AugustDay4-2
みそらちゃんがTwitterを開設してから、一週間が経過した。
あの日以来、俺は一度もみそらちゃんの動画を見ていなかった。
嫌いになったわけではない。
しかし、なんとなく見る気が起きないのだ。
一般的にはそれを同族嫌悪というのかもしれないが、本当に嫌いなわけではないのだ。
そんな負の感情を抱えていてもギターの練習の方は順調だった。
先週の日曜から地道な筋トレを続けてきたおかげで、少しは弾ける指に戻すことができた。
無論、全盛期には程遠いので継続は必要だが、ぼちぼち簡単な曲に合わせる練習を始めてもいいかもしれない。
今日は日曜日。例の如く夜勤が入ってるが、まだ午前中なので時間はある。
「楽譜は確か、これだったか」
ひとりごとを呟きながら、クローゼットの奥のダンボール箱を引っ張り出す。
「そうそう。これだこれ。捨ててなくてよかった〜」
しばらく放置してたせいで外箱は埃をかぶっているが、中身は無事だろうか。
中に入っているのは、俺が所属していたバンドの活動記録だ。
もう二度と取り出すことはないと思ってガムテープで厳重に封印していたのだが、開けるのは簡単だった。
中には曲のアイディアや練習内容を記録したノートとか、ライブで使ったカバー曲やオリジナル曲の譜面とか、色々なものが箱いっぱいに入っている。
どうやら、中身は無事でいてくれたようだ。
「あれは……どこだっけ」
遺品をかき分けながら、目的のものを探す。
途中でボロボロになったギターピックが出てきた。消耗品なのになんで取ってあるんだと思ったら、初ライブで使ったやつだった。
懐かしいな。初めての記念品だから捨てられなかったのか。
これらの物品を整理したのは事務所を退所した後だ。
その頃にはメンバーたちは実家に戻ったり行方をくらましたりしていたから、俺一人でやり切ったのだが、ところどころに葛藤が垣間見えるようだった。
当時の俺はまだ心のどこかでまたみんなで集まってライブが出来る、なんて思ってたのかもな。
結局、現実は思い通りに行かなかったわけで、待っていたのは限りなく最悪に近い未来だったわけだが。
あのまま俺たちが成功ルートを走り続けて、みんなで懐かしめる世界線もあったのかな。
ダメだとはわかってても、つい感傷に浸ってしまう。
3分だけ……3分だけ浸ろう。
そう決めて、スマホのアラームを3分後に設定する。
──3分後。
アラームが鳴ると、俺はすぐに目的のものを見つけ、散らかっていたものを戻し始めた。
俺が探していたのは学生時代から事務所に入るまでに使った楽譜を入れていたファイルだ。
正確にいうと、探してるのはそのファイルの中のある曲だ。
書き溜めた分も含めて、今までたくさん曲を作ってきたばかりに時間がかかってしまったが、なんとか見つかった。
見つけたのは三つ目に作ったオリジナル曲の譜面と音源のCDだった。
その曲はメンバーの一人が失恋した悲しみを綴った歌詞に、俺が担当した曲を合わせたものだ。
いわゆる悲恋ソングというやつだが、そんなことはどうでもよくて。
リハビリの練習にこの曲を選んだのは比較的ギターのパートが多く、それでいて簡単な曲だったからだ。
あまり人気がなくて演奏する機会はあまりなかったが、ライブのために死ぬほど練習した記憶は残っている。このくらいなら何回かやればすぐ弾けるようになれそうだ。
そう思って、さっそく弾いてみようと思ったのだが、寸前であることを思いついた。
「……その前にピック買いに行くか」
ピックは引退前に使ってたものを使ってたのだが、せっかくなら買っておこうと思ったのだ。
前のやつは使ってただけあって少しすり減ってしまってるし、気持ちを切り替えるという意味でもいい考えだろう。
思い立ったらすぐさまポケットに財布を突っ込んで家を出た。
ギター用品は、歩くにしてはちょい遠いデパートにあった店で買った。
……音楽用品店なんて、久々に行ったな。
今回はチェーン店で買ったが、地元にいたときはお婆さんがやってる個人店によくお世話になっていた。
品揃えは大手のチェーン店に及ばないものの、楽器の手入れを頼むと丁寧にやってくれたから、しょっちゅう利用してたんだよな。
確か俺たちが高二の時に85って言ってたから、今では90近くなってるはずだが、元気にしてるだろうか。
帰宅する足でいつもの公園へ。
今日はキャベツや肉などの食材も買ってみたので、荷物が多くて疲れてしまった。
出来合いじゃない食糧を買うのも久しぶりだった。
買いもの途中にふと、自炊を始める気になったのだ。
そのきっかけは言わずもがな、神田さんのお弁当だろう。
例の二つ目の約束で、昨日も彼女のお弁当をご馳走になったばかりだ。相変わらず代金は払わせてもらえなくて、彼女のヒモになってるような罪悪感を覚えたが、代金の代わりに演奏を聞かせる約束だ。
施されてばかりの情けない男にならないためにも、彼女が心の底から満足できるような演奏をするのが俺の役目だ。
果たして、俺の演奏がこれから積み重なっていく弁当代とつり合うのかはわからないが、昨日の会話の流れでギターの練習が捗ってるのを伝えたら、我が身のことのように喜んでくれたので、今のところは大丈夫と思ってもいいかもしれない。
ちなみに歌い手について話すシーンもあったのだが、俺がみそらちゃんの動画を見なくなったことは伝えていない。
どういうわけか神田さんはみそらちゃんのことがあまり好きではないようだし、話題にあげる必要もないと思ったからだ。
それと、メールのやりとりの方も続いていた。
買い物帰りにわざわざ公園に寄ったのは、神田さんからのメールをチェックするためだ。
ここなら近くのケータイショップのWi-Fiを借りることが出来る。
正味、電波は弱くて使いにくいが、贅沢は言ってられない。充
電器はこの前買ったのだが、依然としてうちにWi-Fiはない。
だから、こうして貸してもらえるだけありがたいのだ。
パスコードを入力して画面のロックを解除してから、Faisebookを開く。やや遅い起動時間を待って、神田さんとのDMを開いた。
【神田さん】
『おはようございます☀ーーさん!今日はとってもいい天気ですね!朝からお日様がこんにちはしてます!……あれ?朝だからおはようですよね。あはは(〃ω〃)』
『ーーさんはまだ眠られてますか? 私は今から自主練して、その後に部活の午後練です!ーーさんはお夜勤の日ですよね。頑張ってください!』
朝の7時にそんなメールが来ていた。
俺が起きた時間より3時間も早い。
しかも文面から察するに、この時間には既に準備完了してたのだろう。
自主練って、ずいぶん朝早くからやるんだな。それだけ熱心に打ち込めるってことは、本当に歌が好きなんだな。
でも、ちゃんと睡眠時間は確保出来ているんだろうか。朝型なのはいいことだが、もし夜遅くまで起きるタイプの朝型なら、疲労面で心配だ。
まあ、歌の練習ならば俺みたく腱鞘炎になることはないだろうが……喉のほうが心配だ。
余計なお世話かもしれないが、アドバイスだけはしておこう。
『おはよう。随分朝早くから練習するんだね……』
『頑張るのはいいことだけど、ちゃんと休憩や睡眠は取らなきゃだめだよ?俺も夜勤の時間になるまでギターの練習頑張るよ』
『神田さんも無理せず頑張ってね』
そんなメッセージを残し、スマホの画面を暗くすると、俺はベンチを立った。
俺たちの間でメールを送ってすぐに返信が返ってくることは滅多にない。
学生の神田さんと深夜勤務の俺では活動時間も違うし、何より俺がWi-Fiを持ってないという制限があるからだ。
だから、メッセージは送るだけ送ってすぐ帰る流れが自然に出来ていたのだが、今日だけはスマホが震えた。
画面を見てみると、神田さんから返事が返ってきている。
どうやら、今日はお互いの時間がうまく噛み合ったようだ。
【神田さん】
『心配してくれてありがとうございます!☺でも、大丈夫です!体調崩して練習できなくなったら本末転倒なので、ちゃんと睡眠も休息も取ってますよ!部活が2時からなので、今もお昼ごはんついでに休憩中です!』
【神田さん】
『――さんの方こそ、夜のお仕事で体調を崩しやすいと思うので、気をつけてください……お互い頑張りましょう!(^O^)/』
俺の心配はとんだ杞憂だったらしい。それどころか逆に心配されてしまった。
練習できなくなったら本末転倒、確かにそのとおりだ。神田さんは学生時代の俺なんかよりよっぽど利口なようだ。
既読をつけてしまったので、俺も返信する。
『うん。俺も気をつけてるよ。ありがとう』
今の時刻は午後の1時を過ぎたばかり。
……まだ時間はあるかな。
ひとりでにうなずくと、俺はもう一度ベンチに座った。
あれから神田さんの休憩が終わるまで、三十分くらい雑談を交わした。
自炊することを報告しただけだが、そこから俺がカレーを作るつもりであることを話したら、神田さんの家が激辛のルーを使ってることが発覚した。
しかも、そこにさらに辛味調味料なんかをかけるらしい。
激辛といえば某カレー店で九辛を食べたことがあるが、あのときは腹に熱々の石を放り込まれたような苦しさと襲い来る腹痛に随分と苦しんだ。
あれ以来、極度に辛いものには軽いトラウマがあるのだが、どうやら神田さんの家計は胃腸に強いらしく、いくら辛いものを食べてもお腹が痛くなることはないらしい。
ついでに緊張で胃が痛くなったりすることもないそうだ。なんとも羨ましい話だ。
俺も彼女みたいな体質だったら、ライブ前にトイレに駆け込むこともなかっただろうに。
結局ルーについて話すだけであっという間に時間が過ぎてしまった。
やっぱり神田さんと話すのは楽しい。彼女と関わる時間はいつの間にか、俺にとってかけがえのない至福の時間になっている。
神田さんの家が超激辛のカレールーを使ってることよりも不思議なことだ。
全てを失った俺を救ってくれた女子高生。彼女に恩を返すために俺は精一杯の音を届けたい。
だから、帰宅してすぐに練習を始めた。
準備が整うと、ラジカセでCDを再生する。
これは過去の備品と同じく、押し入れに眠っていたものだ。
まずは一曲、昔を思い出すように弾いてみた。
「うん。まずまずではあるけど……」
昔の勘が少しは残っていたおかげで、演奏はそこそこ形にはなっている。
青春を捧げて得たものは劣化しているが、幸いにも消えていなかったようだ。
でも、やっぱり満足がいくほどではない。いや、むしろ不満を覚えるくらいだ。
「肝心の何かが違う気がする」
それは技術的なことじゃなくて、もっと精神的な意味で……。
たった今スマホで録音しておいた音を聞いてみると、ある程度形は出来ていた。
しかし出来てるのは形だけで、ラジカセからは無感情に譜面をなぞってるだけのような、そんな無機質な音が聞こえてくる。
何度か繰り返してるうちにミスは減ってきても、機械が奏でてるような形容しがたい気持ち悪さは変わっていなかった。
今度は昔の音源と今日一番良かった演奏を聴き比べてみる。
音源にはギター以外の楽器も入ってるので、聞き分けが難しいが……やはり、昔の俺のほうが生き生きしてるように聞こえる。
演奏技術もさることながら、楽しそうなのだ。
「……あ」
そこで俺は初めて気づいた。そうだ。今の俺は楽しんでないんだ。
不思議な話だが、音楽というのは気分の良し悪しがモロに乗るものだ。
たとえばつまらなそうに弾いた上手な演奏よりも、下手くそでも楽しそうに弾いた演奏のほうが人気が出たりするのだ。
今の俺は過去の俺より演奏技術が遥かに劣っているんだ。
だからせめて、俺が目いっぱいに楽しんでなきゃ満足が行くはずもない。
ましてや、今のまま神田さんに聞かせて満足してくれるのか?
してくれるわけがない。
彼女の性格からして面と向かって不満を告げられることはないと思うが、密かに残念に思うはずだ。
そして二度と演奏を聞かせてほしいなんて言わなくなる。
かつて俺達から離れていった観客の人のように。俺の音楽に興味を失くされてしまう。
もしそうなったら、今度こそ俺は取り返しのない傷を……いや、考えるのはよそう。
修練に時間が必要な技術は身についてる。あとは俺の心持ちひとつで変わる問題なんだ。
上手く行けば数日で克服することもできるのだ。
出来るのだが。
「でも、年単位で沼にハマる可能性もあるんだよな」
もう一つの可能性も口にして、気分が落ち込んでくる。
楽しむ。言葉にすれば簡単だが、いざ実行しようとなると難しい。
あまり自覚はないが、俺の場合演奏すること自体がトラウマになっているのだ。
となると、まずはそれを解消しなきゃいけない。そのために何が出来るかな。
とりあえず、残ってるCDを片っ端から聞いてみたが。
気持ちに変化はなかった。
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