August Day2(Over Night Sunday)
神田さんから返事が来ていた。
『おはようございます😃ーーさん!漢字は神田で合ってますよ〜』
『スマホ手に入ったんですね!フォローしてくれて嬉しいです!ありがとうございます(⋈◍>◡<◍)。✧♡』
『夜しか返信できないこと、把握しました!』
『わたしも夜は早く寝てしまうので、朝か夕方にしか返信できないです……ごめんなさい!😞」
『でも、一日一通ずつのメール交換って、なんだか交換日記みたいでドキドキしちゃいますね💓』
『これからよろしくお願いします❤️』
メールを全て読み終えた俺は、昇天するかのように額に手を当てた。
なんだこれ。なんだこれ可愛すぎるだろ。
なんでハートマークこんな使ってんの?(⋈◍>◡<◍)。✧♡←何この顔文字可愛すぎない?
【山本さん】
「……なんでこの子、こんなに君にゾッコンなの?ねぇ、ほんとお前何したの?」
悶えている俺に冷めた声でツッコミが入る。
「さ、さぁ……?」
【山本さん】
「さあ?じゃないだろこれは。この子あれか?もしかしてお前のファンだったとか?」
「うーん。多分それはないかと。全然見覚えないですし……」
【山本さん】
「マジかよ……」
今日も一緒に夜勤に入った山本さんが恨めしげな視線を送ってくる。
本当はこの人、今日シフトに入ってなかったくせに神田さんの返信が気になって無理やりズラしてきたらしい。
本当にネタに熱心な人だ。
【山本さん】
「で、お前これなんて返信するんだ?」
「了解。こちらこそよろしくね。って返そうかなと」
【山本さん】
「いいんじゃないか?」
「はい。では……」
頷くと、俺は山本さんに言った通りに文字を打ち込んでいく。
一文字一文字打つたびに指が震える。
『了解👌』
『こちらこそよろしくね!』
「ふう。これでいいかな」
なんでたかがメッセージのやりとりでこんなにドキドキするんだろ。
面と向かって話してるわけでもないのに不思議なものだ。
俺は何かが詰まったような胸を撫で下ろしながら、ほっと息を吐いた。
満足して、そのままスマホをしまおうとするが……
【山本さん】
「おい。ちょっと待てや」
ドスの入った声とともに肩を掴まれ、阻止される。
「はい?」
【山本さん】
「なんでスマホしまった?」
「なんでって。神田さん今寝てますし。返信来ませんよ?」
【山本さん】
「アホかてめえは!!!」
「へ?」
【山本さん】
「そこは会話繋げなきゃいけねえところだろうがおい!」
【山本さん】
「お前童貞かよ!」
「ちょ、な、なんで決めつけるんですか!」
いや、全くもって間違っちゃいないんだけどさ。
なんなら学生時代は趣味に没頭しすぎたせいで彼女すら出来たこともないからな。
【山本さん】
「ていうか、相手の立場になって考えてみろよ」
「相手の立場?」
【山本さん】
「例えばだ。神田さんが今日の返信をわかりましたとかよろしくとか一言二言で終わらせたら、ガッカリしないか?」
「……しますね」
想像してみて、しみじみと俺はうなずいた。
交換日記みたいとか言われてドキドキしたのは本当だ。
もしその一文が無く、『わかりました。よろしくお願いします』だけだったら胸が高まらなかったどころか、がっかりさえしていたかもしれない。
【山本さん】
「だろ?お前はまさにそれを相手にやろうとしてるんだぞ?」
「……やばいですね」
【山本さん】
「だろ?」
「でも、何て言えばいいですかね?」
【山本さん】
「別になんでもいいんだよ。昨日、ちょっと話したんだろ?世間話とかしなかったのか?」
「世間話……ですか」
顎に手を当てて、昨日の会話を思い返す。
「そういえば、ボーカロイドが好きって言ってましたね。歌ってみたとかよく聞くって言ってました」
【山本さん】
「あー、なんか今時って感じの趣味だな。それで話し合わせればいんじゃね?」
「でも、俺ってボカロ聴いたことないんですよね。山本さんはよく聞きます?ボーカロイド」
【山本さん】
「聞くぞ。執筆の時の作業用にしてるよ。聞いたことないなら、メジャーなところから聞いてみたらどうだ?初音ミクとか、まふまふとか」
「ですね。どうやったらみれますか?」
【山本さん】
「普通にiTubeとかで調べれば出るだろ。貸しな、アプリ入れてやるよ」
スマホを山本さんに渡して、iTubeというアプリを入れてもらう。
山本さん曰く、iTubeは世界で一番有名な配信ツールらしい。
【山本さん】
「ほら、ここでボカロ歌ってみたとかで検索すれば出るからな」
「わかりました」
山本さんに説明を受けながら、ボーカロイド 歌ってみたで検索する。
すると、沢山の動画がずらーっと出てきた。
「これって、一番上のやつが人気なやつですか?」
命に嫌われている、歌ってみた。と書かれたタイトルの動画を指差しながら俺は尋ねた。
【山本さん】
「そうだな。ちなみにそれがまふまふさんだ」
「あ。本当だ。てか、8000万再生ってすごいですね」
【山本さん】
「まぁ、まふまふさんは相当人気だからな……主に女の子に」
最後の一言に怨嗟のようなものがこもってたのは気のせいだろうか。
それはさておき、一番人気の高い動画を押してみる。
するとまずは5秒間の広告が流れ、本篇が始まった。
まずは前奏が流れ、透き通った水晶のような綺麗な歌声が聞こえて来る。
……わかっていたことだが、やっぱり俺がやっていた音楽とは全く別のジャンルだった。
だが、なんだろう。心に直接訴えかけてくるような神秘的な曲という印象だった。
「……いい曲ですね」
すべて聴き終わった後、俺はたった一言だけ呟いた。
それから他の曲も聞いてみたが、やはりどれもいい曲ばかりだった。
原曲も聞いてみたが、俺は電子音よりも歌ってみたの方が好きかもしれない。
時々くる客は山本さんに対応してもらいながら、一曲聴いては関連動画から別の曲を聴いてを繰り返した。
「……あ。この人好きかも」
そのうちの一つが、なんとなくいいなと思った。
【山本さん】
「誰だ?」
疑問符を浮かべながら、山本さんがスマホを覗き込んでくる。
【山本さん】
「あー、みそらちゃんか。俺も最近ハマってるぜ」
「みそらちゃん?」
【山本さん】
「それ歌ってる人だよ。みそらチャンネルの「みそら」だから、みそらちゃん。最近有名になってきた子なんだけど、すげえ可愛い声してるんだよな。歌も上手いし」
「確かに。めっちゃ綺麗な声ですね」
【山本さん】
「だろ。気に入ったならチャンネル登録でもしておけば?」
「チャンネル登録?これですか?」
【山本さん】
「そうそう。登録しとくと、みそらちゃんが動画あげたときに教えてくれたりするんだ」
「なるほど」
言われた通り、チャンネル登録をしてみる。
登録ボタンの横にチャンネル登録者数も表示されていた。
どうやら、みそらちゃんのチャンネル登録者数は8万人らしい。
つまり、俺は8万何人目かのみそらちゃんのファンということか。
…………すげえな。8万って、俺たちのバンドの全盛期の何百何千倍の量だ。
ネットだから複垢などで登録してる人もいるとは言え、その量は凄まじい。
それに再生数も5万とか余裕で超えている。
中には10万超えのものもちらほらとあった。
「登録者8万人って、すごいですね」
【山本さん】
「そうだな。実際その子はすげえよ。SNSもやってないのに、実力だけでそこまでのし上がったんだから」
「そうなんですか?」
【山本さん】
「ああ。みそらちゃんがバズったのはファンの人がTwittarで拡散したからなんだが……みそらちゃん自身はTwittarどころか、instもFaisebookも何もやってないんだよ」
嘆くように山本さんはいった。
それから、堰を切ったように語りだす。
【山本さん】
「動画のコメントとかでもやってほしいって意見は見るんだけどな。頑なにやろうとしないんだ。今はまだ発展途上だけど、みそらちゃんがTwittarとかやったら絶対伸びると思うんだけどな。概要欄もちょこっとしか書いてないし……まぁ、俺はそのミステリアスなところも好きだったりするんだけど」
「概要欄?」
【山本さん】
「そこのタイトルのとこタップしたら出るやつ。うP主が動画に残すメッセージみたいなもんだ」
「これですか」
「……なるほど」
確かに、開いてみると随分簡素な概要欄だった。
『初音ミクちゃんのメルト。歌わせていただきました』
という二文とともに、原曲動画のリンクが貼られていた。
「なんていうか、淡白ですね」
【山本さん】
「だろ?でも実力は確かだし、決してファンサービスが悪いわけじゃないんだよ。コメントにいいねとかつけてくれるし」
「あ。本当だ」
上の方にあるコメントに、みそらちゃんがハートマークをつけていた。
【山本さん】
「多分、歌は好きだけどプライベートを絶対晒したくないんだろうな。地声とかも絶対晒さないし」
そうなのか。
これだけ美しい歌声をしているのだから、地声もきっときれいに違いないのに。
ひょっとしたら、みそらちゃんは自分の名を売ることに興味がないのだろうか。
人気になるつもりはなかったのに、たまたま視聴者が増えてしまっただけ?
もしそれが本当なら、それはなんて贅沢で羨ましいことなのだろう。
【山本さん】
「どうした?」
「いえ。なんでもないです」
訝しがる山本さんに、俺はかぶりを振った。
【山本さん】
「そうか?ちなみにだが、みそらちゃんは恋愛系の曲が上手いぞ?というかほとんどそれしか歌わん」
恋愛系の曲、いわゆるラブソングか。
【山本さん】
「今お前が聞いてたのもラブソングだったろ?」
「ですね」
頷きながらみそらちゃんの過去の歌ってみた動画を見てみると、確かにほとんどがラブソングで染まっていた。
「でも、どうして恋愛ソングばかり歌うんでしょうね?」
その一つを適当に再生してみる。
さっきの曲がアップテンポだったのに対して、今度は物静かな曲調のものだった。
【山本さん】
「さぁ?もしかしたら、中の人が多感な時期なのかもよ?案外、学生さんだったりしてな。もし中学生とかならプライベートを晒したがらないのも納得だ」
「え?最近の中学生ってこういう動画上げたりするんですが?」
【山本さん】
「するぞ。なんなら小学生でも動画あげる人がいるらしいぞ?俺は見たことないけど」
「……ま、まじですか。最近の子供ってハイテクなんですね」
軽いジェネレーションギャップに戸惑いを隠せなかった。
俺が中学生の頃なんて、スマホすら持ってなかったぞ。
【山本さん】
「って、お前彼女にメール送るの忘れんなよ?」
「だから彼女じゃありませんって。でも忘れてないですよ。この曲聞いたら送ってみます」
言った通り、俺はしっかり画面が暗くなるまで動画を見終えると、FaisebookのDM画面に戻った。
『あ。そういえば神田さんが好きって言ってたボーカロイド聞いてみたよ』
『初音ミクとかオレンジスターの曲とか、まこまこさんとか歌ってみた系も色々見たけど……みそらちゃんっていう子が一番良かったな』
『神田さんはみそらちゃんのこと知ってる?』
『もし、知らないなら聞いてみてほしい』
という内容で送信する。
これで、明日の夜にはまた返信をくれるはずだ。
明日の夜勤を楽しみにしながら、俺はFaisebookを閉じた。
神田さんにDMを送ってからはしばらく動画鑑賞を続けていたが、明け方になったら仕事をしなければならない。
フライヤーを揚げたり、店内を清掃したり。
「っ〜♪」
【山本さん】
「お?それさっき聞いてたやつ?」
「あ、すいません……めちゃくちゃいい曲だったんで、つい口ずさんじゃいました」
【山本さん】
「いや、鼻歌くらい別にいいけどさ。お前も鼻歌とか歌うんだな?」
鼻歌を歌うと嫌がる人も多いが、山本さんは違ったようだ。
「そういえば、歌なんてずいぶん久しぶりですね。音楽関係は遠ざけてましたから……」
モップ掛けの足を止めて、俺は考え込んだ。
学生時代はとにかく音を奏でることが好きで、他人の音を聞くことが好きで、そのたびに胸を高鳴らせていたが、その感覚もいつしか忘れてしまっていた。
焦燥感や不安を抜きに、今ほど純粋な気持ちで音楽を楽しめたのは随分久しぶりだった。
【山本さん】
「まぁ、お前にも何か好きなものが出来て俺は安心だよ」
山本さんは、憑物が落ちたというような顔で俺を見ながら言った。
【山本さん】
「なんてったって、今までのお前は感情を失った廃人って感じだったもんな」
「……そんなに酷かったですか?」
【山本さん】
「自覚なかったのか? 常に目に生気がないし、話を振っても相槌は返すが表情はほとんど変わらない。たまーに変わったかと思えば、迷惑そうに顔をしかめるくらいだ。心配するに決まってるだろ?」
たしかに、あのときは露骨に嫌がってたかもしれない。
でも感情がないわけじゃなかったんだけど。
「迷惑だったのは山本さんがしつこく俺のこと聞いてくるからじゃないですか!」
【山本さん】
「ははは! そんな憎まれ口が叩けるならもう大丈夫だな」
少し尖った口調で言い返してみると、山本さんは大きな声で笑った。
【山本さん】
「一時期はこいつ自殺するんじゃないかって本気で思ってたんだからな?」
「う。し……しませんよ。自殺なんて」
図星をつかれて、俺は目を泳がせた。
口では否定していたが、ここ最近は本気で自殺も考えていた。
俺には自分で命を経つ勇気がなかったから、こうして生き長らえてはいるが、一歩間違えたら死んでいたかもしれない。
それこそ、ひと押しの勇気があったら取り返しのつかないことになっていた可能性もあるのだ。
もっとも、神田さんとの繋がりや新しい趣味という未練が出来てしまった以上、それらは全て過去の考えなのだが。
にしても、まさか山本さんが俺のことを気にかけてくれていたとは。
やたら俺の過去を聞いてきたのは、本当はネタのためではなく俺を案じてのことだった?
そう思って山本さんをみると。
【山本さん】
「人生がうまくいかず、絶望していたところに突如現れた幼馴染みの女の子。彼女と話すことでほんのわずかに生きる気力を取り戻した主人公」
【山本さん】
彼女に勧められて歌い手の動画をあさり、ある一人の歌い手にハマる」
【山本さん】
「その歌い手の正体が実はその少女で……これは行けそうだ!」
レジに立って何やらぶつぶつと呟きながら、捨てられたレシートの裏にメモを取っていた。
……うん。
少なくとも純度100%の善意というわけではなさそうだ。
「……掃除に戻りますね」
【山本さん】
「おう。よろしく頼むわ」
俺は無表情で掃除に戻った。
朝の6時ごろになれば、客も徐々に増え始める。
7時から8時の間には、朝ごはんを買っていく学生やサラリーマンで忙しくなってくる。
9時になったら交代になるため、ここが夜勤の最後の山だから俺もレジに入っていたのだが……
「ありがとうござ──」
【???】
「…………フン」
やや上機嫌で接客していると、おにぎりとコンビニ弁当を投げるように置かれた。
驚いて客の顔を見ると。
【???】
「あ?何見とるんだ?とっととやれ」
七部刈りくらいの坊主頭に黒縁の眼鏡をかけた、ゴマのような顔のおっさんだった。
このおっさんは……嫌なほど見覚えがある。
ある日、お釣りの返し方に納得がいかないと喚き散らしたおっさんだ。
それ以来、時々俺をイビリに来る性根の腐ったような性格の客だ。
「す、すいません!」
こういう輩は絶対に神経を逆撫せず、穏便にやり過ごすのが一番なのだ。
俺は慌てて謝りながら、会計のために商品を手に取ろうとする。
しかし、その直前でおっさんは逆に商品を奪い取ってきた。
ヤバイ。と思ったらもう遅かった。
【おっさん】
「おい?お前、言葉遣いがなっとらんなぁ?なぁ!?」
おっさんは意地の悪い笑みを浮かべながら、グッと身を乗り出して顔を寄せてくる。
「す……すいません」
【おっさん】
「だーかーら! すいませんじゃなくてすみませんだろ!そんなこともわからんのか?」
頼むからやめてくれ……と思うけど、そんな願いを聞き入れてくれるわけがない。
後ろの客も驚いて、怒鳴り出すおっさんを見ている。
そんな周りの迷惑など考えず、おっさんはグダグダと管を巻いていた。
……さっき山本さんが言っていたことは本当かもしれない。
前までの俺は、確かに感情を失っていた。
だって、前までは似たような状況になっても、俯いて耐えていられたが……流石に苛立ってきた。
【山本さん】
「お、お次でお待ちのお客様こちらにどうぞ!」
隣のレジから山本さんの声が飛ぶ。
後ろに並んでいた客は皆、驚いたり恐れたり、苛立ったような表情を浮かべながら、山本さんのレジの方に流れていった。
【ガタイの良い青年】
「……あの。そういうのは迷惑なので、やめてくれませんか?」
ほとんどの客はそっと離れていったが、唯一近づいてきた青年が苦言を呈してくれる。
ガタイの良い青年で、鍛えているのが丸わかりな体つきだった。
正直、救われた。
このままだと俺は、辞職覚悟で怒鳴り返してしまいそうだったから。
【真っ白な少女】
「来人……あんたはどうして、いつも揉め事に首突っ込んでくのよ」
青年の背後から、髪から肌まで文字通り全身真っ白な女の子が出てくる。
青年の彼女だろうか。
もし本当なら、正直羨ましいほどの美人だった。
もちろん神田さんも可愛かったが……目の前の少女はどこか人間離れした神秘的な美しさを持っている。
綺麗のタイプが違いすぎて、比べることはできなかった。
【来人】
「悪い……梓。なんならお前は先帰ってても良いぞ?」
外人かと思っていたのだが、少女は完全に日本名で呼ばれていた。
【梓】
「そうさせてもらうわ。めんどくさいけど、朝ごはんは冷蔵庫にあるもので作っとくから」
【来人】
「悪いな。頼むわ」
【梓】
「とっとと帰ってきてよね」
少女は気怠そうにため息を吐くと、さっさと帰ってしまった。
残されたおっさんと、青年が睨み合う。
【来人】
「で、朝からそういうことされると迷惑ですし、気分悪くなるのでやめてくれませんか?」
ほんの少し、青年が目つきを鋭くする。
ただ不快感をあらわにしただけだが、凄まじい威圧感があった。
【おっさん】
「お、俺はただ会計しとっただけだぞ!それで、こいつの言葉遣いがなっとらんから教えてやっとっただけで……」
【来人】
「店員さんは関係ねえんだよ。そもそも言葉遣い以前に常識もなってないやつが偉そうに説教垂れんな」
【おっさん】
「っのガキ!それが年上に対する言葉遣いか!」
散々煽られたおっさんは、今度は青年に食ってかかる。
「いま年齢関係ないだろ。冷静に、自分がどれだけヤバイことしてるかわからないのか?」
【おっさん】
「知らんわ!」
吐き捨てるように言って、おっさんは青年の胸ぐらにつかみかかった。
心臓がどきりとはねる。
このまま喧嘩になってしまったらまずい。
しかし、俺の心配は杞憂だった。
【おっさん】
「グッ!?」
おっさんが苦悶の声を上げる。
青年の胸ぐらを掴むはずだったその手は、青年によって逆に抑えられていた。
【来人】
「そうやってすぐ暴力に訴えてくる奴は楽だよ。ある意味な」
【おっさん】
「い、いだだだだ!!!!」
ぼそっと呟くと、青年は手に力を入れた。
それだけでおっさんは苦痛に顔を歪め、激しい悲鳴を上げ始めた。
この様子だと、どこか痛みのツボを突かれているのかもしれない。
おっさんは全身でもがいていたが、筋力に差がありすぎるのか微塵も振りほどける気配がない。
……まるで格闘漫画のワンシーンのような光景だった。
【来人】
「すみません。お騒がせしました」
青年は小さく頭を下げた。
「あ……い、いえ。別に」
さっきのシーンに驚いていた俺は、接客中であることも忘れて素で返してしまった。
【おっさん】
「は、離さんか!こ、この……ッ!」
【来人】
「うるせえ」
【おっさん】
「あだっ!?」
青年はおっさんを引きずるようにして外へ出ていく。
入店音が虚しく響き渡った。
「あ、ありがとうございました……?」
俺は蚊の鳴くような声で言った。
【山本さん】
「ーー。災難だったな」
ようやく退勤時間になり、ほっと一息吐いたところで山本さんが声をかけてきた。
「ですね」
俺はうなずく。
本当にあの青年がいなかったら今頃どうなってたか。
ただでさえギリギリな状況なのに、客とのトラブルで職も失っていたら。
考えるだけで気が滅入ってくる。
【山本さん】
「まぁ、俺としてはまた新しいネタ頂いてご馳走様って感じなんだが」
その冗談、今は笑えない。
【山本さん】
「神田さんの件もそうだけど、お前ってもしかしてネタを引き寄せる体質なのか?」
シラけた目で見ていると、真面目なトーンで山本さんは聞いてくる。
「さぁ……どうせなら嬉しいことだけ引き寄せてくれたら嬉しいんですけどね」
俺は冗談混じりに笑った。
【山本さん】
「はは!確かにその通りだが、運は収束するとも言うからな。神田さんと出会えた幸運の分、悪運が跳ね返ってきたのかもな」
「もう不幸は勘弁してほしいです……」
そんなやりとりを経て、俺と山本さんは声を出して笑う。
徹夜明けと仕事終わりでテンションが上がっていて、少しハイになってたのかもしれない。
【山本さん】
「さて。じゃ、俺は帰るわ。じゃあな」
「あ、お疲れ様でした!」
【山本さん】
「おう。お疲れさん。お前もほどほどにして帰れよ〜」
廃棄の弁当を食べ終えると、山本さんは荷物を持って出ていく。
それからしばらくして、時計を見ると終業からすでに1時間が経過しそうになっていた。
……長居しすぎたな。そろそろ帰るか。
俺は今開いていた動画を見終えると、スマホを閉じて事務所を出た。
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