第20話

 不意にフロアの照明が落ちて、昼を知る。節電のためなのは分かるが、冬場はやはり暗い。全て消されるわけではないものの、なんとなく心細くなってしまう。

 一息つけば、腹の空く匂いにも気づく。矢上がくれた栄養ドリンクのおかげか、体はかなり楽になっていた。今日は定時で退庁して、朝岡の通夜へ行く予定だ。

 ランチジャーを開け始めた矢上を横目にコートを羽織り、携帯を手に腰を上げる。業務の合間に考えたが、やはり適役は明将しかいない。義父母でも吉継は納得するだろうが、明将はこの一件について一切知らせていないらしい。その方針に賛成する以上、明将を選ぶしかないのだ。

 人気の少ない庁舎の裏手に回り、冷えた空気に洟を啜りつつ連絡先から明将を選ぶ。見上げれば、低い空が鈍色の雲を敷き詰めている。今にも雪が降りそうな色の重なりに息苦しさを感じた時、音が途切れた。

「もしかして、まだ言い足りない文句があった?」

「いえ、実は少しお力をお借りしたいことができまして。お仕事中に申し訳ありません。今、お時間よろしいでしょうか」

 大人の礼儀として仕事用の対応で返すと、明将は少し間を置いた。不穏なものを感じ取っているのだろう。仕方がない、天敵だ。

「低姿勢の祈ほど怖い相手もいないんだよ。先に言っておくけど、『寺本を殺せ』は無理だぞ」

「違いますよ。殺すなら、他人に頼まず自分で〆ます」

「ほんと惚れ惚れする極道気質なんだよなあ。なんで公務員してるの?」

 明将は笑いつつ、いつものように茶化す口を利く。こちらにしてみれば、当たり前のように寺本を殺す選択肢を出すそっちの方が余程ヤクザだ。とはいえ、今更だろう。杼機の家に二面性があることくらい、高校になる頃には分かっていた。

「天職ですから。それはともかく、私はこのままだと日曜日に魔物を体から追い出す名目でボッコボコにされます。見たいですか」

「見たいけど、助けなかったら俺のとこにもお礼参りに来るんだろ。何をさせたいんだ」

 相変わらず話が早い。ありがたいが、問題はここからだ。コートの前を合わせ直し、冷えた首を竦める。二つ返事で引き受けられる話でないのは分かっている。

「お休みのところ申し訳ありませんが、土曜日に連絡して日曜日の午前中に私を呼び出して欲しいんです」

「その場凌ぎに聞こえるけど、どうせ裏でこそこそしてるんだろうね。時間稼ぎがしたいわけだ」

「そういうことです。さすがですね。明将さんが敵じゃなくて良かった」

 よく言うよ、と返して明将は笑った。

「見返りは? まさか『私がボッコボコにされません』じゃないよね」

「今年いっぱい私が優しくなります」

「残り少ないし、胸焼けしそうだからやめとくよ」

 予想どおりの拒否に安堵する。別に、お互いを避け合う決定的な事件や諍いがあったわけではない。ただどうしようもなく「反りが合わない」のだ。

「まあ、祈とは一度腹を割って話をしたいと思ってたんだよ。日曜日の呼び出し理由と見返りはそれでどうかな。吉継には今回の件の念押しと今後の牽制とでも言っておく」

「ありがとうございます、問題ありません」

 明将が今回の一件をどこまで把握しているのか分からないが、私からの情報も入れておく判断をしたのだろう。続いて聞こえた溜め息に、思わず身構える。

「まさか吉継が、祈への暴力を許すとはね」

 予想外の向きだったが、どのみち快い反応ではない。でも極めて常識的で凡庸な、一般人の反応だ。吉継にはもう、そんなことも分からなくなっている。

「だから、洗脳は恐ろしいんです」

 吉継は自分が、寺本こそが正義だと盲信している。でもそこを「洗脳されている」「おかしい」と言えば一層頑なに閉じて、私の話を聞こうとさえしなくなってしまうだろう。話ができる関係を維持しつつ、言葉を選んで伝えていくしかない。

 短いやりとりを経て通話を終え、再び庁舎の中へ戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る