第22話

 通夜振る舞いを辞退し鍋焼きうどんを食べて帰ると、九時を過ぎていた。

 確かめたパソコンには、昨日出したCD鑑定の見積もり依頼全てに返信が届いていた。提示された日数と金額はさまざまで、早くても約一週間だ。サブリミナル音源の文言を全てチェックする手間を考えたら、やはりそれくらい掛かるのかもしれない。そして、高かった。

「六十万、かあ」

 夫婦で利用するのなら共有口座から引き落とせるが、これは相談できない出費だ。私の口座から出すしかないだろう。

 溜め息をつきつつ、デスクの引き出しから通帳を取り出す。

 生活に関する殆どの費用は吉継に甘えているが、甘えられないものもある。祖父母への仕送りだ。生活費や祖母のデイサービスの利用料、病院代として月に十万、年金だけでは苦しい生活を援助している。

 両親と同居はしているものの、母は遠方に住む母方の祖父母へ毎月仕送りしていて余裕がない。父は差し迫った退職後の生活に資産を回したいから出せないらしい。譲は二十六歳で、まだ自分の生活費を家に入れる以上の役割は負担できない。必然的に、役目は大富豪と結婚した私へと回された。

 とはいえ、役目に不満はない。忙しい両親に代わって私達姉弟を育ててくれたのは祖父母だ。私を剣道道場に入れ、獣の捌き方や軍鶏の〆方を教えたのは祖父だった。今年八十四歳になるが、まだ現役で猟をしている。ただ目に入るものは全て狩る吉継とは違い、祖父は全てを狩らない。害獣狩りでも、スタンスは違っていた。

 これまでの感謝があるから、仕送りはできるならこれからも続けていきたい。ただ最近、ぼんやりと離婚した時のことを考えてしまうのだ。離婚したら、きっと十万は厳しくなる。離婚したら。

 闇に沈みそうな思考を切り上げて通帳を片付け、一社に絞って予備鑑定の申し込みを行う。本鑑定に入る前に鑑定ができるかどうかを確かめるものらしい。明日速達でCDを送って、取り掛かってもらうのは明後日か。

 返信して一息ついた傍らで、今度は携帯が揺れる。予想どおり、松前からだ。

 『こんばんは! CDのメーカー、倒産してたんですね。BRPは三年前から始めた本店メニューみたいですが、保険外で院長指名なので高くて受けた人があまりいません。今カルテを調べてますが、二百枚調べて一回受けた人が三人です。常連さんで、今も通われてます。CDは買ってないみたいだから、影響なかったのかもしれません(ちなみに社員は全員買わされてるみたいですが、みんな聞いてないと思います)。引き続き、隙を見て残りのカルテを調べます。』

 思ったより本格的な調査報告だった。

 今朝届いていたメールによると、松前は今春専門学校を卒業して寺本の院に就職したばかりらしい。若さゆえの清潔さと正義感に突き動かされているのかもしれない。ただ、若さゆえの危うさも感じてしまう。

『こんばんは。お忙しい中、早速調べてくださってありがとうございます。的確な情報、本当に助かります。引き続きお願いしたいですが、怪しまれないようにしてくださいね。松前さんが問題なく仕事できる方が大事です。』

 協力の申し出をありがたく受け入れてしまったが、年長者として優先させるべきは彼女の安全だ。裏切り者の烙印を押されて院を追い出されるようなことになったら、申し訳が立たない。手に職があるとはいえ、ここは田舎だ。就職して一年続かず辞めた新卒を、すぐに受け入れてくれる院がどれくらいあるだろう。私には「あなたならどこでも」と無責任に言える楽観さはない。

「祈、お風呂いいよ」

「ありがとう、入る」

 戸口から呼ぶ吉継に、送信を終えた携帯を置く。

 さっき確かめた吉継のブログは、いつもどおり投資の情報や今後の予測が綴られていた。セミナーのネタは、まるでなかったことのように消えている。どうなったのかと尋ねられたら、なんと返すつもりなのだろう。『全員亡くなった』と、事実を書く勇気はあるのか。

 青白い光を放つノートパソコンを閉じて、腰を上げた。

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