第34話

 院長は、久しぶりの私を見るなり「大きくなったねえ」と顔中の皺を深くして迎えた。三十過ぎて「大きくなった」は微妙だが、齢九十近い院長から見れば子供に毛が生えた程度なのだろう。

「それで、早速なんですけど」

「うん、トキソプラズマ検査ね。ちょくちょくあるからね、熱が出た?」

 聴診器を手に、院長は丸椅子を私へ近づける。持ち上げたニットの下へ聴診器を突っ込んだ。

「微熱と、体の怠さや筋肉痛があって。そういえば狩猟解禁で鹿肉食べたなと」

「吉継くんは、腕がいいらしいねえ」

 はい、と答えて後ろを向く。騙すようで申し訳ないが、実際には申告したような症状はない。もし感染していたとしても、私は無症状だ。無症状なら、特に治療は行われない。

「うん、大丈夫だね。リンパはどうかな」

 院長は聴診器を外し、再び向き直った私の首元に触れて頷く。指先は細く枯れているが、少しの震えもなかった。

「ちょっと腫れはあるけど、祈ちゃんは疲れが溜まるとよく腫れてたからね。じゃあ、血液検査をしよう」

 頷いたあと、背後の看護師に指示を出す。今日は患者が少なめだからか、院長自ら採血してくれるらしい。

「あの、余談なんですけど『トキソプラズマ感染で人の性格が変わる』って、聞いたことあります?」

「うん、あるよ。まあ古い人間には今更って感じだけどね」

「今更、ですか」

 認める以上の答えに、戸惑いつつ尋ねる。院長は薄くなった白髪頭を頷かせながら、白衣の袖をまくり上げた。

「昔、この辺では『性根の弱い子に獣の生肉を食わすと強くなる』って言われててね。泣き虫や怖がりの男の子に儀式的に生肉を食わせる慣習があったんだ。熱が出たり腹痛を訴えたりする子もいるんだけど、気性が荒くなる子もいてね。当時は『山の主に気に入られた』と言われてたよ。でも公衆衛生が発達して生食が危険って分かってから、廃れていってね。医学の勉強を始めて、あれは寄生虫か何かの悪さだろうなと腑に落ちたよ」

「そんなことがあったんですね」

「うん。祈ちゃんのおじいさんも、確か食べさせられてたよ。昔は泣き虫だったからなあ」

 戻ってきた看護師から一式を受け取り、アルコールで手指を消毒する。

 祖父が、そうだったのか。もちろん初耳だ。

「いいおじいさん、ご家族だったね」

 好々爺の笑みで語る院長に、唇を噛んで頭を下げる。初めて溢れそうになった涙を堪え、腕を差し出した。

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