Past day6(ft.Misora)
わたしが歌を好きになったのは、11歳の時。学年でいえば小学五年生の頃だったと思う。
きっかけは母が使ってるパソコンで知った、とある動画サイト。そこにあげられていたボーカロイドというジャンルに触れたことだった。
曲にはロックとかジャズとか色々なジャンルがあるけど、どうしてボーカロイドにハマったのかはわからない。
強いて言うなら否定的な声が多い電子音が、わたしの耳には心地よかった。
あとは感情に訴えかけるような歌詞や曲調が心に刺さったからだろうか。
あと、たくさんの人がカバーしたりアレンジしたりできる、そういう自由な感じがとてもすきだった。
けど、そのころは歌い手になろうなんて発想はなくて、たまに口ずさむだけの聞き専だった。
多分ネット上に上がってるものは全部聞いたかな。少なくとも曲名を聞かれて答えられないってことはないくらい聴き込んだと思う。
そんなわたしが初めて歌いたいと思ったのは、中学生になりたてのときに初めてカラオケに行ったときからだった。
【友達】
「空美ちゃーん、もう帰ろうよ」
【空美】
「まだ! あと少し……あと少しでいけるから待って!」
【友達】
「あと少しって、もう朝からずっとこもりきりじゃん!もう外暗くなるよ?いいかげん付き合いきれないんだけど?」
【空美】
「ごめん!あと少しでいけるから!」
歌う喜びを知ったわたしは、ほぼ毎日のようにカラオケに通っていた。
理由はただ、高得点が欲しかったから。
わたしにはある悪癖があった。
それは好きなものをとことん追いかけてしまう癖。
字面だけ見ればそれは素晴らしいことかもしれない。
でも、それは言いかえれば妥協が出来ない。程々で済ますことが出来ないということだ。
付き合わされる側からしたらたまったものじゃない。
明確に意識させられたのはついに目標を達成した日のことだった。
最初は70点後半くらいだったけど、通い続けるうちに取れる点数が80、90、95、と伸びていき。
ついに100点を達成したときのことだった。
【空美】
「やった!やったよ!わたし、やっと100点……あれ?」
その日、朝から付き合ってくれていた友達が、いつのまにか部屋からいなくなっていた。
わたしはひとり虚しく、写真だけを撮って部屋を出た。
次の日、その友達に念願の100点を達成したことを報告したら。
【友達】
「ふーん、あっそ。よかったねー」
信じられないくらい冷たく返されてしまった。
それ以降、その子はわたしと口を聞いてくれなくなった。
その時わたしは学んだ。
自分の悪癖は人を傷つけるんだって。
じゃあ、それを発揮できる場所に行けばいい。
後日、わたしは合唱部へ入った。
わたしの中学の合唱部はあまり輝かしい成績を残せていなかったけど、それなりに威厳のある由緒正しい部活だった。
練習する曲はボカロに比べれば堅苦しくて、つまらないものばかりだったけど、
その時のわたしは歌うこと自体が好きになっていたから全力で熱中することが出来た。
【部員A】
「神田さんは練習熱心ですごいなあ」
【部員B】
「神田さん、いつも遅くまで残ってるよね」
【先生】
「みなさん、神田さんの熱意を見習いましょうね」
歌うべき場所で全力で歌って責められるいわれなんてない。
かつて冷たくあしらわれた悪癖は、そこでは良癖として扱われた。
先生も部員の人もみんなわたしを褒めてくれる。わたしの全盛期は間違いなくあの頃だった。
やがて三年になり、わたしは合唱部で部長を任された。
部員全員、満場一致での推薦だった。
部長になると、部の練習メニューの組み立てや曲の選考、定期的な会議へ参加したり色々な雑務をやらなくてはいけない。
本心は歌に専念したかったけど、みんなの期待を裏切るわけにはいかない。引き受けたのは仕方なくだった。
けど、副部長になってくれた子が部内で一番仲のよかった子だったおかげで、部長の仕事も苦じゃなかった。
ううん、むしろ楽しかったかもしれない。
途中意見の食い違いから喧嘩したりすることもあったけど、なんだかんだ楽しくやっていけてたはずだ。
──最後の合唱コンクールが訪れるまでは。
【副部長】
「空美、この日の練習メニューはどうする?合唱コンクール近いし、ちょっと増やしてみる?」
【空美】
「そうだね……増やそうか。最終下校時刻から一時間後まで」
【副部長】
「え、一時間!?それは……」
【空美】
「できるよね。確か生徒手帳にも、大会が近い部活は申請すれば最終下校時刻を超えて練習できるって書いてあるし」
【副部長】
「や……でもさ、私達は受験勉強とかしなきゃいけないし、門限のある子だって……」
【空美】
「ううん、やろう。だってこれがわたしたちの最後のコンクール、晴れ舞台なんだよ?受験勉強なんてそのあとでもできるよ!門限のある子だって、たった二週間だし家の人と話してもらえば──」
最後のコンクールだから頑張りたい。
できることは全部やって、悔いのない終わりを迎えたい。
ただそれだけの気持ちだった。
ただそれだけの気持ちで、わたしはまた過ちを犯してしまった。
強引な練習スケジュールで部員のみんなからは不満を買っていたけど、仕方ない。
全ては優秀の美を飾るためなんだ。
コンクールさえ乗り越えれば全部終わる。それまでの辛抱。
そうして二週間の苦行を超え、ついに迎えたコンクール当日。
【空美】
「みんな。これまでついてきてくれてありがとう。わたしたちはやれるだけのことはやった。だから最後、全身全霊で本番に臨もう!」
【部員のみんな」
「「「「はい!」」」」
【副部長】
「・・・・・・・・」
本番直前のわたしの挨拶に、部員のみんなが威勢のいい返事を返してくれる。
この二週間、不満タラタラだったみんなだけど、いざ本番を迎えるとやる気がわいてきたらしい。
狙ったわけじゃないけど、確実にいい兆候だ。
この日は絶対優勝できるに違いない!
そう信じてわたしはステージへ入場した。
【アナウンス】
「続いては。───中学校合唱部です」
ひな壇に並び、指揮者が手を挙げると、わたしたちは礼をすると大きく息を吸う。
曲が流れる三秒前、緊張の時。
3、2,1──スタート!
曲が始まった!
【空美】
「あはは……金賞、とれなかったね」
合唱コンクールが終わった。
わたしたちの最後は銀賞、つまり2位という結果で終わった。
でも、それは都内のすべての学校が集まるコンクールでの話だから、十分すごいことだった。
【空美】
「けど、先生もうちの学校じゃ歴史的快挙だって喜んでたし、わたしは後悔してないよ」
【副部長】
「……そうね、私も」
銀賞でも喜ぶわたしと反対に、副部長は元気がなかったけど、それは金賞を取れなかった悔しさのせいだと思ってた。
たしかに悔しいけど、精一杯やりきった結果なんだし、喜べばいいのに。
その時のわたしはそんなふうに思っていた。
それが全く見当違いの考えだったと知ったのは、祝勝会を終えて帰宅したあとのことだった。
【母】
「空美、コンクールはどうだった?」
【空美】
「えへへ、銀賞でしたー!」
【母】
「銀賞!?すごいじゃない!頑張った甲斐があったわね!」
【空美】
「えへへ、でしょー!」
帰宅するなりすぐにお母さんも褒めてくれて。
わたしはかつてないルンルン気分で部屋へ戻った。
今日はお母さんがお祝いにごちそうを用意してくれるみたい。楽しみだなあ。
わたしの頭の中はお花畑だった。
【空美】
「今日は動画、更新されてるかなー♪」
鼻歌交じりに去年の誕生日に買ってもらったパソコンを起動し、Twittarを開く。
わたしはプライベート用と情報収集用の垢分けはしていない。
もちろん鍵はかけてるけど、部員のみんなも好きなボカロpの人たちも一緒くたにフォローしていた。
そんなわたしのアカウントに、たくさんのメッセージが届いていた。
なんだろうこれ。
Twittarでメッセージが届くなんて珍しい。
個人的なやりとりは大抵RAINの方で済ませてしまうから。
怪訝に思いながらDM欄を開く。
【空美】
「なに……これ」
そこに届いていたメッセージに、わたしは絞り出すような声を漏らした。
【H】
『あんたのせいで私は塾の模試で成績が悪かった。どう責任とってくれるの』
『あんだけ頑張って結局銀賞ってなんなの。金賞取りなさいよ』
『死ね』
『消えろ』
『ほんとうざい』
『あんたを部長に選んだのは失敗だったわ』
メッセージの送り主はたった一文字の名前の奇妙なアカウントだった。
けど送ってくるメッセージは全部悪口で統一されていた。
長文の文句からひどい単語まで全部で二十通以上。
恐る恐る相手のアイコンをタップする。
相手は鍵垢で投稿は見れない。プロフィールも何も書いてないので相手の情報は何一つない。
しかし、メッセージの内容が相手の姿を浮き彫りにさせていた。
【空美】
「うそ……でしょ?」
なんで、どうして!どうしてあの子がこんなメッセージを?
【空美】
『えっと……多分合唱部の人だよね。どうしてそんなこというの……?』
すでに相手の予想はついている。
けど、あえて名前を明言するのは伏せた。
直後、DM欄に表示されたのは。
『Hさんがあなたをブロックしました』
という無慈悲な一文。
今思えばきっと、鍵垢だからDMを送っても相手に表示されないと思っていたのだろう。
当時はそんなことは頭から抜け落ちていて、ていうかどうでもよくて、気づいたら部屋から飛び出していた。
【母】
「空美!どこいくの!?」
【空美】
「ッ!」
お母さんの呼びかけも無視して、わたしは外へ飛び出す。
靴も履かないままだった。
靴下で、アスファルトを蹴る。
じんじんと痛みが襲ってくるけど、今は気にかける余裕がなかった。
【空美】
「はあ、はあ、はあ!」
息を切らし走り抜ける。
なんで、なんで、なんで。
なんであの子がわたしにあんなことを言うの?
どうしてあんなにひどいことを……
そして、わたしはまたやってしまったの?
また、悪癖で人を怒らせてしまったの?
でもなんで?
わたしはただ、歌う部活で全力で歌っただけだよ?
みんなだってそうするのが普通じゃないの。
なんでわたしが怒られなきゃいけないの!
ごちゃごちゃぐちゃぐちゃ。
様々な感情が入り乱れる。
途中で足が止まる。
息が落ち着いたらまた走る。
足の感覚がなくなるまでそれを繰り返す。
そうして行き着いた先で。
わたしはとある路上パフォーマーを見つけた。
【空美】
「ハア……ハア……あれは?」
「──♪」
――と歌ってる人の名前が記された看板を横において、背負ったギターを一生懸命かき鳴らすパフォーマーさん。
通りゆく人全てに素通りされながらも、冷たい目線を浴びせられても。
その人は必死に演奏を続けていた。
足が棒になり、動くこともつらくなったわたしは、フラフラと吸い寄せられるようにその人の前に座った。
すると。
「わ、わわ!君大丈夫!?血出てるよ!?」
パフォーマーさんはすぐに演奏をやめて、わたしの方へ歩み寄ろうとする。
わたしはそれを手で制した。
【空美】
「続き、聞かせてくれませんか?」
「え……つ、続き!?でも、血すごいよ?てか靴どうしたの?」
【空美】
「……いいから。聞かせてください。聞きたいんです」
「わ、わかった。じゃあ一曲だけね」
パフォーマーの人はそれ以上何も言わず、ただ演奏してくれた。
やっぱり通る人みんなに驚かれたりしたけど、パフォーマーの人はそれでもやめなかった。
すごいなあ。どんだけ白い目で見られても演奏やめないんだ。
きっと、わたしを優先してくれてるんだろうな。
選んでくれた曲はノスタルジックでしんみりさせるようなものだった。
もしかしたら今のわたしの心情を察してくれたのかな。
途中、泣き出してしまったけど。
演奏は止まらない。
すべて終わる頃には、わたしはボロボロと泣きじゃくってしまっていた。
「……っと、終わったけど。きみ、ほんと大丈夫?」
演奏が終わり、ギターを置いたパフォーマーの人が駆け寄ってくれる。
【空美】
「大丈夫……です。大丈夫です」
「ええ?絶対大丈夫じゃないでしょ……」
【空美】
「だいじょうぶ……です。それより、もっと演奏を聞かせてくれませんか?」
「嘘でしょ……じゃあせめて靴だけは買ってくるから!ちょっとまってて!」
そういって、パフォーマーの人はどこかへ走っていってしまう。
その間、わたしはずっとボーッとしていた。
「はい、これ。靴ね」
【空美】
「ありがとうございます」
パフォーマーの人が買ってきてくれたのは、ブカブカのクロックスだった。
「ごめん、足のサイズわかんないから適当に大きいの買ってきたけど……無いよりはマシでしょ?」
【空美】
「あの……血、ついちゃいますけど」
「いいよ。そんなの気にしない」
【空美】
「えっと、靴のお金……あ。今お財布もってない……」
「いいよ、それも気にしなくて」
自分のタオルで私の足をふき、クロックスを履かせてくれる。
それから、にっと歯を見せて笑った。
「なにか、辛いことでもあったの?」
【空美】
「…………」
パフォーマーの人の質問に、わたしは答えられなかった。
Twttarでのことは、口にするのもつらかった。
「そっか。ま、俺はギタリストだから曲を弾くことしかできないけど。よかったら聞いていってよ。どんな曲がいい?今は君しかお客さんいないから、なんでもリクエストしてよ」
パフォーマーの人が優しく微笑む。
【空美】
「おすすめはなんですか」
いきなりリクエストなんて求められても応じられない。
わたしは無難にそう返していた。
「おすすめ?ドミネイトエモーションズっていうバンドのノスタルジーっていう曲だよ」
【空美】
「……聞いたことないです」
「あはは、だよねー」
【空美】
「どんなバンドなんですか?」
「んー?どんなって言われても……人気の出なかったバンドかな。って、俺が昔所属してたバンドだけどね」
【空美】
「……プロの方だったんですか?」
「まあね。クビになったけど、前は事務所に所属してたよ」
クビ。
まだ高校生のわたしには実感がわかないけど、それってすごく辛いはずだ。
それなのにこの人は、どうして笑って言えるんだろう。
【空美】
「辛くないんですか?」
気づけばわたしはそんな失礼な質問を口にしていた。
「え?」
【空美】
「お客さん、誰もいないのに頑張り続けるのって辛くないんですか?」
「そうだね。確かに誰も応援してくれなくなったら辛いね。でも、君みたいに応援してくれる子が一人でもいるなら、弾き続けるよ俺は」
私の失礼な質問にも不快になる素振りは見せず、パフォーマーの人は歯を見せて笑いながら親指を上げた。
すごいなあ。
わたしは昔からたった一人の人に嫌われるだけで立ち止まってたのに。
この人は逆にたったひとりのために頑張れるんだ。
こんな懸命に頑張ってる人を見ると、わたしの受けたショックが軽くなっていくように思えた。
【空美】
「じゃあ、弾いてもらえますか?そのノスタルジーっていう曲。わたしのために」
すっかり涙は涸れ、私はそうリクエストしていた。
「オッケー!」
パフォーマーの人は威勢よく頷くと、音源を流す。
それは聞いたこともない曲だったけど、心に染みるようないい曲だった。
この日、わたしは初めてボカロ以外の曲に夢中になっていた。
それから、パフォーマーの人のおすすめを何曲か弾いてもらって、演奏はお開きとなった。
「さて、今日はもう遅いから終わりにするよ。その足で帰れる?」
ギターを片付けながら、パフォーマーの人はわたしを気遣ってくれた。
【空美】
「は、はい。それは大丈夫です!お母さんに迎えに来てもらうので……」
「そう?なら俺はもう行くね。今日は楽しかったよ」
【空美】
「待ってください。……あの、いつもここで演奏されてるんですか?」
「いや、ここは初めて。いつもはライブハウスでやってるよ」
【空美】
「……どこですか?」
気づいたらそんな質問が口をついて出ていた。
そのときのわたしは、本気でライブハウスに足を運ぶつもりだった。
でも、パフォーマーの人はそれを社交辞令の一種だと受け取ったらしい。
「あはは、よかったら来てよ。箱ではいつも第二土曜日と第四土曜日の夕方からやってるから」
ライブハウスの名前を教えてくれた後、パフォーマーの人は軽く笑いながら去っていった。
それがわたしとーーさんの出会い。
わたしがーーさんのファンになった日のこと。
その日から、わたしの癖の矛先はーーさんへ向けられた。
あの日以降、路上でやることはなかったみたいだけど。
ライブハウスにーーさんが出演する時間は全部抑えて、通い続けた。
受験期なのに遊び歩いていることにお母さんは不満を示していたけれど、そこはその分勉強することで、実力を示すことで理解してもらった。
ちなみにあの日以降、わたしは副部長と関わることはなかった。
本当は話をするべきだったんだろうけど、向こうももう関わりたくなさそうだったし、別にいいかなって思って。
わだかまりなんかは残っていない。だってわたしは、また新しく夢中になれるものをみつけられたから。
――さんの追っかけをしているときが一番忙しかったけど、心は一番充実していたかもしれない。
好きなものに忠実になるって、本当に楽しい。
でもやっぱり、そんな幸せな時期が永遠に続くなんてことはなくて。
三月の中旬、第二土曜日。
一つ前の週に受験を終えたわたしは、とても晴れやかな気持ちでライブハウスへ出向いた。
その日のわたしは、――さんのライブに行くのは実に一ヶ月ぶりだった。
その一個前のライブは、さすがに受験一週間前に遊び歩くのは許せないという家族の反対を押しきれなくていけなかったのだ。
当日は合格発表の日で、午前中に見に行ったら受かってたけど、そんなに嬉しくはなくて。
わたしの脳内はーーさんのことでいっぱいだった。
けど、その日の出演者の名前一覧にあの人の名前がなくて。
代わりに別の人の名前が書いてあった。
【空美】
「――さん、今日は出ないんだ……」
他の人の演奏も聞くに堪えないってほどじゃないけれど、――さんがいないと思うと途端に気持ちが萎えて楽しめなかった。
結局わたしはチケットを買ったにもかかわらず、ほとんどライブを見ることなく帰宅した。
大丈夫、今日はたまたま。たまたま体調が悪かったとか、都合がつかなかったとかだよねきっと!
そう自分に言い聞かせるように考えていたけど、今までーーさんがライブを欠場することなんてなかった。少なくともわたしの知る限りでは。
──もしかして、もう二度と聞けない?
そんな可能性が脳裏をよぎる。
いやいやそんなことない。だいじょうぶ!
そう信じていたけど……
その次も、さらにその次もーーさんはいなくて。
係員の人に聞いてみても、どうしてーーさんがいないのかはわからなくて。
心にポッカリと穴が空いたような気持ちになった。
その後、わたしは真に熱中できるものもみつけられず、のうのうと日々を消化していた。
高校では合唱部に入った。
本当はもう合唱部に入るつもりはなかったけれど、中学校の実績を知った先生が直々にスカウトしてくれたので、受けてしまった。
桜ちゃんと出会ったのはそこだった。
桜ちゃんはわたしなんかとは違ってすごくオシャレで可愛い女の子だった。
SNSが大好きで、よく自撮りとかあげてるみたい。
友達も多いみたいだったし、わたしとは住む世界の違う人種だなーって思ってたんだけど。
【桜ちゃん】
「むむむ……」
【空美】
「えっと……山本さん?どうしたの?わたしの顔になにかついてるかな?」
【桜ちゃん】
「わたし、山本桜はあなたが猛烈に気になります」
【空美】
「え?」
【桜ちゃん】
「空美ちゃん、中学校ではコンクールで銀賞をとった部活の部長だったんだよね。でも、普段の練習を見てるとそうは思えないんだよねえ」
【桜ちゃん】
「え、ええ?」
高校の合唱部では、もう嫌な思いはしたくないからって手をぬくというか、ちょっと抑えてたんだけど。
どうやら桜ちゃんはそれを見抜いていたらしい。
最初はどうしてそんなことをするのかって問い詰められて。
ぬらりくらりとはぐらかしてるうちに、いつの間にか高校では一番の仲良しさんになっていた。
桜ちゃんはずっとわたしは本当はすごいんだって言ってくれたけど、でもやっぱり本気を出すことはできなくて。
結局彼女には嘘をつき続けたままだった。
そうそう、わたしが「みそら」になろうと思ったのも桜ちゃんが理由だった。
それは部活帰り、いっしょに帰った日のこと。
【桜ちゃん】
「はあ……」
【空美】
「桜ちゃん?どうしたの?」
桜ちゃんが珍しくため息をついていたので、わたしは心配して尋ねた。
【桜ちゃん】
「いや、大したことじゃないんだけど、私お兄ちゃんがいるんだけどね」
【空美】
「あ、そうなんだ」
【桜ちゃん】
「それでね、最近そのお兄ちゃんがなんかオタクになっちゃったっぽくて……」
【空美】
「オタク?アニメとかにハマったの?」
オタクって言ったら、わたしが真っ先に思いつくのは二次元のキャラクターが好きな人だ。
最近、そういう人が増えてきた気がする。
〇〇ちゃん命とか言ってる人、クラスにもいるし。
確かにそういう人は見てて気持ちいいものではないけど、そこまで熱中できるものがあるって羨ましいなって常々思ってた。
だから一概に気持ち悪がるのはどうかなって思うんだけど。
けど、桜ちゃんはブンブンと首を振って。
【桜ちゃん】
「ううん、ボーカロイド」
【空美】
「へ?」
桜ちゃんの口から飛び出してきたまさかの単語に、わたしは空気が抜けたような声を漏らした。
【桜ちゃん】
「なんか初音ミク?っていうバーチャルアイドルにハマったっぽいんだよねえ。めっちゃリンク送ってくるんだけど、正直困るんだよねえ」
そう言って再び、桜ちゃんは嘆息する。
ええ……。
ミクちゃんの歌、わたしも結構好きなんだけどなあ。
【空美】
「そ、そうかな。ボーカロイド、そんなに悪くないと思うよ?」
まるで自分のことを言われてる気がして、つい口走ってしまう。
すると、桜ちゃんは意外そうにこっちを見た。
【桜ちゃん】
「あれ?空美ちゃんってこういうの聞くの?」
こうなったら、もう引くことなんて出来ない。
【空美】
「う、うん。結構好き」
わたしは歯切れの悪い返事とともにうなずいた。
【桜ちゃん】
「へー!意外!空美ちゃんがいいっていうなら、わたしも聞いてみようかな」
【空美】
「オレンジスターさんとかすごくいいよ!」
それからしばらくボーカロイドについて桜ちゃんにレクチャーする。
そこで歌ってみたに触れたときだった。
【桜ちゃん】
「へー、これって素人の人が歌ってるんだ」
【空美】
「そうだよ」
【桜ちゃん】
「すごいね、この動画一千万再生だってさ。すごいなー。あ、見てみて!このコメントの人、嫌なことがあって自殺しようとしてたけど、この人の歌のおかげで踏みとどまったんだって」
【空美】
「本当だ。すごいね」
【桜ちゃん】
「だよねー!歌が誰かを救うって本当なんだって思ったよ」
そういえば、わたしもあの日――さんの演奏のおかげで心が軽くなったんだっけ。
そんな桜ちゃんの何気ない一言に、そう思ったことがきっかけだった。
こんなわたしの歌でも、不特定多数の誰かを救うことが出来るかな。
それから、わたしはスマホで録音して歌ってみたをあげてみた。
最初は全然視聴回数も少なかったけど、歌うのはもともと好きだったから動画を上げ続けることは苦じゃなかった。
それから動画投稿を続けるうちに徐々に登録者も増えていって。
最初は誰かの心を軽くしてあげたいと思ってただけなのに、いつからかあの人に届くようにと思って。
あの人が見てくれますように、と願いを込めて歌い続けて。
そして二年後。
わたしはたまたま通りがかった公園で、ついにあの人を見かけたのだった。
「はあ、俺何で生きてんだろ……」
久しぶりに見たあの人は随分やつれていて、死んだ魚のような目をしていた。
それを見た瞬間、わたしは悟ってしまった。
──ああ、この人は希望を失ってしまったんだろうなって。
あの、――さんですよね?ファンです!
覚えてますか?わたしのこと!
脳内では会話するビジョンが思い浮かんでたけど。
結局その日は話しかける勇気が出なくて、何もせずに帰ってしまった。
その後、少しでも自信をつけるためにお母さんにイメチェンの方法とか聞いてみて。
精一杯可愛くなった状態で一週間後の土曜日、同じ時間にまた公園にいってみた。
「はあ……死にてえな」
よかった、いてくれた!
内心ホッとするわたしの前で、やっぱりその人はネガティブなことを呟いていた。
彼が座るベンチのそばの物陰で、わたしはそっと拳を握る。
ずっと心のなかでシミュレーションしてきた。
話しかけ方は「お隣座っていいですか?」だ。
あの人が熱中できるものをなくしてしまったなら。
わたしがそれになるんだ。
神田空美という女の子に夢中になってもらうんだ。
別にいきなりファンを名乗ってもよかったんだけど、どうしてかこのときはただの神田空美として近づきたかった。
このとき芽生えた甘酸っぱい気持ちの理由を、わたしはまだ知らない。
高鳴る鼓動を抑えて、深く息を吸って吐く。
さあ、いくよ。
3……2……1──ゴーッ!
心のなかでヨーイドンの空砲を鳴らして、わたしは飛び出す。
【空美】
「あ、あの!ちょっとお隣。いいですか?」
少しどもったけど、バッチリ言えた。
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