AugustDay3-2

その後、神田さんが注いでくれたお茶を飲みながら、まったり食後の余韻を楽しんだ。


そうしてると、満腹感がどんどん高まって苦しくなってくる。


食べてる時は大丈夫でも、食べ終わってからどんどんお腹が膨らんでいくのはなんでだろうか。


にしても、こんな贅沢をしたのは久しぶりだ。


いつも節約と気力がないために、カップラーメンと廃棄ばかりだったからな。


やっぱり人間、たまには美味しいものを食べるべきだな。


それだけで明日からも頑張って生きていこうっていう活力が湧いてくる。


「あ。大事なこと忘れてた」


【神田さん】

「どうかしました?」


「材料費とか、いくらだった?」


ほのぼのとした空気に当てられて、それを忘れていた。


弁当を作るのもタダじゃないはずだ。


ご馳走になっただけでは申し訳ない。


そう思って財布を出したのだが。


【神田さん】

「だ、大丈夫ですよお金なんて!私がやりたくてやったことなので!」


両手を振って断られる。


もちろん、そうくるのは想定通りだ。


だけど、ここはそう簡単には引けない。


「でも、それだとやっぱり申し訳ないよ。弁当作るのだって手間だったろうし、神田さんの厚意に甘えっぱなしなのはあまり良くないと思う。だから、どうか払わせてもらえないかな?せめて俺が食べた分だけでも」


【神田さん】

「うう……そう言われても原価の計算とかしてませんし、家にあった食材も使ってますから、いくらかかったかわからないんですよ。だから正直、材料費を払うって言われても困っちゃうんですよね」


本当に困った様子で、神田さんは言った。


そうか。高校生くらいの年なら買い物とかは保護者にやってもらって当然だろうし、それ以前に金を得るつもりで作ったわけではないのだろう。


ならやっぱり、神田さんの善意を甘んじて受けるべきなんだろうか。


でも、それって客観的に見てどうなんだ?


フリーターとはいえ、俺は一応社会人で彼女は学生だ。


高校生の女の子に施される俺、情けなくないか?


【神田さん】

「うーん。なんだか納得のいってなさそうな顔ですね」


「あ、いや。そういうわけじゃないんだけど」


【神田さん】

「ウソです!――さん。高校生の女の子に甘えていいのかな……って顔に出てますよ?」


「え?いや、顔には出てないはずだけど……」


【神田さん】

「顔には?」


「へ?……あ!」


【神田さん】

「ほらあ~。やっぱり納得してなかったんじゃないですか~」


「は、はめたね?」


【神田さん】

「ふふ。ごめんなさい。でも、本当にお金のことは気にしないでいいんですよ?作ってる時間もすごく楽しかったですし、美味しく食べてもらえるだけで嬉しいんですから」


まあ、嬉しそうなのはすごく伝わってくるけど。


でもやっぱり、男としてヒモみたいに甘えるのは釈然としない。


そんな気持ちが表に出ていたのか。


【神田さん】

「……でも、そうですね。ーーさんがどうしても納得出来ないって言うなら……3つ、わがままを聞いてくれませんか?」


神田さんはふとそんなことを言いだした。


「わがまま?」


【神田さん】

「はい!実は今日あったらお願いしたいことがいくつかあって、お礼なら、お金よりもそっちを聞いてくれる方が嬉しいです」


釈然としない俺をとりなすように、神田さんは上目遣いで聞いてきた。


俺に拒否する権利はない。


「うん。いいよ。俺に出来ることなら」


【神田さん】

「おや?そんなに安請け合いしちゃっていいんですか?とんでもないワガママかも知れませんよ?」


「とんでもないことを言うつもりなの?」


【神田さん】

「はい♪」


あっけらかんと頷かれると少し怖いが……まあいいか。


「俺に出来る範囲であればいいよ」


一応断りを入れておく。


それは大丈夫です!と神田さんはうなずいた。


【神田さん】

「えっと。じゃあ、まず1つ目です」


ぴん。と人差し指を立てる神田さん。


さっきはとんでもないわがままと言っていたが、どんなことを言われるんだろうか。


固唾を飲んで、次の言葉を待つ。


【神田さん】

「これから毎週土曜日は、わたしのお弁当を食べて欲しいです。お金を払うとか、そういう気遣いは無しで」


「……へ?」


「ですから、来週も再来週も土曜日はこうして会って、お弁当を食べてほしいんです」


確かに、それはとんでもないお願いだった。


「俺としてはものすごく嬉しいんだけど、本当にそれでいいの?」


「はい♪それに言ったじゃないですか。美味しく食べてもらえるだけで、わたしも嬉しいって。だから、1つ目のお願いは『わたしのお弁当を食べてほしい』。聞いてくれますか?」


「……神田さんがいいなら」


【神田さん】

「ふふ。ありがとうございます!」


ごちそうしてもらった弁当の材料費を払う代わりに聞いてほしいお願いが、またお弁当を食べてほしい(しかも無償)なんて本末転倒な気もするが。


俺に出来る範囲でなら受けるって言ってしまったし、神田さんも本当に嬉しそうだし、別にいいか。


「次は2つ目です」


喜ぶのもそこそこに、神田さんは2本目の指を立てた。


今度はどんなお願いが来るんだろう。


【神田さん】

「――さんとわたし。お互いの情報を交換したいです。もちろん、言えないこともあると思うので、何もかもってわけじゃないですけど。好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか、どんな些細なこともいいので、知り合っていきたいな」


「……なんか、お見合いみたいだね?」


【神田さん】

「あはは♪たしかに!言われてみればそうですね」


俺の感想に、あっけらかんと神田さんは笑う。


【神田さん】

「それで、このお願いは聞いてくれますか?」


「うん。それくらいのことなら全然いいよ」


【神田さん】

「ありがとうございます!」


というか、言い回しのせいで妖しく聞こえるが、それは友達間では普通のことではないか。


まぁ、俺と神田さんの関係を友達と言っていいのかは微妙だが。


なんにせよ、1つ目に比べれば容易であることに変わりはない。


「で、3つ目は?」


そして、3つ目のお願いを催促すると。


【神田さん】

「3つ目は……あとで言ってもいいですか?」


遠慮がちにそう言われてしまった。


別に俺はいつでも構わないんだが。


「いいけど。今じゃダメなこと?」


【神田さん】

「そうですね。できれば後のほうがいいかな」


「……わかった」


煮え切らない言い方が気になったが、焦って聞き出すほどのことでもない。


彼女が後がいいと言うなら従うまでだ。


「それじゃ、早速2つ目のお願いを叶えようか……って言っても、俺は何を教えればいいのかな」


【神田さん】

「えっと、じゃあまずは好きな食べ物と嫌いな食べ物を聞いてもいいですか?」


「うん。好きな食べ物はホルモンで、嫌いな食べ物は特にないかな。なんでも食べる雑食性だよ」


【神田さん】

「苦手なものがないって、すごいですね……ホルモンって、あのぷにぷにしてるやつですか?」


「そうそう。あれと一緒にお米をかきこむのが本当に最高でさ!ライブの打ち上げとかで焼き肉に行ったときは絶対食べるんだよね。多いと三皿くらいは行ってたなー」


【神田さん】

「ええ……ホルモンって食べたことないんですけど、なんかアブラきつそうじゃないですか?それを三皿も?」


「まあね。確かに脂はキツいけど、でもそれがいいんだよね」


【神田さん】

「なるほど……男の人はそういうのが好きって聞くし、納得です。うんうん」


「はは。間違ってないね」


俺たちのバンドは野郎ばかりだったので、たしかに野菜よりも肉、肉、肉!って感じだったな。


だから、俺がどうしてもホルモンを食べたいってごねたのもあって、打ち上げはいつも焼き肉だった。


懐かしいな。あの頃は若かったのもあって、ホルモン一切れでライス一杯とか普通に食べてたっけ。今はもう、あんなに食えないだろうな。


「神田さんの方は、好きな食べ物とか苦手なものはあるの?」


【神田さん】

「わたしは甘いのと辛いのが好きですよ。特に好きなのはマカロンと麻婆豆腐です!」


マカロンと麻婆って。なんか、すごい落差だな。


「へえ。麻婆豆腐好きなんだ。激辛のやつ?」


【神田さん】

「ですね。胡椒をピリッと利かせたのがたまらないんですよ!こう、舌先にビリビリビリリ!ってくる感じの辛味が!」


「でも、辛いものが好きなのに甘いものも好きなんだ。なんか、その二つって相反するものな気がするけど……」


【神田さん】

「んー、たしかにそうなんですよね。そこはわたしも不思議です」


「まあ、好みなんて人それぞれだもんね。苦手なものはないの?」


【神田さん】

「ありますよ。わさび、あれだけはどーーーしても無理です……」


「わさび?あれ、でもわさびって辛いものだよね」


【神田さん】

「そうなんですけど……でも、わさびってわたしの好きな辛いとは違うんですよね。なんていうか、鼻にツーンと抜けていく感じが苦手で……」


「あー、確かにわかるかも。わさびの辛さってちょっと違うよね」


【神田さん】

「ほんとですよ。成長すると味覚も変わるらしいので、一年に一回くらいは挑戦してみるんですけど、あれだけはどうしても食べれられる気がしません……うええ」


苦手なわさびの味を思い出してしまったのか、神田さんはまさに苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。


無邪気に舌を出す姿も、非常に可愛らしく見えた。


そこで、俺はふとまた気になってしまう。


どうして神田さんは俺なんかと親しくしてくれるのだろうか。


初めて会ったあの日は、公園でうなだれている俺がたまたま気になったから話しかけた。


これだけならまだギリギリわからないでもない。田舎ならすれ違った人に話しかけられることもざらにあるし、いい子だからで説明できる。


だが、弁当まで作ってきて、しかもこうして頻繁に合う約束まで取り付けるのは過剰じゃないか?


正直、特段面白みもない俺なんかにそこまでする価値があるとは思えないのだが。


「じゃあ、今度は俺から質問してもいいかな?」


食べ物の話が一段落したら、そんなふうに切り出してみた。


「はい♪なんなりと!」


「特に深い意味はないんだけど……神田さんはどうして俺とこんなに親しくしてくれるのかな?」


【神田さん】

「それ、前にも同じこと聞きませんでした?」


「聞いたね」


【神田さん】

「善意……ってことじゃ、やっぱり納得してくれませんか?」


「神田さんが本当にそうだって言うなら、納得するよ」


【神田さん】

「むう。なんか気になる言い方ですね」


俺の質問を聞くと、神田さんの顔に僅かな影がさしたように見えた。


それから数秒、なんて答えたらいいのかわからない。といった感じで唸っていたが。


【神田さん】

「……まあ。いまさら隠すことでもないかな」


諦めたように息を吐いて、


【神田さん】

「ほんと、大した話じゃないんですよ?」


と前置きを言った。


【神田さん】

「実はわたし、ここの公園よく通るんですよ。前にも行ったと思いますけど、近道なので」


【神田さん】

「その時にベンチで時々休憩してるーーさんを見て、何してるのかなーっていつも気になってて」


【神田さん】

「で、この前もーーさんのことを見てたんですけど……死にたいって呟きが聞こえて来たので。思わず声をかけちゃったんです」


【神田さん】

「……あはは。口下手でごめんなさい。でも、これがわたしがーーさんに話しかけた理由です。だから、本当に気になったからなんですよ?深い意味なんてないです」


一通り語り終えると、神田さんは人差し指で頬をかきながら笑った。


「嘘?てことは、俺と神田さんって何回もニアピンしてたってこと?全然気づかなかった……」


【神田さん】

「あはは!そりゃそうですよ。だってーーさん、いつも俯いてましたもん。わたしのこと見てくれたことありませんでしたよ?多分」


「あー、言われてみればそうだったかも。なんかごめん……」


【神田さん】

「いえ、そんな!まだあのときは他人でしたし、謝ることなんてありませんよ」


土曜日は音楽に一日費やす日と決めていたのだが、音楽から遠のいてからはただの暇な日になってしまい、特にすることもなく公園に向かうのが慣習になっていた。


公園ではいつも項垂れていて、まるで廃人のようだったが。


まぁ、そのおかげで神田さんと出会えたなら意味があったのかもしれない。


「でも、そっか。そういうことだったんだ」


【神田さん】

「あはは、そういうことなんです」


俺が納得した素振りを見せると、神田さんは力なく笑った。


ちなみにだが、俺は心の中では納得なんてしていない。


だって、それだけの理由で普通ここまでしてくれるか?


あの日、俺の話を聞いて慰めてくれる。それだけで十分ではないか。


神田さんが極度に良い人だという可能性もあるが、俺にはどうしても何か裏があるとしか思えない。


思えないけれど、神田さんが良い子であることは信じたい。


だから今は黙ってうなずいておこう。


【神田さん】

「じゃあ次、わたしが聞いても良いですか?」


「うん。何が聞きたい?」


【神田さん】

「そうですねー。確かーーさん。バイト暮らしって言ってましたっけ?」


「そだね。コンビニで働いてるよ」


【神田さん】

「え、コンビニですか?コンビニってすごく辛いってお母さんに聞いたんですけど……大丈夫なんですか?」


「そうだね。確かに変な客ばかりくるし、無駄に仕事多いし、辛いよ?この前も……ってまた愚痴になっちゃいそうだからやめておくよ」


数日前の出来事を思い出して、俺は顔をしかめた。


あの話をしてしまうと、神田さんには聞かせたくないような汚い言葉が出てきてしまいそうだ。


【神田さん】

「いえ、大丈夫ですよ!愚痴ならお母さんからいつも聞いてますし、いつかわたしもバイトする時の参考になるので、聞かせてください」


しかし、彼女は目を輝かせて詰め寄ってきた。


まいったな。本当に面白い話でもないんだが。


「あはは。別に参考にはならないと思うけど、とりあえずバイトするならコンビニは絶対やめたほうがいいよ?」


【神田さん】

「ふふ。うちのお母さんもそれ言ってました。そんなにやばいんですか?コンビニのお仕事って?」


「神田さんのお母さんがどの時間帯で働いてるかはわからないけど……仕事自体は大変じゃないと思う。ただ、客層によっては下手したら人格歪むくらいやばいかな」


【神田さん】

「そ、そんなに大変なんだ……お母さん、大丈夫なのかな」


俺の言葉に、神田さんは顔を蒼白にさせた。


人格の話題まで出しては大げさに聞こえるかもしれないが、残念ながら事実だ。


ほんと……汚い人間が大量にくるからなーコンビニって。


常にイラついてるやつとか、なんかふてぶてしいやつとか、意味のわからないイチャモンつけてくるやつとか。


神田さんみたいに綺麗な心を持つ子は、あんな汚い世界に踏み込んで欲しくないと俺は思う。


【神田さん】

「ひどいお客さんって、そんなに頻繁に来るんですか?」


「そうだね。この前、神田さんとここで会った日の仕事でも、酷い人来たよ」


【神田さん】

「ど、どんな人なんですか?」


「うーん。背はちょっと高めの坊主のおじさんでね……」


ゴクッと固唾を飲む神田さんに、先日のおっさんとのやりとりを説明した。


【神田さん】

「ええ……それ、謎のお兄さんがいなかったら大変なことになってたんじゃないですか?」


何回も嫌がらせを受けてきたことを含めて全て語り終えると、神田さんは口元に手を当てて驚いた。


「もしかしたら、あのままだったら殴られてたかもね」


というか、逆に俺が手を出していたかもしれない。それくらい、あの客は理不尽だった。


「まぁ、あのおじさんくらい酷い人はそうそういないけどさ。お金出す時に投げたり、命令口調で話しかけてきたり、舌打ちしてきたりする人は結構いるよ」


もちろん、中には会計の時にお礼を言ってくれる優しい客もいるのだが、やっぱり態度の悪い客の方が目立つし、多い。


だから人格が歪みかねないのだ。事実、俺もコンビニで働き始めてから多少ネガティブな性格になってしまったし。


【神田さん】

「でも、そんなに辛いならどうしてコンビニで働いてるんですか?」


「時間に融通が効くのと、受かりやすいから仕方なく……かな。本屋とかも応募しちゃったんだけど、軒並み落とされちゃって」


特に俺はバンドもやっていたので、髪色も明るかった。今は控えめに茶色にしているが、それでも採用してくれる職は限られる。


「だから、もし選べるなら絶対コンビニはやめたほうがいいよ」


【神田さん】

「わ、わかりました……」


熱を込めて忠告すると、神田さんは引き気味にうなずいてくれた。




それから俺たちは日が暮れるまでおしゃべりを続けた。


途中、ジュースを買いに行ったり一緒に動画を見たりしたが、基本的にずっと喋っていたと思う。


今は好きなドラマから繋がり、お互いの理想の告白シーンについて話しているところだ。


【神田さん】

「わたしは……二人きりでロマンチックに、みたいな感じも好きですけど、やっぱりドラマチックな告白に憧れてますね」


「へえ。ドラマチックって例えば?」


【神田さん】

「そうですね……漫画の話になっちゃうんですけど、親に望まないお見合いをさせられてるところに乗り込んで来てくれたり、ライブの後にステージの上から告白とか。そういう感じですね。まぁ、現実じゃあり得ないことばかりなんですけどね。あはは」


ーーー♪♪♪


神田さんの笑い声をかき消すように、オルゴールのメロディが流れる。


この音楽は、夕方に流れる時報の曲だ。


【神田さん】

「あぁ、もう五時なんだ……」


神田さんが残念そうに呟く。


その傍らで俺も驚いていた。


途中休憩は挟んだとはいえ、まさか喋っているだけでこんなに時間が経っているなんて気づかなかった。


そして名残惜しいと思っている自分にも。


「そろそろ暗くなるし、帰ろっか?」


もうちょっと話したい。という気持ちを抑え込めて、問いかける。


空はまだ茜色に染まっているが、ここから真っ暗になるまであっという間だ。


俺はともかく、神田さんの場合は家族も心配するだろうし、あまり長く引き止めるわけには行かない。


【神田さん】

「……ですね」


渋々といった様子で首肯すると、俺たちはベンチから腰を上げた。


「もう暗くなるし、よかったら途中まで送ってこうか?」


【神田さん】

「いいんですか!?じゃあ、お言葉に甘えます」


そんなやりとりをしつつ、一歩を踏み出そうとしたところで、俺はふと思い出した。


「神田さん。そういえば、結局三つ目のお願いってなんだったの?」


足を止めて、数歩先の神田さんに尋ねる。


そういえば、三つ目のお願いは後でって言われて、それっきりだった。


【神田さん】

「あ、そうでしたね。すみません。忘れてました」


足を止めて、こちらを振り返る神田さん。


後ろに夕日があるせいでよく見えなかったが、その表情は強張っているように見えた。


【神田さん】

「三つ目のお願いは……」


そこで言葉が切られる。


こちらを見据える目はまるでその先を言ってもいいか迷っているようで。


どんな言葉が飛んでくるのかって、ハラハラしながら続きを待った。


【神田さん】

「あの……わたし、ーーさんの音楽が聞いてみたいんですけど……いいですか?」


やがて、意を決したように告げられたのは、俺の演奏を求める声だった。


「……え?俺の演奏?」


思わず、呆けた声が漏れる。


「はい。わたし、――さんの演奏が聞きたいんです。だから、お願いします!」


神田さんは叫ぶように言うと、ガバっと腰を折った。


「い、いや。ちょっとまって?まず、神田さんはどうして俺の演奏を聞きたいの?」


【神田さん】

「理由ですか……理由は聞きたいから。じゃだめですか?」


初めて出会った時と同じように、誤魔化そうとしてくるが。


音楽で失敗したのは俺の心の傷だ。いくら神田さんの頼みと言えど、それだけの理由で安請け合いする気に離れなかった。


「……正直に言うと、本当のことを教えてほしい」


【神田さん】

「……わかりました」


悪いが、この件に関して妥協はしたくない。


強い意志を込めていうと、神田さんは察して受け止めてくれた。


【神田さん】

「わたし、音楽が好きなので、将来は歌を歌う仕事がしたいんです。だから、そのために合唱部に所属してるんですけど……物足りないんです」


「物足りない?」


【神田さん】

「そうです。うちの学校の合唱部はゆるくて、どこか遊びの気が強いから、その中にいるとまるで自分は上手いんじゃないかっておごってしまうんです。だから、プロの方の音楽を間近で聞いて、今のわたしとの差を知りたいんです」


「……それが理由?」


【神田さん】

「はい。――さんがプロのギターボーカルだったって聞いてから、ずっとお願いしたいと思ってたんです」


俺の目を真っ直ぐに見て、神田さんはいった。


その様子を見て俺は。


「そっか。わかったよ」


……また、それか。と心の中でため息を吐いた。


さっき、俺に話しかけてきた理由を聞いたときと同じ。俺の直感が明確に告げていた。


神田さんは嘘をついていると。


いや、正確に言えば本当のことを全て言っていない、か。きっと言ってることは嘘ではないのだろう。だが、全てをはっきりと明かしたわけではない。


でも、彼女の言っていることも理由としては悪くない。


俺たちだって学別バンドの人の演奏を聞いたり、共演バンドにアドバイスを貰ったりしながら腕を上げていったから。


その中で、自分たちはまだまだだと再認識させられることは何度もあった。そのおかげで天狗にならなかったことも、ある程度の人気を得られた理由の一つだと思っている。


だから神田さんの言いたいことはわかった。


【神田さん】

「わたしの三つ目のお願い。聞いてくれますか?」


彼女の言葉に俺は。



選択肢

1:……うん。いいよ。と頷いた。

2:……ごめん。とかぶりを振った。

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