選択肢分岐2


「……うん。いいよ」


散々悩んだ末に、肯いた。


【神田さん】

「い、いいんですか!?ほ、本当に……?」


「うん。まぁ、ブランクもあるし、多少時間はかかるけど……それで良ければ、いいよ」


「いいです!全然いいです!ありがとうございます!!!」


グッと拳を握ってることから、神田さんは本気で喜んでくれているのだろう。


少なくともその気持ちは信じられた。


そして、どうやら俺の根っこの部分にはまだ演奏者としての気持ちが残っていたらしい。


いかなる理由があれど、そんなふうに真っ直ぐ演奏を聞いてみたいって言われるだけで、胸の内が高鳴ってくる。


彼女に俺の音を聞かせてやりたいという気持ちが湧き上がってきてしまった。


「……とりあえず、今日はもう帰ろっか。部屋に戻ったらギターの調整とかしてみるよ」


「はい。ありがとうございます」


そんなやりとりを経て、俺たちは再び歩き出す。


「それにしても、神田さんって歌手になりたかったんだね。いつ頃くらいからそう思ったの?」


【神田さん】

「あぁ……実は、そう思ったのは結構最近なんです。音楽は昔から好きだったんですけど、本気でやり始めたのは受験が終わったあとなんですよね」


「あ、そうなんだ。こう言っちゃなんだけど、結構遅めなんだね?」


【神田さん】

「う……やっぱり遅いですよね。高校も普通のところに行っちゃいましたし……小さい頃からずっとやってる人との差を埋めるのが大変です……」


「そうだね。歌手ってなると、物心つく前からボイトレとか受けてきたって人もいるもんね。神田さんもそういうトレーニングしてるの?」


【神田さん】

「してますよ。ボイストレーニングは火、木、日で通ってます。あとは肺活量を鍛えるためのトレーニングとか、思いつく限りのことはやってますね」


「そっか……本気なんだね」


【神田さんの】

「あはは。おかげで勉強がちょっとやばいんですけどね……」


「勉強はね……両立って難しいよね」


夢に向かって真っ直ぐに努力を重ねる姿が眩しい。


懐かしいな。俺も学生時代は練習に打ち込みすぎたせいで赤点連発してたっけ。


他のメンバーも大体そんなやつばっかりだったから、試験期間は全員で集まって勉強なんてこともやったな。


で、結局楽器を触り始めるまでがテンプレだった。


【神田さん】

「……ーーさん?どうしたんですか?」


遠い目をしてた俺に、訝しげな眼差しが向けられる。


「ん?いや、なんでもないよ。ただちょっと、昔のことを思い出しただけ」


【神田さん】

「どんなことを思い出したんですか?」


「はは……恥ずかしい話なんだけど、俺も高校時代はバンドに打ち込んでたから、赤点連発でさ……他のメンバーもそんな感じだったから、みんなで集まって勉強したなーって。それだけだよ」


【神田さん】

「みんなで集まって勉強……かぁ。それは楽しそうですね」


……あれ?今、一瞬神田さんの表情が暗くなったような気がしたのだが。気のせいだろうか?


気になって、彼女の横顔を観察してみたが、その時にはもう笑顔に戻っていた。


【神田さん】

「そういえば、ーーさんはいつくらいからバンド始めたんですか?」


「俺?俺は……中学生に入った時だよ。なんとなく軽音部に入ったら意外と面白くって……そのままずっと続けてたな」


【神田さん】

「わぁ……やっぱり、結構早いんですね」


「まぁ、俺も中学生ん時はまだ遊びの気が強かったから、本格的に始めたのは高校だよ。自分たちでライブするようになったのもその頃からだったし」


【神田さん】

「わ、わたしもそのくらい頑張らないとダメなのかな……やっぱり」


「ジャンルが違うし、焦らなくてもいいと思うけど……学園祭とかで舞台に立ったりはした方がいいかもね。舞台度胸はあるに越したことないからね。でもやっぱり、技術を上げる方が大事なんじゃないかな」


【神田さん】

「なるほど。じゃあわたし、もっともっと頑張ります!」


「体は壊さない程度にね?」


【神田さん】

「ふふ。それはわかってますよ!」


元気よく答えると、神田さんは少し早足で前に出た。


【神田さん】

「……じゃあ、わたしの家あれなので!もうここで大丈夫ですよ〜」


「あ、了解」


どうやら、話し込んでいるうちに神田さんの家のすぐ近くまで来てしまったらしい。


神田さんが指差している歩道の先の一軒家が、彼女の家なのだろう。


「神田さん。今日はありがとうね。お弁当、本当に美味しかったよ」


【神田さん】

「あ、こ、こちらこそありがとうございます!粗末なお弁当なのに食べてくださって……」


「いやいや!全然粗末なんかじゃないよ!本当に美味しかった。来週も楽しみにしてもいいんだよね?」


【神田さん】

「ふふ。もちろんオッケーです♪」


「うん。ありがとう。弁当のお返しはいつか必ずするから」


【神田さん】

「はい!楽しみにしてます!」


「あはは。あまりプレッシャーはかけないで欲しいけどね……それじゃ、また来週にね」


【神田さん】

「はい!また来週です♪」


そんなやりとりを最後に、俺たちは別れた。





【神田】

『……ーーさん。勇気、出してくれたんだろうなぁ』


わたしと一緒に歩いてた時よりも、若干大きい歩幅で去ってく背中を見つめながら、わたしは呟いた。


ーーさんには申し訳ないことをしてしまった。


きっとあの人にとって音楽は一種のトラウマだったと思う。


だって、ずっとやってきた大好きなもので否定されちゃったんだよ?


そんなの、辛いに決まってるよ。


わたしも音楽が大好きだし、それで否定されたらって思うと……怖い。


波打つような不安が押し寄せてくる。


でも、実際にプロという高みまで登り詰めたーーさんが感じているものは、わたしのそれとは比べようもないはずだ。


なのにわたしは、そんなーーさんのトラウマを刺激するようなわがままを言ってしまった。


しかも、嘘までついた。


それなのに、あの人はわたしのわがままを受け入れてくれたんだ。


これは根拠もない直感だけど、多分ーーさんはわたしの嘘に気づいてる。気づいたうえで、受け入れてくれたんだ。


【神田】

『だったらわたしも、応えないといけない……よね』


もう見えなくなったーーさんの背中を求めるように。手を伸ばした。


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