第2話 銀色ドレス
モビルスーツ。略してMS。なんと
だが今はない。「なんで!?」と叫びたくなるし実際叫んだが、ないものはないのであった。
(順番が必要? やっぱりミノフスキー粒子がないとモビルスーツも出てこないの……?)
とりあえずギレンに研究再開は約束させた。予算は……まあなんとかしてくれるだろう。
窓から外を見る。空気の向こう側にうっすら地面が映っていた。地面と窓が縞模様となって頭の上まで続いている。シリンダー型コロニー独特の地形だ。これだけ見ると『機動戦士ガンダム』内の未来世界だが、キャラクターはテレビ版と大きく違う。
ここにキシリアとして転生した自分は、いわば「悪役令嬢」である。仕事終わりの電車で、こんなジャンルの小説を結構読んだ。しかし、ここの悪役令嬢としてなにをすればいいのだ。コロニー落としか?
キシリアは腕組みし、自室をうろうろ歩き回っていた。その様子を召使いがはらはらしながら眺めている。以前なら服とアクセサリーにしか興味のない少女が、それらを全てクローゼットに押し込めて、ひたすら考えごとをしているのだから当然だろう。
「あの、お嬢様……」
「なあに?」
「今日は靴を買いに行くご予定では……?」
「それより紙とペン持ってきて……いいわ、ここにあった」
自分でサイドテーブルの上にあるメモ用紙を取り上げた。この世界は極力ゴミを出したくないため電子による書き取りが多いが、紙による筆記もまだ現役である。
キシリアはメモの上端近くに「目的」と書き、「ストーリーをテレビ版『機動戦士ガンダム』に近づける」と記した。それから少しためらった後、「ザビ家隆盛」と書く。
満足そうに微笑む。自分の目的というか欲望を書きだしたらこうなった。テレビ版のファンとしては全四三話を崩すのは論外。だがザビ家箱推しなので完全な破滅も御免である。
しかしこんなことが可能なのか? ストーリー展開が順調にいけば、自分はラストでシャアに首を吹っ飛ばされるはずだ。
「……気にしてもしょうがない!」
せっかく『ガンダム』の、それもキシリアに転生したんだからやるだけやるのだ。ここはアニメの世界、首が飛ぼうがきっと楽しい。
彼女はいまだ控えたままの召使いに言った。
「共和国の統計資料みたいなのがあったらちょうだい」
召使いは目を白黒させながら押し黙る。キシリアは召使いを下がらせると、自分でギレンの執務室まで行った。
政財界の資料が読みたいと言うと、ギレンは少しだけ意外そうな顔をした。
「研究所のときから、もう驚くことはないだろうと思っていたが、本気だったのか」
「読ませてください」
ギレンは「少し待っていろ」と告げる。キシリアは端末を覗き込んだ。
「名簿? 偉そうな肩書ばかり」
政治家の誰々やら、なんとか工業の誰やら、いかにもジオン共和国の重鎮らしき人物ばかりが記されていた。
ギレンはそれら名前の横に、チェックマークをつけている。
「我々主催でパーティーを開くつもりだ。親睦を深めねばならん」
と言っているが、要は顔つなぎと自派の確認のためである。ジオン共和国内での敵味方を見定めるのは、自らの基盤確立に繋がる。テレビ版とは性格が異なるとはいえギレンらしい。
彼女は「そうですか」と気のない返事をしたが、すぐに気づいた。
「私も出ます!」
ギレンはな目でキシリアを見た。
「いつもは出たがらないだろう。お前の好きなパーティーは、大きい音楽を流して踊るやつだ」
「悪役令嬢たるものパーティーは必須で……あ、いえ」
彼女は咳払い。
「勉強になるかと思いまして」
「ガルマとドズルには勉強させるかと思っていたが……」
ギレンは少しの間、
「老人と話しても楽しくないだろう」
「偉い人たちの子供も来るんでしょう? 相手します」
「だったら任せるが」
「喜んで」
キシリアは請け負った。そして付け加えた。
「それで、必ず呼んで欲しい人がいます」
「ファッションデザイナーか?」
「いいえ。この人です」
彼女は端末の画面下に映っている名前を指さした。
○
パーティーはザビ家の近くにある屋敷でおこなわれた。元々地球連邦の高官が居住していたのだが、ジオン共和国独立の気運が高まる中で退去し、無人となっていたのを借り上げたものだ。車寄せがとにかく広いため、要人を出迎えるのに都合がよかった。
開始は暗くなってから。コロニーでもミラーの調節によってちゃんと夜になる。各所に設置されている外灯にぽつぽつと明かりが灯り、同時に豪華な車がやってきた。
タキシードやドレスに身を包んだ要人たちが車を降りる。案内係の手によって、手際よく
「姉上、とても綺麗です」
「あら、ありがと」
ガルマの言葉にキシリアは微笑んだ。
彼女は銀を基調にしたドレスを着ており、首にはネックレスをかけていた。服は以前のキシリアが大量に買い込んでいたので用意する必要がなく、アクセサリーも目がくらくらするくらい持っていた。子供らしい服だけではなく、この手のパーティードレスも用意しているのは、やはり指導者層の娘と言ったところか。
「ガルマもなかなかよ」
タキシード姿のガルマは照れたように笑う。
「僕なんて、そんな」
「もっと自信を持ちなさい。そんなんじゃイセリナは落とせないから」
イセリナって誰ですかと訊かれたが答えずに、キシリアはザビ家の控え室から出た。
控え室は二階にあった。廊下の手すりに手をついて、眼下を見つめる。
大勢の人がシャンデリアの下で楽しげに会話をしていた。男女ともに正装。年齢は高め。屋敷の大きなホールをメインのパーティー会場として使っており、ケータリングのウェイターが飲み物を忙しげに運んでいる。ここは立ちながら歓談する場所で、食事は別室に移動してテーブルについてからはじめる。
優雅なクラシック音楽が流れていた。少人数の楽団がホールの隅で演奏している。ギレンはこういうところの手を抜かない。
いったん控え室に戻る。
「キシリア」
振り返ると、黒のタキシードに身を包んだ大男がいた。ドズルであった。
隣にはギレンもいた。やはりタキシード姿で、痩身だががっしりとした体つきによくフィットしている。黒のタイも曲がることなくぴたりとはまっていた。
彼女はそんな姿をうっとりと眺めた。正確には心の中で涎を垂らしていた。
(うへへ……タキシード姿のザビ家兄弟とか、二次創作でも滅多にお目にかかれないわ……最高最高、うへへ)
「キシリア? どうかしたか」
ドズルに幾度も声をかけられ、はっと気づく。
(そういえば、私……キシリアってドズルの姉だっけ妹だっけ)
小説ならドズルはキシリアより年下で、テレビ版でもそんな台詞があった。体格がいいものだから、兄だか弟だか分からない。
「まあいっか」
「キシリア?」
「ああごめん。素敵ねドズル。どうしたの?」
「俺、こんなとこにいてもいいのかな……」
「弱気になってんじゃないの。私と話なんかしてないで、お嫁さんでも捜しなさい。綺麗な人たくさんいるから」
「こないだまで引きこもってたんだ……」
「じゃあ適当にジュースでも飲んでれば。声をかけられたら挨拶して、相槌打っていればいいから。仏頂面は駄目よ。笑顔笑顔」
「そんないい加減なことでいいのか……?」
「パーティーなんてそんなもんよ」
わざわざザビ家の子供に話しかけてくるのなら、話したがりが多いはず。ならば聞き手に徹してにこやかにしていれば相手は満足するものだ。転生前、他社の飲み会に誘われた彼女が使ったテクニックの一つであった。
ギレンに顔を移す。
「兄上も素晴らしいです。描き下ろしのポスターみたい」
「褒められているのか分からん」
「印刷じゃなくて一点ものですよ」
「ますます分からんぞ」
「父上の姿がありませんね」
「そこだ」
ギレンが視線で指し示した。
ザビ家の家長、デギン・ソド・ザビはクッションの効いたソファに腰かけていた。薄いサングラスをかけていて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。室内の会話には加わらず、じっと見つめていた。
「父上」
キシリアはデギンの側に寄った。
「お客様の出迎えはよろしいのですか」
「まだいい」
声も重々しい。懐から懐中時計を取り出した。
「そろそろダイクンが到着する。来たら
ダイクンとはもちろんジオン・ズム・ダイクンのことだ。ジオン共和国現首相である。
パーティーがはじまる数日前から、キシリアはニュース記事のバックナンバーを片端から読んでいた。なのでサイド3の独立自体はアニメの設定通りだと分かっていた。
ミノフスキーの研究は縮小されており、ザビ家兄弟の性格は違っていた。このあたりの事情は分からない。
「首相は父上のご友人ですよね」
「そうだ」
「今度私も紹介してもらえませんか」
デギンの目が動く。
「以前に会ったことはある」
「そうなんですか?」
「おじさんなんて格好悪いと大声で言っていた。あとはずっと端末で服のチェックだ。向こうが会いたくなかろう」
「それは以前の私です。今の私はおじさんも守備範囲ですから」
「守備範囲だと?」
「ストライクゾーンでもいいです」
デギンはなにも言わない。キシリアは「そういえば、この世界って野球あったっけ」と考えていた。
「キシリア、だったら首相よりも、客人に挨拶してきたらどうだ」
ギレンが言う。
「いいんですか? 私って評判悪いんですよね」
「私も一緒に行こう」
と言われたのでキシリアは承知し、部屋から出た。
ドレスの裾を踏まないようにしながら階段を下りる。パーティー特有のわっとした熱気が押し寄せてきた。
彼女はこの手の雰囲気に慣れている。転生前のことだが、年末にはクライアントを招いてパーティーすることも多かったのだ。こっちは政財界のいわゆるハイクラスがメインだが、にこやかな顔で挨拶すればなんとかなるものだ。
ザビ家の一人娘が顔を出したというので、大勢の客がどよめいていた。
「……なんか、珍獣みたいな目で見られてますけど……」
「パーティークラッシャーとして知られているからだ。その年で」
隣のギレンが言う。彼女は「私、なにしてたんだろ……」と呟きつつ、ひらめいた。
「兄上、できるかぎり私が迷惑をかけた方を紹介してください」
「いいのか。お前は人に頭を下げるのが嫌いだろう」
「構いません」
客人に近づく。ギレンが一人一人紹介してくれた。
「こちらは木星船団公社の副総裁だ。ご息女のパーティーにお前が押しかけて飲み物を全部床にこぼした」
「そのたびはとんだ失礼を……」
できる限り頭を下げて謝罪するキシリア。副総裁は意外に思いつつ、許してくれた。
「こちらはコロニー公社サイド3担当部長。お前はご子息を連れだしてジェットコースターに無理矢理乗せた。ひきつけを起こしかけた」
「もう本当にすみません。この通り二度としないと約束します」
「首相補佐官代理。自宅にお前が押しかけて食い散らかした」
「お詫びします。損害が出たのならぜひ請求を回していただければ」
「議会少数党院内総務代理。ご息女がお前と連絡を取り合ってると知り、戦々恐々としていた」
「近づきませんのでご安心を」
「サハリン家の皆さん。お前の評判を聞いて家に近づけなかった賢い方々」
「ほっとしました」
言葉に力を込めて、精一杯の謝罪を続けるキシリア。
ギレンは感心していた。
「謝りたいというのは本当だったのか」
「迷惑かけてばかりじゃ駄目です。誰も私の言うことを聞いてくれなくなります」
「前に上げた動画の中で、人は嫌われれば嫌われるほど格が上がると主張していただろう」
「すぐに消します」
にこやかな表情は崩さずに挨拶を続ける。少し離れたところには正装をした軍人がいた。どこかで見たことがある。
「兄上、あの方は……」
「ラル家の人間だ。ランバ・ラル」
「ランバ……えっ」
驚いて眼前の人物を見返した。
髭を蓄えて痩身だが、確かにランバ・ラルだ。テレビ版では「渋いおじさん」で、今は「渋いおじさんになりかけの渋い青年」である。
キシリアは頬をやや赤らめた。
「兄上、離れていてもらえますか」
「なにをするつもりだ」
「謝罪はおしまい、私の時間です」
半ば強引にギレンを遠ざけると、できる限り上品に振る舞いながら近寄り、挨拶をした。
「はじめまして、ランバ・ラル様。キシリア・ザビです」
ラルはシャンパングラスを手にしたまま、礼をした。
「これは、ご丁寧にありがとうございます。本来なら父がお目にかかるところ、体調が優れないため私が代わりに……」
「いえいえ。そんなテレビ版に名前しか出てない人どうでも……じゃなくて、あなたに会いたかったものですから」
「おや、そうでしたか」
「私、ラル様に迷惑かけませんでした?」
「特には……」
よし、やったと心の中でガッツポーズをする。
彼女は遠慮なくラルの全身を睨め回した。うむ、いい男だ。ハンサムとは違うが、野性味というか男性の魅力が伝わってくる。今は痩せているものの、いずれ恰幅がよくなってグフのパイロットになる。
これだからパーティーはたまらんと、心の中で息を荒くする。
表面上は平静を装っていたが、ラルはなにかを察したらしく彼女の前から去ろうとした。
「お忙しそうですからこれで……」
「いいじゃありませんか。もう少し」
「しかしそちらのサハリンさんが……」
「OVAで活躍するからいいんです。今はラルさんとお話が」
「そ、そうですか……。キシリア様はもっと奔放な方だと聞いていましたが、なんというか別の意味で好奇心が旺盛のように見受けられます」
「渋い声を録音したいので、もっと喋ってもらえます?」
端末を目の前に突き出した。
ザビ家箱推しの自分だが、それでもランバ・ラルの格好良さはたまらない。彼女は録音をいったん止めてセルフィーモードにすると、渋るラルを説き伏せて一緒に写真に収まった。
「オタ友に送って自慢します」
「はあ……」
ガンダム世界に飛ばされた身では画像を送る手段などないが、ひょっとしたら帰れる日が来るかもしれない。自慢できそうなものを備えておきたかった。
キシリアはにやけながら画像を保存する。
「他にかっこいいパイロットとかいます? ほら、シャリア・ブルとか。あっ、あとガデムは? ああいうタイプ結構好きなんです。私ってひょっとしたら髭に弱いのかも。髭が似合う人ってかっこいいですよね。あれ、ラルさん、どこ行くんですか? ラルさん?」
ラルは無言で人混みの中に消えていく。キシリアは口を尖らせたが、すでにラルの姿はない。
「あらま」
いつの間にか、ギレンが側にいた。
「キシリア、挨拶は終わったな。子供たちの部屋に行ってくれ」
ギレンの言葉に、彼女は露骨に嫌な顔をした。
「子供、あんまり好きじゃないです」
「お前も子供だろう。相手をすると言ったはずだ」
「もうちょっと話をさせてください。かっこいい人と話すだけで生きていく気力が……」
キシリアは強引に連れて行かれた。
軍服の一団が近くにいた。ひょっとしたらあの中に将来のエースパイロットがと思ったが、ギレンの目が光っているため話しかけることもできなかった。
ギレンは階段を指さし、「子供たちの部屋はこの上だ」と言うと、パーティーの中に戻っていく。彼女は一人取り残された。
階段の上を見つめ、ふんと鼻を鳴らして歩き出す。むろん、素直に子息子女のいる部屋へ向かったりはしない。せっかくの機会なのだから、ガンダムキャラクターにもっと出会いたかった。
黒い三連星とかいないのかと捜し回ったが、こんなときに限って軍服の一団がいない。代わりにドズルがいた。話し相手に困っているのか、退屈そうにしている。
「ちょうどいいわ。ねえ、頼みがあるんだけど」
「いいよ。暇でしょうがない」
「子供たちの相手して。あっちの部屋」
二階の奥の部屋を指さす。ドズルは渋い表情を作った。
「ええっ、子供のお守り?」
「別にいいでしょう。ミネバができたときの練習になるから」
「ミネバってなんだ? シャトルの名前?」
「違う。でも名前は覚えておいて」
「お守りってキシリアが頼まれたんだよな」
「ほら行って。あとで私も代わるから。子供たちになにかあったら守ってあげなさいよ」
「面倒なこと押しつけないでくれよ」
ドズルはぶつぶつ言いながら、階段を上っていった。
これでよし。子供を気にせず会場を回ることができる。顔に営業用のスマイルを貼りつかせつつ、歩いていく。
「これはキシリア様」
白い髭を蓄えた男性が声をかけてきた。キシリアは適当に挨拶して通りすぎようとしたが、はっとして向き直った。
「ミノフスキー博士ですね。お初にお目にかかります」
相手はミノフスキー理論の提唱者、ミノフスキー博士であった。
「私のことを知っておられたとは、光栄です」
「有名な方ですから、もちろん存じております」
彼女は急いで自らの頭を切り換えた。先ほどまでのガンダムオタクとしてのイケメン捜しから、『ガンダム』世界の悪役令嬢にならねばならぬ。
ミノフスキーは微笑んでいた。
「まずお礼を言わせてください。私の研究が縮小されていたところにキシリア様が研究の継続と、いっそうの拡大を進言してくださったとか。本当に助かりました」
「博士の研究は共和国のためになりますから」
「今日もわざわざ私をお招きくださり感謝いたします。お若いのになんとも先見の明がある方だ」
「いえいえ、とんでもない」
キシリアは「ほほほ」と慣れない笑い声を上げた。彼女がギレンに「ミノフスキーは必ず呼んで」と頼んだのである。確認したいことがあったのだ。
「ところで博士、未知の粒子発見はどうなっていますか」
「研究が再開したばかりで、まだなんとも」
「博士なら絶対にできます」
「そう信じておりますが、いつになるかは」
「近いうちです。博士の名は地球にまで
キシリアは断言した。
「私が思うに、博士が提唱した粒子を使えば広範囲な電波妨害が可能になります。また融合反応炉を安全化すると共にメンテナンスを容易にし、大出力の小型ジェネレーター実用化の道が開かれるでしょう。しかも粒子の放出をコントロールすることで重力下において大型艦を浮遊させ、さらにはエネルギー兵器の小型化すら可能にします。これらはいずれ戦場における決定的な変革、いわゆるゲームチェンジャーとなりうる兵器を生み出すはずです。つまり二足歩行兵器です。これこそがジオンが目指す、連邦への決定的なアドバンテージとなる道です」
ぺらぺらぺら。早口でまくし立てるキシリアを、ミノフスキーは若干引き気味に聞いていた。
「いや……なんというか……お若いのに……たいしたものです。私の理論の未来を……そのように予測されるとは……」
「それをミノフスキー粒子と名付けましょう」
「理論はともかくまだ見つかっておりません」
「必ず見つかります」
言い切ったのが良かったようで、ミノフスキーはなんともほっとした顔になった。
「ありがとうございます。研究資金が打ち切られて不安になっていたのですが、これで自信がつきました。キシリア様のためにも、研究に熱を入れませんと」
戻って研究を続けますと言うミノフスキーに、キシリアはもう一度話しかけた。
「お待ちください博士。博士の研究を中止したのは誰だったのですか?」
ミノフスキーは一瞬、顔が険しくなる。
話して言いものかどうか、
やはり深い事情があるらしい。キシリアはうながしたりせず、そのままにしていた。
ミノフスキーが唇を舐めた。
「これは言って良いものか分かりませんが……ジオン・ズム・ダイクン首相です」
「え? ダイクンが!?」
「首相自ら研究中止を命じられました」
「なんで……?」
「そこまでは分かりかねます。キシリア様、研究再開を支援してくださったのはあなたです。どうかお身体に気をつけられますよう」
礼をすると、ミノフスキーは彼女の前を辞した。
キシリアはしばらくぽかんとしていた。ジオン共和国の首相で、スペースノイドの自立を掲げる第一人者で、その理論はジオニズムと呼ばれていた。テレビ版ガンダムでも存在は確認できる。
普通に考えるのなら、連邦に対抗できるだけの技術なら支援を惜しまないはずだ。悪くても邪魔はしないだろう。どういうつもりでミノフスキーの邪魔をしたのだろうか。だいたいモビルスーツがなかったら、『機動戦士ガンダム』ってタイトル自体が嘘になるではないか。
これはまずい。どういうつもりか問い詰めないと。
キシリアは会場を見回す。デギンの姿を見つけると、小走りに近寄った。
デギンは議員らしき男性と会話をしている。その人物はキシリアを認めると、先に挨拶をした。
「ダルシア・バハロと申します」
「ダルシア……あー、将来出世する人ですね。ジオンの重鎮になります」
「これはお世辞がうまい」
「お話ししたいんですけど、今は父に用があって」
ダルシアは会話の相手を譲ってくれた。
キシリアは会場を見回しながら、デギンに訊く。
「父上、ダイクン首相はどちらですか」
「さきほど欠席すると連絡があった。なにやら用事ができたと言っていたが……」
思わず「あ」との声が口から出た。
「そっか、病気ですね」
デギンはぎろりと目を動かす。
「滅多なことを言うな。我ら共和国の首相だ」
「いえ、そろそろ病気になるんです。重病です。父上、後継者になる準備はいいですか?」
なんでもないことのように言う。デギンの口調はますます咎めるようになった。
「ダイクンとは共に連邦の圧力をはねのけてサイド3の自治を勝ち取った仲だ」
「恐らくダイクンの病気のことは私たちしか知りません。今のうち足元固めちゃいましょう」
「なんで重病だと分かる」
「そういうものだからです」
なおもデギンは胡散臭そうにしていた。
父親相手の説得はうまくいきそうにない。キシリアは話を止めると、デギンの前から離れる。ギレンを捜した。
すぐに見つかった。女性の佐官と話しているのを引き剥がす。
「兄上、兄上」
「なんだ。子供たちの相手はどうした」
「今はドズルがやってます。それよりダイクンが病気です。間違いありません」
ギレンもデギンと同じように渋い顔をしている。つまり信じていないのだ。キシリアは喋り続ける。
「父上を後継者にしましょう」
「どういうことだ」
「重病で長くないんですよ。どうせ考えたことあるんでしょ?」
ギレンは二、三度周りを見て、他に人がいないのを確認する。そして声を落とした。
「ないとは言わない。終身首相などという制度ではないからな。だが共和国独立はダイクンの手腕が大きい。慕う人間も数多くいるから、いかに父上といえど簡単には後継者にはなれない」
「どうせ他にいませんよ。テレビ版の設定にもないんだし。兄上がぱーっとやっちゃえばいいんです。今日のパーティー、閣僚も来てますよね」
「もちろん来ているが」
「今のうちに外務、内務、財務の大臣をザビ派にしちゃいましょう。父上が後継者になっても閣僚ポストを保証するって約束すればいいんです。すぐになびかなくても、絶対に覚えているはずですから。軍人は政治家と距離を置きたがるでしょうから、あと回しでもいいです。念のため、地球連邦政府との対立が深まれば予算増えるから退役しても心配するなと言っておきましょう。ダイクンの病気のことを知ってるのは私たちだけです。絶対優位に立てます」
ギレンはしみじみとキシリアを見つめた。
「お前はいったいどうしたんだ」
「父上より兄上の方が、こういうのは得意でしょう」
「本当にキシリアなのか? ついこの間まで、ファッションにしか興味なかっただろう」
「今までが間違っていたんです。これが兄上の本当の妹です」
こっちの方がよほどテレビ版に忠実なのである。
ギレンの眼球がしきりと動く。元より政治家としての才がある方だ。機会を捉えるのもうまい。なによりデギンよりも野心がある。妹の言うとおりにするかしないか、秤にかけていた。
「……後継者争いは政争になるかもしれない。メディア対策と議会工作も必要か」
「メディア対策はサスロが……いないから、誰か適任を捜さないといけないです。議会ならダルシア・バハロって議員に声をかけるといいですよ。派閥抱えていると思いますが、兄上が操りやすい相手です」
「よく知ってるな」
「それとスピードが肝心です。ダイクンが病気をこじらせても連邦政府に介入されないようにしないと」
ギレンは首を振る。
「私の妹とはとても思えない」
「なに言ってんですか。野心がなくなったらザビ家じゃないです」
ザビ家のためにやりましょう。彼女はギレンに念押しすると、この場から離れた。
キシリアはこの会場で、ミノフスキーだけではなくダイクンにも会いたかった。しかしかなわない。だが後継者のことをギレンに言えたのだから満足すべきか。
とすると、ダイクン家から代わりに誰か来ているんだろうか。なおも会場をきょろきょろしていると、どたどた走りながらドズルがやってきた。
「キシリア、キシリア」
慣れないパーティーで緊張しているのか、顔が熱っぽく汗をかいている。
「もう駄目だ。代わってくれ」
「なんのこと?」
「子供の相手だよ。俺には無理だ」
「情けないこと言わないで。ギャルゲーだと思えばいいじゃない」
「なんだそれ……。とにかく子供の相手なんかしてられないよ」
「お互い子供でしょ」
「話合わねーんだよ。あいつらの話なんて、自分の家はすごいだの金持ちだの、父親が偉いだの、そんなのばかりだぜ」
ドズルはいかにも恨みがましい目つきになった。
「子供の相手を頼まれたのはキシリアだろ」
「忙しいの」
「あとで代わるって言ってたじゃないか」
急かすように言ってくる。彼女はもっとあとと返事しようとしたが、思い直した。
「分かった。代わるから、ガルマ呼んで来て。そしたらどこかで休んでて」
「助かったよ」
ドズルは大袈裟に胸を撫で下ろすと、すぐにガルマを捜しに行く。いくらもしないうちに連れて来た。
ガルマもやはり退屈なので、ザビ家の控え室にいたようだ。人見知りなので、家族だけのところがよかったのだろう。キシリアは手を引くと、招待客の子供たちが遊んでいる部屋へ向かった。
子供たちの部屋と言っても、カラフルな床やオモチャがたくさん置いてある場所ではない。親たちと同じようにテーブルやグラスが並べられている。ただ同年齢の子供たちが友人になれるよう、そして大人の邪魔をしないように一室与えられているのだ。当たり前だがアルコールの提供はなく、幼児は最初から連れて来られてなかった。
「姉上……」
ガルマが不安そうに袖を引く。
「待ってて。いい子に会わせるから」
キシリアは室内を見回し、目当ての人物を捜す。多分あれだろうと見当をつけて近寄った。
金髪の少年だった。彼女は満面の笑みを浮かべる。
「私はキシリア・ザビ。シャ……キャスバル君ね」
少年は「はい」と返事をした。
捜していたのはキャスバル・レム・ダイクンであった。のちのシャア・アズナブルである。
シャアと言えばジオン公国軍の顔である。本放送時に女性人気がもっとも高かったキャラクターだ。彼女はテレビ版『ガンダム』を父親に見せられた口で、しかもザビ家にはまっていたが、シャアの人気は十分理解していた。
(可愛い……これは推せる……)
心の中で呟く。ザビ家箱推しの自分すら目を奪われんばかりの美形だ。子供でこれなら、青年はどうなってしまうのか。
自分的には今の可愛さも青年時の凛々しさもイケる。だが、この少年が将来なにをするかは決まっている。
(この子が私の頭を吹っ飛ばすんだよね……)
テレビ版のストーリー通りにいけばそうなることは明白だ。それでも今は顔立ちの整った美少年以上の存在ではない。
(ザビ家に逆らう未来のテロリストとして今から芽を摘んでおくべきか……でもそれやるとストーリー変わっちゃうしな。うーん……)
「どうかなさいましたか?」
キャスバルに言われて、キシリアははっとする。
「ごめんなさい。そちらのお嬢さんは妹さん?」
「はい。アルテイシアです」
ぬいぐるみを抱えた金髪の少女が、キャスバルの後ろにいた。恥ずかしそうにうつむいている。口の中で挨拶をしていた。
キャスバルが詫びた。
「すみません、緊張しているみたいです」
「いいの。私が思うに、将来は医者を目指すわよ」
「父もそんなことを言ってました」
キシリアはアルテイシアに微笑んでから、キャスバルに言った。
「首相はお見えにならなくて残念」
「はい。僕が名代として参加するよう言われました。子供ですから、挨拶しかできないんですけど」
照れたような笑みを浮かべている。それもまたいい。
「十分じゃない。私よりずっと立派よ。私が子供のころなんか、マンガばっかり読んでて法事にも出なかったから、よく怒られたわ」
もちろんこれは転生前の話なので、キャスバルには意味不明だ。もっとも彼はにこやかにしているだけで、「それなんですか」と聞き返したりはしなかった。
「そうそう。弟を紹介するね。ほら、ガルマ。挨拶なさい」
背後に隠れていたガルマをうながす。
小さな弟はためらっていたが、やがておずおずと進み出て自己紹介をした。
「ガルマ……です……」
「よろしく、ガルマ君」
キャスバルは笑みを浮かべていた。見比べると、キャスバルの方が身長もあり、大人びている。将来ネオ・ジオンの総帥になりそうだという雰囲気もあった。
(今のうちにザビ家の駒として手なずけ……いやいや、いったん姿を消すのがストーリーとして正しいんだから、やりすぎはよくない。ガルマのことを認識させただけでも上出来。でも、もう少しなにか欲しいな)
キシリアはガルマに、アルテイシアにも挨拶をさせた。それから言う。
「ちょっと外の空気を吸わない?」
キャスバルをうながす。ガルマにはアルテイシアのエスコートをするよう言うと、隣接するバルコニーに出た。
子供たちの部屋は二階にある。バルコニーは中空に浮くような形で屋敷から張り出していた。眼下にあるのは屋敷の庭で、数本の立木と繁みに覆われており、きちんと手入れがされていた。
コロニーは夜時間になるとミラーを調節して太陽光を受け止めないようにする。繁華街から離れているため、大変静かであった。
「最近、お父さんの様子はどう?」
「父ですか? 忙しくしていますが、他には特に……」
キャスバルが返事をする。キシリアは「本当は病気でしょう」と言おうとしたが、ここで問い詰めても意味はないので、にこりと笑うだけにする。
「首相ってやっぱり大変そう」
「父はキシリアさんのことを知っていましたよ」
「そりゃ私はザビ家の一人娘なんだから、噂くらいは聞いてるでしょ」
なんだったか当ててみようか、と彼女は言った。
「一人娘だからわがままし放題で、服と靴とアクセサリーにしか興味がない子。父親も兄弟も全員
キャスバルは首を振った。意外に感じるキシリア。
「違うの?」
「前はキシリアさんのことはなにもありませんでした。最近キシリアさんのことを、よく話題にするようになったんです」
キャスバルは続ける。
「わがまま娘なんて言ってません。むしろキシリアさんのおかげでザビ家はこれから隆盛すると言っていました」
「へえ……」
なにか目立ったことしたっけなと考える。自分としてはストーリーをテレビ版に近づけるよう努力しているが、まだニュースになるほどのことではないはずだ。
ガルマが飲み物を持って、アルテイシアと一緒にやって来る。ぶどうジュースを受け取った。
「お母さんの記憶はある?」
「ええ。キシリアさんは?」
「私はないかな」
テレビ版でも映画版でも、ザビ家兄弟の母親に言及したことはない。わがまま娘だったキシリアの記憶も、今は持っていない。
しみじみとキャスバルの顔を見つめる。
「ない方がやっぱりいい男になりそう」
「なにがでしょうか」
「仮面つける気ある?」
「そういうパーティーでもあるのですか」
「乗機を赤く塗ったり、ふわふわした服着た女の子引き取ったり、フェンシングで額突かれたりしたいと思う?」
キャスバルにはなんのことか分からない。戸惑ったようで言葉も返さず微笑んでいた。
まあ知ってるわけないよなとキシリアは思う。もっと先の話だ。とすると、ザンジバルに乗った自分の頭を吹っ飛ばすつもりもないわけで、現在は
「どうしてここまで僕に構うんです?」
「キャスバル坊やと遊んであげたって台詞の裏付けになるじゃない」
「ときどき僕には分からないことを言いますね」
「あなただけじゃないから」
ガルマはアルテイシアと話をしている。たどたどしかったが、なんとか会話はできているようだ。
もう一杯飲み物が欲しいなと考える。キャスバルが気を利かせた。
「僕が取ってきましょう」
「あら、ありが……」
礼を言おうとして、止まった。
嫌な予感がする。
首の後ろがぞわぞわした。転生前、交通事故に巻き込まれたときに感じたあれだ。別のことを考えていたせいで気にしていなかったが、思い返すと予兆はあったのだ。今もそのときと同じ感覚がある。
彼女は振り返る。ガルマとキャスバル。その頭上にわずかながら動く影。
「離れて!」
叫ぶと同時にロープが垂らされ、全身真っ黒な服に身を包んだ人間が静かに、かつ素早く降りてきた。
をかぶった人間は全部で二人。男一人に女一人。肩からサブマシンガンを下げており、銃口を向けようとしていた。
ガルマは頭を抱えてしゃがみ込んだ。キャスバルはその場から動こうとするが、男に捕まえられた。
キシリアは息を呑む。誘拐だ。ダイクンの息子をさらおうとしているのだ。日頃は警戒厳重なのでパーティーを狙ったのだろう。バルコニーに出た瞬間は絶好のタイミングだ。
女の銃口がキシリアに向けられる。口に人差し指を当てていた。騒いだら撃つとの仕草だ。
こいつらは何者だ。反政府グループかそれとも地球連邦政府の手先か。なんにせよ目的を成し遂げつつある。男一人がキャスバルを捕らえ、女がアルテイシアを捕らえる。女はアルテイシアを抱えたままバックパックを下ろし、丈夫そうなロープを出していた。ここから降りて逃げる気だ。
これはまずい、本当にまずい。キャスバルとアルテイシアが姿を消すのは、もうちょいあとだ。今のこのタイミングじゃない。
反射的にキシリアは怒鳴った。
「ガルマ、立って!」
襟首を掴んで強引に立たせると、そのままキャスバルを抱えた男に向かって駆け出した。女の銃口は気にしない。脅しだけで撃てない方に賭けた。
賭けは当たり、弾は発砲されないまま、キシリアはガルマと男に体当たりした。
体重の軽い子供とはいえ、二人ならそれなりの重さになる。男はのけぞり、室内に通じる窓を突き破った。ガラスまみれになりながら子供三人と大人一人が室内に転がる。突然の物音に、会場内の男女が振り向いた。
男が立ち上がる。キシリアは破片を払いのけながら叫ぶ。
「そいつ捕まえて!」
男が立ち上がって駆け出そうとしていた。その腰にタックルする大柄な影。
ドズルであった。少年ながら体格だけなら大人の男よりも大きい。もつれ合って転がる。何人かの人間と椅子をなぎ倒した。
サブマシンガンが床を滑る。男が手を伸ばす。まずいとキシリアは思ったが、いち早く拾い上げた人間がいた。
ラルだ。さすが軍人、サブマシンガンをよどみなく構え、銃口をぴたりと男の頭に向ける。
「立て!」
ドズルの下でもがいていた男は抵抗を止めた。警備担当者が数名駆け寄ってくる。ラルは彼らに後を引き継いだ。
キシリアはほっとしたが、同時に叫んだ。
「おじさま!」
今のラルはおじさんと言うほどおじさんじゃないし、そもそもこんな台詞他のアニメにあったなと思いながら叫び続ける。
「女の子がさらわれてます、助けて!」
ラルは即座に状況を理解した。バルコニーに出る。キシリアは手すりにしがみついて下を指さした。
「あれ、あれ!」
女がアルテイシアを抱え地面に降り立っている。向こう側に車が止まっているから、あれに乗って逃げるつもりだ。
ラルがわずにバルコニーからジャンプする。立木の枝を折りながら地面に到達。女に駆け寄ろうとしている。
キシリアは最後まで見ずに室内に戻った。ドレスのまま階段を駆け下り、玄関を走り抜ける。ちょうど客の誰かが帰宅するところで、車が横付けにされていた。
「借りるわね!」
運転席に飛び込む。免許なら転生前にとった。未来の車だろうと、タイヤがついていればどれも同じだ。
身長が低いから伸び上がって前を見なければならない。雑にシートベルトをつけてアクセルを踏み込む。タイヤが
ライトの先にラルと揉み合う女の姿。女はなんとかラルを振り払い、止めてある車にアルテイシアごと乗った。
そこにキシリアの車が突っ込んだ。
こっちの前部と相手の後部が接触。衝撃と共に車体が横滑りする。タイヤが煙を上げ、車は半回転して止まった。
シートベルトのおかげか衝撃はそれほどでもない。キシリアは車の外に出る。相手の車も止まっていた。ラルが駆け寄っており、車から女と少女を引っ張り出していた。
「アルテイシアは!?」
キシリアも駆け寄る。アルテイシアは助手席で目を回していたが、目立った外傷はなさそうであった。
「よかった……」
胸を撫で下ろす。そのとき窓に突っ込んだときのガラス片に触ってしまい、キシリアは悲鳴を上げた。
すっかり静かになった屋敷の一室で、キシリアは傷の治療を受けた。
「痛たた……もっと沁みない薬ってないの?」
キシリアを手当てした医者は「そんなものはありません」と言った。こういうのはガンダム世界だろうと現代と同じらしい。
幸いキシリアの傷口はたいしたことがなかった。窓を突き破ったときのガラス片で、数か所血が滲んでいるのと、車をぶつけたときの打撲である。
ザビ家の一人娘だというので医者は丁寧に診察し、念のため今晩中にMRとCTを撮ることになっていた。
「まったく、お前は本当に驚かせるな」
ギレンは呆れたように言った。あの騒ぎでさすがにパーティーはお開きになっており、屋敷にはザビ家の関係者と警察だけとなっていた。
「いやあ、それほどでも」
「褒めてはいない。どうして捕まえようとしたんだ」
「前に駅で痴漢を追いかけたことがあって、その時の経験が生きたの」
「駅? いつも車で送り迎えしているだろう」
「こっちの話」
キシリアはとにかくそういうことだと言い切った。転生前のできごとはともかく、ギレンは事件が未然に防がれたことに安堵しているようであった。
ドズルもやってきた。彼は見るからにほっとしていた。
「キシリアもガルマも無事か。よかった」
「ドズルもよくやったわね。かっこよかったわよ」
「必死だったよ」
ドズルは頬に血を滲ませながら答える。引きこもりだったころのおどおどさはかなり消え、自信がついたようにも見えた。
「その傷、直した方がいいわよ。あっ、でもあった方がいいのか」
アニメ的には残した方が正しい。そのあたりはドズルの意思に任せるとして、彼女は弟の手を取った。
「ガルマも頑張った」
「僕はなんにも……姉上のおかげで」
「そんなことないって。みんな助かったんだから。ね」
言葉の最後は、ガルマの隣にいる少年へ向けられたものだ。
その少年、キャスバルはうなずいていた。
「本当に助かりました。妹まで助けてもらって、なんてお礼を申し上げたらいいか」
「礼なんかいいわよ」
とキシリアは言ってから。
「そうだ、だったらガルマと友達になってくれる? 確か同い年よね。男の子には親友が必要よ」
「喜んで」
キャスバルはにこりとする。そしてガルマに小さな手を差し出した。
ガルマはおずおずと、その手を握る。アルテイシアは二人の姿を見つめてにこにこしていた。
思わずほっとするキシリア。これでガルマとキャスバルに関係ができたし、ラルとアルテイシアも繋がりができた。
ガルマとキャスバルは話を続けている。最初のころの緊張感はほぼなくなって、打ち解けていた。
それらを眺めながらふと思った。
(ガルマって、テレビ版でキャスバルのこと知ってたっけ……?)
考えてみたら、キャスバルを知っていたら、シャアに会ったときすぐ分かるのではないだろうか。「謀ったなシャア!」の台詞がなくなってしまう。
(浮かれてて忘れてたけど、ちょっとまずいかも)
あとでなんとかつじつまをつけよう。彼女はぶつぶつ呟いて頭に刻み込んだ。
ギレンはいつの間にか離れたところにおり、警察関係者となにごとか会話をしている。報告を受けているようで、時折難しい顔でうなずいていた。
キシリアは不穏なものを感じた。自分から近づく。
「なにがあったんですか?」
「さっきの誘拐犯の情報だ」
ギレンは眉をひそめる。
「お前に聞かせるようなことではない」
「私だって関係ありますよ。被害者なんですから」
彼女の台詞に、ギレンは少し逡巡する。
「……そうだな、話そう。誘拐犯の正体が分かった」
「犯罪組織かなんかですか」
「共和国軍人だった。元軍人だな」
「え、ジオン共和国軍ってことですか?」
「そうだ。事故による死亡扱いになっていた。IDは偽造されたものだったが、登録DNAが引っかかった」
「失業してお金ないから、身代金を取ろうとしたんでしょうか」
「違う。金がなかったらあんな精巧なIDを作れない。警察が自白させようとしているが、口が堅くてなにも喋らないそうだ」
「じゃあ誰か操っている人間がいるとか」
「可能性は高い。どっちにせよ、我々に敵対する者の仕業だろう。ここでダイクンの子供たちがさらわれたら、ザビ家の威信は地に堕ちたからな」
ギレンはなるべく他に聞こえないように喋っていた。
これは困ったぞとキシリアは思った。ストーリーをテレビ版に近づけようとしているのに、邪魔が入るのはまずい。連中はキャスバルとアルテイシアをどこに連れていこうとしたのだろうか。そもそも二人は一度ジオンの表舞台から姿を消すが、あれは自分の意志だ。誘拐されたなんて聞いたことがない。
では誰の仕業だ。テレビ版『ガンダム』にこんな裏設定あったか?
ギレンのところから離れ、ううむとうなりながら腕を組む。
「姉上……?」
ガルマが不安そうに言う。キシリアはにこりとした。
「なんでもないから大丈夫。もう安心よ」
ガルマはほっとしたが、キシリアの心の疑念は晴れない。なんとしても突き止めて、ザビ家権力掌握の邪魔をさせるものかと、強く決意をした。
つづく
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