いているが、調度品はどれも高価そうだ。床には鮮やかな色をしたラグが敷かれ、そこにベッドが据えられている。
そばには医療機器と看護士。ベッドの上には老いた男性が横たわっていた。
首が動き、双眸がキシリアを捉える。なにか言われるまえに、彼女は礼をした。
「ジオン共和国首相ジオン・ズム・ダイクン閣下」
彼女は、一応それらしい言葉遣いをした。
「キシリア・ザビと申します。父、デギン・ソド・ザビの名代としてお見舞いにあがりました」
ダイクンがうなずく。手を振って、看護士を下がらせた。
室内はキャスバルも含めて三人になった。
「病気とはうかがっておりましたが、お顔の色はまだ優れている様子。ぜひ快癒されて、国政に復帰していただきたいと願うばかりです」
喋りながら、こんな感じでいいかなとキシリアは考えていた。立派そうな言葉遣いなんて、大河ドラマとマンガでしか知識がない。
ダイクンもキャスバルも、不愉快には感じていないようだった。ダイクンは隅にある椅子を指さす。キャスバルが持ってきてキシリアに勧めた。
彼女は遠慮なく座った。そこでようやくダイクンが口を開いた。
「私と話がしたいんだろう」
予想以上に張りのある声だった。意外に感じつつ、キシリアは答える。
「はい。お聞きしたいことが」
「だろうな。他に目的もなかろう」
ダイクンはキャスバルに顔を向ける。
「少しの間、出てなさい」
「でも父上……」
「いいから。キシリアと二人だけにして欲しい」
キャスバルはなおもためらっていたが、「なにかあったらすぐに呼ぶ」と言われ、部屋から出た。
キリシアは改めてダイクンを見つめた。老人にも感じるが、実際はそこまで年を取っていないはず。病気が老けさせたのだ。
かつてはカリスマに溢れ、ニュータイプ理論でコロニーを煽動するタイプだったのだろう。といっても暴力的なものではなく、学究肌だ。彼女は「自宅で延々同人誌を読んでいそう」と失礼な感想を抱いていた。
「二人きりになったぞ。用件はなにかな」
「文句を言いたいです。どうしてミノフスキー博士の邪魔をしたんですか」
彼女は今までのことを思い出しながら言った。
「あと木星船団のこととデモのこと。あんなことしたらすぐに連邦と戦争になっちゃいます。あとドズルにパワハラしたんですって? おかげで引きこもってましたよ。理由を説明するか謝罪してください」
「私の記憶では、君は兄弟に興味がないどころか馬鹿にしていたと思うんだが」
「そんなのいいんです」
「政治にも興味がないと思ったがね」
「今は違うんです」
ダイクンは「ほう」と言った。目の奥が鋭く光る。
「いいだろう、一つずつ解決していこうではないか」
彼はもっと近づくよう手招きする。キシリアは椅子ごと動いた。
「デモ隊だが、もはや私の手から離れた。だがギレンならどうにでもできるだろう。どうせいずれ反連邦デモをやる羽目になるのだ。ドズルのことは悪かった。本当に自分が思い通りの力を振るえるか、試したかったんでね」
「思い通り……?」
「それはあとで説明しよう。木星船団だが、これは難しいな」
「簡単ですよ。ヘリウム3は必要です」
「ミノフスキーか。研究を何度も中止したのに、まったくしぶとい男だ」
「船団の編成を認めるだけでいいんです」
「認めてもいいが、代わりに船団の運航には誰も口出しできないことにする。ヘリウム3の安定供給が必要なら、たとえザビ家だろうと影響を及ぼせない組織にしたい」
「ザビ家だけじゃなく、他も口出しできないのなら、いいです」
キシリアはうなずいた。勝手に重大な事柄を決めていいのかとも思うが、これくらいなら兄を納得させられるだろう。
ダイクンは枕元に据えられている端末を引き寄せた。通信を数回おこない。簡潔な指示を飛ばす。
「これで木星船団は正式に動き出す」
「ありがとうございます」
「さて……」
彼はいったん息をついた。喋るのはつらそうだ。やはり病状はよくないのだろう。
「君の思っていたジオン共和国と、今の共和国は大きく違う。ギレンは優しさがあり、ドズルは引きこもりでガルマはあの有様。そもそも君がわがまま娘だ。市民の反連邦活動は激化して、今にも開戦が起こりそうになっている。一緒なのは私が病に斃れることくらいだろう」
「…………」
「君が奮闘しなければ、歴史の方向は大きくずれたままだったろうな」
そうなのだ。今は宇宙世紀0068。ダイクンが逝去するタイミングだ。それはいい。だがあまりにも準備が整っていない。いきなりサイド3に連邦軍が攻めてきそうだ。トミノメモに書かれている最後の数話だけがおこなわれそうな勢いである。
「そして君はこれらが全て、ダイクンが仕組んだものではと思った」
「違うんですか」
「いや、正しい。だがどうしてこんなことをしたのかは分かるまい」
ダイクンは横たわりながら、にやっとした。
「反連邦気運が強まれば開戦は早まる。木星船団がなければ遅かれ早かれヘリウム3は底をつき、艦艇は動かなくなるだろう。なによりミノフスキー理論の進展が大幅に遅れ、モビルスーツは完成しない。全てがジオンに不利に働く」
「そこまで分かっていて……え、なんでモビルスーツのこと知ってんの?」
「もちろん知っている。そして私の思い描く世界を作るには、いち早く連邦と開戦する必要がある」
「一年どころか半月くらいでおしまいです」
「構わない。ジオンが負けるのが早ければ早いほどシロッコ様の帰還は早まり、戦後は女が支配するのだ」
「あの人どうせ最終回で死ぬし……ちょっと待った。シロッコって、パプテマス・シロッコ? 『Ζガンダム』のキャラじゃない!?」
ここはテレビ版『機動戦士ガンダム』の世界のはずだ。どうしてそんなことを言い出すのか。
ダイクンは笑った。この瞬間だけ、病気を忘れたようだった。
「私もお前と同じ転生者なのだよ」
「ええーっ!!」
今度は正真正銘、キシリアは仰天した。
眼前の病床の人物、ニュータイプ理論の提唱者が現実世界から転生したというのだ。
「私は見かけ通りの年ではない。ついでに言うと性別も違う」
「なんで!? もしかしたら中身サラ・ザビアロフ!?」
「あれならパプティマス様と呼ぶだろう。君と同じガンダム好きのオタク女だよ。そして推しはシロッコ様。全てはシロッコ様のためにあるべきだ」
ダイクンは悠然としていた。
「現実では派遣で企業の受付をやっていた。休日にガンダム関係の同人誌を買おうと、ショップ巡りを趣味にしていた。なにしろ同人誌は一過性だから、熱心に探さないとなかなか見つからなくてね」
「私ならネットオークションに手を出すけど」
「足で探すのも楽しいんだよ。とにかくようやく購入して、駅のホームで眺めていたんだ。おっと誤解しないでくれ、広げたりはしていない。袋の隙間から表紙を見てにやにやしていたんだよ」
彼女はうなずく。社会に迷惑をかけないことを信条にするオタク女は、一般人のいるところで同人誌を広げたりしない。もっとも隙間から覗いてにやけるのも不気味な行為ではある。
「そうしたら足を滑らせて電車に轢かれた。次に目覚めたときはダイクンになっていたんだ。今から数年前の話だ」
もうそのころ、サイド3は共和国宣言をしていたはずだ。首相になってから性格が変貌した理由がこれだったのだ。
「私はシロッコ様のためにこの世界を改編しようと決意した。その結果が反連邦感情の激化だ。敗北が早ければ早いほど、『Ζガンダム』の開始は早まり、シロッコ様の念願は叶えられる」
「そんな馬鹿な! そもそもモビルスーツがないんだからガンダムが存在しないでしょう。カミーユはトリアーエズとかに乗んの!?」
「それでも構わない。シロッコ様がいればいいのだ」
「シロッコ派のオタク女……実在していたなんて……」
さすがにキシリアもたじろいでいた。今まで見たことがなかった。『Ζガンダム』放送時にはいたとは思うが、さすがに時代が違う。
「オタク女は十人いれば十人違う推しを持っている。私のサークルにはカツ、レツ、キッカのレツ推しというのがいたぞ」
「あんまり趣味に口出ししたくないけど、マニアックにもほどがあるでしょ」
「しょうがない。同担拒否が原則だったんだ」
同担拒否とは同じキャラクターを応援しない、関与しないという意味である。だがこれは極端すぎる。かなりの過激派だ。
ダイクンは病床にも拘らず興奮し、口から泡を吹きそうであった。
「最初、この世界に転生した私は絶望した。同じ『ガンダム』作品でも昔すぎる。だがうまく利用すればシロッコ様の世界にできると」
「前向きにもほどがあるわね」
「どうもそれが、あの声の気に障ったらしい。キシリアの性格が変わったと聞いたときはぴんときたよ。やつがお前を転生させたと。だから多くの手を打ったのだ。お前がなにをしようと追いつかないくらいにな」
ダイクンは勝利を確信した目をしていた。
「ここをシロッコ様の世界にするのだ。テレビ版も映画版もスキップして、いきなり『Ζガンダム』をはじめたいくらいだ。今すぐティターンズを結成してジャブローは爆発しろ! エゥーゴは監獄に送り込め!」
「テレビ版やんないと意味ないでしょうが! まずミノフスキー粒子からスタートするのよ」
「いらん! そういうガンダム原理主義こそ私が最も嫌悪するものだ。シロッコ様のために歴史を書き換えることが私の使命なのだ!」
彼は無意識のうちに天井に腕を突き出している。あたかも大衆に向かって演説するように、手を広げていた。
キシリアは叫んだ。
「そうはいかないわよ! じゃあシロッコが出ないようにしてやる!」
「ふふふ。すでにシロッコ様顕現の下地は成った。シロッコ様がニュータイプに目覚めたのはどこだと思う」
「そりゃ木星……あっ!」
シロッコは木星への行き帰りでニュータイプとなり、『
「木星船団を妨害したらお前が乗り込んでくることは予想できた。どうせシロッコ様のために船団は運航しなければならない。だったら推しキャラのために整えるのがファンの務めというものではないかね」
「ぐ……」
なんというやつだ。シロッコのためならなんでもするつもりである。約束を破るのもありだが、どうせ他の手段が発動するよう手は打ってあるだろう。ジオン共和国首相という立場を利用して、様々なことをしてきたのだ。
「じゃあ、うちのパーティー襲ったのも……」
「そうだ。私が仕組んだ。あとでキャスバルだけを解放して、アルテイシアはどこかに幽閉するつもりだった。連邦への憎しみは増して大暴動になるだろう。セイラはいなくても構わない。どうせ『Ζガンダム』では数秒しか喋らないからな。私の予想ではキャスバルはショックで仮面をかぶる」
「多分ララァとも会わないわよ!」
聞いている側は頭がくらくらしていた。いくら原理主義に反発しているからって、これはコンテンツの否定である。今までクリエイターが作りあげてきたものを全て捨て去ることに繋がる。
「そんなのは絶対駄目。ザビ家すらいらないってことじゃない」
「ミネバくらいならいてもいい」
「まだ生まれてないわよ! ていうか、下手すると生まれなくなる!」
「ならそれで構わん」
ダイクンは高笑いをした。
「ジオンがさっさと負ければシロッコ様の出現も早まる。モビルスーツもなくなり、赤い三角形の先端に刺されて死ぬこともなくなるのだ! わはははは!」
キシリアは奥歯を噛み鳴らした。
どうして自分が送り込まれたか。そのことは薄々察していた。歪みつつある世界を正すためなのだろう。そのために転生したのだろうと。
それがこの場ではっきりした。ダイクンの陰謀を止めるためだったのだ。テレビ版『機動戦士ガンダム』のストーリーから逸脱させないために。
ジオン公国をちゃんと負けさせるために。
それらの引き金は全て、ベッドに横たわっているこの男の中身、名も知らないオタク女が引いたのだった。
ついにキシリアは立ち上がった。
「だったら私が止める! あんたの陰謀を潰して、正常な『ガンダム』世界にしてみせるから!」
「ははは、正常とはなんだ。オタクの心の中には一つとして同じものはない。皆それぞれの理想を持っている。私がシロッコ様を崇拝しているのも同じではないか」
「それでもベースになるものはあるわ。あんたのやろうとしてるのは、ただのテレビ版否定よ!」
憤然として、指を突きつけた。
「覚悟しなさいジオン・ズム・ダイクン! というか中身のどっかの女! 私が本当の『機動戦士ガンダム』に戻してやる!」
「だったらやってみるがいい。できるものならな。数年の転生差は大きいぞ」
「望むところよ!」
啖呵を切った途端、ベッド脇の医療機器がぴーぴー音を立てた。
ダイクンの身体から力が抜ける。扉が開いて看護士と医師が飛び込んできた。
医師は矢継ぎ早に指示を出す。ダイクンは「なんでもない。キシリアとの政治談義が白熱しただけだ」と言うが、声がかすれており、症状が悪化したのは明らかだ。
「これで私は退場する……」
ダイクンが言った。日本語だ。医師たちにはうわごととしか思えないだろうが、キシリアにははっきりと分かる。
キシリアは詰め寄り、日本語で叫んだ。
「こらー、戻ってこい!」
「どうせこのあたりで命が尽きる予定だったのだ……後悔はない……」
「そんなの知ったこっちゃないわよ。後始末しなさい!」
「誰がするものか……ついでに教えておこう……死んでも私は元の世界……現代世界に戻るだけだ……。予定通りの期日で死ねば……帰れるのだ……。だから、心配するな……」
「心配なんかしてないわよ! 遊び場ぶっ壊されて腹立たない人間がいる!?」
「今度は元の世界で会おう……」
「誰が会うかー!!」
ダイクンが言葉を発さなくなった。医療機器が示しているあらゆる数値が低下し、医師が「ご家族を呼んでください」と告げる。
キシリアはふっと息を吐くと部屋から出て、キャスバルに「アルテイシアと入って」と伝えた。
キャスバルは妹を呼び、慌ただしく部屋に入る。キシリアは部屋に戻らなかった。
予想通り、たいして待たなかった。扉がゆっくりと開き、キャスバルが出てくる。アルテイシアは隣にいて、悄然としている。幼い彼女にもなにが起こったかは分かっているようだ。
「父が、亡くなりました」
キャスバルが言う。
「僕と妹の手を握り、去っていきました。ジオン共和国のためにまだまだすることがあったでしょうが、どこか満足そうでした」
でしょうねとキシリアは考える。感情を吐き出して満足したのだろう。後半早口だったのも、実にオタク的だ。言いたいことを言って消えやがったと思ったが、さすがに口に出すのは控えた。
「お悔やみを言います。残念でした」
「ありがとうございます。父は前々から共和国の将来はザビ家にかかっていると言ってましたし、そのザビ家のキシリア様に看取られて、満足しているでしょう」
彼は心から礼を述べていた。ダイクンの息子として、恥じることのない振る舞いである。
「ねえ、キャスバル。一人で平気?」
「はい。妹もいますし。ザビ家の方々にもどうかよろしくお伝えください」
「必ず言っておくわ」
少年の立ち居振る舞いを見ながら、悪いことをしたなあとキシリアは思っていた。どちらも自分の都合でべらべら喋り尽くしたのである。身を案じたり互いを讃えることは一切ない。キャスバルのことは忘れていたくらいだ。
ふと、キシリアは優しげな表情を浮かべた。
「ねえ、キャスバル」
「はい」
「その時が来たら、私の頭吹っ飛ばしていいわよ」
頭に疑問符を浮かべる少年を残し、キシリアはダイクンの屋敷を辞す。
いつの間にかミラーの角度が変わり、空は暗くなっている。上空を見上げながら彼女は思った。
ダイクンはやるだけやっていなくなった。だがこっちは残っているのだ。だったらやるべきことはひとつだ。あの胡散臭い声の思惑に乗る。オタク女の陰謀を打ち砕き、ザビ家によるザビ家のためのジオンにするのだ。それこそがテレビ版『機動戦士ガンダム』への道だ。
手を握りしめる。キシリアは決意を新たにした。
[つづく]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます