機動戦士ガンダム 異世界宇宙世紀 二十四歳職業OL、転生先でキシリアやってます 上

著:築地俊彦 原案:矢立肇・富野由悠季/KADOKAWA 単行本・ノベライズ総合

第1話 アメイジング ザ ワールド

 ありがちな話だが、目が覚めると見知らぬ室内でベッドの上に寝かされていた。

 部屋は狭く、あちこちに高価そうな服が散らばっていた。クローゼットは開けっ放しでワンピースやらブラウスやらが詰め込まれており、椅子の背はハンガー代わり、座るところには帽子が積まれている。さすが床に服は落ちてないが、代わりにファッション雑誌らしきものがたくさんあった。部屋の主は高いものが好きでも綺麗好きではないようだ。

 彼女はしばらくぼうっとすると、なんとなく上掛けをめくり、自らの両手を見た。

 細く、しわも傷もない小さな手。力仕事どころかろくにペンを持ったこともなさそう。しみじみと眺めた後、身体に目を落とす。これもかなり小さかった。

 怪訝けげんに思い、鏡を探そうとする。すると正面にある扉が開いた。

 召使いだ。なんで召使いかというと、簡素なエプロンをつけて新しいタオルを持っていたからだ。交換に来たのだろう。

 その女性は伏し目がちだった顔を上げると、びっくりして立ち止まった。ベッドの方を見つめると、口を大きく開けてきびすを返す。

「お嬢様が、お嬢様が目覚められました!」

 声はサンダル履きの足音と共に遠ざかる。やがてサンダル履きは、規則正しい足音と一緒に戻ってきた。

 先ほどの召使いは扉のところで横にどき、男性が入ってくる。

「意識が戻ったか」

 ベッドから半身を起こした彼女は唖然あぜんとした。

 やってきたのはギレン・ザビだったのだ。


                 ★


 そもそも彼女は都内の上場企業で働く社会人であり、しかもオタクであった。二十四歳というまだまだヒヨコな年齢ながら、同い年と比べて結構給料が良いものだから、遠慮なくグッズその他に注ぎ込んでいた。

 オタクと大ざっぱに区切っても実体は様々だが、彼女には確固たる「好きなもの」があった。ガンダムである。しかも「機動戦士ガンダム」をこよなく愛しており、監督を神のように崇めていた。

 生まれる前の作品ながら、何の気なしに父親の所有していたレーザーディスクで観て以来、頭を殴られたようなショックを受けた。以来、寝ても覚めてもガンダムガンダム。スマホの待ち受けはシャアにして、DVDだろうとブルーレイディスクだろうと観賞用と保存用にそれぞれ二つずつ購入、プラモデルは作らないものの新キットが出たら即座に買い込んだ。お台場に実物大が展示されれば現地に飛び、感極まって五体投地してまとめサイトに晒される有様だ。足首にザクのタトゥーを入れるか真剣に悩んだほどであった。

 もっとも自らの趣味を公言したりはしなかった。会社の昼休みでも友人とディナーをしても、無趣味な社会人を通していた。このあたり、やってることがかつてのオタクに近い。

 今も会社の外で後輩と信号待ちをしているが、話題がないからといってガンダムネタを振ったりしなかった。余計なことをして周囲を引かせる真似だけはすまい、と考えているのだ。

(とはいえ、こういう生活もストレス溜まんのよね……)

 なにしろ根がオタクなものだから、本心では語りたくてしょうがない。匿名のSNSで呟きを連ねるだけでは物足りないのだ。相手の迷惑もかえりみず、言いたいことだけを口にする人生も、絶対楽しいに違いない。

(ガンダムのことを考えるだけで崇拝されるような、そんな世界ないかしら)

 恐らくそれがいけなかったのだろう。考えごとのせいで気づくのが遅れてしまった。

 後輩の叫びにはっとして顔を上げると、
パンクした軽トラックが交差点でスリップし、彼女めがけて突っ込んできているところだった。


 目の前が暗転する、彼女は意識をかろうじて保ったまま、暗黒の世界に投げ出された。

(私、生きてるの……?)

 身体はふわふわと漂っている。痛みはないが、足場もなにもないところなので、なんとも頼りなかった。

 手足をじたばたさせる。泳ぎは得意ではないが、水泳の真似事をしていると、なんとか身体が安定してきた。同時に目の前がぼんやりと光る。

 薄い緑色の線が円を描く、時々たわんでいる。単なる幾何学模様のようであり、法則性があるようにも思われた。彼女がぽかんとして眺めていると、頭の中に声が響く。

「お前は今から、歴史を修正するために送り込まれる」

「はい?」

「変わりつつある世界を正すのだ」

 彼女は思わず顔をしかめた。

 声の主は男とも女とも区別が付かない。
電子的に歪められたような音で、やたら聞き取りづらい上に高圧的だった。

「あのー、なんのこと?」

「お前の知識、熱意に全てがかかってる」

「だからなんのことよ。私、車に跳ねられたんだけど。あんた医者? 違うんなら救急車呼んでよ」

「聞け。お前はこのままだと死ぬ。それは同時にチャンスでもある」

「死ぬのがチャンスなわけないでしょう」

「お前のような人材を求めていた。聞くところによると、お前はガンダムオタクだという」

「なんでそんなこと知ってんの」

森羅万象しんらばんしょう、知らないことなどない。そしてお前には使命がある」

 いかにももったい付ける感じで、声は重々しく告げた。

「ガンダム世界に行ってもらう」

「行く」

 彼女の即答に、声はしばらく絶句した。

「……なんだって?」

「ガンダムの世界に転生しろってことでしょ。行く。やる。任せて」

 彼女は目をきらきらさせた。

「そういうの大好き」

「ちょっと待て、お前は疑問に思ったりしないのか。アニメの世界に転生するんだぞ?」

「別にいいわよ。なーんにも問題ないから」

 ガンダム、という単語を聞いただけで理性は吹き飛んでいた。なにしろ初デート相手が「ガンダム」と口にしただけで、延々ジオン軍モビルスーツの格好良さを語り出し、気がついたら相手が姿を消していたこともあったのだ。

 なので、もはや自分が交通事故に遭ったことも関係なくなっていた。ガンダムのためなら地の果て空の果てまでする用意がある。その機会が巡ってきたのだ。

「だってガンダムでしょ、ヤバくない? 私はね、こういうのよく妄想してたの。昨日寝る前に考えてたのは私専用のモビルスーツがアクシズで開発されてて、サイコフレーム試作品まで搭載されることになって……」

「オタク特有の早口はやめろ。そもそも何故ガンダム世界に転生するかの説明を……」

 彼女は即座に遮る。

「そういうのいいから。私ゲームやるときもチュートリアル飛ばす女だからね。さっさとやって」

「あのな、お前みたいなのがあとになってソシャゲの運営会社にクレーム入れるんだ。いいか、あまたあるガンダム世界だが、転生するところは一九七九年土曜午後五時半に放送開始されたアニメだ」

「つまりガンダムってことでしょう。やって」

「そうだ、ガンダム世界。だからといって全部が同じとは……」

「やってやってやって!」

 彼女は腕をバタバタさせて急かす。模様は呆れたように明滅した。

「だったら全部省略していくぞ。痛くはないから安心しろ」

「気にしないから早く」

 模様の光が落ち着いたものになり、くるくる回りながら上昇した。それほど待つこともなく、今度は空間全部がフラッシュする。

 眩しい、と感じた瞬間、視界が暗転する。
彼女は眠りに落ちた。


                 ★


 などと思い出していた彼女のことを、ギレンは怪訝な表情で見つめていた。

「廊下でいきなり昏倒したと聞いたが、まだ具合が悪いのか?」

「いえ、そうじゃないけど……」

 首を振って、頭をはっきりさせる。

 改めて自らの周囲に見る。クローゼットから溢れている様々な服。所狭しと並べられている化粧品。散らばっているファッション雑誌。

 きょろきょろしていると、察した召使いが手鏡を差し出した。自分の顔を眺める。

 なんだか幼い。小学生か、中学生上がりたてみたいな顔だ。女なのは間違いないが、どうも記憶にはない。ギレンがいるからガンダム世界のはずだが、こんな女いたか?

「キシリア、どうかしたのか?」

「……キシリア!?」

 ギレンの台詞に、思わず声を上げた。

 鏡の中にいたのはキシリア・ザビだったのだ。そして驚きの表情と、思わず伸ばした指先が動いているところからして、
自分がキシリアになったことは間違いなかった。

 つい天井を仰いだ。あのなんだか分からない電波みたいなのの口ぶりからしてガンダム世界のキャラクターに転生するのは間違いないと思っていたが、なんとキシリアだったとは。ザビ家を推してる自分としてはありもありの大ありだが、一方で畏れ多いという気もする。単なるオタクがキシリアに生まれ変わっていいのだろうか。ジョブ・ジョンとかが適当では。いやジョブ・ジョンも結構出番あるし好きだよ。ごめんねジョブ・ジョン。
 もう一度鏡を見ると、確かにキシリアっぽいが、それにしても若かった。

「兄上……私って何歳ですか?」

 側に控えていた召使いが、目を丸くして口を半開きにした。ギレンもぎょっとしている。

「……なんだその言葉遣い」

「え?」

「今まで私を兄上と言ったことあったか? 転んだときに頭でも打ったのか」

 彼女はきょとんとした。

「……私今までなんて言ってました?」

「おい、とか、ちょっと、とかそういうのだ」

 ははあと思う。年頃の女の子が肉親に言いそうな言葉だ。

「それで歳ですけど」

「十三歳だが」

 なるほど。あの声の主は、自分を結構前の時代に送り込んだようだ。

「ところで兄上、声が渋いですね」

「変なことを言うんじゃない」

「私って声が小山こやま茉美まみっぽくありません?」

「…………」

 ギレンは「まったく意味が分からん」という顔をしていた。

 彼女はベッドから飛び降り、窓の外を見る。

 庭があった。その外は道路で、真っ直ぐ進んでいる。道路は徐々に上へと伸びていた。その両側に住宅が建ち並び、まるで壁のようになっていた。

 よく見ると頭の上、雲の向こう側にもうっすらと公園や建物が見えた。

「コロニーだ!」

 思わず声が出た。筒の中にいる。ここはシリンダー型のコロニーだ。よく見ると地面にもなっている壁面と、透明な部分に分かれていて、透明の先には黒い宇宙が、そして白く輝くミラーがあった。

 興奮で鼻血が出そうになった。まぎれもないサイド3のコロニー。転生する前にテレビで見た映像と同じだ。地球上とはまったく違うSFチックな風景だった。

 あの声の言った通りである。頭の中で整理がついた。ここは間違いなくガンダム世界で、しかも自分は子供のキシリアだ。オタクの自分には夢みたいな話である。今日からキシリア私はキシリア。これを楽しまずになにをしようというのだ。
全力でいくのがオタクの務めだろう。

「うふ、うふ、うふふ……」

 忍び笑いを漏らす。自分の願いが叶った。これから渋いザビ家の兄弟や、恰好いいモビルスーツのパイロットに囲まれるのだ。ハーレムものなんてよくあるが、世界設定全てがハーレムそのものなんて最高だ。

 満面の笑みで振り返った。

「兄上、モビルスーツは!?」

「なんだそれは?」

 怪訝な顔をするギレン。彼女は口を尖らせる。

「だからモビルスーツですよ。ガンダムっていったらモビルスーツでしょう」

 ギレンは目を白黒させると、かたわらの召使いに「医者はまだいるか」と訊いている。召使いは「いませんが、呼びにいけます」と返答していた。

 彼女はむろん無視した。

「絶対モビルスーツありますって! だってジオンが開発……」

 ふと気づき、自分の年を確認する。確か十三歳。少なくとも一年戦争より十一年は昔である。まだ研究段階かもしれない。いや、もしかしたら密かに研究しているかもしれないが、あとで確かめることにしよう。

 今は別なことをしよう。キシリアは言った。

「新聞持ってきて!」

 ギレンはまたも驚く。

「なんで新聞なんか読むんだ。今まで読んだことなかっただろう」

「私ってそうなの? いいから読みたい」

 ギレンは召使いに急いで持って来るように指示した。

 召使いは、今朝の新聞を差し出した。見た目は新聞紙で大きさも新聞だが、二つ折りされているだけだ。広げても現実世界の新聞となんら変わるところはないものの、紙面を指でスライドさせると次の見開きに移った。スマホと同じなのですぐに理解できたが、紙としか思えない軽さと手触りなのが別世界を感じさせる。

 彼女はベッドの上に戻った。番組表に興味はあったが、あえて政治欄をじっくりと眺める。新聞は英語に近い言語で書かれていた。転生したときに知識もアップデートされたのか、苦もなく読める。

 文字に目を走らせる彼女のことを、ギレンは信じられないような目つきで見ていた。

「面白いのか……?」

「邪魔しないでください。サイド3と地球圏の経済差について興味深い記事があります。経済効率面ではコロニーが勝っているものの、地球の広さそのものが潜在的アドバンテージとなりうる……」

「いつも新聞なんかつまらない、金の無駄だから配信を止めろと言ってただろう」

「そうなの?」

「ファッション雑誌とマンガしか読んでいなかっただろう」

 確かに、室内に散らばっているのはファッション雑誌とマンガばかりだ。本に見えるが全部端末で、恐らくベッドに並べて広げて眺めるのだろう。配信なのだから何冊もいらないのに、相当贅沢な生活をしていると見える。

 あと室内に目立つのはお菓子である。確かに新聞なんかとても読みそうにないタイプだ。

 だが今必要なのは情報だ。目を皿のようにして読んだが、肝心のことが書かれていない。

「兄上……サイド3の独立話はどうなりました?」

「共和国になってはいるが……ダイクンの話なんかなんの興味もなかっただろう」

「あれ、ダイクンまだ死んでなかったんですか?」

「なにを言い出すんだ!」

 今度のギレンは、正真正銘驚愕していた。彼はつかつかとベッドに近づく。

「馬鹿なことを口にするんじゃない! ダイクンは立派な人物だぞ。ムンゾが連邦より様々な権利を獲得したのは、全てダイクンの手腕だ。忘れてはいかん。そもそもダイクンがいなければ共和国宣言もあり得なかった」

「え、ザビ家のおかげじゃなくて?」

「自らの手柄を誇って良いときと悪いときがある」

 キシリアはまじまじと自分の兄を見つめた。このギレン、外見はいかにも酷薄そうだが、中身はそうでもない。利用できるものはなんでも利用するタイプに見えなかった。バランス感覚を備えた人物にも感じられる。

 でもそれじゃあストーリー変わっちゃうんじゃないかなあ。ここまで考えて、ふと思いつく。

「兄上……私ってどんな人間ですか」

「妹だが」

「そうじゃなくて、性格とかそういうの」

「自分の妹を評してどうするんだ」

「いいから教えてください。遠慮なく」

 ギレンはっているのか、目を左右に動かした。それから慎重に、言葉を選びながら話し出す。

「……ザビ家の人間としては、まあ、物足りないこともあるが……十三歳の少女と考えれば普通のことだ。私たちと会うのも嫌がったりしているが、よくある話で別に不思議ではない」

「ずいぶんオブラートに包んでますね」

「別によかろう」

 ギレンはなるべく早くこの話を打ち切りたい様子だった。

 彼女はちょっと首を傾げた。さらに確かめるべく、今度は「他の兄弟に会いたい」と要望を出した。

「わざわざ会うのか?」

 ギレンは何故か怪訝けげんな顔をする。

「お前は兄弟と会いたがらないだろうに」

「私ってなんか変な女ですね。思春期っぽい」

「十三歳だろうが」

 そんな返事をしつつも、ギレンは召使いに命じて呼びに行かせた。

 しばらく待っていると、召使いが緊張した面持ちで戻ってくる。「廊下でお待ちになると仰っていられますが……」と召使いは言った。

 ギレンはどこかほっとしたような顔つき。

「仕方がない。今日はもう……」

「入れて」

 キシリアはうながした。

 召使いが扉の向こうに行く。廊下でなにやら言い合ってるような音が聞こえ、やがて推されるようにして一人の少年が入ってきた。

(おっ、これは……)

 背が低く、色白の男子であった。子供服は一般的なもので高価ではなさそうだが、体つきにマッチしている。そしていかにも育ちが良さそうな顔つきをしていた。

「ガルマね」

 にっこりと微笑んで言う。

 彼女に言わせれば、ザビ家の男兄弟は性癖を射貫くために作られたキャラクターである。渋い切れ者に、そして真っ当な美形。どれもこれも大好きだ。はじめてガンダムを見たときから自然と目がいってしまった。彼らが兄弟だと知ったときは脳内の妄想メーターが一気に振り切れたものだ。

 幼いガルマもなんと可愛いのか。大人の姿も美形だが、子供の姿は愛らしさの固まりである。純朴に色香を掛けあわせたような顔をしている。彼女は久しぶりに頭がくらくらする感覚を味わった。

 にやける顔と荒くなる息を必死に押さえた。

「こっちへ来て」

 手招きをする。だがガルマ・ザビはびくっとすると、ギレンの後ろに隠れてしまう。

「え? どうしたの? 私の本心見抜いた?」

「いや……無理もないだろう」

 ギレンはごほんと咳払い。

「キシリアはガルマに当たりがきつい。ガルマのやることに文句ばかり言ってる」

「えー!?」

 そんな馬鹿なと思ったが、ガルマの反応見てるとそうとも言えなくなってくる。

「ひょっとして……暴力振るってます?」

「そこまではしないが、ガルマが失敗すると怒ったりあざ笑ったりする。まだ九歳なんだから仕方ないのにお前は遠慮がない。私がやめろと何度も注意してるのにやめないから、こんなに怯えるようになったんだ」

「私が……そんなことしてたの!?」

「お前が寝込んでいたのも、ガルマを追いかけ回してたら滑って頭をぶつけたからだ。あれからずっとガルマは怯えたままだ」

 ギレンの口調は注意するようでもあり、
すでに諦めているようでもあった。

 彼女は絶句した。室内の散らかりぶりからして相当なわがまま娘ではと想像できたが、自分の弟にまで嫌われていたとは。

 ガルマはギレンの後ろから、恐る恐るこっちをうかがっている。胸が締めつけられるようになり、彼女は思わずベッドから飛び降りた。

 小走りにガルマの元へと寄る。

「ごめんね、心から謝るから。本当にごめんね」

 実際に頭を下げた。

「姉だからって酷いことばかり言ったんでしょう。怖かったよね。でも、もう大丈夫だよ。私反省した。転んだのも私のせいで、ガルマは全然悪くないんだよ。これからはガルマが怖がることは絶対にしないから。約束する」

 つい手を取って、握りしめた。

 彼女にとってザビ家の兄弟を拒絶すること自体があり得ない。ましてこんな可愛い男の子を。これが渋いおじさんであっても拒絶しないし、筋骨隆々の男性であってもあり得なかった。ようするにキャラを崇拝しているし、信仰の対象を破壊することは自らの信条にかかわるのであった。

 ガルマはきょとんとする。目を何度もしばたたかせた。

「怒ってない……?」

「全っ然怒ってない」

 力を込めて首を振る。

 ガルマはギレンのことを見上げた。ギレンはうなずく。

「本気だ。私も最初は驚いたが、これが今のキシリアだ」

 ガルマはほっとすると、ギレンの足元から離れた。

「ありがとう……お姉ちゃん」

 おどおどしながも、はにかむような笑顔を向けている。手を握り返してきた。

 キシリアは思わず抱きしめた。

「いい子ね、ガルマ……でも一つだけ言わせて」

「……?」

「お姉ちゃんじゃなくて、姉上って呼んでね」

「なんで……?」

「やっぱりそっちが正しいから」

 不意に、ぴんときた。

 ひょっとして、これがあの声の言う「変わりつつある世界を正す」ではなかろうか。ここのガンダム世界はなんだか自分が知っているのと設定が違う。どこかおかしいのだ。

 まだ確認する必要がある。この部屋にはキャラクターが足りていない。

「お姉ちゃ……姉上?」

 ガルマが不思議そうに見ている。彼女は立ち上がると、ベッドに戻って端に座った。

「兄上」

 ギレンはわずかに眉を潜めた。

「どうも兄上というのに違和感がある。中身が変わったのか」

「鋭いですね。それはともかく、ドズルはどこですか」

 あの雲を衝くような大男で、顔に傷があるザビ家の次男がいなかった。ここではどういうキャラなのか、ぜひ会ってみたい。

「自分の部屋にいるはずだ」

「はずってなんですか」

「もう何日も顔を見てない」

「旅行に行ってるんですか。ゼナと」

「ゼナとは誰だ」

「今はいいです」

「ドズルは旅行はしない。そもそも外に出てないからな。引きこもってる。動画見てるかゲームしてるんだろう」

 キシリアは思わず「はあ?」と言った。

「ドズルはそんなことしません」

「だったら自分で確かめてみるといい」

 彼女はベッドの端から飛び降りる。部屋から出ようとして場所を知らないことに気づき、ギレンに案内するよう頼んだ。

「連れてってください」

「そのわがままぶり、やっぱり変わってないのか」

「渋い声の人と一緒にいるの好きなんです」

 二人は廊下に出た。

 この家の天井は高く、廊下の一方は壁、もう一方が吹き抜けとなって手すりが付いていた。一見、貴族の屋敷のようだが、豪華そうな絵画や彫刻品は見あたらない。むしろ質素と言ってよかった。

「ぱっとしませんね」

「政治は金がかかる。自分たちが贅沢するくらいなら、同志を食わせてやらないと」

「兄上、あまり優しいとキャラがぶれるので謹んでください」

 扉の前まで来た。

 その瞬間、彼女は思わず一歩引いてしまった。人は「なんかヤバい」と感じたとき無意識に避けるもので、違和感を覚えたのである。扉の内側から負のオーラが出てる気がしていた

「……ここがドズルの部屋なんですか?」

 ギレンは答えず、扉を叩いた。

「ドズル、開けろ。キシリアが会いに来たぞ」

 返事はない。

「ドズル、開けるんだ!」

 中でなにかが動いている気配はあるが、
反応はない。ギレンは横を向いた。

「こんな具合だ。ずっと出てこない。いずれ会うこともあるだろうから、今日はあきらめて……」

 キシリアは最後まで聞かず、なるべく扉から離れたところに立つ。

「おい、なにをするつもりだ!?」

 助走をつけると、全力で肩を扉に叩きつけた。

 唖然あぜんとするギレン。鈍い音がして、十三歳の身体は扉に弾き飛ばされた。彼女は反動で尻餅をつく。

「痛たた……」

「扉を破ろうというのか!? いきなりなにを考えている!?」

「だって肩でタックルするってかっこいいじゃないですか。ガデムも旧ザクでやってたし」

「相変らずお前の言うことはわけが分からん」

 彼女は立ち上がり、埃を払う。扉をぺたぺた触った。

「兄上も一緒にタックルしません?」

「馬鹿なことを。そんなに入りたいなら鍵を持ってこさせる」

 ギレンは遠くに控えていた召使いに手と指で合図をした。

「鍵で開けられるんですか! 最初からすればいいのに」

「弟の意志はなるべく尊重する」

 召使いが鍵束を持ってきた。ギレンは一本選ぶと、古ぼけたの下にある鍵穴に差し込んで回す。

 かちっと音がし、扉が自然と開いた。

 恐る恐る中に入る。薄暗く、じめっとしていた。部屋の奥には端末が有り、複数の画面が動画やゲームらしきものを映し出している。ホログラフィックのものもあった。

 そして画面の前には、熊のような身体をした男がいた。

 年若いがかなりの大柄だ。身長は百八
十センチを超えていそうで、恐らくまだ成長する。高さだけではなく身体の厚みもかなりのもので、スポーツをやらせたらいいとこまでいきそうだった。

 だがその背は丸まり、ただうずくまっているにすぎなかった。これがドズル・ザビであった。

「ドズル、キシリアだ」

 ギレンの声にも反応はない。

「久しぶりに会いたいんだそうだ」

「……放っておいてくれ」

 もごもごした言葉が返ってくる。

「俺はもうなにもしたくない、ずっとこうしているんだ……ゲームだけしていればいいんだよ……。それが俺にお似合いなんだ……」

 床に転がっていた、ゲームのコントローラーを取り上げて握る。電子音がして、ドズルは無言になった。

 キシリアは思わずギレンを見上げた。

「これ本当にドズル……?」

 ギレンは肯定の印にうなずいた。

 ドズルと言えばまず思いつくのが、デカい身体に美人の奥さんと赤ん坊を持つ剛直な軍人である。気合いと根性で動いているようなタイプだ。子供はいずれアクシズに流れ着き赤い髪の悪い女に担ぎ上げられるが、今は関係ない。

 とにかく室内で暗い顔してゲームをしているような感じではないのだ。だが目の前にいるドズルはそうなのであった。

 嫌な予感が彼女を襲う。

「あの……ひょっとして、私のせいでこうなっちゃった?」

 ギレンは首を振った。

「そうではない。お前はガルマの時と違ってドズルのことは無視するだけだった。ひと月前までは普通に生活していたんだが……」

「が?」

 ギレンは声を潜めた。

「父上と一緒に出かけてからこうなった。
理由は検討もつかない」

 そういえばザビ家の当主、デギン・ソド・ザビの姿がない。気になったが、今は置いておくことにした。

「引っ張り出さないんですか?」

「無理強いは好かない」

「それでもギレンですか」

 相手にはとっては理不尽なことを口にすると、キシリアはつかつかとドズルに歩み寄った。

 ドズルの顔がゆっくりと向く。んだ瞳だった。

「キシリア……」

「ドズル、そろそろ出なさい」

 腰に手を当てる。

「長いゴールデンウィークはもう終わり。
ザビ家の次男として働くのよ」

「だから放っておいてくれ」

 ドズルはゲーム画面から目を離さずに言う。

「どうせ俺は役立たずだ。このまま引きこもってれば誰にも迷惑をかけない。ずっとこうしてる」

「そうはいかないわよ」

 彼女は人差し指を突きつけた。

「いい、あんたが引きこもっていようがなかろうが、私には関係ないの。本当は関係あるけど、そんなこと言ってる場合じゃないのよ。部屋から出ないと多分話が続かない。このままじゃねえ、私の脳内ザビ家とここのザビ家の違いが激しすぎんのよ。すり合せる必要があるんだからに、ちっとは協力しなさい」

 剣幕にドズルはたじろいだ。

「い、意味が不明だ」

「どうだっていいのよ。私だって理解してもらおうなんて思ってないから。とにかく出るの!」

 腕を両手で掴むと強引に引っ張った。

 ドズルはしばらく抵抗していたが、力負けというよりは気迫に恐れを成したようで、渋々ながら同意した。

「分かったよ……」

「じゃあ出て。ゲームはちゃんとセーブしなさいよ。ローカルじゃなくてクラウドに保存するようにしておくの」

 ドズルは戸惑ってギレンを見る。ギレンは「私も驚いている」と言いたげに小さくうなずいた。


 少女一人と男兄弟三人は、彼女の自室に戻った。

「ちょっと並んでみてくれる?」

 口調はお願いだが、拒否させるつもりはない。なるべく間隔を詰めるように立たせ、自分はその前に陣取った。

 じろじろ眺め、遠慮なく相好を崩す。「うへへ……」と欲望だだ漏れの声を出さないようにするには、かなりの気力がいった。

 こうしてザビ家の三人を観察するのは彼女の夢である。小学生の時に妄想をこじらせ、学級日誌にザビ家の生活を事細かに描写し、教師に「アホ」と書き直しを命じられた身としては、念願適ったりであった。

「キリシア……」

「静かに」

 なにか言いかけたギレンを制する。もうしばらく愛でていようかと思い、ふと気がついた。

「サスロがいない……?」

 小説版機動戦士ガンダムで一か所だけ言及されていた、サスロ・ザビがいないのだ。ザビ家の本当の次男でメディア対策を一手に仕切っていた男。彼女は古本屋をハシゴして朝日ソノラマ版の小説を入手した過去がある。サスロがいないとは信じられなかった。

 男兄弟たちは揃って不思議そうにしていた。ギレンが口を開く。

「サスロとは誰だ」

「兄上の弟ですよ」

「弟はドズルとガルマだけだ」

「いないんですか!? そんな……」

「父上に隠し子がいるわけない。いたら絶対に私が気づくぞ」

 キシリアはなおも反論しようとして、口をつぐんだ。

 つまりここはTV版ガンダムの世界なのである。確かにテレビではサスロの名前は出てこない。そのわりには機動戦士ガンダム第一話「ガンダム大地に立つ!!」より前の時代からスタートしているが、そこらにあの声の思惑がありそうだ。

 サスロがいないだけではない。ドズルは引きこもりであり、ガルマはおどおどが抜けていない。ギレンだけは普通だが、カミソリのような切れ味よりも、他者を慮る気持ちが強かった。

 恐らく、と彼女は考えた。あの声が言いたかったのは、こういう設定を正せということなのだろう。これはアニメと違いすぎる。キシリアである自分からして着飾るのが好きなわがまま娘なのだ。いかに「あまたあるガンダム世界」だとしても、パロディマンガでもないかぎり極端に外れるのは好ましくないのだろう。だとしたら設定を直す必要がある。すなわちTV版ガンダムのストーリーっぽくするのだ。ガンダム大好き女の自分を選んだのも道理だ。

 よし、と口の中で呟く。ぴしゃぴしゃと自分の頬を叩いた。

「えー、では」

 彼女は男兄弟を前に宣言した。

「これから私たちはザビ家の一員として、
ジオン公国をきちんと率いていきたいと思います」

「待て、公国だと?」

 ギレンが口を挟んだ。

「ジオンは共和国だぞ。なんだ公国というのは。貴族が統治するのか?」

「邪魔しないでください。そっちのが正しいんです」

「しかし人の革新のためにはスペースノイドの自立が不可欠であり、そのためにダイクンは……」

「ニュータイプ理論はあとです。まずはジオンの足元を固めないと。そのためには兄弟の意識改革が必要なんです」

 彼女は老舗企業に雇われたコンサルタントみたいなことを言った。

 兄弟たちは顔を見合わせている。ファッションとマンガにしか興味のなかった少女が、いきなり意識高いことを言い出したのだから無理もない。

 恐る恐るドズルが言う。

「俺たち全員が政治家になれってことか?」

「軍人でもいいわよ。あんた軍人に向いてるし」

「俺が軍人なんて、そりゃ憧れるけど……。だけど父上はガルマを軍人にはしたがらないし、俺にも好きなことをやればいいと言っていた。それにキシリアなんか共和国の将来とか馬鹿にしてただろう」

「それは過去の話! これからザビ家はサイド3の指導者になるの!」

 彼女にとっては自明のことで、揺るがしようのない真実だ。それでも男たちの反応は薄い。

 ギレンがなだめるように言う。

「我々よりダイクンがうまくやるだろう」

「あの人病気ですよ。これからなります」

「なにを言ってる。一国の首相だぞ。失礼なことはやめろ」

「そっか知られてないんだ……。ええと、じゃあ私たちザビ家の先見の明を、みんなに見せてやりましょう」

「どうやって」

「モビルスーツです!」

 彼女は高らかに宣言した。

「モビルスーツを使うんです! 人型の巨大兵器! これさえあれば反対派も連邦も一発です!」

「なにが一発なんだ……」

 胡散うさんくさげに呟いたのはドズルである。彼だけではなく、ギレンもガルマも、「キシリアはどうかしたのか」という目つきであった。

 無論、そんなことを気にする女ではない。

「モビルスーツの生産が必要です! ジオンの将来はこれにかかってます!」

「だからそのモビルスーツというのはなんなのだ」

 ギレンが訊く。キシリアは「知らないのも無理はないです」と答えた。

「ザビ家が千年続くための兵器です。多分秘密でしょうから、見るとびっくりしますよ」

「ある意味、もう驚いている」

「見学に行きましょう!」

「どこへ……?」

 彼女はギラギラした目つきで詰め寄った。

「研究所です! 絶対軍事の研究しているところがありますよね!?」

「それはあるが……」

「じゃあ行きましょう! 兄上は車を回してください」

 ギレンはなおもっていたが、剣幕に推されて承諾した。

 車は屋敷全体で一台しかなかった。それでも運転手はちゃんと雇っており、車も一見して高級車と分かった。ただザビ家には一人一台くらいの車があると思っていたため、キシリアは少し落胆した。

「もっとばーんと豪勢な暮らしをしたらどうです」

「そうはいかない。こんなに立派なのもいらないんだが、時には見栄も必要なる」

 二人で後部座席に乗る。ドズルとガルマは留守番。

 ギレンは運転手に対し、インターフォン越しに行き先を告げる。車は滑るようにスタートした。

 広い道路の右側を進んでいく。ザビ家の屋敷はすぐ見えなくなった。

 車は完全な電動らしくほとんど音がしない。周囲を走っている車も同じで、コロニー内での排ガスは厳禁だから当然だろう。

 心が沸き立ってくる。モビルスーツ研究の総本山に向かうのだ。

「兄上……サイド3はコロニー群ですよね」

「ああ」

「水産資源用のコロニーもありますよね」

「よく知ってるな」

「そこで水陸両用モビルスーツのテストをするんです」

 もはやキシリアの頭の中はモビルスーツ一色である。脳内には様々なガンプラ、旧キットやリアルタイプ、ハイグレードやマスターグレードが乱舞していた。

 突然車が止まった。

 ギレンがインターフォンに「どうした」と訊く。運転手が「デモによる道路規制です」と答えていた。

 見ると、確かにプラカードを持った市民がいた。防音がいいので聞こえないが、口々に不満を唱えているようだ。

「へえ、宇宙世紀にもデモはあるんですね」

「当たり前だろう。最近は増える一方だがな」

 ギレンは遠回りするように命じた。

 短時間だけデモ隊の横を通った。かなりの人数だ。ギレンは「これでも少ない方だ」と言っている。参加者は「連邦と開戦せよ」「地球懲罰」などのプラカードを持っており、殺気立っていた。拳を振り上げるものも多く、どうかすると規制している警官隊と衝突しそうだ。

 彼女はそれらを窓越しに眺めた。

「反連邦派って多いんですね」

「最近は特に増えた」

「警官もデモ隊に同情してそう」

「当然だろう、彼らも共和国の国民だ」

「兄上が煽っているんですか?」

「していない。むしろダイクンの仕業ではないかとの説もある」

「え、ダイクンが?」

 きょとんとするキシリア。それも展開がおかしい。ギレンは打ち消すように「他愛のない噂だ」と言っていた。

 やがて車は単に技術研究所と書かれた建物の前に止まった。

 玄関先には眼鏡をかけた女性の他数名が並んでいた。

「ようこそ、ギレン・ザビ様……とキシリア様」

 女性はうやうやしくも戸惑って礼をする。キシリアは挨拶もそこそこに言った。

「早く見せて!」

 女性はぎょっとした。キシリアは無視してさらに言う。

「中が見たい! 見せて見せて!」

 眼鏡の女性はギレンを見る。ギレンは諦めきった顔で返事をする。

「好きにさせてやってくれ」

「ザビ家の支援には感謝しております。ですが中には機密に属するものも……」

「見せないと収まりそうにない」

 キシリアはそんなやりとりも聞こえず、
「早く早く」と鼻息を荒くしていた。

 女性が先導し、建物の中に入る。いくつかのチェックゲートを通り抜け、キシリアはそのたびにボルテージが上がった。

 キシリアはいつの間にか先頭に立っていた。背後では、眼鏡の女性が小声でギレンに訊いていた。

「キシリア様はどうしてあのように……?」

「私にもさっぱり分からん」

「以前見学にいらしたときは、端末ばかりいじっていて、ここよりパフェ食べに行きたいとおっしゃってましたが……」

「我が妹ながら謎だ」

 キシリアはくるりと振り返る。

「なんですか、内緒話して。あっ、ひょっとしてこっちの女性は兄上の秘書になるんですか? もしかして名前はセシリア・アイリーン? 全然似てないか。あはは」

 テンションばかりやけに高い。時折スキップしながら、最後のゲートをくぐった。

 眼前には天井の高い、塵一つない空間があった。無骨な機械、乗り物などが並んでいる。

「全てではありませんが、ここに試作中の兵器模型などが置いてあります。全てデータ化しており、厳重な管理のもとサーバに保存してあって……」

「なにか見せて!」

 女性は説明を諦めると、部下の一人になにか言う。その人物は両手で抱えられるくらいの模型を持ってきた。

「現在建造中の宇宙輸送船です」

「おおっ」

 キシリアは目を輝かす。これは見たことがある。双胴型の船体はお馴染みだ。

「名称は決まっておりませんが、噂によるとパプアになるのではと」

「他は!?」

「こちらは建造が開始されたばかりの軍艦の模型です。さらなる大型化を目指しており、もちろん名前はまだなく番号だけで……」

「チベにしよう!」

 キシリアは高らかに宣言した。天井に人差し指まで向けている。

「これと同じ艦は今後全部チベ級。決定!」

「は……言葉の意味は……」

「そんなものはない!」

 彼女は言い切った。

「こういう船はチベって決まってるの! チベはチベだから! 色も赤くすんのよ! 分かった!?」

 剣幕に女性はたじろぎ、ギレンの様子をうかがう。ギレンはもうなにも言わなかった。

「まあ……政府と軍部が決定することですが……候補にはなるかもしれません」

「チベに決まりよ」

 自信満々に言い切った。

 そしてキシリアはこぼれる笑みを隠すことなく、女性に近づく。

「で、で、あれは?」

「あれ……とは」

「もう、とぼけちゃって。あれに決まってるでしょ。モビルスーツ!」

 女性は眼鏡の奥で、しきりにまばたきを繰り返していた。キシリアは息を荒くしてさらに詰め寄る。

「モビルスーツの基礎研究くらいしてるわよねえ」

「は……」

「いつ出てくるの」

「それ……なんですか」

「え?」

「聞いたこともありません」

 一瞬、キシリアは戸惑った。

「二本足で歩く人型の兵器よ。そりゃね、実戦投入されるのはずっと先の話で、モビルスーツって名称もないはず。だけど二足歩行の兵器が宇宙で活躍するのは超恰好いいわよ。今から基礎研究全部終えておけば、いざって時に新型をバンバン……」

 女性はなにも言わない。隣のギレンも。

 ペラペラ喋り続けていたキシリアだったが、さすがに不審さを感じて黙った。すかさず眼鏡の女性が言う。

「ジオン共和国の主力兵器は艦艇と宇宙戦闘機によると決まっています」

「えっ、なんで!?」

「共和国軍首脳と政府の会議で決定されました。確かに当研究所だけではなく、いくつかの研究所では足のついた兵器を研究しておりましたが、全て中断して宇宙戦闘機開発に一本化することになっています」

「なんでー!?」

 キシリアは悲鳴に近い声を上げた。

 ガンダムと言えばモビルスーツである。
様々なメカデザイナーによって作られたロボットが、画面狭しと飛び回る姿こそ美しい。キャラも好きだがメカも好きだ。彼女の自室には、大量に買い込んだプラモデルがぎっしりと眠っているのである。

 この時代、モビルスーツという概念がないのは不思議ではない。だが基礎研究すら放棄したのでは、何にもならないではないか。

「なんでなんでなんで!? ひょっとしてミノフスキー!? まだミノフスキー粒子がないから!? あらかじめ開発始めておきなさいよ!」

 案内の女性に掴みかかりそうになるキシリア。ギレンが言葉を引き取った。

「私も二足歩行兵器の可能性は耳にしたが、資金と資源の無駄になるから、研究は止めたはずだ」

「なんで余計なことするんですかー!!」

「妥当な判断だと思うが……」

「研究を再開します!!」

 キシリアは高らかに宣言した。

 女性がぎょっとする。彼女だけではなく、他の研究者も面喰っていた。

「今後ジオンは大型二足歩行兵器の研究に力を傾けるんです! 今やっとけば楽になる!」

「あの、予算が……」

「それくらいザビ家がやるわよ! 家に金がなくたって政府から出すわ!」

 彼女はギレンの方を向く。

「兄上、いいですよね?」

「……お前が父上に新しい服をねだったことは何度もあったが、軍事の研究費用とは……」

「ジオンのためです!」

 剣幕に推されたか、ギレンは思わずうなずいていた。

「まあ……研究くらいならいいか……」

 キシリアは胸を撫で下ろした。よしよし、これでモビルスーツ研究がはじまる。なんとか自分の知ってるアニメの世界に繋がりそうだ。

「そういや、この場所って名前ってないのね」

「半官半民みたいなところなので、単に第一技術研究所と呼ばれています」

「第一ってことは、他にもある?」

「第二と第三が」

「民間資本の比率を上げて、ここをジオニック社にしましょう。他のはツィマッドとMIPね」

「いい名前とは思いますが……どうしてそのようにすべきだと」

「そう決まってるからよ」

 眼鏡の女性はもうなにも言わなかった。

 キシリアは満足げにうなずいた。ふと、頭に疑問が思い浮かぶ。

「兄上、ミノフスキー博士って知ってます?」

「物理学の研究者だろう。このあいだ核融合反応炉の研究が大幅に縮小されたと言ってたな」

「はい?」

 キシリアはきょとんとした。

「研究縮小? あの有名なミノフスキー博士ですよ……?」

「予算が停止されたから縮小も仕方なかろう。あと一歩だとは聞いていたんだが……」

「えー!? 確かもうすぐ実用化されるはずなのに! ミノフスキー粒子もミノフスキー・クラフトもなくなっちゃう!」

「どうしてお前は意味不明なことばかり口走るんだ」

 キシリアは兄の言うことを聞いていなかった。ミノフスキー粒子はガンダム設定の根幹である。これではいくら研究を再開させたところで、モビルスーツが実用化されなくなってしまう。

「そっちも再開させましょう! 予算つけてください!」

「予算はお前の小遣いでは……」

「国家予算の私物化こそザビ家のあるべき姿です!」

「そうか……?」

「そうです!」

 ギレンは気圧されて、うなずいた。

 キシリアは満足そうに腕を組む。よしよし、これでモビルスーツへの道筋はついた。ミノフスキーの研究縮小を見るに足を引っ張る邪魔者がいるらしいが、そうはいくか。こっちは歴史を全部知っているのだ。必ずやジオンを、なによりザビ家を栄光に導いて見せよう。

 キシリアは不敵な笑みを浮かべる。それを見たギレンと研究者たちは、自然と後ずさりするのであった。


                               つづく

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