AugustDay7
「あー、なるほどね。あの日こなかったのは入試の直前だったからなんだ」
【空美】
「あはは、じつはそうなんです。……まあ、どうせ行っても受かってましたけどね」
「いやいや!そこまで好きでいてくれるのはありがたいけど、そこは自分を優先するべきだよ!」
神田さんの過去話を聞いて、俺はあの内気な子が想像以上に熱狂的なファンであることを知った。
ていうかあの子、受験生だったのかよ。
いつもいるから、てっきり高校生とかだと思ってたんだが。
たしかにたまーにいない時もあったけど、そういう時は模試とかだったんだろうなあ。
【空美】
「そうだ、わたしも聞きたかったんですけど、どうしてライブするのやめちゃったんですか?初めて会った時は一人でも応援してくれるならやりたいって言ってたじゃないですか」
「えっと、それはね……」
参ったな。
俺が演奏をやめた理由は大したことじゃない。
ただ、どんどんきてくれる固定客が減っていって、最後には内気な女の子も来てくれなくなったから、やる気がなくなっただけ。
ようするにモチベーションの低下である。
それだけなんだが……神田さんにそれを告げるのは憚られるな。
「ごめんなさい」
散々悩んだ末に、俺は平謝りを選択した。
バイト暮らしでお金に困ったからとか、それっぽい言い訳も思いついたが、真摯な思いに軽薄な嘘で対応するのは良くないと思ったからだ。
叱責や失望の声が返ってくるのも覚悟のうえで。
しかし。
【空美】
「あはは、そうだったんですね。まあ、人間誰しもそんなふうに折れちゃうこと、ありますよ」
俺の覚悟に反して、神田さんはあっけらかんと言い放った。
声の調子からも気遣ってるような様子や、本心を隠しているような気配は伝わってこない。
「怒らないの?」
恐る恐る聞いてみるが。
【空美】
「怒りませんよ。だって挫折したとしても、ーーさん。またギター始めてくれたじゃないですか。もう会えないと思ってたのに、またわたしのために立ち上がってくれたんですよ?こんな幸せなことありませんし」
「ああ……そうだね。確かに」
そうか、俺はこの子にまたライブを聞かせるって約束をしたんだったな。
【空美】
「それで、ギターの練習はどんな感じですか?順調ですか?」
「やあ、実はあまり……でも、もう大丈夫そうだ」
【空美】
「っ?そうなんですか?」
「うん、もう大丈夫だ」
勝手にジェラシーを抱いてた相手が、実は俺のファンだったと知ったからだろうか。
ここ一ヶ月、俺の胸に渦巻いていたもやもやしたものが一気に晴れたような気がしていた。
神田さんのために頑張る。神田さんのために弾く。
今はその気持ちひとつで何でもできそうな気分だった。
「さて、そろそろ帰ろうか。帰ってギターの練習しないと。って、こんな時間に弾いたら苦情言われちゃうから出来ないけどね」
【空美】
「あはは、それはやめたほうがいいですね……」
もう話すべきことも話したし、スッキリとした気分で俺は立ち上がる。
だが、神田さんはいつまで経っても動こうとしない。
「どうしたの?」
【空美】
「…………」
神田さんは俺の質問にも答えない。
不審に思ってもう一度尋ねると。
【空美】
「……すみませんーーさん。実はわたし、まだ言ってないことがありました」
やけに神妙な面持ちで言葉が返ってくる。
「え?」
言ってないこと?
なんだろう。
これまで出てきたように衝撃的な事実がまだあるというのか。
正直、もうお腹いっぱいなんだけどな。
【空美】
「わたし、あの日公園でーーさんとお会いしたときからずっと思ってたことがあるんです。本当は演奏を聞かせてもらってから言おうと思ってたんですけど……もう、我慢できなくて」
神田さんは座ったまま地面に向かって、吐くように言葉を紡ぐ。
俺は立ったまま、耳を傾けていた。
神田さんはゆっくりと噛みしめるように続きを述べる。
【空美】
「あの、もしよかったらなんですけど……もしよかったら、わたしと組んでくれませんか?」
「組む?」
【空美】
「こ、今度みそらチャンネルでオリジナルソングを出していこうと思うんですけど。その作曲、編曲をやってほしいんです。やってくれませんか?もちろん、広告収入はお支払いしますので!」
やや上ずった声で頼まれたのは、まさかの仕事の依頼だった。しかも報酬付き。
「作曲?まあ、できないこともないけど……」
バンドを組んでた時、主に作詞作曲は俺が担当していた。
ボーカロイドは作ったことがないが、似たようなもんだろう。
人のために歌うんじゃなくて、人のために曲を創る、か。
今まで考えたこともない試みだったが。
さて、どうしようか。
1:いいよ。と引き受ける。
2:嫌だ。と断る。
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