第17話

 死ぬほどいやだが、もう個人的な感情にかかずらっている場合ではない。風呂に入り身支度を整えたあと、吉継と共に寺本の整骨院を訪れた。明将が手を回したおかげで、既に施術は中止になっている。あとは私が施術を受けて連鎖を止めるだけだ。といっても、取られたはずの対処療法は朝岡を救わなかった。信用はしていない。

 今日の受付は前回の女性ではなく、五十辺りに見える男性だった。前回の女性も施術着っぽい服を着ていたし、もしかしたら全員施術者なのかもしれない。

 今日も相変わらず清潔に整えられた院内に感心しながら、奥の部屋へ向かう。吉継に続いてくぐったドアの向こうで、寺本は悠然と待ち構えていた。

 自分の施術のせいで三人が亡くなった上に、施術中止を言い渡されたはずだ。少しくらい反省や憔悴の色が見えてもいいところだが、見る限りは前回と変わりがない。明将はいくら積んだのだろう。

「大変でしたね、つらい思いをなさったそうで。お加減はいかがですか」

「問題ありません。私は死んでませんから」

 祈、と窘める声にも構わず寺本を見据える。寺本は意に介す様子もなく、デスクから腰を上げた。

「ご主人にお伺いしましたが、あなたは幼い頃に山で迷って魔物に襲われたことがあるとか」

 近づきつつ過去を明かし始めた寺本に、隣を見る。咄嗟に避けられた視線が今は腹立たしい。

「非現実的な体験をしながら、なぜ『見えないもの』をそこまで否定されるのですか」

「当時は確かに『体験した』と思っていました。ただ今は、極限状態の恐怖が作り出した幻聴と医師が判断した理由が分かります。あの頃は声だけだったのに今その姿が見えるのも、何度も思い出しては想像してしまったからです」

「なるほど、あくまで否定されるわけですね。無神論者ですか」

 寺本は私達へソファを勧めつつ、自分も一人掛けに腰を下ろした。

「いえ、違います。現実的かつ科学的な選択を重要視することと、神仏を敬う気持ちは両立しますよ。今回の一件は、サブリミナル効果が引き起こした惨事である可能性が高いと考えているだけです」

「関与したのは確かですが、元凶はあなたに憑いている魔物です」

 今日も相変わらず、腕はブレスレットで重そうだ。私には、それが欲の塊に見える。

「そう言い切るからには、これまで施術を行った方の追跡や、CDの製造元へのご連絡はしていただけたんですよね」

 していないのは既に分かっているが、思わず皮肉をぶつけてしまう。元凶はお前だ、と吐き捨てたい気持ちを抑えて溜め息をついた。

「私には全て見えて分かっているのだから、不要ですよ。失礼ですが、真実の見えないあなたを納得させるためだけに周りを無為に動かすわけにはいきません。特にお客様には、余計な不安を与え兼ねません」

「でもあなたは、『関与したのは確か』だと因果関係を認められましたよね。だとしたら、製造元は製造物責任を負います。販売元であるあなたが対処なさらないおつもりなら、私が関係各所と協議して行いますがいかがでしょうか」

 そちらが非現実的な責任を私に吹っ掛けて言い逃れるつもりなら、こちらにも考えがある。寺本は余裕綽々といった様子でソファへ凭れ、苦笑を浮かべるだけで流した。

「先程も言いましたが、私は無神論者ではありません。だからこそ、科学的根拠や証明を無視した現象を安易に神仏と結びつける行為を見過ごせないんです。あなたは神の力を借りていると言いながら、危険性のあるプログラムを続けていました。誠意が見えません」

 追撃した私に、寺本は緩く頭を横に振る。相変わらず、苛立つ男だ。

「私は常に誠意を尽くしていますよ。ただあなたの仰る誠意、正義と違うだけです。私の正義は、苦しんでいる人を一刻も早く救うことにあります。たとえお役所に止められようと、救いを求める方がいれば怯みません。持てる技を全て使い一人でも多くの方を苦痛から解放する、それが私の天命であり神から申し渡された仕事ですから」

「先生が真摯な仕事ぶりは、僕が保証する。僕は、先生のそういうところに惹かれたんだ」

 隣で主張する吉継に、溜め息をつく。一刻も早く人を救う正義だろうと「三人殺した呪いがかかるかもしれない」リスクを客に説明する責任はあるはずだ。まともに相手をするのがバカらしくなってきた。どのみち、ここに私の味方はいない。

「このまま言い合っていても埒が明きませんし、施術をお願いします」

「はい、ではこちらに」

 寺本はにこりと笑い、ソファから腰を上げて隣の部屋を目指す。院長室から直通の、いわばVIP専用ルームらしい。

「あなたが神を信じるようになったのは、山での一件があったからですか」

「いえ、そういうわけではありません。昔からうちの食卓には、庭でさっきまで私をどついてた軍鶏や山で生きてた猪や鹿、川で跳ねてた魚がのぼっていました。私も中学の頃からは〆ていましたし。彼らと自分の命の何が違うのだろうかと、よく考えていました。でも違いがあろうがなかろうが、どのみち自分の命をどの器に入れるかは選べません。では命を振り分け、器を選んだのは誰の意志か、と」

 考えれば考えるほど、科学では説明できない領域へ踏み込んでしまう。この世で私を人間にしたのは、今〆た軍鶏を軍鶏にしたのは誰なのか。なぜ私が軍鶏でなく、軍鶏が私ではなかったのか。いつか全て明らかになる日が来るかもしれないが、それまでは神仏の業でいい。

「なるほど、そういうわけですか」

 寺本は大きくドアを開いて私達を中へ通す。シンプルながら高級感のあるインテリアは、ホテルのエステルームのようだ。簡素なカーテンで仕切られただけの施術ブースとはまるで違う。心安らぐ香りは甘いフローラル系だが、嗅いだことのない香りだった。唯一流れている音楽だけは馴染みがあるものの、全く嬉しくない。

「すみません、せめてそのCDはやめてもらえませんか。怖いので、聞きたくないんです」

「分かりました。さあ、どうぞ」

 寺本はあっさりと受け入れて音楽を止め、私を施術台へ促した。黒の合皮張りの施術台に、ベージュのバスタオルが掛けてある。ただの施術を受けるのならためらわないが、今回ばかりは勝手が違う。私だって、万一の可能性を拭いきれないから受けることにしたのだ。何が起きるか分からない。

 不安な視線を向けた私に、吉継は気づいて笑んだ。

「大丈夫だよ、傍にいるから」

「いなくならないでね」

 寺本の手前、控えめにせざるを得ない願いを伝えてコートを脱ぐ。寺本は施術台で仰向けになった私の体にバスタオルを掛けたあと、目を閉じるよう言った。

「では、始めますね。頭をほぐしていきます」

 声を掛けたあと、指先が頭に触れる。デスクワークの弊害で万年肩凝りだから、整体には時々通っている。与えられた圧は強すぎず弱すぎず、痛みはなかった。

「山で迷った時の話をしてください」

 遠慮なく突っ込んでくる寺本に思わず眉間が寄るが、仕方ない。一息ついて、口の中で小さく咳をした。

「五歳の時に、吉継に誘われて栗を拾いに山へ入りました。最初は麓で拾っていたんですが、上の方にもっといい場所があると言われてついて行きました」

 杼機の屋敷裏にある鹿峭山ろくしょうざんは標高約一一〇〇メートル、「裏山」と呼ぶには大きく立派な沢瀉町の最高峰だ。杉や檜などの針葉樹林が多くを占めるが、落葉広葉樹の美しい紅葉も楽しめる。春は森林浴、夏は沢に涼を求め、秋になれば豊かな実りを授けてくれる山でもあった。

 かつて吉継が家族で拾いに行った場所には、拾いきれないほどの栗が落ちていたらしい。当時食欲が最優先だった私は二つ返事で従い、手を繋いで山へと分け入った。

「でも、その場所がなかなか見つからなくて。私は帰ろうと言ったんですが、吉継は大丈夫だと更に分け入ってしまって、結局迷ってしまったんです。そこで、けんかになりました」

 何を言ったか全て覚えているわけではないが、吉継も同じ不安を抱えている幼い子供であることを忘れて責めた。ひとしきり傷つく言葉をぶつけ合って泣いたあとようやく仲直りをして、再び同じ目的のために手を繋いだ、はずだった。

「仲直りをして、手を繋いで山を下りることにしました。ただ途中で吉継が手を離して、どんどん先へ進んでしまって。足の遅い私は追いつけなくて、気づいたら一人で迷っていました」

 仲直りは私が言い出したことだから、吉継は納得していなかったのだろう。手を振り解いたあと、吉継は一度も振り向かなかった。

「自力で下りようとしたんですが、余計に迷っただけでした。その内に日も暮れてしまって。足を滑らせてどこかへ落ちて、気づいたら真っ暗闇でした。立っても座っても、何も見えなくて」

 手は私の頭を少し持ち上げ、後頭部に指を這わせる。施術として受け止めれば心地よいだけだが、そうではないのだから不安だ。

「怖くなって、母を呼びながら泣きじゃくりました。どこを見ても暗闇で、もう」

「大丈夫ですよ。ゆっくりと息をしてください」

 思い出した濃密な闇に、体が強張ったのが分かったのだろう。寺本は普遍的なアドバイスをして、後頭部に圧を与えた。

 数度深呼吸を繰り返し、いつの間にか作っていた拳を緩める。少し速くなった鼓動が落ち着くのを待った。

「母を呼んでいたら、私ではない声が真似をして呼ぶのが聞こえたんです。最初は一つだったのが増えてきて、私を囲んで回り始めました」

 脳裏にあの日の記憶が浮かぶ。枯れた葉を踏む音、「おかあさん」と繰り返す枯れた声、触れた感触。不意にぐにゃりと歪んだ映像が新たに映し出したのは、燃え盛る炎だった。木の爆ぜる音がして、乾いた木が燃える臭いが漂う。熱のない炎が揺らめく先に、あの化け物達の姿があった。奴らは集って、鳥のように何かを啄み、奪い合っている。目を凝らすと、やがてそれが何かの……人の死体であることに気づいた。くちばしから、人の足がはみ出ている。

 思わず後ずさった私に気づいた群れが、一斉にこちらを向く。いのりぃぃ、と掠れた声で呼ぶ奴らの顔には母、だけではない。父と祖母の顔が張りつけられていた。

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