第13話

 惣田は結局、昼食の席にも午後からのセミナーにも参加しなかった。昼食の猪鹿鍋は私も参加して三人で食べたが、朝岡はやはり浮かない表情をしていた。話をすれば、分かってくれるかもしれない。吉継も、もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。

 朝岡を見送り戻って来た吉継に、昼前に聞こえた会話の話をする。

「お祓いしてもらってきたの。だから憑かれて云々じゃない」

「祓えなかっただけでしょ。先生は力の強い魔物だから簡単にはいかないって言ってたし」

「でも、憑かれてるのは私だけなんでしょ。岸川さんと惣田さんはどうなの? 二人の共通点はBRPだよ。さすがにおかしいと思わないの?」

「惣田さんは、まだ死んだと決まったわけじゃない」

 確かに、まだ事実を知らないのに決めつけは失礼だ。一息つき、思考を静める。

「ごめん、そうだね。失礼だった。何か、確かめられる連絡先はないの?」

「本人の携帯以外、連絡先を知らない」

 もし本当に事件が起きていたのなら夕方のニュースに流れるだろうが、名前が出るかどうかは分からない。

 確実なのは「スマートスピーカーが会話を流した」ことを警察に伝えて、そこから情報を引っ張り出す策か。その勢いで寺本も調べてもらえれば最高だ。

「警察に連絡してみる」

「だめだよ!」

 慌てたように答えて、吉継は私の腕を掴む。

「今、警察はだめだ。父さん達に迷惑が掛かる」

 険しい表情に、遅れて思い出す。確かに来春出馬するのなら、今はどんな醜聞でも致命傷になってしまうだろう。でも、人が二人死んでいるかもしれないのだ。

「分かった。でも、もし惣田さんが亡くなってたら、全部話すからね。うちはたまたまセミナーで三人集まってたから異常さに気づいたけど、ほかのBRPを受けた人にも何か起きてるかもしれないし」

「それはないよ。先生は、祈から呪いが伝播してるって言ってた。元凶は、祈だって」

 言うに事欠いて「呪いの伝播」とは、さすがに呆れてしまう。掴まれた腕を解いて、溜め息をつく。

「じゃあ、どうして岸川さんなの? 私が撒いてるなら、これまでに吉継や家族や職場の人達がなんともなってないのはおかしいでしょ」

「BRPは意識を作り変える最中に一時的に霊道を開いてしまうから、そこに滑り込まれたんだって」

 私がぶつけそうな疑問を予想して、前もって潰しておいたのか。霊道とやらはよく分からないが、悪あがきにしか思えない言い訳だ。

「そんな説明、信じたの?」

「先生は、祈の魔物を祓わないと犠牲者が増えるって言ってた」

「百歩譲ってそうだとしても、今回の一件を引き起こした原因はBPRのCDでしょ。CDを聴かなければ、私には何も起きなかった。これほどの悪影響を引き起こす可能性がある施術を平然とメニューに並べて、今も続けてる危険性についてはどう思うの? 私がBRPをした人に呪いを撒いてるって言いながら、呪われる可能性のある人を量産し続けてるんだよ。その仕事のどこに誠意があるの?」

 訴える私に、吉継は歪めた表情を隠すように俯く。

「先生は施術家である前に、商売人なの。無料で自分のスキルを提供してる吉継とは根本から違う。社会のためじゃない、自分の儲けが優先なの」

 安全性を無視して利益を追求しようとする商売が、人を救うわけがない。一人では使い切れないからと快く利益を分け与える吉継とは、土壌から違っているのだ。もちろん倹しい私とも違っているが、私の土壌にも誇りはある。自分の利益を最優先に追求するなら、公務員にはなっていない。

「私は、今起きてる全てはCDのサブリミナル効果が引き起こした幻覚が原因だと思ってる。それでもこれ以上犠牲者を出すわけにはいかないから、万が一の呪いの可能性を考えてBRPを受けるよ。その代わり」

 受け入れた私に、吉継は弾かれたように顔を上げる。死ぬほどいやだが、寺本がその気ならそこまで下りて勝負するしかない。守るべきは、人の命と生活だ。

「施術を受けた人を追跡調査して無事を確認するように言って。BRPに関しては、安全性を確保できるまで中止。CDの作成に、特にサブリミナルの文言に問題がなかったか製作元に問い合わせをして調査を依頼してもらって。この三つが約束できないなら、関係各所に通報する」

 入庁以来培った人脈をフル活用して、できることをする。

「院を潰すつもりなの?」

「そのつもりなら、こんな回りくどいやり方はしない。これ以上の犠牲者を防ぐ最善の策を出しただけだよ」

 BRPでいくら儲けているのかは知らないが、本来の業務はそんなものではない。BRPをやめたら潰れるような技術しかないのなら、その方が問題だろう。寺本だって、施術家としての矜持はあるはずだ。

「ほんと公務員って感じだね。やめろって居丈高に言ってやめさせるだけで、なんの補填もする気がない。先生やあそこに働く人達は、祈の守るべき県民には入ってないのかな」

 そこまで言うなら過去五年分の確定申告書類と所得課税証明書を提出させて妥協案を練りたいが、そういうことではない。嫌味だ。

「最大多数の最大幸福だよ」

「先生を追い詰めることに罪悪感はないの?」

 罪悪感、か。寺本の影響なのか、吉継は情緒的な反応をするようになった。以前はもっと客観的に、理性的に判断していたはずだ。

「じゃあ先生は、亡くなった岸川さんに対してどれだけ罪悪感を抱いてるの? ご遺族の元へ駆けつけて、誠心誠意詫びたの? BRPが私に憑いてる魔物を荒れさせて霊道を開いたせいで亡くなったって、自分で言ってるのに」

「殺したのは祈の呪いだろ!」

 なだらかな眉間に皺を寄せ、吉継はきつい言葉を吐いた。また、ポスドクを辞める時を思い出す。後ろめたさがなければ、吉継は何を言われても鷹揚にかわすし気にも留めない。でも後ろめたさがあると食って掛かる。吉継も、どこかで寺本の怪しさに気づいてはいるのだ。ただ今手放せば、夢に挫折したばかりの頃に戻ってしまう。セミナーの面子に夢を諦めた人ばかり集めたのも、「自分だけではない」と思いたかったのだろう。

「だから、これ以上誰も殺さないようにできることをしようとしてるの。でもそれには私がBRPを受けるだけじゃ、片手落ちだと思わない?」

 本当は全力で寺本を責め立てたいが、吉継が頑なになってしまったら元も子もない。私の味方だったら、と浮かぶ思いが不自然なのは分かっている。

「そのことも考えておいて欲しいんだけど、もし本当に私とBRPの組み合わせが最悪の状況を引き起こすなら、今の最優先事項は惣田さんと朝岡くんだよ」

 跳ね上がった優先順位に溜め息をつき、顔をさすりあげる。二人を犠牲にしないためには、どうすればいいのか。

「私がBRPを受けるのは根本治療でしょ。それまで対処療法で惣田さんと朝岡くんを守れないか、先生に聞いてみて。できるのなら、すぐにしてもらって。それで、惣田さんは連絡を待つしかないとしても、朝岡くんには事情を話して状況を聞いてもいいと思うんだけど」

 事の真偽はこの際どうでもいい。後手になる前に、最悪の事態を想定してできることは全てしておくべきだろう。何もなければ笑い話にできる。

「朝岡さんには惣田さんのことが分かり次第、僕が連絡する。先生に頼めばなんとかしてくれるから、いたずらに表沙汰にして不安を煽る必要はないよ」

 それでは遅い気がしたが、理由は勘だ。吉継は受け入れないだろう。幸い朝岡だけは私とも連絡先を交換している。夫の信用と後輩の命なら、優先すべきは後者だ。

「分かった。お願いね」

 鈍く痛む胸をごまかしつつ、選択に同意するふりをする。すっかり仕事相手との駆け引きだ。自分が「かわいらしい妻」になれないのは分かっていたが、家の中でも戦う日が来るとは思わなかった。吉継となら心安らかな日々を過ごせると信じていたのに。

 ああ、だめだ。凹んでいる場合じゃない。

 寝室を出て行く背を確かめて、携帯を手にする。さすがに通話はバレるから、メールだ。

 『今日はおつかれさまでした。顔色が優れませんでしたが、調子はどうですか。岸川さんの件があったので、心配しています』

 『ありがとうございます。岸川さんのことはショックでしたが、大丈夫です』

 『よかった』

 『ただ、気になることがあるので、近いうちに杼機先輩抜きで会えませんか』

 やりとりに現れた気になる誘いに、スケジュールアプリをチェックする。うちの係は、行幸やお成りの予定がない限り忙殺されることはない。ただ十二月と三月に限り庶務で捌ききれない仕事が回されてくるのだ。本格化する前に、こじ開けておくか。

 『明日の夜、空けておきます』

 『相変わらず仕事が早いですね。了解です。また連絡します』

 「気になること」の中身には踏み込まなかったが、吉継抜きで話したいのならセミナーに関することだろう。BRPを怪しんでいるなら、吉継の目を覚ます手伝いをしてくれるかもしれない。孤軍奮闘する中で、初めて見えた光だった。

 携帯を置き、気の早い安堵に胸を撫で下ろす。視線を上げた先では、クローゼットの扉がまた開いていた。この前より、少し大きく開いている。

 全部、幻覚だ。

 粟立つ腕をさすり、振り払うように視線を背けて寝室を出た。

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