AugsutDay5

神田さんに演奏を聞かせる約束をしてから一ヶ月が経った。


依然としてギターの練習はうまくいっていない。


技術という面でいうなら多少の進歩はあるものの、どうしても音に気持ちが乗らないのだ。


俺はみそらちゃんのように誰かを魅了する歌なんて歌えない。自分ですら魅了させることもできてないんだから。


やっぱり俺とあの子では格が違う。


必要のない比較をして落ち込む。

ネガティブでモヤモヤとした気持ちが湧き続ける。


こんな時は弾き語り用のアコギではなく、ロックで使うような爆音の出せるエレキを弾き暴れたいところだが、生憎今はアコギしか持っていない。


かつてはエレキも持っていたのだが、生活が苦しくなってアンプごと売ってしまったのだ。


そんな感じで結局燻る思いをままならないまま過ごしていたある日の日曜日。


俺は山本さんに呼びだされて、ある施設へと繰り出していた。


「すいません、お待たせしました」


【山本さん】

「いや、俺も今来たとこだから大丈夫だ。それより悪いな、こんなとこに呼び出して」


「いえ、全然大丈夫です。俺としてもいい気分転換になると思いますから」


【山本さん】

「あー、滞ってるんだっけ。ギターの練習」


「ええ、まぁ……」


【山本さん】

「ま、とりあえずいこーぜ」


「はい」


話が一段落すると、俺と山本さんは目の前の市民ホールへ向かった。


八木島ホール。


俺の最寄り駅から急行で四駅いった場所にあるそこは、主にオーケストラや劇場として使われる。


今日はここで山本さんの妹さんの発表会があるらしい。所属する合唱部の晴れ舞台だそうだ。


【山本さん】

「俺、一人暮らししてるけど実家近くてさ。妹がたまには顔見せろっていうんだけど、めんどくせえから無視し続けてたらこの前ついにブチギレられちったよ」


「それでお詫びとして発表会に来いって言われたんですか?」


【山本さん】

「そーそー、そんな感じ。でも俺音楽とか興味ねえし、一人で妹の発表会行くのも恥ずいからお前を誘ったってわけ」


【山本さん】

「ま、元プロのお前からしたら肩透かしかもしれんが、我慢してくれな」


「それは見ないとわかりませんよ」


山本さんの言葉を強く否定する。


そんな肩書き、関係ない。


プロだろうがアマチュアだろうが、いい音を出す人は出せるものだ。


みそらちゃんがいい例じゃないか。名もない一般人だった彼女がその歌声だけであんなにたくさんの人に愛されてるんだから。


逆に俺のように肩書きだけが立派で忘れ去られるミュージシャンも──ってダメだな。


せっかく気分転換になると思ったのに、気づけばネガティブなことを考えようとしている。


やめよう。今は妙なことを考えるのは。


せっかくコンサートに誘われたんだから楽しまないと。


俺はふるふると首を振って、先を歩く山本さんの隣に並んだ。


学生の発表会なので、入場にいちいちチケットを通したりはしない。


建物の中へ入ったなら、美術品やら骨董品が展示された廊下を通って会場へ向かう。


短い階段を登って重厚な扉を開けると、俺は会場内を見回す。


音楽ホールというのは、音を反響させるために天井が高く作られていることが多い。ここも例には漏れないようだ。


「席、どの辺に座ります?」


チケットもないのだから、当然席も自由。


元々満席になるような催しではないうえに開始までまだ余裕があるので、席は大分空きがあった。


今なら近くも遠くもどこも取り放題である。


【山本さん】

「んー、真ん中あたりでいいだろ。あんま近いのも嫌だし。かといって遠すぎるとそれはそれで文句言われそ」


「わかりました」


山本さんの言葉で、ステージ正面の中段の席に腰を落ち着ける。


山本さんは適当に決めたような言い方だったけど、この位置ちょうど反響した音が交わる場所なんだよな。


つまり、一番きれいに演奏が聴こえる場所ってことだ。


本人はそれをわかってるんだろうか。


ま、わざわざ尋ねるのも野暮ってもんか。


【山本さん】

「ん? どした?」


「いえ、なんでも。それよりちょっとトイレ行ってきます」


【山本さん】

「おー、いってらー」


そういって俺が席を立つと、山本さんはスマホをいじり始めた。




ホールを出て用を済ませたら、俺は買った缶コーヒーを片手にトイレの傍のベンチでパンフレットを広げていた。


パンフレットはホールの入口にあったもので、さっきこっそり取っておいたのだ。


四つ折りのパンフレットには出演者たちの名前、それから課題曲の一覧が載っている。


ざっと見た感じ、曲だけでなく音楽劇やミュージカルもあるらしい。


公演時間は13:00から15:30時まで。大体二時間半か。ボリュームたっぷりだな。


ちなみに全ての曲に全員が出るわけではなく、最初の校歌と最後の全体曲以外は十数人単位で振り分けているらしい。


音楽劇に関しては裏方スタッフとかも必要だからだろうけど、きっと普通の曲に関してはやりたい人ごとに別れて練習したんだろう。


なんせこの山本さんの妹さんが所属する五木坂高校合唱部は総勢58人というマンモス部活である。いちいち全員で歌っていてはコスト的にも厳しいんだろう。


ちなみに山本さんの妹さんは音楽劇では主役を演じるらしい。演目はブレーメンの音楽隊、役はロバだそうだ。


主演:ロバ役 山本 桜と書いてあるので間違いないだろう。


被りそうな名前なのに、他に山本っていう名字の人いないし。


それにしてもブレーメンの音楽隊か。たしか動物たちが音楽で泥棒を追い出す話だったか。たしか小学校の音楽の授業でやったような気がするが、もうほとんど覚えてないな。


「さて、そろそろ戻るか」


あまりトイレが長すぎると心配されるだろうし、連絡手段もないから早めに戻っておこう。


そう思って立ち上がろうとした瞬間。


【???】

「うひぇー、さっきからずっと緊張してやばいんだけど……ねねね!あたしリハちゃんと出来てた!?」



【???】

「あはは、桜ちゃん固くなりすぎだってばー。今回は大会とかじゃないんだし、もっと気軽に楽しむつもりでやってもいいんじゃない?あとリハーサルは完璧だったよ。すごい演技力だったからダイジョブダイジョブ」


左の曲がり角の方から、二人の女子高生が歩いてくる。


その会話の内容が気になって、俺は思わずそちらを向いてしまった。


今、桜ちゃんっていったか?


片方は長い髪の毛を三編みにして、丸い眼鏡を掛けた地味な見た目の女の子。


もうひとりは逆にショートヘアで毛先にふわふわとウイッグをかけた天然パーマの派手な見た目で可愛らしい女の子。


ふたりとも同じ青の可愛らしい制服姿だが、雰囲気は正反対。


おそらく派手な見た目の子の方が桜ちゃんだろうか。


なるほど、あれが山本さんの妹さんか。失礼だけどあまり似てないな。


ていうか、あの制服どこかで見たことあるような……って。


あれ神田さんの高校の制服姿じゃないか!?


ガタッと思わず立ち上がってしまう。


「あ……」


やべ。そう思ったときにはもう遅くて。


【???】

「っ!!!」


いきなり立ち上がった俺に、三編みの子が声にならない悲鳴を上げる。


桜さんはぽかんとした様子で俺を見ている。


しまった。これじゃまるっきり不審者ではないか!


「あ……えっと、その……すみません」


おどおどしながら、なるべく平静を装って謝る。


しかし次の瞬間。


【???】

「っ!」


【桜】

「わ、ちょっとどしたの!?」


三編みの女の子が脱兎のごとく逃げ出してしまう。


桜さんもそれを追っていなくなってしまった。


俺は遠ざかっていく二人の背中を、情けない顔で見ることしか出来ない。


ああ……やってしまった。


山本さんの妹さんに。しかも神田さんと同じ学校の人に完全に不審者認定されてしまった。


あぁ、やだなあ。今度神田さんと話したときに「あ、そうだーーさん。この前わたしの高校の合唱部が発表会をしたんですけど、その時に不審者が出たみたいなんですよ。すっごく怖くないですか!?」なんて言われた日には、気まずくて死にたくなるかもしれない。


なんて、ここでウジウジ考えてても仕方ないか。


「……はぁ、とりあえず戻るか」


ため息をこぼし、ホールへ戻ろうと踵を返す。


その時、ふと何かが落ちていることに気づいた。


屈んで拾ってみる。


それは片手に収まるような小さい革のケースだった。縦に開くタイプのもので、開け口の周りがおしゃれなレースで彩られている。


これって──。


「財布、さっきの子のかな」


走った拍子にきっと落としたんだろうな。


問題はどっちの子のかってことだけど、ピンク色で派手だし桜さんのだろうか。


いや、それは偏見か。


まあ、でもそれなら山本さんに渡しておけば返してくれるか。


取りに来る可能性も考えてここに置いておく手もあるけど。肉親に渡しておいたほうが確実だろう。


もし三編みの子のだったとしても、桜さんが返してくれそうだし。


結論を出すと、俺は拾った財布をポケットに入れた。

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