AugustDay4

「……はあ。やっぱ年単位のブランクは厳しいな」


神田さんと約束した翌朝、さっそくギターを触ってみたが、やはりというべきか指が固まってしまっていた。


前までは流れるように弾けていたコードが弾けなくなっていたのはショックではあったが、こればっかりはどうしようもない。


幸いというべきか、音感的なものは変わっていなかったので、一ヶ月もあれば少しはマシになるだろう。


約束に期限はないのだから、焦る必要はない。今はむしろ十分取り戻せる範囲だったことを喜ぶべきだ。


そんな感じで演奏技術の劣化は想定どおりだったのだが、驚いたのは俺の音楽に対する意識だった。


前は音楽なんてもう十分だ。なんて思ってるつもりだったが、どうも俺は自分で思ったよりも音楽に惹かれていたらしい。


夜勤の時間が迫ってきたとき、ギターを手放すのが名残惜しいと思ったのだ。


とはいえ、流石に仕事をサボるわけにはいかないので、寂寥感を押し殺しながらも職場には向かう。


練習スケジュールを組み立てながら歩いていると、出勤道中もいつもより短く感じられた。


なんだかんだ言っても、やっぱり俺はギターが好きらしい。神田さんと初めて会ったとき、俺が好きなのは人気者の自分だと言ったが、あの言葉は訂正しないといけないな。


そんなことを考えてるうちに職場に到着する。


中に入って暇そうにレジ前に立っていた夕勤の人と挨拶を交わし、レジを通って事務所へ。


扉を開けると、すでに制服に着替えた山本さんが事務椅子に座ってスマホをいじっていた。


「おはようございます。山本さん」


【山本さん】

「おう、おはよう。今日は珍しく遅かったな」


挨拶すると、山本さんは顔を上げた。


「はは。ちょっと久しぶりにギターを触ってたら熱中しちゃって、遅くなっちゃいました」


【山本さん】

「おー、まじか。お前、またギター始めんの?」


「そうですけど、趣味の範疇ですよ。もう前みたいにライブとかはしないです」


【山本さん】

「ふーん。なら今度、カラオケとかで聞かせてくれよ。なんだかんだでお前の演奏って聞いたことねえし、気になってたんだよな」


「まあ、機会があったらいいですよ。というか、バンドの演奏ならCDも出てるんで、そっち買ってくれれば聞けますよ?」


【山本さん】

「いや、そこまではしたくねえ。バンド名も知らねえし」


「ドミネイトエモーションズです。そんなきっぱり言い切らなくても……まあ、買ってもらっても俺にお金は入ってこないから別にいいんですけどね」


【山本さん】

「そうなん?」


「らしいです。なんか出すときにそんな感じの説明を受けたような気がするんで」


適当に軽口を交わしながら、制服に着替えてパソコンでタイムカードを切る。


画面の左上に表示された時刻を見ると、交代の時間まであと2分だった。いつもは10分くらいゆっくりする時間があるのだが、今日はギリギリの出勤だ。


【山本さん】

「そういやお前、twittar見た?」


「twittar?なんのことですか?」


【山本さん】

「あー、その様子じゃ知らなそうだな。昨日の夜なんだけどさ……」


山本さんはそこで言葉を切ると、訝しむ俺にスマホの画面を見せてきた。


少し顔を近づけて見ると、そこに表示されていたのは……あるアカウントだった。


「misora☆ってこれ、みそらちゃんのアカウントですか!?」


【山本さん】

「そうそう。昨日の十時くらいにtwittar見てたらトレンドにみそらちゃんが入っててさ、何事かと思って調べたら、ついにtwittarアカウント作ったらしくってさ。一瞬でフォローしたわ」


「え、これ本物なんですか?」


【山本さん】

「本物だぞ。だって、昨日上がった歌動画の概要欄に貼ってあったアカウントだし」


着替えの前にコンセントに繋いでおいたスマホを取ると、みそらちゃんの最新動画を開いて、概要欄を確かめてみる。


すると、山本さんの言う通り青文字のtwittarリンクが貼られていた。


タップしてみると、さっき見たものと同じアカウントに飛ばされた。


ツイート数はまだ1で、『みそらです!ようやくTwittarアカウントを作りました!』という簡素な一文と、みそらちゃんのチャンネルへのリンクが貼られているのみだったが、フォロワーはすでに1万人を超えていた。


iTubeの登録者7万人と比べたら少なく感じるが、実際のファン数とSNSの登録者数は釣り合うものでもないので、十分多いほうだろう。


「本物……なんですね」


【山本さん】

「だからさっきはそう言ってんじゃん。お前もフォローすんの?」


「します。ていうか、もうしました」


山本さんに聞かれる前に、その1万何人目かに俺も迷わず加わっていた。


それにしても、どうしてみそらちゃんは急にアカウントなんて作ったんだろう。山本さんの話ではファンに求められてもSNSはやらなかったというのに。


【山本さん】

「にしても、なんでいきなりTwittar始めたんだろうな。みそらちゃん。いや、まあ嬉しいんだけどさ。不思議だよなあ」


「本当ですね」


どうやら山本さんも同じことを考えていたようだ。


トレンドからいろんなツイートを見ても、同じようなことを言っている人は多かった。


そりゃそう思うよな。


でもまあ、みそらちゃんが人気を得たのはTwittarで話題になったことがきっかけだったって言うし、アカウント開設を求める声も多かったから始めたこと自体は不思議じゃない。


なにより喜ばしいことに間違いはないので、すぐにこの疑問は消えてなくなるだろう。


そんなふうに結論を出すと、交代の時間になったので表へ出る。


夜勤の仕事は主に作業が中心だ。


といっても、深夜になるまでは普通に客も来るので、作業だけに集中することは出来ない。


だから、レジ担当と作業担当に役割分担するのが俺と山本さんのやり方だ。


【山本さん】

「――。レジ頼んでいい?」


「大丈夫ですよ」


【山本さん】

「おう。センキュー」


どっちがどっちをやるとかは特に決めてないので、役割はその日その日で決めている。


今日は俺がレジ担当らしい。


ありがたい。ちょうど、レジの方に回っていいか聞くつもりだったところだ。


「ありがとうございましたー」


客を捌き切りレジが空いたのを確かめると、俺は左手を動かし始めた。


グーパーグーパーと、手を開いて閉じてを繰り返す。そのあとは指を一つずつ折ったりデコピンをするように弾いたり。


俺がレジをやりたかった理由は、空いた時間にこの動きをしたかったからだ。


実はこれ、一見無意味な手遊びに見えるが、れっきとしたギターの練習だったりする。


ギターを持ってないのにギターの練習?と思われるかもしれないが、これが意外と重要なのだ。


もちろん、実際にギターを弾いて音を出すのが最優先なのだが、早く走るためには丈夫な足腰が必要なように、ギターを弾くには柔らかくしなやかな指先が必要不可欠である。


今俺がやっている動きは、その指先を作るための筋トレだ。


現役時代に少しでも近づくため、とにかく今はブランクで固まってしまった指をほぐさなくてはならない。


だから、しばらくは勤務中はこれに専念するつもりだ。


ギターの筋トレはほとんどが勤務中に出来るというのがありがたい。


無論、夜勤終了まで同じ動きを繰り返すわけでもなく、何種類かのメニューをループしていく。


こまめな休憩を挟むことも忘れない。


オーバーワークは絶対に禁物だ。


学生の頃に一度、睡眠時間すら削って筋トレをした挙げ句、腱鞘炎になって一ヶ月くらいギターを触れなくなったことがある。


あのときはバンドのメンバーや親にも多大な迷惑を掛けてしまった。


しかも安静にしていたせいで鍛えた指先も衰えてしまって、それまでの努力が水泡に帰してしまったのだ。


あれ以来、休憩は多少取りすぎるくらい取るようにしている。


本当なら生活サイクルも規則正しくしたいんだが、夜勤があるのでそれは厳しい。


シフトを変えるのもそう簡単にはいかないだろうし、何より夜勤でないと稼げないのだ。


まぁ、ある程度貯金も貯まってるから金銭面はその気になれば何とかなるのだが、ギターを再開したのは神田さんとの約束のためだし、そこまでするつもりはない。


無理なく、学生や社会人が趣味でやるような範囲の練習で十分だ。


【山本さん】

「ーー。掃除も終わったぞ……って、何やってんだ?」


1時くらいになったところで、山本さんが声をかけてきた。


「お疲れ様です。暇だったんで、トレーニングしてました」


【山本さん】

「ふーん。トレーニングってギターの?ギターなしでも出来るもんなのか?」


「できますよ」


【山本さん】

「へえ。まぁ、とりあえずもう客も来てないだろ?中入ろうぜ」


「了解です」


次の仕事は3時に届くパン類の品出しだ。


今くらいの時間は客もかなり少ないので、ここから2時間くらいは暇な時間が出来る。


監視カメラさえ見てれば、事務所で休憩してても大丈夫だ。


というわけで、俺と山本さんは事務所の中でくつろいでいた。


スマホを持っていなかった時は、この時間は雑談したり寝たりして過ごしていたのだが、もっぱら最近はiTubeの動画を見て過ごすことが増えていた。


【山本さん】

「みそらちゃん。やっぱり登録者数増えてんな」


「ですね。やっぱりSNSの効果ですかね」


【山本さん】

「だろうなー。この調子で行けば十万人も近いんじゃないか?」


みそらチャンネルの登録者数は7万から9万に増えていた。


前に確認したのは先週の日曜だから、一週間で2万人も増やしたのか。羨ましいな。


……………………。


…………。


……ん? 羨ましい?


いやいや、違くないか。そこは「すごいな」って思うところじゃないか?


うん。本当にみそらちゃんはすごいな。ライブやろくな布教活動もすることなく、自分の歌声ひとつでその高みまでのし上がったんだから。


もしかしたら俺たちも、iTubeに演奏動画を上げれば少しはマシだったのだろうか?


……って、なんでこんなこと考えてるんだろうな俺は。たられば話なんてするだけ虚しいだけなのに。


俺たちは……もう終わったのに。


【山本さん】

「ーー?どうかしたか?」


「え、はい?なにがですか?」


【山本さん】

「いや、なんかすげえ浮かない顔してるから、なんかあったんかと」


「あ、いえ。何もないですよ。大丈夫です」


【山本さん】

「そう?ならいいけどよ。なんかあったら言っとけよ?」


「……ネタになるからですか」


【山本さん】

「ばっかお前!俺だってたまにはネタ抜きで心配することだってあるんだぞ!……まぁ、そういう意味の興味がないと言えば嘘になるが、心配してるのは本当だ」


「はは、ありがとうございます。でも、本当になんでもないので大丈夫ですよ」


山本さんの気遣いはありがたいが、こんなこと言えるわけない。


まさか、みそらちゃんの人気を妬ましく思ってしまったなんて、口が裂けても言えない。


そんな風に自覚してしまうと、どんどん醜い嫉妬心が膨らんでくる。


ジャンルは違えど、同じ音楽という領域で活動していたからこそ、その道で成功してる人を見ると複雑な気持ちになる。


……ああ。俺が普通の人生を歩んでいたなら、もっと純粋な気持ちで彼女のファンでいられたのに。

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