August LastDays (TRUE END)




みそらちゃんが俺を誘ってくれた。


自分の曲を作らせる。


言うなれば歌手として命を預けるパートナーに俺を指名しようとしてくれている。


なんて。なんて光栄なことなんだろうか。


──でも。


「悪いね。それは無理だ」


俺ははっきり。きっぱりと断らせてもらった。


【空美】

「……え?」


神田さんが透明なガラス細工のような瞳を丸くする。


まるで断られるとは思っていなかったって顔だ。


まあ、その気持ちはわからんでもない。


音楽に未練を持った元ミュージシャンの前に音楽関係の仕事に戻れるチャンスをぶら下げているんだ。


それは垂らされた側からすれば地獄に垂らされた金の糸のようなもの。


掴まない手などない。あるはずがない。


もっとも、神田さんがそんな打算的なことを考えてたかはわからないが。


驚くってのは無意識下でそういう思考があったという証拠だ。


ていうか、俺だってそんな打算的な思考は抜きで神田さんのためになるなら。憧れのみそらちゃんの力になれるんならなりたいさ。


でも今の俺じゃダメなんだ。


【空美】

「……理由を、聞いてもいいですか?」


震えた声で尋ねられる。


少しうつむいた顔には影が差していた。


ごめんよ。そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。


でも、絶対に受けられない理由がある。


「だって。まだ、約束を果たしてないじゃないか」


【空美】

「約束?」


「俺はまだ、君に演奏を聞かせていないだろ」


神田さんが伏せていた顔をあげる。


「はっきり言うよ。今の俺は君が知ってる俺に比べれば、だいぶ腑抜けてる」


【空美】

「そんなこと──」


「無いって言いきれないでしょ。君だって音楽をやってるならわかるはずだ。二年のブランクがどれくらい重いか」


【空美】

「それは……」


俺の言葉に、神田さんは反論できない。


だって想像がついてるはずだから。


年単位のブランクを取り戻す困難さを。


仮に平均レベルまで戻せても、その先へ進むのがどれだけ難しいのか。


そりゃ、今の俺でも少し練習すれば人並みに弾くくらいはいけるさ。


けど、彼女が求めてる俺はそんな俺じゃない。


彼女はプロである俺の演奏を求めている。


今この瞬間にその誘いを受けて、理想と現実の差に失望されるのはごめんだ。


もう、そんな思いは懲り懲りなんだ。


──だから。


「……一ヶ月」


【空美】

「え?」


「一ヶ月だけ、俺に時間をくれないか?」


【空美】

「それは構いませんけど……どういうことですか?」


「一ヶ月で見せてみせる。君が見たかった俺を」


【空美】

「そんな……どうやって?」


「さあ。でもやれることはやってみせる。そこで気が変わらなかったら、また誘ってよ」


【空美】

「……わかりました。楽しみに待ってますね」


「うん。待ってて」


なんて、かっこよく啖呵を切ってみたけれど。


一ヶ月で神田さんを満足させるライブを見せられる保証なんてない。


でも、そこに至るまでの道筋はすでに見えている。


そのためにはまず。


「神田さん。しばらく練習に集中したいから、その日まで会わないでいたんだけど……それと、メールの返信も出来ないと思う。それでも、いいかな?」


俺の計画を成すための第一歩は、神田さんとの接点を断つことである。


理由は色々あるが……一番はサプライズっぽくしておきたい。


計画が実現すれば、きっと度肝を抜くようなステージになるはずだ。


ただ、そうなると神田さんと交わした第二の約束を破ることになる。


それを彼女が許してくれるかどうか──。


【空美】

「わかりました。一ヶ月、期待して待ちます」


まあ、神田さんはそう言ってくれるだろうなって思ってたよ。


「ありがとう。それじゃ、そろそろ解散しようか。送ってくよ」


【空美】

「ふふ、お願いします」


さて、ここからは時間との勝負だ。


神田さんを家に送り届けたら、俺はまっすぐ家に帰ることなく、近くのコンビニへと駆け込んだ。


目的はいわずもがな、フリーWi-Fiである。


ここでやっておきたいのは調べ物と音源のダウンロードである。


まずはiTubeの動画をダウンロードし、オフラインで再生できるようにするアプリをインストールし、みそらちゃんの歌ってみた動画で良さそうなものを片っ端から落としていく。


今回のライブのセットリストに彼女の曲のカバーは外せない。


正確にいうと彼女がカバーした曲のカバーだが、細かい違いなんてどうでもいい。


練習時間や諸々の事情も考えれば、曲選びに時間を費やすことは出来ない。


ゆえに大体の構成はすでに出来上がっている。


MCを含めて、大体何分で何曲出来るかも想像がつく。


この辺は今までの経験の賜物だ。


めぼしいところのダウンロードが終わったら、今度はライブをやるうえで欠かせないファクターである会場を探す。


ここもあまり時間をかけてなんていられない。


ライブをやるって決めた瞬間から、すでに会場は二つに絞っていた。


この二つ、せめてどちらかでも抑えられなければ計画は破綻する。


そして出来れば貸し切りにしたい。


さて、どうなることやら……。


施設に今すぐにでも予約の電話をかけたいところであるが、生憎すでに電話対応の受付時間を過ぎてしまっている。


となると、今はもうできることはないな。


次に出来るのはあの人への交渉だな。


一旦家に帰り、おぼろげだったセットリストを明確にしていく。


そして夜勤へ。


さて、俺の頼みをあの人が受け入れてくれるかどうか……。


カウンターを通り、事務所に入ると山本さんはいつものようにスマホをいじっていた。


【山本さん】

「おう、――。さっきぶりだな」


「おはようございます、山本さん」


【山本さん】

「で、あの子との話はついたのか?」


「ええ、まあ……」


【山本さん】

「そか、そりゃよかったな」


あの会話や歌声を聞いていたなら、山本さんは神田さんがみそらちゃんであることも気づいているはずだ。


それでも何も聞いてこないってことは、俺の歯切れの悪い返事を聞いて気遣ってくれてるんだろう。


初めてであったころは根掘り葉掘り何でも聞こうとしてくる人だと思っていたが、こういう一面を見ていると、まるっきり無神経な人ではないと認識させられる。


だが歯切れの悪さはそういう意味じゃない。


「あの、すみません山本さん。すごく急で申し訳ないんですけど、明日から一ヶ月間、夜勤の仕事を任せてもいいですか?」


ぱぱっと着替えてから単刀直入に告げる。


山本さんへの交渉、それはしばらくシフトを肩代わりしてもらうことだ。


これを受けてもらえるかで、成功率はぐんと変わる。


【山本さん】

「なんだよ、ほんとに急な話だな。とりあえず理由は聞いてやる」


「実は──」


無茶なお願いだとわかってるからこそ、それ以外は誠実に行くべきだ。


俺は出勤までの僅かな時間で可能な限り、神田さんと俺の関係を説明した。


そして、かつて俺のファンであった神田さんを喜ばせるために絶対に成功させたいライブがあるから、シフトを肩代わりしてほしい旨を伝える。


とても壮大なことのように話してみせたが、内容は完全に私事である。


果たして、山本さんが受け入れてくれるか──。


【山本さん】

「お前なあ……」


すべてを聞いたあと、山本さんは苛立った声を出す。


やっぱり、仕事を丸投げっていうのは無理があったか?


ごくりと生唾を飲む。


【山本さん】

「そんなの、やってやるに決まってんだろ!つーかなんだよそれ!めちゃくちゃ運命じゃん!それにあれだろ。神田さんってみそらちゃんだろ?」


「あ、それは……はい」


【山本さん】

「じゃあみそらちゃんがお前のファンになって、お前がみそらちゃんのファンになったってことだな?くぁー!なーんでそんなとびっきりのネタ隠すかな!」


「いや、それは俺も今日知ったんですけどね」


怒られるかと思いきや、山本さんは諸手をあげて喜んだ。


そうか、そういえばこの人は小説家を目指してるんだったな。


身近にそんなネタが転がってると知れば、むしろ喜んでくれるのか。


【山本さん】

「いいぜ。そのネタ使って一本書いていいっつーなら喜んで協力してやる」


「ありがとうございます!……でも、神田さんの身元がバレるような情報は使わないでくれると……」


【山本さん】

「わーってるよ。そのへんはちゃんと配慮してる。あくまでそれを元にってことだよ」


「それなら全然大丈夫です」


かくして俺は強力な協力者を得ることができ。


翌日には会場の手配も運良くスムーズに完了し、セットリストも定めて必要なものも揃えて。


かなり早い段階で曲の練習へ移行することが出来たのだった。


そこからの日々は、ほぼ同じことの繰り返しだった。


まず朝一で二本のギターを抱え、スタジオへ向かう。


抱えているのは今まで使っていたアコギと、次のライブのために買ったストラトキャスターである。


ストラトキャスターとはエレキギターの一種で、もっとも基本の機種のことを指す。


アコギは先月から触れてきたおかげで多少は勘が戻っている。


しかしエレキにはここまで全く触れていない。


ゆえに他にもレスポールとかテレキャスターだとか色々な種類があるのだが、せめて弾きやすいように基本的な機種を選んだのだ。


そもそも一ヶ月しか練習期間がないくせに、そんなものに手を出すな。と思う人も多いかもしれない。


だが、ボーカロイドのような早く激しい曲にはやっぱりエレキギターがあうのだ。


アコギは主に弾き語りやジャズなどの落ち着いた曲用に使うことが多い。


とはいえ、俺が持ってるアコギは正確にはエレアコといって、エレキギターのようにシールドを繋いである程度の音量は出せるようになっている代物だ。


しかし悔しいが、それでもやはり激しさという意味の盛り上がりではアコギはエレキには勝てないのだ。


今回、俺は神田さんのイメージ通りの俺、つまり全盛期の俺のパフォーマンスを見せるつもりだと言った。


だが真意は別にある。


俺の目標は神田さんの想像を超えた俺を見せること。


彼女が知っている俺は基本的にアコギしか使っていない。


だから俺はそのために殻を破る。


彼女を喜ばせられるなら、十五万ちょっとの出費も安いものだ。


そんなふうに強がってみるが、会場費や連日のスタジオ通い、その他機材などを揃えたら出費は馬鹿にならない。


今まで年単位で貯めてきた貯金を使い果たしてしまうくらいの勢いで金が飛んでいく。


だがそれでも成功させたいライブがあるから。


妥協なんてしてられないんだ。


神田さんのために。神田さんのために。神田さんのために。


灰色だった俺の日常は、彼女が現れたことで色を取り戻していった。


彼女がいてくれたから、俺は再び全力で音楽に向き合えた。


俺の気持ちを。最大限の感謝を彼女へ届けたい。


ただひたすらに彼女を想って練習する。


しばらく会ってない寂しさが、彼女への想いを膨らませてくれる。


そしてついに本番の日がやってきた。


12月20日金曜日の午後5時45分。


俺はステージの上で神田さんがやってくるのを待っていた。


この日はあのスタジオ、いつも神田さんが来ていたスタジオを貸し切っている。


借り受けたのは午後の三時から九時までの六時間。


ライブを2時間前後で予定しているため、リハーサルに当てる時間で2時間、あとはリハーサルと本番間の1時間と、アンコールに対応するための予備の1時間だ。


もうすぐここに神田さんがやってくる。


彼女にはライブの開始時間と日付しか伝えていない。


思い出のスタジオを貸し切ったことは秘密にしていた。


しかし会場を伝えなかったらどうやってくるというのか。


そこはまた、山本さんの力を借りていた。


といっても、今日の山本さんは桜さんの方だ。


彼女には目隠しと耳栓をした神田さんをここまで連れてくるように手配している。


そうすることで、「サプライズ感マシマシで空美ちゃんの度肝抜けちゃいますよ!」と桜さんはいっていた。


そう、会場をひた隠しにするというのは他ならぬ桜さんの案であった。


本当は神田さんには公演の一週間前に場所を伝えておこうと想ったんだが、ある日山本さんとともに家へやってきた彼女が、どうしてもサプライズにしたほうがいいと言い張ったのだ。


正直ここは思い出補正も加味して選んだ会場だ。俺としてはライブハウスの内装だけでは気づかれなくて逆効果じゃないかと懸念してたんだが。


数分後、会場のど真ん中に連れてこられた神田さんは。


【空美】

「わ、わー!こ、ここってあのライブハウス?しかも貸し切りじゃないですか!?」


目隠しを外した途端に歓声を上げていたので、桜ちゃんの案は結果的に功を奏したわけだ。


役目を終えた桜ちゃんは「ほら、言ったとおりじゃないですか」といわんばかりに俺に向けてウインクして、颯爽と姿を消していった。


きっとこれは神田さんのためのライブだときいていたから、空気を読んでくれたんだろう。


本来なら客は多いほうがいいんだが、今日のところは正直ありがたい。


この広い空間にたった二人で向かい合って開始時間を待つ。


神田さんは学校帰りであるはずなのに私服姿で。


きっとこれも桜さんの発案なんだろう、うっすらとお化粧をしているように見えた。


久しぶりに見た彼女は相変わらず綺麗だった。


本当はその服、かわいいねとか、今日は来てくれてありがとうね、とか声をかけてやりたい。


でも、今日は演者と客だから。


仲睦まじく言葉を交わしたりはしない。


たった一つの椅子に腰掛けた彼女は、じっとこちらを見ている。


開演時間までスマホをいじって暇潰しをしたりもしない。


何度か腕時計に目をむけていたが、それ以外はずっと俺を見ている。


それはまるで、懐かしい雰囲気を目に焼き付けようとしているようだった。


でも、悪いけど神田さん。


その懐かしさ、今日は開幕で消し飛ばさせてもらう。


その代わり植え付ける。


強烈な新鮮さを。


そのために、開幕はエレキを背負ってるんだ。


【スタッフ】

「本番開始5分前です」


耳元につけたインカムから、照明演出を頼んだスタッフさんが合図をくれる。


【スタッフ】

「本番開始1分前です」


その言葉に、俺は小さくうなずいた。


ふう、ワンマンライブなんていつ以来だろうな。


たった一人が相手とはいえ、やっぱりステージに立つのは緊張するな。


いや、むしろ一人だからこそ緊張するのかもしれない。


それでも出来ることは全部やった。


【スタッフ】

「本番開始10秒前!10、9、8──」


今の俺なら緊張すら糧に出来る!


──♪


初手、流れるのは千本桜。


激しいイントロ、早いBPM。


高難易度で敷居の高い曲だが──その分成功すれば最高に映える!


【空美】

「──っ!!!」


神田さんが驚きのあまり目をいっぱいまで見開き、口元に手を当てる。


よしっ!


その様子に俺は心のなかで拳を握る。


難しいが何百回と練習してきた曲だ。弾きながら客の反応を伺う余裕があるくらい荷動きを身体が覚えていた。


どうやら俺の思惑は最高の形でハマったようだ。


神田さんの瞳からは、昔を懐かしむような気配はとうに消えている。


流石ボカロ界でトップレベルに有名な曲だ。


イントロもそうだが、特にサビの盛り上がりが段違いである。


つかみとしてこれを選んだのは正解だった。


「ふう、今日は来てくれてありがとうね。最初の曲はボカロ界でも誰もが知ってる曲、千本桜を演奏させていただいたけど、どうだったかな?」


【空美】

「最高でしたー!」


「はは、ありがとう!今回はいつもとスタイルを変えてみたけど──」


MCは若干神田さん個人に向けたメッセージのようになってしまったが。


客は一人しか呼ばない予定だったんだ。そこはどうか勘弁してほしい。


「じゃ、2曲目行こっか!次はドミネイトエモーションズの要!」


二曲目に持ってきたのは、かつての俺たちの曲だ。


千本桜ほどハイテンポではないが決してローテンポでもなく、一曲目の余韻をうまく引き継げる曲である。


これも神田さんには好評。


高いテンションを保ったまま、曲にノッて身体を揺らしたり手拍子したり、楽しんでくれた。


そしてみそらちゃんが歌っていた曲をカバーしていき、もう一度MCを挟んだらアコギに持ち替えて弾き語りへ以降。


さて、ここからが神田さんの記憶に根付いているアコギを持った俺の演奏である。


勝負はここからだ。


これからつかみで植え付けた新鮮さの上に、さらに懐かしさを上乗せする。


ここから先はどれだけ神田さんの感情を揺さぶれるかにかかっている。


理想は涙を流してくれるほど感動してもらうことだが……果たしてそこまで持ってけるかどうか。


俺の最大の山場は。


【空美】

「──っ!」


見事にうまくいった。


初めて会ったときに弾いた曲、ノスタルジーがうまく刺さってくれたようだ。


よし、ここまで来れればあとはセットリストを消化していくだけ。


気を抜かなければ上手くいくさ。


曲が順調に進んでくれたおかげで、俺のボルテージも最高潮の高みへ到達していく。


途中、アレンジを加えたりしながら俺も楽しむ。


正直、途中からは神田さんを楽しませるって気持ちも抜けていて。


むしろ俺が楽しんでいたかもしれない。


だがそれでいい。本人が楽しく弾いていれば、それが伝染するように客も楽しんでくれる。


それが音楽の不思議な力だ。


そして、曲は名残惜しいものの最後を迎えてしまう。


ここまで楽観的に来た俺だが、最後だけはそうも行かなかった。


なぜなら、俺が最後に用意したのは。


「さて、いよいよ最後の曲を迎えるわけだけど……次の曲はなんと、新曲なんです!」


【空美】

「えっ!?」


神田さんがこの日何度目かもわからない驚きの表情を見せる。


あー、いいリアクションだ。


ここまで俺はすべて既存の曲かカバーで乗り切っている。


彼女は俺の準備期間が一ヶ月しか無いという裏事情を知っている。


だから新曲を用意する暇はないと思っていたんだろう。


ふふ、神田さん。


作詞作曲っていうのはね、実は裏道があるんだ。


っていってもやってることは簡単で、昔書き貯めたフレーズや歌詞を掘り起こしてそれを参考にしながらアレンジしていっただけだ。


つまりこの曲は発表してなかっただけで何年も前に作られたものなんだ。


そしてアレンジは君に合わせてある。


これは君が歌ったら映えるだろうなと思って作った曲なんだ。


だから、この曲だけはもしかしたら心に響かないかもしれない。


だから。


「この曲はみんなも一緒に歌ってみて!──キミトユクミライ!」


この曲は君と歌おう。






とても楽しい二時間は、あっという間に終わってしまった。


最後の曲が終わって、ここからはアンコールの時間。


なにかリクエストに答えようって。


そう想っていたんだが。


【空美】

「ひぐっ……えぐっ。うええええ」


最後の新曲、キミトユクミライ。


それが終わった直後から神田さんが泣きじゃくってしまって、それどころじゃなくなってしまった。


そんなに新曲が心に響いたんだろうか。


彼女の涙の源泉が喜びであることはわかるし、俺としてはむしろありがた冥利に尽きることなんだが。


「だ、大丈夫?すごく泣いてるね……」


【空美】

「……だって。だってぇ」


十分くらい経っても泣き止む気配がないので、とうとう心配になって俺はステージを降りてしまう。


まあ、形式上ライブは終わったんだし。


今さらそんなに格式にこだわることもあるまい。


あんまりしつこく大丈夫と聞くわけにもいかず、途中から俺は無言で彼女の背中をさすっていた。


こうしてみると、高校生って子供なんだなって思ってしまう。


それは失礼だろうか。


【空美】

「うええ……あの曲、絶対にわたしのために作ってくれたやつじゃないですかあ。そんなの、嬉しすぎますよぉ……」


嗚咽をこぼしながら、彼女は喜びを口にする。


ていうか、本当にばれてるんだな。


最後の曲が神田さんのために作ったってこと。


ラブレターを目の前で読まれたみたいで、なんとなく恥ずい。


さらに十分。


予備の時間の三分の一を食いつぶしたところで、ようやく彼女の涙が止まってくる。


泣き止んでくれたことにホッと胸をなでおろしたら。


【空美】

「…………」


神田さんが今度は両手で顔を覆って黙ってしまったので、疑問に思う。


どうしたの。と声をかけようとしたら。


【桜さん】

「はいはいはいはい良い雰囲気のところじゃましてすいませんね」


開演前に退出したはずの桜さんが、猛スピードでやってきて神田さんを連れ去ってしまった。


依然として顔を抑えたまま、引っ張られていく神田さん。


ほんとにどうしたんだろうと思っていると。


二十分くらい経ってようやく彼女が戻ってきた時、桜さんが来た理由も顔を隠していた理由も悟ってしまった。


【空美】

「……いきなり出ていってしまって、すみません」


しおらしい様子で謝罪の言葉を口にする神田さんの目元は赤く腫れている。


そっか、化粧がくずれてしまったから、それを俺に見せたくなかったんだな。


そう思ったところで、俺はなんて察しの悪いやつなんだろうと自己嫌悪に浸る。


今日はなんだか桜さんに助けられてばかりだな。


そうしてようやく落ち着いたころには、スタジオの残り時間が二十分を切っていた。


それだけあれば何曲か弾くには十分なんだが。


「まだ少し時間あるけど、なにかひこうか?」


そう尋ねても、神田さんは答えなかった。


代わりに椅子から立ち上がり、ステージの目の前まで歩み寄ってくる。


【空美】

「すみません、リクエストの前にお話してもいいですか?」


真っ赤に腫れた瞳で、彼女はまっすぐに俺を見上げる。


えらく真剣な様子だったので、俺は楽器を置いて向かいあう。


ステージを降りようとしたら、手で制されてしまった。


【空美】

「――さん、今日はとても素敵なライブをありがとうございます。まさかライブハウスを貸し切りにしちゃうなんて、びっくりしちゃいました」


そういって、ふふふと笑う彼女に礼を告げる。


それから再び面持ちを正して、彼女は言葉の続きを口にした。


【空美】

「それで、――さんは一ヶ月前に言った言葉を覚えていますか?」


一ヶ月に言った言葉か。


たくさん覚えてるが、きっと今はこれのことを言ってるんだろうな。


「今日のライブで気が変わらなかったら、また誘ってよ。って言ったかな」


神田さんは無言で首肯する。


そして一拍間を置いて。


【空美】

「ごめんなさい。わたし、気が変わっちゃいました」


申し訳無さそうに口にした。


そっか、と俺はその言葉を受け止める。


【空美】

「わたし、――さんに作っていただいた曲を歌いたいです!一ヶ月前は、正直その部分が曖昧なままお願いしてました。本当にすみません。でも今日の演奏を聞いて確信しました」


そこで一旦言葉を切り、深呼吸を挟む。


そして、意を決したように目を開いた。


【空美】

「だからもう一度お願いします!わたしの曲を──ううん。わたしと一緒に歌ってください!!みそらと一緒に音楽の道を歩んでください!!!」


叫ぶように言い放ち、ガバっと深く頭を下げる。


「うん。こちらこそ、よろしくおねがいします」


ステージを降りて、同じ目線で俺も頭を下げる。


【空美】

「やった!ありがとうございます!」


すると、弾かれたように顔を上げた神田さんが、同じく弾かれたように両手を突き上げた。


「じゃあ、ひとまず最後の曲一緒に歌おっか」


俺は頭を上げると、ポケットから取り出した一枚のプリントを神田さんへ手。


さっき彼女がいなくなった隙に取りにいっておいた歌詞だ。


【空美】

「これ……」


「なんとなくこういう展開になるんじゃないかなって思って持ってきてたんだよね」


【空美】

「あはは、備えあれば憂いなしですね!歌いましょう!」


二人笑い合いながら、俺達はステージへ続く階段を登る。


俺はもう大丈夫。


彼女も大丈夫。


これから先、時間はかかるかもしれないけど。


きっと未知の世界、誰も見たことのない遥か高みへ駆け上がっていけるさ。


──君と共に歩めたなら。


――――TRUE END 君と共に――――

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公園のベンチでJKとおしゃべりしたい 黒飛翼 @blackwing3030

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