August Day3

翌土曜日。


俺はかつてないほどルンルン気分で公園に座っていた。


金曜の夜勤も山本さんに代わってもらったので(本当は無理やり押しつけたようなものだが)睡眠もバッチリ。


コンディションは最高だ。


「なんか、祝福されてるみたいだなぁ」


冗談みたいに晴れ渡る空を見て、恥ずかしいことも呟いてしまう。


それが今日の俺だ。


スマホの時計をチェックすると、まだ約束の時間より30分も早かった。


ちょっと早く来すぎただろうか?


まぁ、待ち時間もバイトの勤務時間に比べたら大したことはない。


神田さんが来たら、デートの定番っぽく「今きたところだから大丈夫」とでも言って誤魔化そう。


そう思ってひとりでに頷くと、俺はFaisebookの画面を開いた。


偶然公園で会った日の後も神田さんとのメールのやり取りは続いていた。


内容に関してはボカロの話だったり、神田さんが学校で起きたことを話してくれたり。


他愛もない雑談ばかりだが、俺にとっては交わし合うレス全てが宝物みたいなものだ。


ちなみにここ数日のやり取りの中で、神田さんの部活が合唱部だということが判明した。


神田さんはどんな歌を歌うのだろう。この前歌うことが好きだと言っていたし、やはりうまいのだろうか。


それとも下手の横好きということわざがあるように、あまり上手ではないのだろうか。


どっちにしろ、可愛いことに間違いはないのだが。




【神田さん】

「ーーさーん!」


返信を打ちながら待っていると、正面から神田さんが歩いてきた。


彼女はベンチに座る俺を見つけると、ぱあっと顔をほころばせ、ブンブンと大きく手を振ってくれた。


俺には絶対できないようなオーバーリアクションが本当に可愛らしい。


【神田さん】

「ごめんなさい。待たせちゃいましたか?」


近くまで来ると、神田さんは満面の笑みを浮かべながら定番の質問をしてきた。


「いま来たところだから大丈夫だよ」


俺はかねてから用意していた答えを返した。


【神田さん】

「それならよかったです!」


【神田さん】

「部活が早めに終わったから一旦家に帰って着替えてきたんですけど……どこか変じゃないでしょうか?」


ホッと息を吐くと、神田さんはくるりと回ってそんな質問をしてきた。


今日の彼女はオシャレな私服姿だった。


下は緑色のフレアスカートに、上はブラウンのカーディガンとシンプルな白シャツという出で立ち。


制服姿も十分に素晴らしかったが、今日の妖精のようなコーデはそれ以上に可愛らしかった。


「うん……可愛いと思う」


頭の中ではメルヘンな褒め言葉も浮かんでいたというのに、口をついて出たのはその一言だけだった。


どこに行ってしまったんだ俺の語彙力は……。


褒め方が雑とか、その場しのぎの適当な賞賛とか思われないだろうか。


なんて心配は杞憂に過ぎなかった。


【神田さん】

「えへへ!ありがとうございます(⋈◍>◡<◍)」


俺のありきたりな褒め言葉にも頬を赤らめ、照れくさそうに俯く神田さん。


なにその動き、超可愛い。


「と、とりあえず座る?」


【神田さん】

「はい!」


神田さんは頷くと、「よいしょ」と小さな声を上げてベンチに腰を下ろした。


「ところで、その手に持ってるのは?」


その隣に座ると、俺は神田さんが持っていたバスケットのようなものを指さした。


蓋がついているので中身はわからないが、食べ物だろうか。


バスケットといえばフルーツが入っているイメージだが……まさか、お弁当?


【神田さん】

「これはですね!お弁当です!」


あれこれ思案を繰り広げていると、神田さんが答えを教えてくれた。


さっき一度家に帰ったと言っていたが、何も食べずに出てきたのだろうか。


少し遅れるくらい俺は構わなかったのだが……。


「一回家に帰った時、お昼ご飯食べてこなかったの?」


【神田さん】

「はい。着ていく服に迷っちゃって時間が無かったので……」


胸元の開いた部分をいじりながら、神田さんは答えた。


【神田さん】

「それに、初めからお昼ご飯はーーさんと一緒に食べるつもりだったので大丈夫です!」


「一緒……に?」


【神田さん】

「はい!」


「え、うそ?まじ?」


【神田さん】

「まじです!」


女の子の手作り弁当。


しかも超可愛い女の子が俺と食べるために作ってくれた。


恋愛小説や漫画では典型的で、現実では中々実現しない大抵の男子が一度は憧れるイベント。


それが今、目の前で起きてることがにわかには信じられなかった。


「ど……どうして?」


【神田さんは】

「この前ーーさんがご飯はカップラーメンばかりって言ってたので、それだと栄養が偏っちゃうかなって。だから、わたしが少しでも栄養のあるものを作ってこれたらなって、思ったんですけど……」


早口でそう言って、ちらっと俺の方を見る。


【神田さん】

「って、ああ!もしかしてお昼食べちゃったりしてます!?今日は抜いてきてほしいって伝えるの、すっかり忘れてました……」


すると慌てた様子で捲し立てるように言った。


その様子を見て、俺は逆に落ち着ける。


どうやら緊張してるのは俺だけじゃないようだ。


「あ、うん。朝は食べたけど、昼は食べてないから大丈夫だよ」」


冷静になった頭で、まずは神田さんの質問に答える。


「それと、気を遣わせちゃってごめんね」


それから謝った。


自分の食生活のことは自分でやるべきなのに、本当に申し訳ない限りだ。


【神田さん】

「い、いえいえ!わたしが勝手にやったことなので!むしろ、迷惑じゃなかったでしょうか?ーーさんのプライベートに口を挟むような真似して……」


俺の言葉に、神田さんはさらに早口で答えた。


しまった。謝罪よりも先にありがとうを言うべきだったか。


「迷惑なんてとんでもない!めちゃくちゃ嬉しいよ!」


戸惑う神田さんに、心からの感謝を告げた。


誰かにご飯を作ってもらったのなんて、いつぶりだろう。


バンドを組んでた頃はメンバー同士でシェアハウスをしてたので、誰かが作った飯を食うこともあったが、それをカウントするのはいかがなものか。


だったら高校を卒業する前以来……5年以上ぶりだ。


「本当に……本当に嬉しいよ」


もう二度と味わえないと思っていた優しい手料理。


俺は再度、神田さんにお礼を告げた。


【神田さん】

「そんなに喜んでもらえたなら、わたしも頑張って作ってきた甲斐があります!」


最後に花のような笑みを浮かべると、神田さんはバスケットのフタを開いた。


すると中から出てきたのは、サンドイッチとおにぎりとプラスチックのタッパー、水筒だった。


食べ物ゾーンと容器ゾーンは板で仕切られていた。


食べ物の種類は少ないのだが。


「お、多いね」


具がはみ出すほどボリューミーなサンドイッチが10切れ以上、コンビニで売っているような三角形のおにぎりが5つ入っていた。


サンドイッチもおにぎりも、商品化されたものとは違って大きさがバラバラで、それらが全て手づくりであることを主張していた。


「しつこいようだけど、これ本当にもらっちゃっていいの?」


【神田さん】

「もちろんです!こんな量、わたし一人じゃ食べきれませんよ……」


苦笑いを浮かべる神田さん。


確かにこの量は女の子一人の胃袋には入りきらないな。


というか、俺も厳しいかもしれない。


幸い昼飯は食べてないのでお腹は空いてるが……食べ切れるかな。


【神田さん】

「残った分は神田家の食卓に並ぶので、おいしくなかったり多かったりしたら、遠慮せず残しちゃってください!」


まるで俺の心を読んだかのように彼女は言った。


「わかった。じゃあ、とりあえずおにぎり貰うね?」


【神田さん】

「どーぞ!具はここからシャケ、梅干し、昆布──」


一つ一つ指さしながら、丁寧におにぎりの中身を教えてくれる。


どうやらおにぎりの中身は一つ一つ違うらしい。


そのうちの一つに味噌があるのが驚きだった。


どうやら神田さんの家ではおにぎりの具に白味噌が入るらしい。


最初は驚いたが、おススメだと言われたので食べてみると、これがかなり美味しかった。


「うん!美味い!美味いよ!こんな美味しいおにぎり、今まで食べたことない!」


【神田さん】

「そんな……大げさですよ〜」


「全然大げさじゃないよ!まじで美味い」


再びどこかへ行ってしまった語彙力。


しかし、本当に言葉を失うほどこのおにぎりは美味しかった。


まずいなんてとんでもない。


本当に今まで食べた料理の中で一番美味しいと感じられた。


パリッとした海苔の風味と白飯がいい感じに混ざり合い、具の味噌は適度に塩気があって、ご飯の甘味をさらに引き出していた。


そして何より、神田さんが握ってくれたというのが最高のスパイスだった。


食べる直前に人が握ったものとか大丈夫ですか?なんて聞かれたけど、まるで逆だ。


彼女が握ってくれなければ、ここまで感動することなんてできなかった。


気味悪がられそうなので、口に出しては言えないけども。


【神田さん】

「飲み物もどうぞ〜」


水分が欲しくなってきたところで、ちょうど神田さんが水筒のお茶を注いで渡してくれる。


「ありがとう」


【神田さん】

「熱いので気をつけてくださいね?」


「うん」


言われた通り、慎重に湯気の立つお茶を飲んだ。


「……あれ?神田さんのコップは?」


半分くらいまで飲んだところで、俺は神田さんのコップがないことに気づいた。


俺が使わせてもらってるのは、コップになっている水筒の蓋の部分だ。


見たところ、バスケットの中に紙コップの類はなかったので、このままだと彼女は飲めないのだが……


【神田さん】

「コップなら……ありますよ?」


俺のコップを優しくとると、神田さんは残ったお茶をぐっと飲み干してしまった。


【神田さん】

「……ね?」


神田さんは小悪魔のようにぺろっと舌を出した。


しかしその顔は真っ赤っかで、無理しているのが丸見えだった。


そりゃ、いくら口をつけてる部分は反対とはいえ、間接キスに変わりはないのだから恥ずかしいに決まってる。


「え……あ、うん。そうだね!」


きっと、俺の顔も真っ赤になっていたに違いない。


間接キス……間接キス……。


俺たちの間に甘い沈黙が訪れる。


【神田さん】

「お、おかわりはいかがですか!?」


「も、貰おうかな!」


微妙な空気にいたたまれなくなったのか、誤魔化すようにおかわりを勧められる。


特に断る理由もないので、なみなみと注がれたコップを受け取り、口をつけた。


ちなみに一回やればあとは楽になったのか、彼女は俺が飲み残した分を当たり前のように飲み干していた。


このお茶、結構熱いんだけど舌を火傷したりしないんだろうか。


そう思って神田さんの方を見ると。


【神田さん】

「っ?わたしの顔に何かついてますか?」


「いや、そのお茶ってけっこう熱かったけど、そんなに一気飲みして火傷しないのかなって」


【神田さん】

「あ、火傷しない飲み方があるので、それは大丈夫です!」


「そんなのあるの?」


【神田さん】

「ありますよ〜。舌先が一番熱さに敏感なので、舌先を下の前歯の裏につけて飲むと火傷しないみたいですよ?こんな風に」


実践して見せてくれようとしたのだろう。


少量中身を注ぐと、神田さんはまず口の中を見せてくれた。


たしかにピンクの舌が、並びのいい歯の裏についているが……。


これは無意識にやっているのだろうか?


口の中を見せるなんて、間接キス以上にエロいと思うんだけど。


【神田さん】

「……ね?」


お茶を飲むと、今度は舌先を見せてくれる。


綺麗なピンク色で、火傷している様子はまるでない。


「あ、本当だ」


【神田さん】

「熱いものを飲むときはこうするといいですよ!」


神田さんは純粋な笑みを浮かべていった。


この様子だと、自分のしたことの凄さに気づいていないようだ。


「う、うん。次からそうさせてもらうよ……」


全く気にする素振りを見せない彼女に、俺はドギマギしながら頷くしかなかった。







その後、神田さんも一緒に食べ始めると、バスケットの中身はあっという間に空になってしまった。


最初は食べ切れるか不安だったが、なんとか全部行けたな。


「ふう、ごちそうさま。本当に美味しかったよ」


【神田さん】

「ふふ♪お粗末さまでした♪」


笑顔でバスケットを片付ける神田さんは、実に満足そうだ。


本当によかった、食べ切れて。


残して残念そうな表情でもされたら申し訳無さすぎる。


【神田さん】

「実はデザートも持ってきてるんですけど、食べられそうですか?」


「うん。貰っていいかな?」


【神田さん】

「もちろんです!」


結構満腹に近いのだが、デザートは別腹だ。


神田さんは嬉しそうにうなずくと、残っていたプラスチックのタッパーを開けてくれた。


そうして中から出てきたのは。


「ゼリー?」


小さなビーカーのような二つの小瓶だった。


中には黄色い寒天のようなゼリーが入っていて、細かく刻まれたレモンが散らばっている。


【神田さん】

「はい。蜂蜜レモンゼリーです!レモンゼリーの中に蜂蜜レモンを刻んで入れてみました」


レモンにレモンって、酸っぱすぎないか?


そう思ったけど、神田さんが作ったんだから不味いなんてことはあるまい。そうだとしても彼女の手作りな時点で美味しくなる。


【神田さん】

「クエン酸たっぷりで身体に良いんですよ?もちろん味も保障します!」


「へえ。美味しそうだね!貰っていい?」


【神田さん】

「はいどーぞ!」


神田さんから小瓶とプラスチックスプーンを受け取ると、俺はさっそく一口頬張ってみる。


【神田さん】

「どうですか?」


「……美味しい」


【神田さん】

「本当ですか!?やったぁ♪」


「ほんとに美味しいよ!後味がすっきりしてるから、いくらでも食べられそう」


そう言って、俺はもう一口。今度は多めにすくいとった。


最初は酸っぱいかと思ってたが、意外とそんなこともなく。


蜂蜜が多いからかむしろ甘いくらいだ。


「うん。いけるいける」


デザートなんて、いつぶりに食べただろうか。


いつのまにか満腹であることも忘れ、俺は次々とスプーンを動かしていった。


【神田さん】

「ふふ。そんなに美味しそうに食べてもらえると、作ってきてよかったなーって思います」


神田さんの笑顔に見守られながら、俺はゼリーを完食した。


「ふう、ごちそうさま」


【神田さん】

「お粗末さまでした」


俺からゼリーの容器を受け取ると、神田さんは自分の分と一緒にタッパーにしまい込んだ。


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